朝起きたときに鏡に映った顔を見て、ほっと息をついた。昨日お母さんに泣きついて化粧水をたっぷり塗り込んだおかげで、鼻の赤みがマシになっている。他の部分と比べたらまだまだ赤いけれど、見れない顔じゃない。いつもより丁寧に髪を梳かした。
 朝ごはんは普段より少なめにした。気持ちがいっぱいで食べれなかったから。全身鏡の前で何度も服を整えて気合を入れた。今日は惜しみなく全身に日焼け止めを塗った。完璧だ。「よし……!」出掛ける準備を済ませ、サンダルに足を通す。わたしは待ち合わせ時間より早く着くように家を出た。
 
 待ち合わせ場所に先について、お母さんに借りた腕時計を見つめること五分。タンクトップ姿の宮城くんが遠くに見えてそわそわした。宮城くんの誕生日に、二人で勉強。なんでこんなことになったんだろう。昨日一晩悩んだけれどわからなかった。
 近付いてくる宮城くんは緩く笑っていて、わたしはなんだか胸がいっぱいになって「宮城くん!誕生日!おめでとうっ!」とまだ数メートル先にいる宮城くんを祝っていた。自分でも驚くほど大きくなった声に「っおお!ありがとう!」と宮城くんは珍しく面食らっていて、それからわたしの前に来たときに「挨拶より先に言われるとは思わなくてあふぁったー」と照れくさそうに笑った。
 わたしもこんなに早く言うつもりじゃなかったのに。ギラギラ光る太陽を背負って笑う宮城くんが眩しすぎたせいだ。

 勉強場所は近くの公園にある屋根付きベンチだった。テーブルに二人のドリルが並ぶ。ページを捲ったあとすらないドリルに、きっと初めて広げたんだろうなと眺めていると、「昨日はリョータの相手してたからな」と宮城くんは言い訳をしていて面白かった。

「名前まじで半分終わってんだ。すごいなー」
「十日分、先に進んでるからね」
 
 いつもは後ろにいる宮城くんが、今日は隣に座る。肩の位置がわたしとは全然違う。宮城くんって大きいなと改めて思うとドキドキして、わたしは宮城くんの方を向いて話すことができなかった。
 そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、俯いているわたしに向かって「まだ日焼け気にしてんのかー?」と聞いてくる宮城くんの声はちょっと意地悪で、わたしはドリルを見ながら「違うもん」と強がった。
 
 ときどき吹く乾いた風が屋根下をすり抜けて、暑さを和らいげてくれる。そんな心地のいい夏風に吹かれながらドリルを進めていくこと十分弱。数字を変えただけの問題の数々を黙々と解くことに早くも飽き始めたのか、隣りに座った宮城くんは鉛筆を回し始めた。その様子をちら、と見ると目が合って、宮城くんは唇の端だけで笑う。
 
「鼻、まだ赤いな」 
「うっ……宮城くん、楽しそうだね」   
「誕生日だからかな」
「そうだったね。あ、そうそう」

 出発前に用意したものを取ろうとトートバッグを漁る。目当てのものが指の先に当たって、取り出す。「はい」宮城くんのドリルの上に小さな紙袋をちょこんと乗せた。
 
「これ、誕生日プレゼント」
「くれんの?」 
「うん。でもたいしたものじゃないよ」
 
 おお、と驚いたように目を瞬かせた宮城くんは、「さんきゅー」と言うとくしゃりと笑った。それはいつもの大人びた笑いとは違って無邪気で可愛くて、宮城くんのことをもっと好きになってしまった。胸がギュッと縮こまるみたいに息がしづらい。

「その、こないだ家族で水族館行ったときのお土産で……余ってたから」 
 
 余ってたなんて嘘だ。本当は、宮城くんに渡せたらいいなって思いながら選んだ。新学期に会ったとき、他の友達に渡すみたいに「はい」って軽い調子で渡せたらなって。けどきっと周りに変に思われたらいけないから渡せないだろうなって、そこまで想定して勉強机に眠らせていた。
 それがまさか誕生日プレゼントとして渡すことができたなんて、一週間前のわたしはびっくりしているだろう。夏休みの宿題の情報と引き換えに宮城くんの誕生日を手に入れた昨日のわたし、ナイス。
 早速中身を開封した宮城くんは、「かわいいな」と水色のイルカのキーホルダーを指で摘んだ。揺れるキーホルダーの向こうでわたしに笑いかける宮城くんを見ているのが恥ずかしくなって、視線を下にずらした。
 
「お揃い?」
「えっ?違うよ。なんで?」
「水色とピンクとか、そういうやつかなって」
 
 宮城くんの言うように、キーホルダーは水色とピンクのイルカが売られていた。ピンクを見たとき、可愛いと思ったけれどお揃いになるといけないから自分のは別の種類を買った。宮城くんには水色が似合うと思ったから水色にしたのだけれど、選択を間違えたのだろうか。
 
「もしかしてピンクが良かったとか……?」
「違うー。水色のが好き」
 
 二つに一つの選択は間違えていなかったようだ。良かったと安心していたら、宮城くんはキーホルダーを筆箱に付けだした。
 戸惑うわたしをよそに、宮城くんは「やる気出てきた」とにっと笑う。嬉しいけど、複雑だ。
 
「筆箱はやめといたら……?」
「なんで?」
「なんていうか……こういうの見られちゃまずいのかなって」
「誰に?」
「宮城くんの、好きなひと」
 
 言ってから、恥ずかしくなった。自分で勘違いされるなんてよく言う。だけど、クラスのみんなに勘違いされかけた出来事があったのは事実だし。それに、わたしがあげたキーホルダーを宮城くんが筆箱に付けているなんてみんなに知られたら絶対からかわれるだろうし。
 
「ん〜べつにまずくはないな」
 
 考えすぎて百面相しているわたしとは違い、宮城くんはのんびり答える。いや、まずいって。そう思うけれど、そういえば宮城くんは周りに先生のことでからかわれているときもこんな呑気な感じだったなと思い出した。
 宮城くんが保健室の先生が好きだとみんなに宣言してから夏休みに入るまで、宮城くんはことあるごとにみんなにからかわれるようになってしまったのだ。
 廊下で保健の先生とすれ違うとき。プールの授業で先生が見張りに来ているとき。怪我をした子を保健室に連れて行くとき。みんなは「ソータぁ」とニヤニヤしながら宮城くんを小突いた。先生が相手なら宮城くんの恋が叶うはずがないのが安心なのか、女の子達も同じような態度で宮城くんをからかった。
 そのたび、わたしは勝手にやきもきしていた。もし仮にクラスが違うとしても、ここまでからかわれていたら宮城くんの本当に好きなひとの耳に入っちゃうでしょ!って。だけど当の本人は慌てた様子もなく「先生に迷惑かかるからやめろ〜」と軽い調子なので不思議だった。
 心配になって、朝二人のときに聞いてみた。大丈夫?って。そのときも宮城くんは「みんなそのうち飽きるだろ」と気楽に笑っていた。
 
「なんかやっけーなことになってしまったな」
 
 頬杖をついた宮城くんは考え事をするみたいに下唇を突き出して、空いた方の手でイルカをつんつんと突く。
 
「やっけー?」
「やっけーは……ややこしい?めんどくさい?とか、そんなんー」 

 ややこしいことになってしまった。それは何のことだろう。わたしがあげたキーホルダーを好きな人に見られること?でもそれはまずくはないと言っていたし。それとも先生のことでみんなにからかれること?でもいつものらりくらりで躱しているし。
 うーんと考え込むわたしの隣で、笑う声が聞こえて視線だけ向ける。目が合った宮城くんは、どこか得意げに眉を上げる。
 
「名前は?」
「え?」
「好きなやついるの?いっつもオレのことばっか聞いてくる」

 まさかやー!な質問すぎて、わたしは答えに詰まった。というか、固まった。わたしが好きなのは宮城くんだし、いつも聞くのも好きだからだし、でも応援したい気持ちもあるし……と答えようのない答えが頭の中を巡る。
 宮城くんの気怠げな目はわたしが答えるまで逸してくれるつもりがないのか、楽しそうに細められる。面白がっているのだ。もしかして、見抜かれているのかもしれない。わたしが一拍心臓を動かすごとに宮城くんの口角が一ミリずつ上がっていっているような気がした。
 
「っ……いない!ほらほら、手ぇ止まってるよ!早く勉強しよ!」
「しにあふぁってるやし」
「あ、あふぁってない!」
 
 なんとか否定したのに、宮城くんは信じていないのか「ふーん」とにんまり笑う。わたしの気持ちがバレていたらどうしようと気が気じゃなくて、自分でも眉がハの字になっているのがわかった。これ以上問い詰められたらどうしようと困っていたら宮城くんは息を吐くみたいに笑うと、「そういうことにしておいてやるか」と言って転がっていた鉛筆を持った。
 そうしてまた勉強タイムに入った。鉛筆がドリルの上を滑る音やページを捲る音でお互いの進捗具合がわかる。ときどき横を見れば、同じようにこっちを見た宮城くんは眉を上げて笑う。そんな顔を見せられたらニヤけそうで、わたしはまた勉強に戻る。その繰り返しだ。
 
「ここの問題わかる?」

 繰り返しを破ったのは宮城くんだった。どれ、と言いながら横髪を耳にかける。宮城くんの鉛筆がわからない問題に丸をつけた。
 
「来週の土曜、夏祭りあるの知ってた?」
「地元の祭り?」
「そう。近くの神社」
「知らなかった」
「女子で行く予定とかないんだ?」
「うん。仲良い子は今週から博多のおばあちゃん家行くんだって」
 
 問題に目を通すわたしの横で宮城くんは「博多かー」と鉛筆を回す。
 
「いいよね、行ってみたい」
「博多に?」
「博多もお祭りもどっちも」
 
 「欲張りだな」と笑う宮城くんに相槌を打ちながら、「あれ?」と思った。この問題は宮城くんにとってそんなに難しくないはずだ。解き方を忘れてしまったのかな。説明をしようと顔を上げかけたら、宮城くんの鉛筆がドリルの上を滑り出した。

――行く?
 
 どこに、と聞く前にまた鉛筆が動く。
 
――マツリ!
 
 どうしようとか、なんでとか。そんなの考えるよりも先にわたしの鉛筆は動いていた。

――行く!

 ちら、と見上げた先にははにかむ宮城くんがいて、好きがどんどん大きくなる。なんでそんな顔するの。好きなひとがいるのに。心臓がぎゅーっと押し潰されて、潰れすぎてなくなっちゃいそうになる。
 なにが恋の一時停止だ。応援したい気持ちもある、だ。わたしの大嘘つき。いつだって止まることなく、宮城くんが好きなくせに。

 
 
2023.3.13

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