放課後の教室に居残りをしているクラスメイトを見かけた。普段の宮城ならあえて声を掛けに行くことはなく、そのまま素知らぬ顔をして廊下を通り過ぎるだろう。

「今から開けんの?」

 それをあえて声を掛けに行ったのは、好きな子の親友だったからというのもあるが、彼女が今からしようとしている行為に興味を持ったからだ。
 
「そう」
 
 自席でピアッサーを持ちながら折り畳みミラーを睨みつけていた彼女は、険しい顔のまま宮城に目を向けた。「すげー顔」宮城は自身の眉間に指を当てて彼女の眉間に寄った皺をからかうと、彼女の前の席に座った。机の上に置かれた消毒液のツンとした匂いが鼻につく。
 
「だって怖いもん」
「こんなとこで勢いで開けようとするからじゃね?」
「勢いがなきゃ開けらんないよ、こんなの」
「そりゃそーだ」
 
 肝心の勢いを今まさに削いでしまったのは他ならぬ自分であることを差し置いて頷いた宮城は、「開けてあげよっか」と眉を上げる。自身が経験者であるとアピールするように左耳を指差す。断られる前提で申し出たのたが、彼女は「頼んだ」とピアッサーを渡してきたので宮城はげっと眉を顰めた。
 
「やだ。人のとかこえーし」
「だめ。自分から言ったんだから責任持って」
「いやいや、さすがにこれは責任重いって」
「腹くくってよ。男でしょ」
「腹くくんのはどっちかっつーとそっちじゃねーの」
「まあまあ。とりあえず持ってみて」
「あっ、おい」
 
 強引に渡されたピアッサーを受け取ってしまい、宮城は手の中に収まる簡素な作りのそれをじっと見つめた。むき出しの針の長さに再び眉を歪める。消毒をする知識もなく安全ピンで開けた過去の自分を思い出した。あれは自傷行為に等しかった。まさに彼女の言うように勢いがなければ開けられなかっただろう。
 
「なんで開けんの?」
「ん〜憧れてる人が開けてるから?」
「へえ。だれ?」
 
 有名人の名前が出てくるだろうと思いながら問うたのに、返ってきたのは「同じクラスの人」という身近なものだった。
 
「え、まじ?」
「うん。おしゃれで憧れてんだー」
「まあ、ピアス開けてんならそうだろうな」 
 
 宮城はピアスを開けているクラスメイトを頭の中に思い浮かべようとした。しかし、クラスメイトのピアスの有無など毛ほどにも興味がなかったせいで彼が好意を寄せる彩子以外一人も思い浮かばなかったため、適当に相槌を打つ。
 
「ほら、ここね。マジックで書いてるから。狙い定めて」
「待って、オレがやる感じになってんだけど」
「やる感じじゃなくて、やるんだよ」
「……マジかよ」
「腹くくれって言ったじゃん」
 
 宮城は腕を掴まれ、無理やり――といっても彼女の力で宮城に勝てるはずがない。自身の手首に回りきらない彼女の小さな手に気を取られ、抵抗せずにいたためされるがままだったのだ――ピアッサーを持った手を左耳の近くに寄せられる。
 
「わたしも腹くくったから。ひと思いで頼むよ」
「後悔しねーの?」
「しないよ。好きな人とお揃いがいいの」
「え、さっきのって好きな人の話だったの?」
「うん。付き合える可能性ゼロだから、憧れで止めてんの」
「……さっき、同じクラスって言ってなかった?」
「言ってたね。ちなみにバスケ部だよ」

 自分はなにか試されているのだろうか。いつも彩子の隣に立つ彼女はどういった気持ちで自身と親友が話す姿を見ていたのだろう。意味ありげに細められた彼女の目に、宮城は動揺していた。それを感じ取られまいと平静を装う。
 
「オレじゃん」
「ははっ言うと思った。んなわけないじゃん」
「……んだよそれ。気まずいんだけど」
 
 やはり試されていたらしい。男心を弄ばれた気恥ずかしさもあって、宮城は唇を尖らせる。誤魔化そうとして針の先を印の上に重ねた。
 
「けどドキドキしたでしょ?」
「そりゃ、まあ……」
「うわ、サイテー」
「どっちがだよ」
「だってあんた、彩子のこと好きなのに。私相手にドキドキするとか終わってるね」
 
