こたつを買った。
 理由は単純で、寒かったし、安かったから。
 そんなことを雑談のなかで何人かに話した覚えはあった。取り立てて広げるほど珍しくもない話題はそのまま雑談の中に消えていって、わたしも特に気にすることもなく。
 寒い冬を乗り越えるべく買ったばかりのこたつに丸まること早数日。エンジニアとして働く上で与えられた部屋のインターホンが鳴らされたのは今。
 ここのところネットショッピングを控えているので、宅配のお兄さんが荷物を届けにきたのではないとわかる。なら、ドアの向こうにいるのは九割ボーダー関係者、一割宗教の勧誘だ。今日の勤務時間はとっくに終わっている。わたしは残業なんてすべきでないと言う信条をもっていて、ましてや帰宅後に呼び出しを喰らうなんてもってのほか。もう夕食も食べ終わったのに。そして宗教に興味はない。
 よし、どちらにせよ出る必要はないな。そう結論づけて、居留守を決め込んだ。せっかくこたつのおかげで温もり始めたのに、わざわざそこから出て寒い玄関に行く気なんておきない。
 しかし、その考えを見抜いているのか再び鳴らされたインターホン。少しの沈黙を経てから、「名前さーん、開けてください」と関西訛りの間延びした声が聞こえて、億劫になりながらもこたつから這い出た。ボーダー関係者はボーダー関係者でも、これは仕事関連ではなさそうだ。
 
「あかん、めっちゃ寒い。名前さんそんなかっこして寒ないですか?」

 涼しげな目元についたほくろ。廊下を抜け、寒さに両腕を擦りながら開けたドアの向こうには、薄手のトレーナーから首筋を覗かせた隠岐くんが立っていた。
 
「寒いけどわたしは家にいたし。隠岐くんはもっと服着なよ。そもそもなんでいんの?」
「みかん持ってきたんで」
「いやなんでみかん?」 
 
 某スポーツブランドのショップ袋に入ったみかんを渡され、はてなを浮かべるわたしをよそに、隠岐くんは「みかん美味しいやないですか」と可愛らしく小首をかしげた。でた、女泣かせの小技。
  
「こんな時間に男子高校生が成人女性の部屋に訪れるのはふつーにあかんと思うんですけど」 
「せっかくみかん持ってきたのに?名前さんそれはいくらなんでもひどいんちゃいますか」 
「アポなしで来てるくせにどの口が言うか。そんでみかん関係ある?」 
「こたつ言うたらみかんやん」

 それが狙いか。彼のこの突飛な行動に合点がいった。
 つい数日前の雑談、こたつを買ったと話すわたしに、「ええなあ。おれ、絶対出れへんくなるんわかってるんで、自分の部屋にはおかんようにしてるんですよ」と言ったのは彼だったことを思い出したのだ。「今度暖とりに行ってもええですか」そんな冗談を言いながらするりと人の懐に入るところが女を惑わせるのだろうなあと思いながら、適当に「いつでもどーぞ」と返したことも。あれは冗談じゃなかったのか、と今思い知った。
 
「名前さん、このみかんめっちゃうまいって水上先輩がくれたんです。だから一緒に食べましょ」
 
 うーん、と悩みながら袋に入ったみかんを覗いた。小粒で、つやつやした皮、濃いめの紅色が見える。確かに美味しそうだ。これをこたつで温もりながら食べたら。
 みかんと寒そうに腕を擦る隠岐くんを交互に見て、ふうとひと息。
 
「……あったまったら帰りなよ」 
 
 隠岐くんが嬉しそうに目尻を下げたのは見ないふりをした。
 
 玄関先で誰かと話すことはあっても、客を家に上げることはほぼない。そのため、この部屋には客用スリッパがなかった。さっきまではあの手この手で部屋に入ろうとしてきたくせに、玄関先で「このまま上がってええんですか?」と控えめに聞いてきた隠岐くんに、客用スリッパがない理由を告げた。
 
「……なに笑ってんの」
「笑ってませんて。スリッパないと寒いですね」  

 隠岐くんはしゃがんで靴を揃えてからリビングに入ってきた。意外に几帳面なんだと感心していたら、隠岐くんは「お利口さんでしょ」と軽い調子で笑う。こりゃいつもはしてないパターンだな。
 
