二学期に入り、始業式のあとに集まった教室ではまだみんな夏休み気分でざわついていた。「明日から授業あるんだからなー切り替えろよー」と言った先生もまだ夏休み気分なのか気怠げだ。明日からの時間割表を配られ、うしろに座る宮城くんに手渡す。目が合った宮城くんは軽く目を細めて笑いかけてくれて、わたしは勝手にどきどきした。宮城くんの前の席で良かった。じっくりと噛み締めている幸せを先生はいとも簡単に奪い去った。
 
「明日の一時間目は席替えするからなー」
「まじ?」
「やったー!」
「先生ありがとー!」

 気怠い空気で満ちていたクラスがわっと色めきだつ。わたしだけは「えっ」とショックを受けていた。席替え、席替えだって?思わず振り返る。
 
「名前ともお別れかー。寂しいな」 
 寂しいなんてもんじゃない。後ろの席じゃなくなったら、わたしはどうやって宮城くんと話すきっかけを作ればいいんだ。朝の勉強だって毎日なわけじゃないし、そもそもそれだって席が前後だからこそ発生していたイベントだし。
 
「うん。寂しい……」
 
 項垂れた先に見えた、宮城くんの筆箱。わたしがプレゼントしたイルカはいつだって宮城くんと共にいられることを「いいだろう」とでも言うようにしたり顔をしている。急に憎らしくなった。わたしが選んだ物なのに。あれだけ渡せたのが嬉しかったのに。
 
「……なんで笑うの」
「なんでだろうなー?」
 
 それなのに、凹んでいるわたしを頬杖をついて見下ろす宮城くんは眉を上げてなんだか楽しげだ。寂しいだなんて言ってたけど、みんなと一緒で宮城くんにとっても席替えは嬉しいことなんだろうな。前に向き直したわたしが深いため息をつくと、後ろから声を押し殺したみたいな笑い声が聞こえてきた。これを聞くのも明日の一時間目までなのかと思うと猛烈に寂しかった。
 
 翌朝、職員室に入るなり、「今日もソータが先だったぞー」と教頭先生に言われた。開けっ放しの教室の扉の先には窓際の一番奥の席で勉強をしている宮城くんがいて、その姿を見ているとなんだか切なくて、ランドセルの肩ベルトを持つ手に力が入った。
 
「宮城くん、おはよう」
「おはよ。今日はオレの勝ちだったなー」
「だね。負けたー」
  
 中から教科書を取り出して、ランドセルをロッカーに片付けた。朝の準備を終え、椅子に座って読みかけの文庫本を取り出したとき、後ろから鉛筆で背中を突かれた。振り向いた先の宮城くんはさっきから全然問題を解こうとしない。
 
「わかんないの?」
「ん?そうじゃないー。今日はもういいかなって」  
「夏休み明けだもん、朝からやる気起きないよね。宮城くん、バスケもあるのに頑張ってて偉いなあ」 
 
 毎朝とは言わないまでも、週に二、三回は勉強のために朝早く来ていた。夏休みが明けても継続するなんて立派だ。
 感心していると、ドリルを閉じて机に仕舞った宮城くんは「偉い?本当にそう思ってんの?」と頬杖をついて唇を緩めた。
 
「うん。だって夏休み前から続いてるし……たまにわたしが喋って邪魔しちゃってるけど。あ、今もだ。ごめん」
「んー。というか、そっちが目的」 
「え?」
 
 そっちが目的って?宮城くんの言っていることがいまいちピンとこなくて首を傾げると、「名前と話すの楽しいからなー」と宮城くんはわたしに意味ありげな視線を寄越して笑う。
 その視線の意味がわからない。きっとからかわれている。だってこんなのわたしに都合が良すぎる。わたしが顔に出やすいから面白がっているんだ。期待をもたせるようなことを言わないで欲しい。好きなひとがいるくせに。
 そんなことを思っているのに、現実のわたしは大喜びだ。ニヤける顔を隠せない。だから、見られないように前を向き直してから小さく呟いた。「……わたしも楽しいよ」って。勇気を出して言ったのに、後ろの宮城くんは「聞こえんどー」とわたしの背中を突いた。あんまりだ。
 文庫本で顔の下半分を隠しながら振り返ると、宮城くんは机に顔を伏せていた。肩が震えている。声を押し殺して笑っているのだ。騙された。

「えっ……絶対聞こえてたよね!?」
「こっち向いて言ってくれなきゃ聞こえんー」
「なっ、そ、そんなの……ずるいっ!もう言わない!本読むから邪魔しないでっ」
「なんで本読むー?オレと話すの楽しいって言ったやし」
「やっぱり聞こえてるじゃん!」
「うん。聞こえてたー」
「うっ……なにそれぇ」
  
 宮城くんが悪びれもなく笑うので、わたしはそれ以上文句を言えなくなってしまった。これが惚れた弱みってやつなのかもしれない。
 本を自分の机に置いて、椅子の角度を調整して宮城くんの方へ体を向ける。「……ゆんたくしますか」と筆箱のイルカに向かってお喋りのお誘いをしてみると、イルカは大きな手に摘まれて、「はい」とお辞儀をした。
 
「……じゃあ、えっと……残りの夏休みなにしてた?」
「オレ?それともこっち?」
 
 こっち、と言って摘まれたままのイルカが泳ぐ。わかっているくせに。

「……宮城くんに決まってるじゃん」
「名前がこっち見ないのが悪いー」

 今度のこっち、は宮城くんのことだ。イルカに向けていた目をちらっと宮城くんに向ける。目があった宮城くんは満足そうに笑った。
 
「祭りのとき、船釣り行くって言ってたの覚えてる?」
「言ってたね。楽しかった?」
「それがさー途中から嵐になって船転覆した」
「えっ!?だ、大丈夫だったのそれ!?」
「たまたま近くにいた海保に助けてもらったからなんとか。さすがに死ぬかと思ったー。そっから船乗るどころか釣りもしばらく禁止」
 
