今夜の帰り道はハマっている漫画が一致して大盛りあがりした。漫画はお兄ちゃんが所持しているため、留守を狙って忍び込んで読んでいると言ったわたしを隠岐くんが「普通に貸してもらいーや」と笑う。
 隠岐くんは兄妹の関係に夢を見ているのでそんなことが言えるのだ。「貸して」と言って素直に「いいよ」と喜んで貸してくれる優しいお兄ちゃんがいればどんなに良かったか。いや、わたしのお兄ちゃんだって貸してはくれるのだ、貸しては。人が楽しんで読んでいる後ろで、「そいつ五巻で死ぬわ、あとこいつが裏切る」「このトリック、犯人双子だからできたんだよな〜」「ここな、どうせ最後打ち切られるから意味ない伏線なんだわ」と先の展開を大層嬉しそうにバラすという悪行を働くため、わたしはお兄ちゃんから直接漫画を借りるのをやめた。
 
「それは根深いなあ」
「でしょ?お兄ちゃんがいないときしか読めないから、まだ最新刊まで追いつかないんだよね。気になるとこで終わってるから早く読みたいのにさー」 
「そうなん?おれ全巻持ってるし貸すで。あ、今から来る?」
 
 漫画を読みたいあまりつい反射的に「いいの?行く!」と答えてしまって気付く。
 来るってどこに?行くってどこに?どう考えても、隠岐くん家ってことじゃん!
 隠岐くんが驚いたようにわたしを見ていて、隠岐くんも会話の流れで言っただけで本気じゃなかったようだった。「ちゃ、ちゃうねん!」と慌てて否定した。
 
「ははっ、なんなん急に訛るやん」
「ちが、その、どうしても漫画読みたくて!必死になっちゃっただけなの!」
「よっぽど読みたいねんなあ」 
「読みた……いけどさ!うん、読みたいけどね!?」 
 
 やけくそになって力強く頷くと、 隠岐くんに「声でかない?」と笑われてしまった。恥ずかしくて歩む速度が自然と早くなる。いつもなら少しでも長く一緒にいたいという乙女な心があるけれど、今日は別だ。早く分かれ道につかないかな、そんなことを考えながら自転車を押す。
 
「苗字さんとこ、門限とかないん?」
「門限?普段バイトもしてるし、十時くらいまでは何も言われないけど……?」
 
 隣がパッと明るくなった。隠岐くんがスマホを見ていた。急に門限の話をしたのでてっきりもうそんな時間なのかもしれないと「今何時?」問いかける。薄暗がりに浮かび上がっていた隠岐くんが「九時ちょい過ぎたくらい」と言ってスマホの光を落とした。ん〜、とわたしとは逆方向へ頭を傾けるとちら、と視線だけ寄越す。
  
「苗字さん時間あるなら、ほんまに今から取りに来る?」
「えっ……えっ!?」
「学校持ってくるんお互い重いし」   
  
 ちょうど今日普通のチャリやもんな、と自転車のかごを見て隠岐くんが言う。確かに今日はお兄ちゃんにロードバイクを乗ろうとした場面を見られて阻止されたため、通学用の自転車だ。漫画を借りるには都合が良い。
 漫画の続きが読みたい、隠岐くんの家が気になる、学校まで持ってきてもらうのは隠岐くんの負担になる。純粋な欲求と下心と恋心と申し訳なさがミックスされて出された結論は肯定を求める「……いいの?」だった。
 隠岐くんは視線を外して前を見るとうん、と頷く。「おれんちこっち曲がったほうが早いねん」くい、とかごに指をかけてわたしの行き先を変えた。 
  
 ここやで、と隠岐くんが指差したマンションは想像よりずっと綺麗で新しそうだった。「なんかすごいちゃんとしてるとこだ」とポロリとこぼすと、「おれも最初おんなじこと思ってんけど、わざわざ関西から未成年引っ張ってきてるわけやし、女子もおるんやし当然やろって水上先輩に言われて納得したわ」と言われ、わたしも同じように納得した。
 自転車置き場に自転車を置かせてもらい、エントランス前のオートロックに鍵を差し込む隠岐くんの後ろに並ぶ。セキュリティが解除されてエントランスのドアが開いたとき、わたしの心臓は最高潮を迎えていた。こんな流れで好きな男の子の部屋に入ることになるとは。
 ひとまず部屋に行ったら玄関で待つべき?それとも靴を脱いで上がるべき?うみちゃん見せてもらえるかな、手土産とか何もないけどいいのかな、と心の準備ができないまま前にいる隠岐くんの肩辺りを見つめながらエントランスホールを歩いていたら、隠岐くんはエレベーター前で振り返った。にこっと笑う隠岐くんに釣られて笑い返すと、「すぐ持ってくるわ〜」と隠岐くんはエレベーターに乗っていった。一人で。
 エレベーターの扉が閉まり、ひとつ上の階に上がるのを届けた瞬間、顔を抑えてしゃがみ込む。わたし、なんで部屋に入る気満々だったのだろう。普通に考えたら持ってきてもらうのが当たり前じゃん。一人で舞い上がったりどきどきしたり心配したりしてバカみたいだ。いや、ただのバカだ。自分の勘違いっぷりが恥ずかしい。顔が熱い。隠岐くんが降りてくる前に冷めますように、と両手を仰いで必死に風を送った。
 しばらく深呼吸したり、無駄に屈伸をしたりして精神を落ち着けていたらエレベーターのランプが付いて慌てて姿勢を正して前髪を撫でつける。到着音が鳴り、一拍遅れて開いた扉の向こうから出てきたのは隠岐くんじゃなかった。
 
「細井さん……?」
「ん?苗字さんやん」
  
 そういえば細井さんもここの住人だった。細井さんはわたしをまじまじと見つめる。
 
「もしかして隠岐に用事?呼んでこよか?」
「や、大丈夫!漫画取りに行ってもらってるの待ってるだけだから」
「そうなん?ならええけど」 
 
 「ここめっちゃ寒ない?」と細井さんが両腕を擦る。恥ずかしさを誤魔化すために無駄に体を動かしていたせいで寒さなんて感じていなかったけれど、「わかる、寒いよね」と頷いておいた。
 寒いと何度も腕を擦る細井さんは確かに寒そうな格好だった。うすピンクのもこもこ、水玉模様。上から羽織ったプルオーバーのフードには猫なのか熊なのかよくわからない動物の耳がついている。細井さん、可愛いものが好きなのかもしれない。意外だ。
 
「それ部屋着?かわいいね」
「安かったから買っただけやねん。ポスト見るだけやしこのままでもええかなって降りてきてんけど、苗字さんおるなら着替えてこればよかったわ」
 
 細井さんは聞いてもいないのに早口でそう言うと、恥ずかしそうに羽織りのチャックを閉めた。
 ポストのロックを解除し、中から目当ての物を取り出した細井さんは、「あ」と声を上げると振り返る。
 
「なあ、やっぱり苗字さんって隠岐と付き合ってるん?」 
 
 どこかのタイミングでこの質問は来るだろうな、とは予測していた。こんな時間に一人暮らしをしている同級生のマンションの下で待っているというシチュエーション、わたしだって同じ疑問が湧くだろうから。
 しかし残念ながら「違う」としか答えようがない。だってわたし達は友達で、わたしの片想いなのだ。
 これがニヤニヤ笑う米屋や出水が相手だったら、照れを隠しきれずに「違うから!バカじゃないの!」と変なキレ方をしていただろうけど。細井さんの面白がっているわけではない至って普通なトーンの質問のお陰で、わたしは平常心で答えることができた。
 
「違うよー。そういうのはないない、友達だもん」
「そうなんや。学校でも最近よう話してるとこ見るし、あれから付き合ったんかと思ってたわ」 
「そういうふうに見えてるのなら隠岐くんに申し訳ないなあ」 
「え、なんで?」
 
 まさか追求されるとは思わなくて面食らう。なんでって、だって。
 「……わたしじゃ釣り合わないし」自分で思っていたより沈んだ声が出た。隠岐くんはカッコいいし、優しいし、笑顔は可愛いし。わたしなんかじゃとても釣り合わない。そう思った瞬間、今のわたしは隠岐くんのこと特別扱いしていることに気付いてしまった。あれだけ隠岐くんのことを普通だって思ってたくせに。わたしも所詮、マラソン大会の時に隠岐くんをチラチラ見ていたミーハーな子たちと変わらないんだ。
 けれど、「それはないんちゃう?」と言った細井さんは心底不思議そうだった。細井さんにとっての隠岐くんとわたしにとっての隠岐くんは見え方が全然違うらしい。
 