「はいはい猫被りのお利口さんはそのまま手洗ってきて。タオルは上の方のやつ使っていいから」 

 背中を軽く叩いて隠岐くんを洗面所へ押し込み、自分はシンクでケトルに水を入れて沸かし、こたつの電源を入れてその上にみかんを置いた。食器棚からマグカップを二つ取り出す。スリッパ同様に客用のマグカップなんてこの家にはなく、一人暮らしのためそもそも食器の数が少ない。玄関先では成人女性だなんだと口にしたが、実態はそんなものである。結局、隠岐くん用に使用頻度の低いマグカップを、自分用には普段のものを用意した。
 シンクに戻りマグカップに緑茶の粉末を入れていると、手洗いを終えた隠岐くんがわたしの肩越しから顔をのぞかせた。
 
「これなんですか?抹茶ラテ?」  
「そんなおしゃれなもんじゃないよ。ただの緑茶。あー、苦いお茶、飲める?」 
「子供やないねんから、お茶くらい飲めますけど」
「そう?コーヒーもあるけど」
「……コーヒーはちょっと」  
「それ、子供って言うんだよ」  
 
 カチ、と小さな音で終わりを知らせたケトルを持ってマグカップにお湯を注ぐ。ティースプーンで軽く混ぜると、子供扱いされた隠岐くんは少し不満そうに、「おれ持ちます」とマグカップを二つ持ってこたつへ向かう。わたしもその後ろをついていく。
 そわそわと部屋を気にしていながらも、そんな自身を律するような雰囲気を彼の背中から感じ取れてしまい、男子高校生を部屋にあげたのは失敗だったかもしれないといまさらながら思った。お茶まで用意しておきながら、この寒空の下に薄着の男の子を放り出すほどわたしは薄情でないので、その考えはひとまず置いておくことにした。何事も、深く考えすぎてはいけないのだ。
 
「あ〜こたつやば、ぬくぅ」
 
 電源を先に入れておいたおかげですでに暖かくなっていたこたつに入るなり、隠岐くんはへにゃへにゃと顔を緩ませて脱力した。体がじんわりと温もる感覚が心地よく、わたしの力も抜ける。
 
「そらそんな薄着してたらね」
「だってさっきまで部屋おったんですよ。そんで水上先輩がみかんくれる言うから先輩とこ行って、その足で来たんで」  
「なに人んちに寄り道してんの。素直に帰りなよ」
「いいやないですか。せっかくのみかんやし、名前さんとこたつで食べたかったんです」
 
 名前さんと、と言う甘い響きはこの際聞き流しておこう。こたつにみかんが最高という気持ちはわからなくもないので。
 熱いお茶を一口飲む。こたつに緑茶、最高。声に出さずその組み合わせの良さをしみじみと感じていると、向かいに座って同じようにお茶を飲んでいた隠岐くんが「名前さん顔ゆるゆるなっとる」と頬を緩ませた。
 
「隠岐くんはさっきからずっとにやにやしてる」
「嫌な言い方せんといてください。これは微笑んでるって言うんです」
「そんな上品な笑いじゃないけど」 
「失礼やなあ。だって名前さんが笑かすんやん」
「人のせいにしないでよ。わたしなんにもしてない」 
「そういうんはこのコップ見てから言うてください」
 
 隠岐くんの飲んでいたマグカップにはカーネーションのイラストと「いつもありがとう」の文字が印字されている。言わずもがな、母の日のプレゼントである。数年前にプレゼントしたが、実家に帰った際、あまりにも使われる形跡のないそれが不憫でついこの間引き取ってきたのだった。
 
