「苗字名前です。よろしくお願いします」
 
 六月、中途半端な時期に転校してきたわたしに一番うしろの席に行くように先生は言った。自己紹介をしたばかりでまだ解けていない緊張のまま、一番うしろ、と小さく繰り返す。クラス中の注目が自分に向いているのがわかって、怖くなって下を向きながら歩いた。
 上靴や机の端に引っ掛けた手提げ袋を見つめながら一番うしろ、一番うしろ、と心のなかで唱えながら歩いていると、机の枠から大きくはみ出した足と踵を踏んだ上靴が見えて、ほんの少しだけ顔を上げた。前の席になる予定の男の子だった。少し上げただけのわたしの目線では頬杖をついた彼の肩までしか見えなくて、大きい人だなと思った。
 「お」わたしの視線に気付いたのか、体を小さく曲げて視線を合わせた彼はにっと笑うと、「先生ーオレの後ろだと名前前見えないってー」と言ってクラスを笑いの渦に包んだ。わたしはみんなに笑われたことと初対面の男の子に名前を呼び捨てされたことが恥ずかしくて、また俯いた。
 
 前の席の予定だった彼――宮城くんとわたしは席を交換することになって、彼はわたしのうしろの席になった。宮城くんに初めて名前を呼び捨てされて驚いた転校初日だったけれど、先生も含めたクラス中のみんなからもなんの前置きもなく呼び捨てされた。まるで最初からクラスメイトだったかのような周りの距離の詰め方に最初の頃はカルチャーショックを受けた。けれど、逆を言えば別け隔てなく接してくれたおかげで、転校生という異質な存在ではなくただの名前として自然とクラスの一員になれた。
 その一方、わたしはみんなのことを呼び捨てするのに戸惑いがあって、仲の良い女友達以外は基本的に「〜くん」「〜さん」付けだ。わたしが「宮里くん」とか「比嘉さん」とか呼ぶと彼らは呼ばれ慣れていないのか照れ臭そうにするのが不思議だった。わたしは名前を呼び捨てすることのほうが照れ臭いのに。このクラスでみんなのことをそんなふうに呼ぶのはわたしだけだったし、学校全体で見てもわたしと保健室の若い女の先生だけがみんなを苗字で呼んでいた。わたしも先生もないちゃーなのだ。
 
 給食が終わって、昼休みの時間だった。ボールを持って教室を飛び出して行った男子達を「男子ってさ、すぐボール持つよね〜」と茶化し気味に笑ったのはわたしの隣の席で、クラス内でも大人びた子だった。ハーフで髪の毛が茶色で、週ごとに違う色のマニュキュアをしていて、派手な柄のキャミソールを着ている彼女にわたしはちょっぴり憧れていた。そんな彼女に「でもさー、ソータはありじゃない?」と誰かが言って、そこから教室に残っていた女子がわたし達の周りに集まってきた。

「ソータはありだね」
「足速いし」
「背高いし」
「バスケしてるし」
「ま、顔も悪くないやし」
 
 みんな「あり」だなんて言い方をしているけれど、宮城くんの長所を挙げていく顔は「あり」どころか「好き」と書かれていた。彼は人気者なのだ。わたしはなんだか居心地が悪くなって空気になろうと静かにしていたら憧れの彼女がわたしに言った。名前はどう思う?って。
 
「うえっ、わ、わたしに聞くぅ?」
「聞きたい!ないちゃーから見てソータってあり?」
「あの髪型って内地で流行ってるの?」
「名前は内地でかっこいい男に見慣れてるから気になる!」
「みんな、わたしのことなんだと思ってるの……?」

 わたしがハーフの子に憧れているのと同様に、彼女達も本州への憧れや偏見がある。たまに、わたしの発言一つが沖縄を除くすべての都道府県の発言とでもいうように捉えられるときがあってそういうときはすごく困った。授業中に至っては先生まで手を挙げていないわたしをわざわざ当ててきて、内地ではどう?なんて聞いてくる。そしてなんとか答えると、わたしが考えたただの一つの意見なのに大きく取り上げるからわたしは恥ずかしくなって小さくなるしかなかった。
 そんなとき、いつも後ろから宮城くんが助け舟を出してくれた。「先生、オレは手挙げてたのになんで当ててくれんの」「ソータにわかるわけないだろう」「先生さ、オレのことバカだと思ってる?」「さっきの小テスト、何点かみんなの前で言おうか?」「それだけはやめてくれ〜」そして沸き起こるクラスの笑い声。宮城くんがわたしに代わって周りの注目を集めてくれるから、わたしはほっと息を吐きだせた。お礼を言おうと思って授業終わりに後ろを向くと、宮城くんはいつも「ん?どうした?」となんてことないように笑う。その顔を見せられるとわたしは胸が一杯になってしまって、「なんでもない」といつもお礼を言い損ねていた。
 そんな日々を続けて意識しない人っていないと思う。だから、宮城くんに対しての気持ちはわたしもみんなと同じで「あり」だし、「好き」なのである。
 
