封筒に入れて手渡された家賃を勘定し、「確かに、ちょうど頂きました」と頭を下げた私に、彼女は「あのう」と遠慮がちに声をあげた。

「最近、お二人って仲いいですよねえ」
「はい?」

 お二人?誰のことを指すのだろうかと私が首をかしげると、彼女は「あなたと彼」と102号室の方を指差した。なるほど、クラピカのことだ。

「どうやって取り入ったんですか?」

 彼女は探るような目つきで私を見た。取り入る、だなんて人聞きが悪い。しかし、ストーカーである彼女からしてみれば、後からやってきた私がクラピカと距離を縮めているという事実が面白くないのは当然かもしれない。
 いや、彼女がストーカーだというのはあくまで私の個人的見解だし、距離が縮まったといっても恋愛的な意味合いは持たないけれど。

 私はうーん、と考える素振りをした後、惣菜が入った袋を掲げた。

「そうですねえ‥‥‥餌付けでしょうか」
「へ?餌付け、ですか」

 間の抜けた声をあげながら彼女は首を捻った。

「バイト先の余りをあげたことがあるので。私と仲良くすれば食費が浮くから得だと思ったんじゃないでしょうか?」

 当たらずとも遠からず。適当に答えて、彼女に惣菜のお裾分けをした。彼女は腑に落ちないといった顔をしながら「はあ、どうも」と部屋へと引っ込んだ。



 102号室のクラピカにも家賃回収を行った。先ほどの彼女と同じようにクラピカにも惣菜のお裾分けをした。
 この後は自室へ戻るだけなのだが、その前に聞いておきたいことがあった。周囲を確認して、不思議そうにこちらを見ているクラピカの耳元にそっと唇を寄せる。

「あのさ、105号室の人にストーカーされてない?警察とかに相談した方がいいかな?」

 極力ボリュームを下げて、単刀直入にそう述べた。

 住人同士の問題は各自で、と言いたいところだが、ストーカーとなれば犯罪行為だ。しかも、大人の女性が未成年の少年に、というのはなんとも危ない響きである。

「いや、ストーカーではないだろうから心配はいらない」
「そ、そう?」

 クラピカはさして問題ではないと言うのだから、つい拍子抜けしてしまった。あれでストーカーでないなら一体何なんだ。しかし、彼が気にしていないと言うならば、これ以上首を突っ込むのはやめることにしよう。

 聞きたいことも聞けたし、さて帰ろうかと思っていたとき、ところで、とクラピカが私に話しかけてきた。

「ずっと疑問だったんだが‥‥‥‥名前は私より二つ上だと聞いていたのだが学校には行かないのか?」

 聞いていた、というのはおばあちゃんからだろう。

「こないだ卒業したところだよ、飛び級したから」
「飛び級?」

 驚いたとばかりにクラピカは先ほどより幾分か声を上げた。意外だとばかりな態度は、結構失礼だと思う。

「塾行ってたからね。塾通いの子なら、飛び級は当たり前なんだよ」

 私が特別頭が良いとかそういうわけではない。塾に通っている子達は大体が二、三年は飛び級しているのだ。私の友達なんかは、五年くらいすっ飛ばして大学に進学していた。

 なるほど、と納得したようにクラピカは頷いた。彼の地域では珍しいことみたいだ。というより、クラピカはどこかの民族の出身と思われるので、学校に通ったことがなさそうだな、と彼の着ている青い民族衣装を見て思った。

 学校で民俗学の授業を専攻していたとき、分厚い教科書には様々な民族の生活様式がフルカラーで掲載されていて、テストの為に徹夜して覚えた記憶がある。しかし、クラピカの着るこの民族衣装はあの教科書に載っていた覚えはなかった。もしかしたら、未開の地から出てきたのかもしれない。

「そういえば、クラピカはどこの民族出身なの?私も民俗学少しはかじったけど、この服、全然検討つかないや」

 クラピカは一瞬、まるで何かに堪えるような顔をして、すぐになんともないような顔を作った。いつか見た、あの泣き顔を思い出す。「あなたの出身はどちらですか」「はい、私は○○出身です」異国語を習う際に最初に教わるフレーズで、まさか傷つけることがあるとは思わなかった。

 やっぱりいいや、と話を流そうとする前に「私は」とクラピカが口を開いた。

「ルクソ地方の少数民族出身で‥‥‥一族は外の世界から隔離していたので文化や風習を外に漏らすことがなかったのだよ。唯一文献に残っているのは、私たちの暮らしなんかじゃない、もっと他のことだ。この服を着るのも、この刺繍を施せるのも、もう私しかいない」

 私しか、いないんだ。再度確かめるように呟かれた言葉は、ずしりと私にのしかかってきた。

 そのあとの会話はあまり覚えていない。気付いたら家賃の封筒を二つ抱えて、部屋へ戻っていた。

 ドクドクといつもなら意識しない心臓が嫌に大きな音で聞こえる。部屋にさえ響いている気がした。じわ、と手汗が滲み出て、思わず拳を作る。思い出すのはさっきのクラピカのことだ。

 民族衣装を着る人がいないこと、作れる人がいないこと、民族におけるそれが意味するのは、大抵は現代に迎合した結果、自分たちの文化を捨てることだ。しかし、クラピカのそれは違う。根拠は無いけれど、そんな気がした。


2017.7.28

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