 さっきまでの軽やかな声色と違い、冷めきった声だった。自分の手首を掴む指に力が入っているのを感じる。
 
「彩子のこと、好き?」
 
 宮城は初めて出会ったときから彩子のことが好きだ。そしてそれは周知の事実である。他の子に告白を繰り返した過去もあるが、振り向いてくれる素振りのない彼女を忘れるために行っていたいわば自傷のようなもの。きっとあのときの彼女達が首を縦に振ってくれたとしても長続きはしなかっただろう。
 彼女は否定したが、自身に当てはまることが多すぎる。やはり自分に好意を持っているのだろうか。だからこんなにも怒っているのか。
 ここで自分が彩子への気持ちを肯定すれば彼女は傷付くのだろうか。しかし、彩子への想いを否定せず、かつ彼女を傷付けない答えなど見つからず宮城はただ黙って頷いた。
 
「そう。私もなんだ」
「は?」
 
 彼女の手が宮城の手に覆い被さった。ガシャッというホッチキスのような軽快な音とともに、「いったあ……」と顔を歪める彼女。宮城は呆気にとられたまま役目を終えたピアッサーを見る。何について驚けばいいのかわからないなりに、一番最初に出た言葉は「ライバル……?」だった。
 
「気付かなかった?」
「全然……つーか、え?まじで?」
「うん。わりと宮城と彩子の仲邪魔してたつもりだけど。案外わかんないもんなんだね」

 言われてみれば、彼女はいつも彩子のそばにいた。宮城が彩子に話しかけようとしたときにタイミングよく攫われる場面は幾度となくあった。女子というのは連れ立って歩きたがる生き物だと思っていたためタイミングが悪かったと肩を落とした日々だったが、どうやら彼女が仕組んだことだったらしい。
 
「私、彩子のこと中学んときからずっと好きなんだよね。自分がどうにかなろうとは思ってないんだけど、やっぱ理想とかあるじゃん?彩子の彼氏にはさ、彩子のこと一番大切に想ってくれる人がいいわけ。色んな人にちょっかい出す男ってのは論外なんだよね」

 鏡を持ち上げ、開けたばかりのファーストピアスを確認する彼女の口は、そんな痛烈な皮肉を宮城に投げた。不意打ちで開けた――開けさせられたというほうが正しいかもしれないが――わりには大きなズレも歪みもなさそうだった。
 
「だから、宮城にはあげない」

 それは彩子自身が決めることだろうと言ってやりたいが、痛いところを突かれた手前、宮城の行き場のない怒りは言葉として出てこなかった。宮城は彼女を睨みつけたが彼女はにやりと笑うと、「こっちも開けてよ」ともう片方の耳を指差した。

「……結構腹立ってんだけど。今のオレがやったら歪んじまうんじゃねーの」
「そうなったら宮城に傷物にされたって彩子に言う」
「意味わかんねー。なにがしてーの。つーか、なんでオレにバラしてんだよ」
「なんだろう。自分でもよくわかんないけど。脈なし同士、友好関係を築きたいとは思ってるよ」
「オレは脈あるっつの!」
「ないって。私、一番の親友だよ?ちゃんと探り入れてるもん」
「は……まじかよ……アンタまじ最悪だろ……」

 聞きたくなかった事実に宮城は深いため息を落とした。そんな宮城に彼女は鞄の中からもう一つピアッサーを取り出して宮城へ渡すと、「ほらほら。次はここね」と笑う。マジックで書かれた印よりずらして開けてやろうと思った。

「やっぱじんじんするね。痛いや」

 二つ目の穴を開けたときだった。マジックで書かれた印の上に綺麗に開けられた穴にはファーストピアスが埋まっている。笑顔を作っているはずの彼女の眉間のシワの深さを見て、これは彼女にとっての自傷行為だったのだと気付いた。しかし、役目を終えたピアッサーを握っていたのはまたしても自分である。二度目の穴は、宮城一人の力で開けたものだ。自傷行為の幇助に違いなかった。

「憧れだけで止められたら良かったのにな」

 開いた穴が歪な形で塞がることはあっても、傷が消えることはない。それを宮城は知っていた。傷の種類は違うとはいえ、経験者だからだ。

「バカじゃねーの」

 だから宮城はそう言うしかなかった。消毒液の匂いが鼻について、互いに眉を歪めた。
 
 
 
2023.3.26

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