「かっ……こいいとは思うけど」
「けど?」
 
 みんなの目にわたしが映った。憧れの彼女もわたしの答えを待っている。机に置かれたシルバーとラメのマニュキュアで彩られた爪が大人っぽくて可愛くて、裸のままの自分の爪が恥ずかしくなって膝の上できゅっと握った。わたしはまだ、彼女みたいに堂々と「あり」とは言えない。
 
「その、テストとかあんまり出来ない、から」
「から?」
 
 濁そうとするわたしから決定的な言葉を聞き出そうとするみんなの追及に負けて、わたしは「なし、かな……」と小さく答えた。 
 
「あ〜」
「テストは出来ないね、確かに」 
「さすがないちゃー。頭が良いのは大事だよね」 
 
 うん、とみんなに同調するように頷いて、わたしは膝の上で握ったままだった手に力を込めた。思ってもないことを言ってしまったと嫌な汗をかいた。どうか宮城くんの耳には入りませんように。そう思っていたのに。
 
「ソーター!あんた勉強気張りなよ!」

 予鈴で戻ってきた宮城くんを見つけるやいなや、彼女はそんなことを言った。「急になにー?」と外を楽しんできた宮城くんはシャツを摘んでパタパタと風を送る。わたしはその様子をハラハラした気持ちで見守っていた。お願い、言わないで。そんな願いも虚しく、別の誰かが「ないちゃーでバカはモテないってよ」と言った。クラスでないちゃーはわたししかいないのだから、それはもうわたしと特定されたようなものだった。
 
「まさかや〜!今日からしに勉強する」
「このあと美術しかないやっし」
「じゃあ明日からだな」
「明日休み〜やっぱりソータ内地じゃモテないよ」
 
 やっぱりみんなに合わせて「あり」って言っておくべきだった。裏でコソコソとテストができないなんて悪口を言うから罰が当たったんだ。宮城くんはいつもわたしを助けてくれたのに。きっと嫌われた。最悪だ。わたしをきっかけにして盛り上がる二人の話を聞いていられなくて机に伏せた。
 
 本鈴直前にうしろの席に座った宮城くんは「名前〜寝てたら先生に怒られんど」とわたしの背中を鉛筆で突ついた。まさか話しかけられるとは思っていなくて咄嗟に振り向く。
 
「……寝てないよ」
「そ?ならいいけど」
「あの、宮城くん」
「どうした〜?」
 
 宮城くんはいつもの顔で笑う。さっきの話の発信者が誰か絶対わかっているのに。
 
「……なんでもない」
 
 さっきはごめんね。そう言えたらいいのに言えなかった。わたしの意気地なし。
 
 
 
 次の週の月曜日。先週のことがあるからわたしはモヤモヤしながらもいつもの時間に家を出た。両親が仕事で朝が早い関係で、早く家を出されるわたしはクラスメイトより登校するのが早い。教頭先生に教室の鍵を開けてもらうのが一番に到着するわたしの仕事だった。それなのにいつも通り職員室に行ったら、「今日はソータが一番だったぞ」と言われてしまった。恐る恐る教室のドアを開けるとそこには教頭先生の言った通り宮城くんがいた。
 
「お、名前。はよー」
「おはよう……宮城くん。早いね」
「たまには勉強しようと思って。家じゃリョータとアンナに邪魔されてできないからな」

 そう言って宮城くんは手元の算数ドリルに視線を落とした。宮城くんが持つと鉛筆は普通より短く見える。
 
「へえ……」
 
 わたしの席なのになんだか緊張しながらランドセルの中から教科書を取り出して机に仕舞った。ランドセルを後ろのロッカーに片付けに行きながら珍しい宮城くんの勉強姿を見ていると、「珍しい?」と宮城くんは眉を上げてにっと笑う。
 
