※映画のキャラです
※がっつりネタバレしています
※映画時のロディが16と考え、その後誕生日を迎えて17になっている設定です
留学生活も一ヶ月が過ぎ、慣れてきた矢先の出来事だった。
「ここどこ……」
写真を撮るのに夢中になっていた名前は、またしても迷子になっていた。
スマホの地図アプリを起ち上げてみたが通信が不安定なのか、現在地が取得できず、今いる場所がどこかわからない。
「お、落ち着こう。今回は変な道入ってないし、まだ昼だし、周りには人はいるし……」
日本語で捲し立てながら、ひとつひとつ指を折る。留学してきてすぐのように妙な路地に入り込むような馬鹿な真似はしていない。疎らではあるが人通りもある。目つきの悪そうな人が多い気もするが、以前のようにジャンキーというわけではなく、観光地でもない場所に現れた外国人に対して地元民が訝しげに見ているという表情だ。
「一応、カメラ仕舞っとこ」
以前、自分を助けてくれた青年の忠告を思い出し、リュックにカメラを入れる。疑り深い視線を寄越す地元民らに自分は害がないです、とへらへらとした笑顔を作ったがふいと逸らされてしまう。道を聞けそうな感じではないな、と名前は肩を落とした。
追い打ちをかけるように腹が鳴り、撮影に夢中でまともに昼ご飯をとっていないことを思い出した。意識した途端、空腹具合に拍車がかかる。
どうしたものかな。ため息をついて、あたりを見渡すと一軒のバーが目に入った。幸運にも、店先にはランチ営業を知らせる立て看板が置いてある。
"LUNCH TIME 11ー14"
「わ、でももう14時回ってる……」
立て看板に手書きで書かれた時刻と腕時計を見比べ、うなだれる。時刻は14時10分を示していた。
ひとまず、中に人がいるだろうから道だけでも聞いてみようか。今にも鳴り出しそうなお腹を撫でて慰めていた名前が扉に近づこうとしたとき、タイミングよく扉が空いた。店員らしき人物が店から出てきて、扉にかかったOPENの札をCLOSEにひっくり返す。
「あ、あの、ランチタイムってもう終わっちゃいました?」
道を聞こうと思っていたはずが、空腹のあまりランチのことを聞いてしまっていた。
「は?あー、悪いが一旦店仕舞いだ」
ランチタイムを終え、片付けの時間に入っていたのだろう。若干面倒くさそうに頭をかいた店員に名前は覚えがあった。両者の口は「あ」と形どる。彼の肩に乗った小鳥が「ピィ」と鳴いた。
「つーかあんたどっかで……」
「あの、前!路地で!助けてくれた人ですよね!?その説はありがとうございました!」
「あー……迷子のジャパニーズか。んでこんな辺鄙なとこにいんだよ。まさかまた迷子になったなんて言わねーだろうな」
「そのう、なんと言いましょうか、えっと……迷子です」
「まじかよ」
頷くと同時に腹が鳴り、名前は真っ赤な顔を両手で覆った。その様子を青年はぷ、と笑って名前の肩を軽く叩く。
「これもなんかの縁だな。入れよ、余りモンで良ければなんか作ってやるよ」
「うう……恩に着ます……」
青年に続いて入ったバーはメインストリートに並ぶ洗練されたカフェやバーのようにお洒落なインテリアは飾られておらず、地元のサッカーチームのポスターやよくわからない絵、落書きされたポストカードや写真が壁に貼られていて、窓枠には様々なキャラクターの指人形やフィギュアが飾られている。地元に根づいた店のようだった。
「カウンターでいいか?テーブルの方はもうイス上げちまってんだ」
「あ、はい!」
テーブルの上に逆さまにしたイスが乗せられていて、本当に店仕舞いを始めていたようだった。申し訳無さそうな顔をした名前だったが、「お代はきっちり貰うからんな顔しなくてもいいって」と青年が言ったので気にしないようにした。リュックに眠る財布の中身を思い浮かべる。10万ユールは持っていないが、多少は色を付けて払おう。
青年はキョロキョロとあたりを見渡していた名前の肩にさらりと触れ、「こっち」とカウンターの席に案内する。イスを引かれ、促されるまま座ったあとにエスコートされた事実に気付く。海外すごい、と名前はひっそりと頬を染めた。
「で。パスタでいいか?つってもトマトかクリームしかねえけど。どっちがいい?」
「えと、じゃあトマトで」
「おー任せとけ」
青年はウインクを一つ寄越してカウンター側に回った。オセオンでの生活も一ヶ月となると色々な店に行くこともあり、ウインクを貰うことは多々あった。その都度異文化を感じつつも下手な笑いを返してきた。だが、同年代と思われる異性からまともにされたのは初めてだったため、名前は下手な笑いすら返せず、また頬を染め上げた。海外、すごい。