「客にこんなん出す人います?」
 
 正論。高校生に正論をぶつけられ、わたしは言い訳がましく唇を突き出した。
  
「……しょうがないじゃん。他のやつ結構使ってたし、それわりと綺麗だったし」 
「いや、ふふ、名前さんらしくてええ思いますよ」 

 色気なさをらしいと言われて喜べるものなのか。

「年下にばかにされるとかなりくる……」
「そんなんしてませんて」    
「じゃあそろそろ笑うのやめてよ」 
「これはあれです。嬉しくてにやけてまうんです」 
 
 隠岐くんのアピールに気付いていないほど子供ではないし、それを受け入れるほどの子供でもない。
 そう、わたしは子供ではない。立派な成人女性なので、子供相手にドギマギしてはいけない。

「これ喜ぶとかわたしのお母さんじゃん」
「おかんちゃいます」
「お母さんのことおかんって言うの?意外だなあ」  
「もーからかうんやめてください。ほら、みかん食べましょ。みかん」   
 
 甘い顔立ちから出てきた「おかん」が面白くってもう少し詳しく聞きたかったのに。そう言うと隠岐くんは、「掘り下げるとこそっちちゃうんですけど」と袋からみかんを取り出し、ひとつわたしに寄越した。悪いけど、わたしは君の言うそっちを掘り下げる気はないのです。
 
「どこ産?」
「水上先輩、和歌山よりやから和歌山産ちゃいます?」
「へえ」
「聞いときながら全然興味ないやん」
「だって大阪とか梅田くらいしかわからないし。そんで隠岐くんさっきからちょこちょこ敬語忘れてない?」
「ん〜どうですかねぇ?」
 
 軽口を叩きあいながらみかんの皮を剥いていく。薄皮で綺麗に剥けず、バラバラになるのでティッシュを敷いた。「ん」向かいで苦戦する隠岐くんにも一枚。
 薄皮、紅色みかん。これは確実に甘くて美味しいやつ。折角なので白い筋を丁寧に取っていき、つるつる状態にして満足していると、すでに剥き終えていた隠岐くんが「食べましょか」とにこ、と笑う。これぞ、女泣かせの笑み。そんでもってあんまり器用じゃないことがわかる筋だらけのみかん。可愛い。つい、流されて口に出してしまいそうになり慌ててみかんを放り込んだ。
 
「……ッ!」 
 
 甘酸っぱい果汁が口の中を満たしてくれるだろうと思いこんで放った一粒。ぎゅ、と目を瞑る。期待に反して、めちゃくちゃ酸っぱい。わたしだけハズレを引いたのか?と向かいに座る隠岐くんを見たら、彼も「すっぱ」と眉を寄せ、目を細くしていた。

「うわ、そっちも?ふたりともハズレかあ……」  
「いや、水上先輩のことやし、最初からうまないからくれた気ィします。今思うとあの人がめっちゃうまいとか勧めてくんのおかしいし」
 
 なかなか厳しい隠岐くんの先輩評。しかし、この酸っぱいみかんを前にしては否定できそうにもない。
  
「と、いうことは……?」 
「多分全部ハズレちゃいますか、これ」
 
 袋の中にはまだたくさんのみかん。どちらともなくため息をついた。 
 
 

「隠岐くん、そろそろ帰ったら?」 
 
 結局、二人で文句を言いながら食べ進めていったおかげでみかんは当初の三分の一まで減っていた。みかんで腹を満たしてだらだらと脈絡のない話を続けて、ちょうど途切れたときにつけたテレビにはもう二十二時のニュースが流れていた。
 残りは持って帰ってね、とみかんの袋を隠岐くん側に押すと、彼はこたつから出るどころかゴロンと寝転がった。うつ伏せになっているのか、寝転がられるとわたしの位置からは彼の髪の毛くらいしか見えなくなる。隠岐くん。呼びかけると、「おれ、猫なります」顔を見せない彼はそう言った。

「ほんでここで猫飼いましょ」 
「……こんなわがままな猫やだな」
「猫はわがままなもんですよ。そこが可愛いんです」 
「自分で言うな」
「猫のことしか言うてへん」 
 
 ああ言えばこう言う。こんな聞き分けが悪い子だったかしら、なんてすっとぼける気はないけれど、彼の期待には沿えそうにない。わたしは億劫になりながらもこたつから出て、隠岐くんのそばに膝ついた。
 
