「お、苗字さんやん。また会ったなあ」
「おー、隠岐くん。おつかれー」
隠岐くんに教えてもらったコンビニはわたしにとって天国だった。お兄ちゃんに食べられた期間限定マロン味アイス以外にも、他のコンビニでは即座に売り切れるような限定商品が揃えられているのだ。隠岐くんいわく、「このへん警戒区域近いし、こういうの好きな若い人あんま住んでないんやと思うわ」とのこと。そんなふうに言う隠岐くんは、限定商品が出るたびについ買ってしまう"こういうの好きな若い人"みたいだけど。
そんなわけでわたしはちょこちょここの穴場スポットに通っていて、必然的にこのコンビニの常連である隠岐くんと顔を合わせることが多くなっていた。
その回数の多さに「学校で会うよりよう会う気するな」と口癖のように隠岐くんが言う。わたし達はクラスは違うものの、所詮は隣のクラス。結構な頻度で廊下ですれ違ってはいる。けれど、友達といる時にわざわざ話しかけに行くことはないのだ。しかし、お互いが一人でいるときは話すこともある。初めて警戒区域付近で出会った次の日なんかは、「あのあと帰ったらな、おれのアイス溶けててん」とのんびりとした口調で話しかけられて、下らない秘密を共有しているみたいで面白かった。
遠目から見ていた友達に、「なんで隠岐くんと話してんの?仲良かったっけ?」と追求されることもあるけど、その都度誤魔化している。なんとなくここのことは教えたくなかったから。
「あ、猫や」
店を出てから分かれ道まで一緒に歩くことがいつの間にかお約束になっていた。買ったばかりの地域限定ポテチをリュックに入れてカラカラとロードバイクを引くわたしの横で隠岐くんがしゃがみ込む。
人懐っこいのか、猫はすぐに隠岐くんの足元に擦り寄ってきた。「うわ、めっちゃかわええ」彼が頭を撫でるとゴロゴロと喉を鳴らす。
「隠岐くん猫好きなの?」
「めっちゃ好き。実家でも飼うててん。癒やされるわあ」
たまには顔見に帰りたいなあ、と隠岐くんはぽつりと呟くので、「写真送ってもらえばいいよ」と無難なことを言っておいた。そやなあ、と隠岐くんはいつもののんびりした口調で頷いていた。
「たまには実家に帰ればいいじゃん」とわたしは前に言ったことがあって、そのとき隠岐くんは今みたいに「そやなあ」と笑っていた。後日、同じクラスの米屋に今度県外に遊びに行くと話したら羨ましいと言われた。隠岐くんのときと同じように「行きたいなら行けばいいじゃん」と言えば、ボーダーに所属していると気軽に三門市を出ることは難しいと教えてくれた。そのとき、隠岐くんが「そやなあ」と笑った顔が本当にいつもと同じだったのかうまく思い出せない自分が不甲斐なくて、「おいおい、苗字顔こえーんだけど」と米屋に心配されたのを覚えている。
「けどこの子ほんま人懐っこいわ。かわええなあ」
ついには腹を見せてきた猫に、わたしも触りたくなってロードバイクのスタンドを立てる。隠岐くんの横にしゃがんで手を伸ばすと、シャー!と威嚇された。
「うわっ」
そこからはまるでピタゴラスイッチのようだった。危うく猫パンチが飛んできそうになり、避けようと手を引っ込めた弾みで後ろに尻もちをついてしまい、背負ったリュックがロードバイクに当たってパン!という破裂音がして、ロードバイクがガシャンと音を立てて倒れ、その音にびっくりした猫が飛び起きて猛スピードで逃げた。
流れるような一連の出来事に目をまん丸くしていると、隣から「怪我してへん?」という震え声。
「……笑ってんの気付いてるからね?」
「だってこんなんコントやん。ポテチ破れる音してんけど」
確かに背中にあった膨らみが萎んだ気がする。リュックを前に持ってきて恐る恐る中身を覗き込むと、悲惨なことになっていた。
「あらら。どないする?」
「……食べれそうなのだけ今食べるから手伝って」
「はは、しゃあないなあ」
結局、その夜はさっきの笑いを引きずる隠岐くんと二人で立ったままぐちゃぐちゃになったポテチを食べた。結構美味しかったけど、にんにくの匂いがキツくてその日リュックは洗濯機行きとなった。
秋が終わる頃、この穴場であるコンビニにわたしは結構なペースで通うようになっていた。ちなみに通わない日は資金集めのために始めたラーメン屋のバイトで埋まっている。そこまでして限定商品や新商品を手に入れる必要があるのか?と問われるとイエスともノーとも言い切れない。ちなみにこのワンシーズンで二キロは太った。確実におやつの食べ過ぎである。
カロリーゼロのゼリーやヨーグルトをレジに置き、顔だけ振り返って話しかける。すでに会計を済ませてスマホを見ていた隠岐くんが、「ん?」と顔をあげる。
「今日休みだったらしいね。ボーダーの任務ってやつ?」
隠岐くんが休みだと知ったのは偶然だ。先生にA組に移動教室の場所が変わったことを伝えて欲しいと頼まれ、覗いた教室の黒板に書かれた欠席者欄に隠岐くんの名前があったから。
「そやで。みんなの街を守ってきてん。労って〜」
「んじゃご褒美に肉まん買ったげる」
肉まん二つお願いします、と注文してる後ろで、「え〜ご褒美安ない?」と隠岐くんが笑う。
「だってそれなりに稼いでるって前にボーダーの人が言ってたもん」
「それ言ったんおれやん。しかも結構前ちゃう?」
よう覚えてんなあ、と笑う隠岐くんに会計を済ませたばかりの肉まんを手渡す。お礼を言った隠岐くんは受け取った瞬間、「あっつぅ」と間抜けな声を上げた。
店先のベンチで二人並んで肉まんに齧り付く。隠岐くんは結構猫舌で、「中めっちゃ熱いねんけど」とわたしからすればそこまで熱くない肉まんの餡部分をふはふは言いながら食べる。隠岐くんのそういうところをわたしは可愛いと思ってたりする。ちょっとだけだけど。
「今日なんでいつものカッコええやつちゃうん?」
隠岐くんの視線の先には駐輪場があった。普通の自転車が一台、原付バイクが二台並んでいる。わたしは今日、ロードバイクではなく通学用の自転車で来たのだ。
「今日はお兄ちゃんが先に乗ってっちゃったんだよねー。ま、元々お兄ちゃんのだから仕方ないんだけどさ」
「そういえばそうやったな。まあでも、こっちの方が籠あるしリュック入れれるからええやん」
彼はいつかのポテチ破裂事件のことを思い出しながら言っているのだ。にや〜と緩く笑う顔が腹立たしくて肘で小突く。「ちょお、落とす落とす」隠岐くんがまた笑う。肉まんより大きな手でしっかり握っているから落とすわけなんてないくせに。
「けど兄弟とか羨ましいわ。楽しそうやん」
妹のものは俺のもの。俺のものは当然俺のもの。というジャイアン理論を振りかざしてくるのが兄という生物なのだ。一緒にいて楽しいなんてかけらも感じたことがない!