水の入ったグラスを名前に手渡したあと、彼はピンクのエプロンを身につけると、手慣れた様子で料理に取り掛かり始めた。
トマトや玉ねぎがトントンとリズムよく刻まれる音を背景に、名前は喉を潤す。彼のペットはリラックスした様子で窓枠で羽根を休めていた。
「ここ、あなたの店なんですか?」
「もし俺の店ならもっとセンスよくする」
「お洒落だと思うけどなあ……」
「どこがだよ」
「ん〜、ポストカードとか、指人形とか、あんま日本にない感じだから」
地元愛を感じさせる異国のバー。名前にはそれだけでお洒落に見えるが、地元と思われる彼からすればそうでもないらしい。常連客が押し付けてったガラクタを適当に置いているだけだぜ、と鼻で笑った。
すると、奥からどたどたと誰かの足音が聞こえてきたと思えば、カウンター横のカーテンが乱暴に開かれ、名前はビクリと身体を揺らした。
「おいロディ!客の相手してるから黙ってりゃ聞き捨てならねーこと言いやがって!クビにするぞ!」
「おいおい、ジョークだっての。俺が辞めりゃ店まわんねーだろ。ほら、おっちゃんのこえー顔見て客もビビっちまってるぜ」
おっちゃんと呼ばれたずんぐりとした男はこの店の店主のようだった。青年と同じくピンクのエプロンを身に着けた店主は名前を一瞥し、名前が会釈すると「いらっしゃい」とニコリともせず言ってまた青年に向き直った。
「てめーのジョークは面白くねーんだよ」
「そーかい?俺と話がしたい客が多いって話だけどな」
「調子に乗るな。俺の飯がうめーから来てんだよ。ついこないだまでまともな接客もできなかった奴が一丁前に客に飯なんか作りやがって」
「じゃあおっちゃんが作ってやれよ、腹減ってんだってよ」
ほら、と包丁片手にオーバーに手を上げた青年に酒瓶のケースを持ち上げようとしていた店主は視線を寄越すとふんっと鼻で笑う。
「この店のランチは14時でフィニッシュだ。自分で呼びこんだ客ならてめーで相手しろ」
「へーへー、仰せつかりましたっと」
気怠げな返事を寄越す青年に店主はふん、とまた鼻を鳴らすと酒瓶のケースを持ってまたカーテンの奥へ消えていった。
「余裕のないおっさんってのはやだねェ」
やれやれ、と小馬鹿にしながら青年はまた料理の続きを始める。
「あのう、わたし、ほんとにここで食事してもいいんですか……?あとで怒られない?」
先程の会話からして店主は営業時間外の客の来店に乗り気ではなさそうだ。目の前の青年は雇われの身のようだし、勝手なことをするのは良くないだろう。肩身が狭くなった名前は、帰りましょうか、と遠慮がちに申し出る。
「おっちゃんあんなタイプだけど根はいいやつなんだ。別にあれだってあんたに帰れって意味じゃなくて、俺が相手しろってだけ。気にしなくていーぜ」
「でも……」
言いかけて、また腹が鳴った。青年が笑う。少し離れたところから「ピピッ」と聞こえ、小鳥にすら笑われてしまったと名前は顔を赤くした。
「それに作りかけの飯も勿体ねーしな。もうちょっとだから辛抱してくれよ」
な、とカウンター越しにウインクを投げられてしまえば、名前はもう何も言えずに視線を下げるしかなかった。
出来立てのトマトパスタに、旬の野菜で彩られたサラダ。目の前に並んだ料理に名前が目を輝かせていると、「これも余ってたわ」とカウンター越しにスープカップを渡された。薄黄身色のスープにケールとじゃがいもと玉ねぎがたっぷり入っている。
いただきます、と口にすると、「お〜それ聞いたことある」と料理に使った食器を片付けていた青年が眼尻を優しく下げた。
まずはパスタ。フォークで巻いてひとくち食べ、名前はぱっと顔を上げた。
「美味しい!」
「そりゃ俺が作ってんだからな」
「コックになれるよ!」
「言うねェ、お客さん」
打ち解けだした空気に笑みをこぼしつつ、名前は腹を満たしていく。その間カウンターの内側で片付けをしていた青年に、奥から店主の声が響く。
「ロディ!客が帰ったら買い出しと下拵えしとけ。こないだみたいに道草食ったらただじゃおかねえぞ!」
わかったよ、とやる気なさそうに返事をした青年は、「客がいるのにンな事ばっか言うなっての。飯が不味くなるぜ、なあ」とそれぞれの眉をコミカルに上下させて名前に同意を求め、名前は店主に聞こえないように声を噛み殺して笑った。
あらかた片付いたのだろう。青年はカウンターに頬杖をついた。
「つーかあんた滞在なげーな。この国にそんな観光するとこないっしょ」
「ううん、留学なの」
「へえ。学生さん?ご苦労なこって」
「えっと、ロ……あのー、あなたは?学生?」
