※リョータ視点


 最近、兄が変だ。前まではだらだらと朝の用意をしていたのに、もう起きて朝ご飯を食べている。まだ七時なのに。リョータは起きたばかりでぼうっとした頭のまま食事をとる兄の肩に寄りかかった。
 
「ソーちゃん、今日朝からなんかあるのー?」
「ん?ん〜……なんかあるってわけではないな」
「こないだも先に学校行ったやし。なんもないなら一緒に行こぉ」
「なんだ。なら、リョータも早く行くか?」
「だからーなんで早く行くのってば」
 
 肩口に埋めた頭をぐりぐりと動かし甘えれば、「くすぐったい。やめろー」と兄は笑いながらリョータの頭を手で押す。歳の割に大きくて、頼りがいのある手だ。
 
「なんでって。勉強してんの」
「勉強?なんで?ソーちゃんそんなに頭悪いの?先生に怒られた?」
 
 リョータにとってはバスケや泳ぎ、釣りが得意で何でもできる尊敬する兄だったが、勉強は得意な方ではない。だからといって不得意というわけでもなく。やれば出来るが、必要に駆られなければやらないタイプであった。
 「言うなーおまえ」兄は否定も肯定もせず、笑ってご飯を口に運ぶ。その呑気さに、なにか不都合があって勉強に駆られているわけではなさそうだった。
 
「だって勉強なら家でやればいいやし」
 
 それにわざわざ朝早くから学校に行ってまでしなくてもいいのに。兄と過ごす時間を少しでも多く確保したいリョータは口を尖らせた。兄はそんなリョータの不満げな顔を見て笑う。
 
「家じゃ意味ないからなー」
「なんで」
「なんでも。そろそろ顔洗ってこーい」
 
 大きな手が自分の頭を雑に撫でるのがリョータは好きだった。しかし、それを素直に表現するほど自分はもう幼くないことをわかっていて、リョータはニヤけそうになった頬を引き締めた。
 リョータが顔を洗い終え、食卓につく頃には兄はランドセルを背負っていた。時刻はまだ七時半にもなっていない。今から家を出たら学校に着くのは七時四十分。リョータが登校したことのない時間帯だった。
 
「……勉強なんて楽しくないのに」
 
 玄関に向かう兄に行って欲しくなくて可愛げのない言葉を投げ捨てると、兄は何か含みをもたせるかのように眉を上げた。
 
「楽しいぞー」 

 これは勉強が理由ではないな。確証が持てないなりにリョータはそう思った。
 
 何でもできる尊敬する兄だったが、尊敬できないところもある。なにかと忘れがちなところだ。それは例えば自分との遊びの約束だったり、レンタルビデオの返却日だったり――給食当番のエプロンだったり。
 
「ばかソータ。なんで忘れるんだよっ」 
 
 「ソーちゃん忘れて行っちゃったみたい。リョーちゃん学校で渡してやって」と母に託された兄のエプロンが入った袋を持って六年の教室に向かう。「にりぃ……」とリョータは重たいため息をついた。
 三年のリョータにとって六年の教室に入っていくことは勇気がいることだった。教室に顔出した自分の存在に兄がすぐに気付いてくれればいいが、そうでなければ他の人に声を掛けなければならない。リョータは人見知りなきらいがあって、同じミニバスに通う兄の友達でさえ兄がいなければスムーズに話せない。小心者なのだ。
 そっと六年の教室を覗く。登校してきている生徒のなか、兄を見つけるのは簡単だった。なにせ、一人だけ飛び抜けて背が高いため、座っていても目立つのだ。
 以前来たときに兄が座っていた席には別の生徒が座って読書をしていて、兄はその後ろの席に座っていた。席替えでもしたのだろうか。兄は机に向かって何かしていた。何か、というか勉強なのだろう。そのために早く登校してきているはずなのだから。
 自分に気付いてくれないだろうかとリョータは兄に向かって軽く手を振ってみたが、机と睨めっこしている兄が気付くはずもなく。仕方なく勇気を出して教室に入ろうとしたら、兄が顔を上げた。そして、前に座る女子生徒を鉛筆で突いた。
 その女子生徒が転校生だと気付いたのは、兄の方へ振り返ったときだった。内地から来た転校生。日焼け知らずの真っ白な肌。全校集会の朝礼台に上がるとき、緊張で真っ青になっていた横顔を背の順で一番前に立たされていたリョータは覚えていたのだ。彼女が落ちてきた髪の毛を耳にかける。あの時とは打って変わって、随分と柔和な横顔だった。
 どくり、と軽く跳ねた心臓に待ったをかけたのは兄だった。彼女を見つめるその目は、いつもリョータが甘えて尊敬する兄の顔をしていない。「楽しいぞー」と言った今朝の兄の意味深な顔が浮かんだ。
 
――そういうことかよ、ばかソータ
 
 朝早く登校する謎は解けたが、リョータは言葉にできないもやもやとしたものを抱いた。果たしてそれがどういった感情で何に向けられたものなのか、リョータはわからなかったし、わかりたくもなかった。
 ひとまずは、とぶら下がった袋の紐を振り回す。わざわざ苦手な六年の教室まで忘れ物を届けにきてやったというのに、人の気苦労も知らないで呑気に笑っている兄にぶつけてやろうと思った。
 
 
 
2023.3.6

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