 あの祭りの日から今日までの間にそんなことがあったなんて知らなかった。宮城くんはなんとでもないことのように話すけれど、死を覚悟したなんてとんでもない話だ。怪我はないのかとか息苦しくないかとか学校に来ても大丈夫なのかとか色々心配になって訊ねると、宮城くんは「質問多いなー」と軽い調子で笑う。

「この通り元気。それに二週間前のことやし。もうへーき」
「そっか……」
「びっくりした?」
「……びっくりっていうか……」
「うん?」
 
 なんて言えばいいのだろう。言葉にならない。もし、そのときに宮城くんが死んでしまっていたら、今ここに宮城くんはいない。最悪の事態を想像してしまって、血の気が引いた。
 沖縄の夏、暑い朝。それなのに、寒気がする。心臓が止まりそうになった。目の前にいる宮城くんが滲んで見える。喉の奥がひきつって、鼻がつんとする。思わず手で顔を覆った。

「ごめん。泣かせるつもりなかった」

 うん。わかってる。そう言ったつもりなのに、わたしは頷くしかできない。堪えようとしているのに、わたしの涙腺はばかなのか主人の言うことが聞けないらしい。
 宮城くんにとってはひと夏の大冒険だったり、武勇伝だったりするのかもしれないのに。勝手に死んだ場合を想像して泣くなんて最低だ。さっきまで笑ってたくせに急に泣くなバカ。そうやって自分を詰るけれど、涙が止まらない。両手で顔を隠しても泣いていることを隠すことはできなくて。涙が止まって欲しいのに止まらなくて。ひっくひっくと呼吸が荒くなる。
 きっと宮城くんは泣いているわたしにうんざりしたのだと思っていたら、頭に温かみを感じた。大きな手が、「ごめん」と謝りながら優しく撫ぜる。
 
「本当にもうなんともないから。泣くなー」
 
 宮城くんの声は優しくて、また喉の奥が詰まった。うん。わたしの声は声にならず、頷くだけ。そんなわたしの様子に宮城くんは何も言わずにただただわたしの頭をポンポンと優しく撫で続けてくれた。その手が大きくて、温かくて、宮城くんが生きてて良かったと思った。
 
 しばらくそんな調子で泣き続けて、ようやく涙の波も落ち着いてきた。深呼吸を繰り返して呼吸を整える。すると、冷静になりだした頭が今の状況を整理し始めて、困った。
 わたしの頭を撫でるこの手はなんだ。なんだって宮城くんの手なのだけれど。同級生の男子って泣いている女子の頭をこうも簡単に触ることができるものなのか。いや、宮城くんならできる。ていうか現在進行形でしている。きっと宮城くんにとって弟や妹にするのと変わらない些細なことなのだ。
 
「も、もう大丈夫」
 
 枯れた声で言うと宮城くんの手は最後にわたしの頭をくしゃりと撫でるとそっと離れていった。まるで心臓を優しく撫でられたみたいで、胸の内側がこそばゆい。
 
「落ち着いた?」
「……うん。なんか、ごめんね……」
 
 涙はとっくに途切れている。だけど、泣いたばかりの顔はぶさいくな上、宮城くんに頭を撫でられたという出来事を未だうまく処理できないせいで照れきっている。今日はもう日焼けの言い訳はできない。というわけで、顔を隠している手を今更解放するわけにはいかなかった。指の隙間からそっと見ると、それに気付いた宮城くんが笑う。

「そろそろみんな来るど」
「……だね。ほんとに、ほんとにごめんね……」
「もう謝んの終わりー。オレ達、朝から謝ってばっかだな」
「うっ……わかった。ありがとう……顔洗ってくる」
 
 顔を隠しながら立ち上がって、宮城くんに見られないようにすぐに後ろを向いた。「ハンカチ持ったー?」と後ろから宮城くんが笑いながら聞いてくる。からかっているような調子。「持ってるよぉ」気まずそうにするわたしを和ませてくれようとしているのだと思うと、胸がきゅーっと熱くなる。宮城くんが好きだと思った。これからもずっと、もっと。自信を持って好きと言える自分になりたい。
 
「あの、宮城くん」
「どうしたー?」
 
 席替えをして後ろの席じゃなくなっても。話すきっかけがなくなっても。わたしは自分から話しかける努力をしなきゃいけないなって。
 
「……これからもいっぱいゆんたくしてね」
  
 今日の顔はブサイクだし、まだ面と向かって言えるほどの勇気は出ないから後ろを向いたままだけど。宮城くんともっとたくさん話したい。もっと知って、もっと好きになりたい。
 それと同じくらい、宮城くんにもわたしを知って欲しい。宮城くんに好きなひとがいたって、わたしが弟や妹と同じような立ち位置にいたっていいなんて言えるほど良い子ちゃんにはなれない。
 いつかこの気持ちを伝えられたらいいなと思う。そのときまでに、宮城くんにとってのわたしが今好きなひとよりも上に位置していたらいいな、なんて。さすがにそれはわがままが過ぎるけど。いつかそんなときが来て欲しいと夢見ることくらい、罰は当たらないよね。
  
「最初からそのつもりやし」
 
 楽しそうに弾む声を背中に受けて教室を出た。教室に戻ったら何を話そう。考えるだけで胸が弾んだ。
 


2023.3.21

  back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -