来週の日曜、隠岐くんと買い物に行くことになった。そう言って真っ赤な顔をしたわたしに、友達二人は「デートじゃん」と揃って声を上げた。
 デートとは言われていないし、流れでわたしから誘ったようなもんだし、そもそもホワイトデーのお返しを買うつもりだったのに本人と買い物に行ったら買えない。何着ていけばいいかもわかんない。どうしよう。わたしは藁にもすがる思いで友達に泣きついた。
 
「お返しは手作り一択でしょ。チロルとのギャップでいこう」
「だね。そんでその日にフライングで渡そう」
「むりむりむり!作れないって!」  
「無理とか却下だから。あととりあえずスカートかワンピね。可愛い格好しなよ」
「いやいや、結構遠いし自転車乗るからスカートはちょっと……そもそもあんま服持ってないし。それになんか張り切ってるみたいだし……」 
「なんで自転車で行く気なの?ばかなの?んなもんバス乗ればいいでしょ。んで、帰りは二人で歩けば」
「ここで張り切らなきゃあんたいつ張り切んのよ!」
 
 縋りついておきながら渋るわたしを二人はアドバイス通りに動かないと思ったのだろう。相談した翌日には「今週一緒に服買いに行くよ。お金ぇ?なんのためにバイトしてんの。ここが使いどきでしょ!」「来週土曜、あんたがおばあちゃん家から帰ってきたらそっち行くから。なんでって、お菓子作るからに決まってんじゃん」とわたしの手帳を勝手に開いて予定を埋めていった。極めつけは、来週の日曜日、十二日に「オキくんとデート」とピンクのラメペンで書き込み、大きくハートで囲われた。
 
 そんなこんなで隠岐くんと遊ぶ日までの日々をどきどきしながら過ごしている頃、授業終わりに広げた手帳を眺めていると「へえ、デート」と頭の上から愉しそうな声が降ってきて、慌てて手帳を閉じた。
 
「ちょ、ちがっ、違うからね!?」
「いや、実際書いてるんだし違うくはなくね?」
「どこ行くんだよ」 
 
 にやにやと笑う米屋と出水の登場に、またからかわれる、と思った。しかも今回はわたしの恋心がマックスに膨れ上がっているので、いつも以上に防御不可だ。かーっと赤くなる頬を隠したくて両手で顔を覆う。
 
「おっまえさー、その反応はないだろ。わかりやすすぎ。からかう気も失せるって」
「うるさい……ほっといて……」
 
 今更隠し通せるはずもなく、出水の言うようにわかりやすすぎる反応を見せたわたしの頭上で、笑う声がふたつ。悔しい。
 
「あ、隠岐」
「そっその手には騙されないから!」
「いや、まじで。廊下見てみ」  
  
 米屋に促され、廊下に視線を移すと、本当に隠岐くんがいた。移動教室からの戻りなのか、教科書を抱えて廊下を歩く横顔にどきりと胸が高鳴る。
 こっちを向くかな、向いてくれたらいいな。でもこの二人に絡まれているところは見られたくないな。そんなわたしの複雑な乙女心を汲もうともしない馬鹿二人は、「隠岐くぅん」とやけに作った声で隠岐くんを呼び止めた。二人のおふざけに足を止めた隠岐くんは、「どした〜ん」と間延びした声で返事をして廊下側の窓から顔を出す。
 
「なあ、来週の日曜苗字とどこ行くん?」
「ちょっ、よっ米屋!なに言って……!」
「ん〜なんのことかようわからんねんけど」 
「とぼけんなって。こいつの手帳にオキくんとデー」
「ほんと黙って!もーやだ!」  
 
 こいつら、本人を前にしてなんてことを言おうとしているんだ!
 爆弾発言をしかけた出水の口を慌てて押さえる。恥ずかしさで泣いてしまいそうなとき、隠岐くんと目が合った。ふっと気の抜けたみたいに、隠岐くんが微笑む。