「確かに顔はええけど、中身たいしたことないで。それに苗字さんとおるとき楽しそうやし自信持ってええと思うけど」
「え?」
「あ、多分隠岐きたわ」 
 
 楽しそうって本当に?例えばどういうとき?細井さんにさっきの言葉の中身を詳しく聞きたいのに、エレベーターのランプが点灯する。わたしの顔が何か言いたげに見えたのか、「さっきの隠岐には内緒な」と細井さんは先手を打ってわたしを口止めした。口止めされなくても、こんなこと本人に聞けるはずがない。
 扉が開いて、わたしと細井さんを視界に入れた隠岐くんの第一声は「マリオなんでおるん?」だった。
 
「ポスト見に来たら苗字さんおったから喋っててん。寒いしウチもう戻るわ」
 
 細井さんは両腕を抱えて身震いした。寒いのに付き合わせてしまったことに謝ると、「こんなとこに放っとく誰かさんが悪いんやし気にせんといて」と隠岐くんに薄目を向ける。
 
「え、おれが悪いん?」 
「そりゃそやろ。こんな冷えるとこに人待たしてんねんから」
 
 わたしが急に漫画借りたいって言ったせいだから、と言いかけたとき隠岐くんの声が被さる。「そんなん言うたって部屋はあかんやろ、なあ」といつもよりぎこちなく笑った隠岐くんに同意を求められ、頷く。
 そうか、部屋はだめなのか。そりゃそうだよね、部屋はプライベート空間の最たるものだし、普通は見られたくないだろうし。けど、前はうみちゃん見においでやって気軽に誘ってくれたのに。いや、でもあれは隠岐くんの中で忘れ去られたエピソードだったな。所詮わたしは部屋にも入れられない程度の仲なのだ。そう思いたいのに、仲良しって言ったくせに、チロル欲しいって言ったくせに、なんて逆恨みする自分がいた。
 
「寒いのに待たせてごめんな」 
「ううん、大丈夫。細井さんは?大丈夫?」
「あんま大丈夫ちゃうし、ウチそろそろほんまに帰るわ」
 
 鼻を赤らめた細井さんはそう言ってエレベーターの上ボタンを押す。すぐに扉は開いて、中に乗り込む前に細井さんは振り返ってわたしを見たあと、隠岐くんを指さした。
 
「隠岐、あんた頑張りや」
「……マリオまでなんなん。水上先輩からなんか聞いたん」
「あほ、さすがにわかるわ。こういうんは海みたいに突っ走るほうがうまくいくと思うで」
「もーそっちまでオペせんでええって」
「あんたがのんびりしすぎるからこっちはやきもきしてんねん。グズってタイミング逃したら最悪やで」
「言い過ぎちゃう?グサグサくんねんけど……」
「そら刺ささるように言うてんのやし。そろそろ行動に移しや」

 遠慮を感じさせない二人のやりとりに、「何話してんの?」なんて入っていけるわけもなく。どこを見るわけでもないのにポストの方を向いた。水上先輩と南沢くんの名前が出たことやオペがどうのとかの話から、きっとボーダーのことなんだろう。わたしといるときとは違う、少しそっけない態度の隠岐くんは新鮮だけれど、それを引き出しているのがわたしじゃないことになんだかもやもやする。
 細井さんは隠岐くんの部屋に入ったことがあるのかな、なんて考えてしまって自己嫌悪に陥っている間に、細井さんは「おやすみ」と言ってエレベーターに乗り込んだ。それを二人で見送ったあと、ふと見上げた先の隠岐くんと目が合う。隠岐くんはなぜか恥ずかしそうに唇を引き結んで、それからそっとはにかむ。つまらないことでうだうだ悩んでいた自分が急に恥ずかしくなった。
 
「二十四巻からで良かったよなあ?十冊くらいあるし結構重いで」
「……ん、ありがと。えっと、明日返すね!」
 
 恥ずかしさを吹き飛ばすために勢い良く言った矢先、「徹夜する気なん?明日も学校あんで」と即座にツッコまれ、種類の違う恥をかくことになった。
 
 二人でエントランスの自動ドアを通り抜け、自転車置き場までの短い距離を歩いた。重いしそこまでおれ持つわ、と持ってくれていた漫画の入った紙袋を自転車のかごに入れてもらって、その上にリュックを乗せ、スタンドを蹴り上げる。そのまま乗って帰るつもりだったけれど、道路に出ていざ漕ぎ出そうとした瞬間に「待って待って待って。苗字さんどこ帰るつもりなん?焦るわ」と止められた。どうやら正反対の方向へ走り出そうとしていたらしい。結局、隠岐くんのご好意に甘えてわたし達はいつもの分かれ道までもう一度二人で歩くことになった。
 