「えっ、うん。あんまり勉強とか好きじゃないと思ってたから」 
「ぜんっぜん好きじゃない。頭使うより体使うほうが向いてる」
「はは、だろうね」 
 
 乾いた笑いしか出てこなかったのは先週の話が頭に過ぎったからだ。勉強の話はあんまりしたくないな、と思いながら席に戻って図書室で借りた文庫本を広げた。毎朝少しずつ読み進めていくことを楽しみにしていたのに、今日は後ろの宮城くんが気になって全然頭に入ってこない。早く誰か登校してこないかな。壁時計を見上げるとまだ八時にもなっていなかった。 
 わたしが本のページを捲る音と、うしろの席で宮城くんが鉛筆を動かす音。ちょうどその二つが止まったときにツンツンと背中を突かれた。
 
「わっ、どうしたの?」
 
 振り返ると、宮城くんはちょっと恥ずかしそうに唇を尖らせて「ここ」と文章問題を鉛筆で軽く叩いた。
 
「わかんないから教えて欲しいんだけど」
「え?」
「名前、算数得意だろ」
「得意ってほどでもないけど……えっと、ちょっと待ってね」  
 
 ドリルを自分の方に向けて問題に目を通す。俯いたときに垂れた横髪が鬱陶しくて耳にかけた。
 
「これ、図を書いていけばわかりやすいよ。えーっと鉛筆……」
「ん。これ使って」    

 わたしが持つと長く見える鉛筆は少しだけ宮城くんの体温が残っていた。鉛筆を動かして図を書いてるところを宮城くんはじっと見ていた。それが恥ずかしくてわたしはさっきかけたばかりの髪の毛をそっと下ろした。
 
「文章になってたらわかりにくいけど、図にして、時速と分速を揃えたらあとは公式当てはめたらだいたい解けるよ。わかる?」
「あ〜、わかったかも?」
「ほんと?」
「ん、コツ掴んだ気がする。さんきゅー」
「……うん!よかった」 
  
 わたしが宮城くんに助けてもらうことは山ほどあっても、わたしがしてあげられることなんて滅多にない。だから宮城くんの手助けができたことがすごく嬉しくてほっぺが自然に緩んだ。「わかんなかったらまた言ってね」調子に乗ってそんなことを言って、前に向き直そうとしたら宮城くんが「あのさ」と話し始めたので体の動きを止める。
 
「漢字とか、算数とか。やっぱ出来たほうがいい?」
「出来ないよりは出来たほうが自分のためにはなるんじゃないかな……?」
「名前にとっては?」
「え?わたしにとって?」
「勉強、出来る奴のほうがいい?」
 
 これ、この前の話のことだ。宮城くん、本当は気にしていたんだ。わたしが言ってたこと。調子に乗っていた気持ちがあっという間に萎んでいく。
 
「……ごめん。こないだの、そんなバカにするつもりじゃなくって」
「あ〜責めてるとかじゃないって。なんていうんかな……内地では勉強できなきゃモテないって言ってたんだっけ?」
「うっ……話の流れで……」
 
 本当は宮城くんがありかなしかの話をしていたのだけれど、さすがに本人を前にしてそれは言えない。宮城くんは何を言おうか考えているのかうーんと頭を悩ませて、「オレはモテない?」と眉を寄せた。クラスで一番モテる男の子が何を言っているんだろう。
 
「も、モテたいの?」
「いや、違うな。モテたいというか……」
「モテたくない?」
「モテたくないわけでもないけど、誰にでもモテたいわけではないというか……なんて言うんかな」
「うん?」
 
 言い淀んだ宮城くんはじっとわたしを見つめると、「好きな子にモテたい」と言って柔らかく目を細めた。
 好きな子にモテたい。好きな子?好きな子だって!?
 