「じゃあ特別に教えたるからこっち来て耳貸してえや」
「お、気前いいじゃん」
「苗字ご愁傷様〜」  
 
 ちょいちょい、と隠岐くんに手招かれ、勝ちを確信した二人がわたしに勝者の笑みを見せつけて隠岐くんのところへ向かった。
 隠岐くん、二人に言ってしまうのかな。それだったら嫌だ。自分は友達に散々話して相談もしているくせに、そんなことを思ってしまう心の狭い自分も嫌だ。
 こそこそ話みたいに頭を寄せ合う三人から目を逸らす。さっきの手帳の話も伝わってしまっただろうか。どうしよう。気まずくなって、窓の向こうの校庭に視線をやった。
 しばらくして戻って来た二人は、なんとも罰の悪そうな顔をしてわたしの机の前に立つとため息をついた。そうっと見やった廊下側にはもう隠岐くんの姿はなかった。
 
「……苗字、おまえすげえな」
「え、なにが」 
「オレ、隠岐が怒ってんの初めて見たわ」 
「……あの隠岐くんが?隠岐くんだよ?」
 
 いつもにこやかで温厚な隠岐くんが怒る?想像すらできなくて首を捻っていると、不満げに唇を突き出した出水が口を開く。
 
「苗字さんのことあんま困らせんといたってなあ、だってよ」
「笑ってたけどよ、ありゃ確実にオレらに釘刺しにきてるわ。弾バカ距離近かったしな〜」
「うっせ。おれ悪くねーし。不可抗力だろ」 
「まあでも、苗字、良かったんじゃん?」
「よ、良かったって……」 
「いや、おまえデートするんだろ?そこは察せよ。さすがに向こうの考えてることとかわかってんだろ」
 
 これ、記念日に書き直したほうがいいんじゃね?と投げやりに言った出水は、閉じて机の端に置いていた手帳を指差した。
 隠岐くんの考えていること。察せない、わからない、とは言い切れない。だって、自信はないけれど、わたしの中に「もしかして」「そうだったらいいな」の気持ちがあるからだ。あの日の晩、「あかん?」と照れて笑う隠岐くんが頭に染み付いて離れない。
 
「ううぅ〜……この話もうやめてぇ……」
「バカ、話はこっからだっての。気合い入れてこーぜ」
「とりあえず男はギャップに弱いから可愛い格好しとけば間違いねーって」
「アドバイスが被ってるんだよお……」 
 
 恥ずかしくなって机に顔を伏せる。出来ることなら、今すぐ自転車に乗って走り出したい。
 隠岐くん、きっと、多分。もしかしたら。わたしのこと好きかもしんない。
 
 

 目的地に向かうバスに揺られながら、スマホを内カメラにして手櫛で髪を整える。画面に映る自分の締まりない顔を見たくなくて、スマホの電源を落としてショルダーバッグの中に仕舞う。そのとき、指先がバッグの中で眠るあるものに当たった。誰が見ているわけでもないのに、辺りを見渡してから、こっそりとバッグの中を覗く。小花が舞ったデザインの小さめの紙袋。中身は手作りブラウニー。
 
「だめだ……こんなん渡すの無理ぃ……」
 
 ゴン、と窓に向かって頭を打ち付ける。痛くて冷たい。今日が来るまでどこか浮き足立って現実味がなかったのに、急にこれって現実なんだと実感させられた。待ち合わせ場所に到着するまでにわたしの心臓は止まってしまうんじゃないだろうか。窓の向こうには目的地であるショッピングモールの看板が目立ってきた。だんだん速度を落としていくバスに比例して、心臓は速度を上げていった。
 期待と緊張で情緒が安定しないまま、停留所でバスを降りた。待ち合わせであるモールの入口に向かう最中も何度も髪を整えたり、買ったばかりのスカートの皺を伸ばしたりとソワソワした気持ちでいっぱいだった。
 入口には同じく待ち合わせの人達がいて、辺りをキョロキョロと見渡す。待ち合わせの時間にはあと十五分ある。まだ着いていないのかもしれないな、と建物の壁に背中を預けてスマホと睨めっこしていること数分、目の前に影ができて、「苗字さん……やんな?」と呼びかけられて顔を上げる。
 