「残念ながらここはペット禁止なんです」 
「隠してたらバレませんて」 

 これは猫の話である。猫の話。
 そういうことにしておいてあげるのが大人として正しいのである。
 そんなわたしの正しさを彼は床に手をついていたわたしの手を掴んで台無しにする。
 
「付き合っても誰にも言わんかったらええだけやないですか」
「……隠岐くんはもうちょっとわかる子だと思ってたけど」
「都合良いときだけ大人ぶんのやめてください。ええ子にしててもこっち向いてくれんかったから強硬手段に出たんです」 
  
 細身の手が、優しく撫でるように手の甲を滑る。手のひらに触れられてこそばゆさに引っこめようとしたら、指を絡めて捕まえられた。
 隠岐くん。少し咎めるような声色で呼びかけると、彼は伏せていた顔を横にしてわたしと目を合わせた。「名前さんずるいっすわ」反論しようと言葉を探している間に、畳みかけられる。
 
「その気ないなら部屋入れたりせんといてください」
 
 軽く手を引かれ、隠岐くんの上に覆いかぶさりそうになって、空いている方の手を床について体を支えた。ぐっと近くなった距離。 

「大人の女を誘惑しようとしないでくれるかな」
「大人大人って言いますけど、五つくらいそんなんたいした差やないですよ」 
 
 部屋に上げておきながらこの言い方はずるいと自分でもわかっていたので、「それに誘惑してんのそっちやないですか」と言われると言葉に詰まった。まっすぐ見つめてくる隠岐くんの目がすぐ目の前にあって、思わず逸らす。
   
「……なんでこっち向いてくれへんのですか」
「……耐性が、ないので、わっ」   
 
 近くなるどころではなく、いま距離はゼロになった。体勢を崩されたわたしはそのまま隠岐くんの体に倒れ込んでいて、起き上がろうにも背中に回った腕がそれを許してくれない。
 
「そうやって期待させといて好きやない言うんは無理あるんちゃいますか」 
「あのう、わたしそういう話いっこもしてないし、されてないんだけど?」 
 
 隠岐くんから好意を持たれていることは普段の彼の行動や言動から感じ取っていたし、わたしはそれに気付かないふりをしていた。しかし、互いにそれを口に出したことは今の今まで一度もないはずだ。「そんなんいまさらやん」確かに。互いに気付いているのも気付かれているのも知らないふりをしているのもわかっていた状態で、好きと言われていないなんて話ナンセンスだ。
 
「今はもう、付き合うにはどうしたらええんかっていうとこまできてるんですけど」 
「色々ふっとばしてるよね?わたしの気持ちは無視?」
「だって名前さんおれのことめっちゃ好きやないですか」 
「は、いや、いやいやいや、さすがの隠岐くんでもそれは思い上がりだと思うよ」
 
 堪らなくなって起き上がろうと背に力を入れたけれど、隠岐くんの腕によって元の位置に戻される。隠岐くんのどくどくとした鼓動の音が全身に響いて、落ち着かない。
 
「だって名前さん、今日ずっとほっぺゆるゆるやし。今だってめっちゃ顔赤いし心臓ばくばく言うてるし」
 
 なんてこったい。指摘されて初めて自分の体に起きている異常に気付いた。頬も、体も熱い。全身に響く心臓の音は隠岐くんだけのものだと思っていたのに。
 固まっているわたしの耳元に唇を寄せて、隠岐くんは内緒話をするかのように囁く。そう、これは誰にも言えない内緒の関係の始まり。
 
「次来たとき、スリッパもコップも置いてってええですか」
 
 満更でもないと思っている自分が頭の端っこにいて、隠岐くんはそれをわたしより先に見つけていたようだった。
 これじゃあ、どっちが大人なんだか。大人ぶりたいもうひとりのわたしですら、呆れ顔をしながらも頷いて猫を飼う段取りを考え始めるのだからわたしの中に正しい大人はいないのだと悟った。
 「学生の間は清く正しいお付き合いをしようね」せめて表向きだけでも大人でありたいと宣言した矢先、「ん〜?」と聞こえないふりをした隠岐くんに唇を奪われた。
 あれ、この猫可愛くないぞ。
 
 
2021.11.27 

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