「えっ!宮城くん好きな子いるの!?」
「ちょお、名前声しにでかい」
「だ、だって……!え!?だれ!?」
「言わない〜」
 
 宮城くんに好きな子がいる。失恋の悲しみよりもビッグニュースによる衝撃のほうが大きかった。彼らの言葉を借りるなら、「まさかや〜!」な出来事だ。
 宮城くんに好きな子。一体どこのだれ!興奮で普段より何倍も大きな声が出て、「名前がこんな声出してんの初めて聞いた」と笑われてしまって恥ずかしい。少しだけボリュームを落として、「ヒントちょうだい」と言うと宮城くんは、「ん〜?」と意味ありげに笑って頬杖をついた。
 
「わたしの知ってるひと?」
「まー、そうだな」
「同じクラスだったりする?」
「どうだろな〜?」
「……比嘉さんとか?!」
「こらこら、聞き出そうとするな」
「だ、だって……」
「気になる?」
「うん!」
 
 クラスの人気者で、実はこっそり好きだった――ついさっき、失恋が確定したけれども――宮城くんの好きな人なのだ。気にならないはすがない。もしかして教えてくれるのかな。わくわくと期待していたら教室のドアが開いた。
 
「名前おっはよー!……え?ソータいるやし」
「ソータが?まさかやー。あれ、ほんとにいる」
 
 いつも二番手でくる子達が教室に入ってきて、わたしは思わず前に向き直して「おはよ〜」と手を挙げた。後ろに座る宮城くんが、「オレだってたまには早く来るよや」と言うと、彼女達は「めっずらし〜」と笑っていた。時計の針は八時を過ぎていた。
 そこからはわたしは普段のように読書をすることにした。振り向かなかったけれど、宮城くんはドリルの続きをしていたみたいで、ぱらぱらと登校しだしたクラスメイトが宮城くんの珍しい姿をからかったりしていた。それに宮城くんは「邪魔すんな〜」と言うとすぐにまた勉強に取り組んでいた。好きな子にモテたいために一生懸命なのだ。そう思うと、時間差で失恋のショックがやってきた。宮城くんに好きな子がいる事実が悲しい。泣きそうになって、本の字がうまく読めなかった。
 予鈴がなってみんなが席につこうとガヤガヤしだした頃、後ろからツンツンと突かれた。宮城くんだ。
 
「さっきの。みんなには内緒な」
「……うん。言わないよ」
 
 宮城くんとわたしの二人だけの秘密。いつものわたしならそんな甘い響きにドキドキしていたと思うけれど、じわじわと締め付けられるような失恋の痛みと戦っている今のわたしにとっては心臓が苦しい方のドキドキでしかなかった。
 
「ヒント、聞きたい?」
「えっ……うん」

 まさかそんなことを言われるとは思っていなくて、ほとんど反射で頷いた。宮城くんは軽く笑うと「耳貸して」と言って、椅子を少し下げて体を横向けたわたしの耳にそっと囁いた。距離が近くて緊張する。
 
「オレのこと、ソータって呼ばないひと」
 
 ソータって呼ばないひと。六年生のみんなは宮城くんのことをソータと呼ぶから違うってことだ。
 
「え、それって……年下ってこと?」
 
 六年生以外の子達がソータくんとか、ソーちゃんとか呼んでいるのを聞いたことがあった。そのことかと思えば、宮城くんは「そうくるか〜」とどこかおかしそうに眉を上げた。
 
「年下ではないな」
「じゃあ年上ってこと?わたし、中学生に知り合いはいないけど……」
「ん〜この学校のなかにいるよや」
「ええ……?わっかんないなあ……」
 
 宮城くんが教えてくれたヒントは、わたしの知っているひとで、宮城くんをソータって呼ばないひとで、年下ではないひとで、この学校にいるひと。年下ではないってことは六年生以上ってことになる。どういうことだ?と頭を捻っているうちに本鈴が鳴って前を向いた。失恋の痛みはとりあえず置いておこう。とにかく、宮城くんの好きな人の謎を解き明かすのだ。
 教室には担任の先生じゃなくて保健の先生が入ってきた。名簿を持った先生は「今日は担任の先生がお休みなので出席は私がとります」と訛りのない声で一人ずつの名前を呼んでいく。丁寧に名字にさんを付けて。
 
「あっ!」
「苗字さん、まだ名前を呼んでいませんよ」
「す、すみませんっ!」
 
 わかってしまった。わたしの知っているひとで、宮城くんをソータって呼ばないひとで、年下ではないひとで、この学校にいるひと。失恋したわたしが言うのはなんだけど、宮城くんも失恋確定の相手だ。
 そっと後ろを振り向いて「先生!?」と口パクで保健の先生を指差したら、宮城くんは「なんでそうなる?」と笑いだして先生に怒られていた。あれ、違ったみたい。じゃあ一体だれなんだ。うーんと頭を悩ませたわたしの後ろで、宮城くんは声を押し殺しながら笑い続けていた。
 
 
 
2023.2.28

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