「っ隠岐くん!おはよう」
「おはようさん。ゆーてもう昼やけどな。寒いしはよ中入ろ」
 
 少しでも可愛いと思ってもらえたらいいな、そんなふうに思いながら友達と服を選んだ先週の自分が可哀想になった。少し前を歩いて店内に入っていく隠岐くんが、わたしの頑張りなんて霞むほどお洒落だったからだ。
 
「なんか……隠岐くんいつもとちょっと違うね」
「え、変?」
「ううん。お洒落だなあって……」 
 
 隠岐くんが歩く速度を落として隣に並ぶ。見上げた先の頭についた太めのヘアバンド。ファッションに疎いわたしでも、上級者向けなことくらい知っている。隠岐くんはヘアバンドに指をかけると、「張り切りすぎたわ」と照れくさそうに笑う。
 
「苗字さんこそ今日、いつもとちゃうやん」
「うん、まあ……けど、わたしはこういうの、あんま似合わないから」
 
 いつも会うコンビニではわたしも隠岐くんももっとラフな格好だったのに。かっこいいと思うのに、それに釣り合うわたしではないから隣を歩くのが嫌だ。せっかく友達が選んでくれた可愛い服なのに、似合わない自分が恥ずかしい。
 いっぱいいっぱいに膨らんでいた気持ちが萎んでいって、行き場のない気持ちを前髪をまた整え直すことでどうにかしようとする。どうにもならないのに。
 
「よう似合ってるやん。可愛いで」

 嬉しいけど、素直に喜べない。隠岐くんはそういうことを詰まることなく言えるタイプだということをわたしはよく知っているからだ。口をもごつかせて足元を見ていると、「……ほんまに。声かけんのめっちゃ緊張したし」そんなことを言われて、思わず隠岐くんの方を見ると、彼はさっと手で壁を作った。
 
「ちょお、あかんあかん……お願いやし、今こっち見んといて」
 
 隠岐くんは、可愛いとか、同年代の男の子が照れるようなことを詰まらず言える。天然ジゴロだって、過去のわたしも今のわたしも思っていて。けれど、その認識がアップデートされるときがきたのかもしれない。
 いつもはわたしに合わせて歩いてくれる隠岐くんが、「はよご飯行こ」と半歩先を歩き始める。あれだけ隣に並びたくないと思っていたくせに、今じゃ隣に並んでその顔を見てみたいと思ってしまう。隠岐くんの後頭部を見つめて、むずむずと上がりそうな口角を無理やり抑えた。萎んでいた気持ちはいとも簡単に膨れ上がっていた。恋ってすごく単純だ。
 
 フードコートで腹ごしらえをしたあと、わたし達は宛もなくモール内を歩き始めた。
 というのも、「そういえば苗字さん何買うんやっけ?」と聞かれ、わたしは当初の目的と今の状況がズレていることを今になって思い出したのだ。当初の目的は、友達と一緒に隠岐くんへのお返しを買うこと。しかし、そのお返しは友達の助けもあり、既にわたしのバッグの中で出番を待っている。なので、このお返しを渡すというゴールに向かって今はただただ隠岐くんとの時間を楽しんでいるという状況なのである。そして、そんなことを隠岐くんは当然ながら知らなくて、わたしが何か買いたいものがあってショッピングモールに来ていると思っているわけで。
 上手い言い訳が思い浮かばなかったわたしは、「あ、あんまり来たことなかったしブラブラしようと思って……」とウインドウショッピングを提案し、「そんなら色々周ってみよかあ」と賛同してくれた隠岐くんとぶらぶら歩くことになった次第である。
 休日のモール内はそこそこに混雑していて、中学の同級生や近所のおばちゃんと出会ったりもした。彼女達は、わたしの隣の隠岐くんに気付くと「あっ……邪魔してごめんね。名前ちゃんまたね」「そういうやつ……?おめでと〜!今度聞かせてよ!」「あらあら。いーのよ、おばちゃん口固いから!お母さん達には内緒にしとくわね」とそれぞれ「わかってますよ」とでも言うかのような微笑みを携えて去っていくので、わたしは恥ずかしさからその場で小さくなりたくて仕方なかった。隠岐くんはそんなわたしの気持ちを絶対わかっているはずなのに、「なんか勘違いされてんなあ」と笑っていた。
 