「そういえばさっき家帰ったらな、うみちゃんめっちゃゲージの中でガシャガシャしとってん。ほんま暴れん坊さんやわあ」
 
 いつものように隠岐くんがうみちゃんの話をして、ふにゃりと笑う。
 うみちゃん、会いたかったな。言いかけてやめた。うみちゃんに会うということは、それ即ち隠岐くんの部屋に上がるということで。しかし、ついさっき知った話によれば、隠岐くんはわたしを部屋に上げたくないのだ。自分で推測していて悲しいけれど、現実とは非常なものなのである。うみちゃんに会いたいだなんて気持ちをちょっとでも匂わせるのはNGなので、「じゃあ早く帰って餌あげなきゃね」と言えば、そんな意味を込めたつもりは一切なかったのに「おれ、はよ帰ったほうがええ?」と返されてしまった。
 
「や、ちが、早く帰れってことじゃなくてだよ!?うみちゃんの気持ち考えたらご飯早く食べたかったのかなって思って、わたしはむしろ隠岐くんと一緒にいれてう……う、う、嬉しい、し」
 
 途中からこっ恥ずかしいことを言っていることに気付いてしまい、視線が泳ぎ、声が上擦る。盛大に照れたせいで変な感じになってしまった。もっとスマートに言えれば良かったのに。好きなのがバレたらどうしよう。なんて後悔しても後の祭り。喉の奥がカーッと熱くなって、そのまま頭のてっぺんまで熱が上る。自転車で挟んだ向こう側にいる隠岐くんの顔が見れない。
 
「うん、おれも。苗字さんとおれるん嬉しい」 
 
 今、隠岐くんどんな顔をしているのかな。隠岐くんの声が寒さのせいか震えて聞こえて、でも暖かさが滲んでいるみたいで。わけわかんない。
 
「さ、さいですか」
「おっと、急に突き放さんといてや。おれだけ恥ずい感じなってもうてるやん」 
「……はいはいはいはい、この話は終わり!」
  
 早足になって、自転車のタイヤのカラカラ音も早くなる。このまま隠岐くんが置いてかれるなんてことはなくて、すぐに足並みを揃えた隠岐くんの「なあ、照れたん?」と弾んだ声。ちら、と見上げてみると隠岐くんは含み笑いをしている。薄っすら細めた目がなんでもお見通しみたいにわたしを映していて、また顔が熱くなる。
 
「この話終わりって言ったじゃん!次の話どうぞ!」  
「え〜?」
「え〜?じゃない!……隠岐くんさ、そういうとこあるよね」
「そういうとこって?」 
 
 まるでわたしの気持ちに気付いているみたいなところ。なんて口が裂けても言えないので、「……ぶりっ子するところ」と答えれば「そんなんしてへんって」とわざと可愛らしくコテンと首を傾げた。ぶりっ子じゃん、と訴えると隠岐くんは両手で拳を作って口元に持っていくというアイドルポーズまでしてきた。わざとらしく目に力を入れてきゅるんとさせた隠岐くんと目配せするみたいな見つめ合いをして、次第にどちらともなく笑いがこみ上げてくる。

「ふっ、ふふ、普通にかわいいんだけどっ」
「っ、苗字さんツボ浅いわ、ちょお、笑わんといて、釣られてまうやんっ」 
 
 閑静な住宅街だから、笑い声が思ったよりも響く。「き、近所迷惑だって、ば」「っそんなん、言うたって、そっちがっ、もー」声を押し殺しながら笑うせいで頬の筋肉が痛い。しばらく二人でひいひい言いながら笑い続け、一息ついたところでようやく落ち着くことができた。 
 
「はー、笑った笑った。そや、苗字さんさあ、なんか欲しいもんとかない?」
「欲しいものぉ?……自分用のロードバイクとか?」
「そういうガチなのちゃうくて、もうちょっと手の届きそうなやつがええなあ」
「手の届きそうって、安いやつってこと?」
「ん〜そうなんやけど、そう言われるとなんかへこむな……なあ、来週の土日のどっちかなんか用あったりする?」
 