妹に超甘いお兄ちゃんとかお兄ちゃん大好きな妹とかいうは幻想だ。フィクションの中でしか存在しない。「え〜おれ妹おったら絶対可愛がるけどなあ」そんなのはいないから言えることなのだ。
「隠岐くん一人っ子なんでしょ。そっちのが羨ましいし」
「けど一人って親仕事行ったら家にポツンやし。寂しいで」
「ふーん。隠岐くん、だから寂しがり屋なんだ」
あ、と今まさに肉まんを食べようと口を開けていた隠岐くんはそのままわたしのほうへ顔を向けると「なんで?」と不思議そうにした。
「え?だっていつも寂しそうだし」
最初のほうは、いつもにこにこ明るい隠岐くんがたまに見せる少し陰った表情が不思議だった。「また明日学校でなあ」と名残惜しそうに手を振られたときなんて、わたしのこと好きなのでは?と悩んだりもした。けれど、隠岐くんと会う回数が増えて彼を知っていくごとにわかった。寂しげな顔は、お互いの家族のことや地元のことを話す時や、ボーダーの帰りなんかに見せるということに。
縁もゆかりもない土地を守るために大阪から一人でやってきた隠岐くんは、特別な男の子だと思っていた。同じ学校に通う高校生なのに、家族も友達も大事な猫も地元に残してこっちで一人暮らしをするなんてすごいな、かっこいいなって。
けど、隠岐くんと話すようになってわかった。隠岐くんは、案外普通なのだ。普通の男の子が縁もゆかりもない土地での一人暮らし。寂しくないはずなんてない。
「おれ、苗字さんにそんなん思われてたん?めっちゃ恥ずいんやけど……」
恥ずかしそうに片手で顔を覆う隠岐くんはやっぱり普通の男の子で、なんだかおかしくて笑ってしまう。隠岐くんは、普通。わたしの友達はきっとそんな隠岐くんを知らないけれど、それがいい。
「ほら、ペットでも飼ったらどう?家に帰ったときにペットいると寂しくないって言うし」
「……認めてないのに寂しいの前提で話進めてくるやん」
「違った?」
「まあ……そうなんやけど」
歯切れ悪そうに認めた隠岐くんは、わたしと目が合うと気まずそうに目を逸らして、肉まんを齧った。わたしもそれに倣って、しばらく二人して無言で肉まんを食べた。
「ごちそうさん」あれだけ熱がってたくせに隠岐くんはわたしより早く食べ切った。なんとなく、今日はこのまま解散するのかもしれないと思って残りの肉まんを急いで口に入れると、「そんな慌てたら喉つまんで」と隠岐くんが笑う。
「まだかへらない?」
「なに言うてるかわからんねんけど」
「うぐ……まだ帰らない?」
「うん、大丈夫やで。ジュースでも買うてくるわ。なんかいる?」
「コンポタで!」
詰め込んだ肉まんを一生懸命咀嚼している間に隠岐くんは戻ってきて、「めっちゃ熱いからここ置いとくわ」と腕に抱えていた熱々と思われるコーンポタージュの缶をわたしと隠岐くんの間に置いた。
「いくらだった?」
「肉まん代と変わらんからええわあ」
「労った意味ないじゃん」
「ほんまや。じゃあこれ、さっきの恥ずかしい話しの口止め料にしといて」
さっきの話を誰かに言うつもりなんてこれっぽちもない。けれど、このコーンポタージュの価値と値比べすると、「それはそれで安すぎるくない?」ポロッと出た本音を隠岐くんは「苗字さん厳しいわ」と眉を下げて笑った。
ホットレモンで両手を温めながら、隠岐くんは駐車場の方へ視線を向けた。もっと遠くのなにかを見ているようでもあり、なにも見てないようでもあった。
「ほんまはな、猫飼いたかってん。けどマンションやし無理やんかあ。だからハムスター飼お思てん。けど、なんかあったとき世話できんくて死んだらいややなって思ったらよう飼えへんなあって」
「なんかって?」世話ができなくなるようなことってなんだろう。友達の家に泊まるとき?風邪引いたとき?餌を買い忘れたとき?指を折っていると、「おれがボーダーなん忘れてへん?」と呆れた顔をした隠岐くんがいた。
「あ、そうだった」
「忘れてもろたら困るわあ」
隠岐くんはボーダー隊員で、ボーダーはネイバーから三門市を守っている。隠岐くんの言う「なんかあったとき」はわたしが考えた平和ボケした答えなんかじゃなく、もっと重いもの。
いつか見た、警戒区域の立て札やその向こうにあった光のない家が思い浮かんだ。どこかぼんやりと歩いていた隠岐くんも。
わたし達は仲が良い方だとは思うけど、そこまで踏み込んだ仲じゃない。学校でたまに話したり、こうしてコンビニでダラダラ話したりするだけの、日の浅い友達。隠岐くんがどこに住んでいるかなんて知らないし、ボーダーでどんなことをしているかだってほとんど知らない。
もう少し先に、踏み込みたいと思った。
「隠岐くんになんかあったとき、わたしがハムの世話してあげるから、飼いなよ」
わたしの思いがけない提案に、隠岐くんは少し呆けて、それから柔らかく笑う。
「そりゃ頼もしいなあ」
二人の間に置いていた缶を取ると、もう随分温くなっていた。
2021.1.2
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