「……隠岐くんってさ、そういうとこあるよね」
「なんかそれこないだも言うてへんかった?どういう意味なん?」
 
 そりゃあ、わたしがあなたを好きなのをとっくに見抜いてますって顔しているとこですよ。そんなことを言えば自爆も同然なので、言えないけれど。それすらわかってて聞いてそうなところに腹が立つ。可愛さ余って憎さ百倍ってやつだ。
 
「だって隠岐くん、こういうのは照れないじゃん……待ち合わせのときは照れてたのにさ。だ、だから、基準がわかんないって話!」
 
 ちょっとだけ、勇気を出して突っついてみた。わたしだって見抜いているんだからねって意味を込めて。
 「ん〜?」ととぼけるみたいに間延びした返事をしたあと、「そんなかっこ悪いとこ教えるわけないやん」と眉を上げていつもより意地悪に隠岐くんが笑う。そんな新たな一面にノックアウトされたわたしは再び小さくなりたくなった。
 訂正、憎さ余って可愛さ百倍。出水でも米屋でもいいから誰か助けて。隠岐くんがかっこよくてかわいくて、わたしどうしたらいいのかわかんないです。
 
 わたし達はなんだかんだウインドウショッピングを楽しんでいた。
 楽器屋では、売り場の端にあったマラカスを手に取った隠岐くんが「おれこれ出来んで〜」となぜか自信ありげにシャンシャンさせて、どう反応すべきか迷っていたら「なんかツッコんでや」と隠岐くんが恥ずかしそうにしていたり。
 家具屋では、「部屋にあったら動けんくなるから買ったあかんやつ」と隠岐くんが断言した体にフィットするビーズクッションのソファを二人で試してしばらく活動を停止したり。
 ペットショップでは、「あかんめっちゃかわいい」「かわいい」「触りたいけど触ったら飼いたなるし、飼えへんのに触るとかこの子らに申し訳ないし触れへん」「わかる」「あかんかわいい」「かわいい」「あかんこっちもかわいい」「わかる」と可愛い動物に癒やされ何周もしたり。ちなみにここでは隠岐くんと一緒にうみちゃんのお菓子を買ったのでウインドウショッピングではなく普通のショッピングをした。
 登山グッズフェアでは、「こんなん似合うんちゃう?」と隠岐くんに乗せられて派手柄のヘッドバンドを装着したり。ただ、想像以上に似合っていなかったのか「や、山ガールええやんっ」と吹き出されたのはさすがのわたしもちょっと怒った。というか拗ねた。
 
「ごめんって。許してえや」
 
 売り場から離れてもまださっきの笑いを引き摺っている隠岐くんに納得いかず口を尖らせる。
 
「……そのにやけ顔やめなきゃ許さない」
「もとからこういう顔やって」
「普段はもう少し締まりある顔してるもん」
「そんな締まりない?」
 
 首を縦に振る。うーん、と隠岐くんは首を傾けてからわたしを見つめて、「だってめっちゃ楽しいんやもん」と柔らかく目を細めた。そんな表情をされる構えなんてしていなかったから、わたしの拗ねた表情はたちどころに崩れてしまい、見られまいと慌てて顔を背けた。
 
「そ、そりゃよーござんした」 
「ふふ、どこ向いてんの?おれこっちやで」
「……あっちの店気になっただけだもん」 

 隠岐くんが笑って揺れる空気に、わたしの半身はふわふわしたり、もぞもぞしたり妙な感覚になる。何をするにも楽しいし、嬉しいし、どきどきするけど嫌な緊張じゃない。そして、隠岐くんはきっとそんなわたしを見抜いているから、わたしよりも優位に立っている。悔しい。
 