 話題転換とともに、パッと隠岐くんの顔がスマホの光で浮き上がる。
 
「来週?今週じゃなくて?」
「だっておれ、今週任務入ってんねんもん」
「わあ、いつも三門市のためにご苦労さまでございます」 
「いえいえ、そんな大層なことはしておりませんのでお気になさらず」 
 
 仰々しく芝居がかった話し口調に、お互いにやにやと顔を合わせた。下らないノリに付き合ってくれる隠岐くんが好きだな、と思う。
 わたし達の会話はいつだって大きな山場があるわけではなく、ゆるやかに流れる川のように途切れることなく続く。わたしはそれが心地良いと感じていて、隠岐くんもそうだったら嬉しい。
 それにしても、わたしの来週の予定なんて知ってどうするつもりなのだろう。今週は任務が入っていると言っていたけれど、まるでわたしと予定を合わせたいみたい。そんな考えが浮かんでしまうのはきっと思い上がりなんだろうな。
 
「来週の土曜日はー確かおばあちゃんとこ行くかな。日曜日はモールに買い物行こうかなって考えてるよ」 
「そうなんや。買い物って誰かと行くん?」
「んー、まだ誰も誘ってないかな。仲良い子と行こうとは思ってるけど」
 
 再来週の火曜日はホワイトデーだ。バレンタインデーを貰ったわたしはお返しをしなければならない人が三人いる。仲良しの二人と、今目の前にいる隠岐くん。
 二人からは手作りのお菓子を貰ったから、わたしでもできそうな簡単なクッキーを作って返そうと計画しているが、問題は隠岐くんの方だ。好きな人へ逆ホワイトデー。どんな物を渡せばいいのかが全く検討がつかない。だから、来週の日曜日は友達二人を誘って一緒にプレゼントを選んでもらおうと考えていたのだ。
 
「なんや。仲良い子、ちょうどおるやん。ここに」
「はは、確かにわたしら仲良しだね」
 
 隠岐くんがわたしと仲良しだと言うのは何回目だったっけな。こないだからかわれた一件があるから、今回は動揺することなく笑って流せた。その反応が思っていたものと違ったのか、隠岐くんは「え?そうくんの?」とよくわからないことを言っていた。
 
「まあ、そやんな。おれらめっちゃ仲良いやんな……」
「さっきからそう言ってんじゃん。どしたの?」 
 
 隠岐くんは歯切れ悪そうに、「ん〜」と言ったきり、うまく言葉が出てこない様子だった。カラカラ、カラカラ。タイヤが回る。分かれ道が近づいてきている。別に、隠岐くんが話さなくなったからといって嫌な空気というわけでもない。けれど、珍しいなとは思う。
 あかん、頑張り方わからんねんけど。そんな小さな呟きが聞こえてきて、なんのことやら、と首を傾げる。ふうと白い息を吐いた隠岐くんは、ちらりとわたしを見ると、「あんな」と切り出した。
 
「おれは苗字さんともっと仲良くなりたいって思ってんねんか」
「……え?」
  
 来週の日曜日、三月十二日。わたしは隠岐くんのプレゼントを買いたくて。仲良しの友達を誘う予定で。隠岐くんもわたしと仲良しで。けどもっと仲良くなりたいらしくて。
 あれ、これってどういうこと?
 
「おれもその日暇やし、一緒に買い物行きたいねんけど」
 
 誘われてるなんてことはないよね、そんな、まさか。脈ないはずだし。きっと冗談だ、真に受けたらまた恥をかくぞ。それなのに、まさかを期待した心臓が急に主張し始めて、ハンドルを持つ手に力が入る。動揺していることを見抜かれないように自転車を止めずに歩くことに必死だった。
 
「あかん?」
 
 照れくさそうに笑う隠岐くんを前にして、汗をかいたわけでもないのに急に喉が渇く。わたしはないはずの脈が打ち始めていることに気付いてしまった。
 思い上がってもいいのかもしれない。
 
「……いーよ、一緒に行こ」
 
 夜風に吹かれた前髪を整えるふりをして前を向き、視界から隠岐くんを消した。嬉しくて、恥ずかしくて、どんな顔をしたらいいのかわからなかったから。
 
2022.1.29

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