 次に入ったのは雑貨屋だった。コスメや外国の玩具、本、アクセサリーなど様々なジャンルが揃っている。店のマスコットである巨大なクマのぬいぐるみを突っついたり、珍しい色ペンを試し書きしたりしながら店の中を進んでいく。「ここなんでもあるやん」ボディコスメのコーナーでそう言った隠岐くんの頭上にあったホワイトデー特集!の手書きポップを見てハッとした。今日の目的を思い出したのだ。
 
「普段手とか荒れるん?」
「え、え?ああ、うん……手とか唇とか乾燥するしね……」 
「どしたん?なんや急に元気ないやん」 
「いや、ちょっと……大事な用を思い出したというか、なんというか……うん……」
「えっ、解散しよか?」 
「いやいやいや、そういうんじゃない!大丈夫!」
「そうなん?ならええねんけど……」 
  
 むしろ解散したら目的を果たせなくなる。
 ハンドクリームのテスターで遊ぶ隠岐くんをちらりと盗み見て、バッグの上にそっと手を置く。中で眠るブラウニー、どのタイミングで渡せばいいのだろう。やっぱり帰りがベストだろうか。だめだ、意識すると緊張してきた。
 勝手に追い詰められているような気になっているせいで、上の空で相槌を打っている間に、気づけば隠岐くんと別行動することになっていた。

「じゃあまた後でな〜」 

 どんな話の流れがあったのかよく覚えていないけれど、わたしにとっては好都合だ。にこやかに手を振って別れた隠岐くんの姿が見えなくなった瞬間、スマホを取り出しメッセージアプリを立ち上げる。「いつ渡せばいい?やっぱ帰り?なんて言って渡すの!?」友人二人とのグループに送信すれば、すぐに既読はついた。「ここまでくればいつでも良くない?」「なんかムードで」「カフェとかで渡せば?」「てかそれくらい自分で考えたら」「いつ渡しても喜ぶでしょ」「ついでに告ってこい」怒涛の勢いで送られてきたのは、ここまで熱心にお膳立てしてくれていた友人たちとは思えないほど突き放したメッセージ。「こっちはこっちで楽しんでるから」「結果報告だけ待ってるね」とカラオケ店で自撮りした写真が送られてきたのを最後にメッセージは一方的に途切れてしまい、頼りの綱を失ったわたしはがっくりと肩を落とすしかなかった。
 
 約束通りの時間に再集合した隠岐くんはいくつものショップ袋を手提げていた。どうやら買い物を楽しんできたようだ。そんな彼に「なんか喉乾かない?カフェ行こう!」と唯一の具体的なアドバイスであるカフェに行く方向へ持っていくことに成功した。ホットドリンクとか飲んで、話の流れで「あ、これバレンタインのお返し」と渡せばスムーズにいくはず!と意気込んだが、そう簡単に事が上手く運ぶわけがなく。
 
「めっちゃ混んでるやん。座れそうにないなあ」 
「うん……」
 
 日曜日のショッピングモール、混んでいないはずがない。賑やかな店内にざっと目を通すが、空いている席は無さそうでカップ片手にため息をつく。いつまでもいても仕方ないので、結局テイクアウトをして退店した。
 
「なあ、せっかくやしこのまま外歩かん?」 

 モール内をまたぶらぶらと歩くのもなしだろうし、ここで解散もしたくない。ちびちびとカフェラテを飲みながら次の手を考えていたら、まさかの隠岐くんから提案が出た。
 
「外?」
「うん。川の方。ちょうど帰り道やし、歩いてたらええ時間なるくない?」

 三月中旬、気温も暖かい。二人で歩いて帰る可能性を挙げた友達のお陰で歩きやすい靴で来ている。川沿いを歩いて、別れるときに渡すシュミレーションをしてみる。うん、悪くない流れだ。「いいと思う、うん!行こ行こ!」こくこくと頷いたわたしに、隠岐くんは「めっちゃ乗り気やん」と笑った。
 
 河川敷に降りると、川の近くだからか、さっきまでよりも空気が冷たかった。ぶわっと急に吹いた風が前髪を巻き上げたせいで、露になった額を見られたくなくて片手で覆って下を向く。「風強いなあ」聞こえた呟きに頷きながら髪を整えた。
 
「そういえばこの辺り桜の名所やねんて。知ってた?」
 
 川沿いに続く蕾をつけた桜の木。三門市のお花見スポットの一つだ。今朝のニュースでは、このまま暖かな日々が続くのなら、十日後には開花が始まるだろうと予想されていた。
 
「隠岐くん、わたし三門市民だよ?知ってるに決まってんじゃん。わりと有名」
「あはは、そらそうか」
「そらそうですよ。大阪は?どこらへんが有名?」
「造幣局んとことか?大阪城とこも有名ちゃう?どっちも行ったことないけど」 
    
 地元の話をしても、いつからか隠岐くんは寂しそうな顔をしなくなっていた。それに安心していいのか、それともわたしだけが知っていることがなくなったことに残念と思うべきなのか、わからない。ただ、隠岐くんが楽しそうに笑っているのがわたしの隣だったらいいなと思う。
 
「行ったことないんかーい」
「ないない。桜のためにわざわざ電車乗って行くのめんどいやん。遠いし」
「え?電車乗るくらい遠いの?」
「嘘やろ……大阪舐めとるやん」 
「舐めてへん舐めてへん」
「エセっぷりがひどいわ」  
 
 そう言って笑って隠岐くんはカップに口をつけた。横顔の向こうにある桜がまだ色づいていないことがもったいない。桜が開花したら、そのときは。またこうして歩きたい。隠岐くんの隣で。
 
「そんな見つめられたら照れるんやけど」
「みっ!見つめ……!?美味しそうだなって思っただけ!」
「そうなん?一口あげよか?」
「っいらない!自分のあるし!」

 取り繕うために、微温くなり始めたカフェラテを飲む。微温さで甘さが強調されて、喉に絡まったせいで咳き込んだ。「大丈夫?」って言う割には、楽しそうに笑う声が隣から聞こえてくる。
 
「……隠岐くん、わかっててからかってるな」
「うん。だって苗字さんおもろいもん」
「おーもーろーくーなーいー」

 前言撤回。やっぱり隠岐くんはコロコロコロコロ掌の上でわたしを転がして楽しんでいるんだ。思うように転がるわたしを見ているのは楽しいだろうよ、けっ。いじけて隠岐くんよりも半歩先を歩く。
 
「ごめんって」
 
 すぐ追いついてきた隠岐くんが笑っていて、ちょっと意地悪したい気持ちになった。歩く速度を早める。「怒ったん?」顔を覗き込もうとした隠岐くんの少しトーンダウンした声に思わず笑ってしまって、「ちょお、笑てるやん」とわたしの怒ったふりはいとも簡単にバレてしまった。
 
 歩いてる途中にあったゴミ箱の前でカフェラテを飲みきり、空になったカップを捨てた。「手塞がってたから楽なったわあ」と言いながら歩き始めた隠岐くんが持っているショップ袋の一つに、さっきの雑貨屋の物があることに初めて気が付いた。わたしといるときはレジに行っていなかったし、一度解散したときに買いに戻ったのだろうか。ホワイトデー特集をしていたことを思い出した。もしかして誰かに渡す用なのかもしれない。  
 
「苗字さん」 
「んー?」
「これ、あげるわ」
 
 バレンタインは何だかんだたくさん貰っていたと風の噂で聞こえてきたし、わたしなんかたかがチロル二個しかあげていないし。なんなら友達にあげる予定の物を渡したし。モヤモヤしていたところに、なんの前触れもなく差し出された小さな紙袋。
 
「え?え?なんでわたしに?」
「なんでって。ちょっと早いけどホワイトデーやし」
「……チロルだよ、チロル二個!この紙袋代でお釣り出るよ!」  
「値段関係なくない?それにたいしたもんちゃうし」
「あるよ!」
「ないって。おれがあげたいだけやし。それに、苗字さんもなんかくれるんやろ?」
「えっ」
 
 貰ったものの中身を気にするよりも驚くことを言われて、思わず守るようにショルダーバッグに手をやる。「ずっとソワソワしてるし」と隠岐くんはへにゃりと笑う。確かにソワソワはしていた。していたけれど、それだけでわたしがホワイトデーのプレゼントを用意していただなんて見抜けるものなのか。
    
「……出水?米屋?」 
「おれ口固いから言われへん」
「絶対その二人から聞いてるじゃん!」
「ちゃうって〜」
「否定の仕方が緩いもん!」  
  
 デートのことは勿論知っているバカ二人は、わたしが友達にアドバイスされているときに入ってくる場面が多々あった。男目線の意見も聞けて、なんだかんだいい奴らだななんて思っていたのに。まさか情報を隠岐くんに流していたなんて。 
 顔に熱が集まるわたしを隠岐くんは笑う。
 
「楽しみすぎて催促してしもた」
「き、期待されると困る……」 
「困らん困らん」
 
 立ち止まってわたしに笑いかける隠岐くんの期待から逃れる術はもうなかった。分かれ道になったときに渡すプランだったのに、分かれ道まではまだまだ歩かなきゃいけないのに。
 チロルをあげたときなんかと比べ物にならないくらい心臓がドキドキする。震える手でバッグから取り出した小さな紙袋を隠岐くんに渡した。
 
「……友達に味見してもらったから多分不味くはないと思うけど口に合うかはわかんない」
 
 きっと、中身がなにか隠岐くんは知っていたのだと思う。だから、わざわざブラウニーを作ったとは言わなかった。隠岐くんの顔が恥ずかしくて見れなくて、「ありがとぉ」と弾んだ声に耳が熱くなった。
   
「……中見てもええ?」
「だめ。家帰ってから」  
「そこをなんとか」
「絶対ダメ!」
「え〜」 
 
 含み笑いしている隠岐くんの顔が簡単に想像できた。わたしの気持ちなんて全部バレている。
 
「苗字さん、顔見せて」
「やだ……」
 
 下から覗き込もうとする気配を感じて、そうはさせるかとしゃがみこんで、体を丸めて小さくなった。ふふ、とまた柔らかな笑い声が聞こえて、恥ずかしくなる。
  
「苗字さーん」
「……閉店がらがら」
「おれ、告白は顔見て言いたい派ねんけど。どうしたらええ?」
「……へ……」  
 
 見上げた先にいた隠岐くんは、ふっと笑うと膝を曲げてわたしと同じ目線になった。
 
「苗字さん、好きやで」
 
 狼狽えるわたしを見つめる目が優しく細まる。その顔はずるい。
 
「……わたし、も」
「……わたしも?」 
 
 ずるいずるいずるい。知っているくせに。わかっているくせに。わたしもって言ったじゃん。これ以上は聞かなくても読み取れるじゃん。わたしのこの情けない顔見れば答え全部書いてあるでしょ。
 
「っ……わたしも好きですけど!?」 
 
 やけくそになって叫んだ。川辺にいた鳥たちが一斉に羽ばたいて、近くを歩いていた老夫婦は「あらまあ」「若いねえ」と笑って通り過ぎていった。
 肝心の目の前にいる隠岐くんは「うん」と嬉しそうに笑う。
 
「おれら、付き合おかぁ」
 
 隠岐くんと付き合うということは、隠岐くんがわたしの彼氏になるということで。わたしは隠岐くんの彼女になるということで。それってすごく特別な関係なことで。
 真っ赤な顔で頷いたわたしの手を隠岐くんが掴んだ。初めてちゃんと触れた手は思ったより熱くて、分厚い。二人して、ゆっくり立ち上がった。どちらともなく歩きだす。今日は自転車がないから、手は繋いだまま。
 
「桜咲いたらお花見しよな」 
「……うん」
「今度うみちゃん見に来てな」
「……うん」
「……これ、やっぱ今食べたあかん?」 
「……それはだめ」 
 
 三月十二日。隣のクラスの隠岐くんが、わたしの彼氏の隠岐くんになった。
 
2022.2.12

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