さっきから店主に呼ばれているから彼の名前はロディだと言うことはわかっている。ただ、日本人の性ゆえ、友達でもないのに名前を呼び捨てするのは憚られた。できることならMr.をつけたいところだが、ファミリーネームを知らない。外国ではファーストネームにMr.をつけるのは失礼に当たるらしい。
そんな名前の考えに察しが至ったのか、青年はああ、と頷く。
「ロディでいい。ロディ・ソウルだ。あんたは?」
「名前です。名前・苗字」
「オーケー、名前な。俺はただの従業員。学校には通ってない」
「おいロディ!てめー客ナンパしてんな!働け!」
話を続けようとして、入ってきた怒声に名前はびくりと肩を揺らす。いつの間にか近くに来ていた小鳥も驚いたのかバタバタと慌てた様子で頭上を飛び回っていた。
「人聞きわりーこと言うなよな!おっちゃん!」
しかし、そんな驚きも即座にロディが抗議の声をあげたものだから、すぐに飛んでいった。名前はくくく、と声を抑えて笑う。同世代と思われるロディがここまで常に名前より余裕がある大人な態度をとっていたので、それが崩れたのが面白かったのだ。そんな名前にちらりと視線をやったロディは、不満そうに下唇を突き出していた。
食事を終え、サービスで貰ったアプリコットジュースを飲み干し、代金を支払った。多めに払おうとしたが、「余りもんだっつったろ」とロディは正規の料金分しか受け取らなかった。
「あのさ、帰り方教えてもらってもいい……?」
リュックを背負い、帰り支度を始めた名前は、当初の目的を思い出した。エプロンを脱いだロディはぱちんと指を鳴らす。
「買い出し頼まれてっから、ついでに送ってやるよ」
「えっ、いいの!?」
「おー。ついでだしな。ちょっと待ってな」
ロディはそう言って奥に引っ込んだ。至れり尽くせりだ。
「君のご主人は優しいねえ」
扉の前に立った名前の肩に留まった小鳥の頭をそっと撫でる。「ピィ」と小鳥は嬉しそうに名前の指先を嘴を擦り付けた。
「そいつ、ピノってんだ」
「あ、ロディ」
「金貰ってきた。行こうぜ」
彼は奥で身支度も済ませてきたらしい。手袋をはめた手でさっと扉を開けられ、視線で先に出るようエスコートされる。照れた表情を見られまいと名前は前髪を整えるふりをしながら外に出た。
「で、どのあたりまで出れば分かんだ?イースト三番通りぐらいか?」
「ええっと……まだ通り名とかあんまりわかんなくって。パン屋とかスーパーが近くにあるんだけど」
「……んなもんどこにでもあんだけど」
「だよねえ。あ、住所見たら早いかも」
名前はスマホを取り出し、地図アプリを起動させる。まだ通信は不安定なようで、現在地にピンは立たない。その点については期待していなかったため、名前はオフライン地図をタップした。自宅周辺のマップだけはダウンロードしていたのだ。
「ここらへんなんだけど」
アパート周辺を拡大してロディに見せれば、彼は呆れたとばかりにため息をついた。
「あんた、あんなことあったのに危機意識ってもんが抜け落ちてんだな」
「え?なんで?」
「素性も知らない男に住所教えるなんて信じらんねーってこと」
自分を二度も助けてくれたロディに危機を感じることなんて一度もなかった。名前は瞬きを繰り返し、むむ、と唇を突き出した。
「な、名前知ってるし、前助けてくれたから素性知らない人じゃない、はず……」
「前のジャンキーとグルだったらどーすんだ」
「え、グルなの?」
「さァな。今日のスープに薬混ざってるかもよ?」
「……そうなったらもうお手上げかも」
「ぶはっ、そこは簡単に諦めんなって」
手袋をつけた右手でロディは口を覆って笑う。ピノも彼の周りをご機嫌に飛び回っていて、「そんな悪い人だったら今すぐ通報するからね!」と名前も笑った。
「でもこのあたりファミリー層ってより貧乏学生のシェアハウスがほとんどだぜ。ホストファミリーの家じゃねーの?」
名前の握るスマホを上から覗き込んだロディは不思議そうに首を傾げる。ピノも同じように「ピ?」と首を傾け、まるでシンクロしているようだった。
「合ってるよ。貧乏留学生で、シェアハウス」
食うに困るほどというわけではないが、ただでさえ海外留学で親には大金をはたいてもらっている身なので、極力贅沢はしないという意味では貧乏だ。シェアハウスをしているのも合っている。
自分が言い当てたというのに、ロディは理解できないとばかりに眉を寄せ、ちょっと待て、と名前との間に手で距離を測る。
「……留学って名前、あんたハイスクールだよな?」
「え?大学だけど」
「……いくつ?」
「20だよ」
「……まじかよ」
「ピィ!?」
「わっ、びっくりした!」
突然ピノから甲高い鳴き声が聞こえ、名前は驚きに肩を上げた。「ピノ」と少し咎めるような声色でロディはピノを捕まえるとポケットに突っ込んだ。苦しくないのだろうか、と心配そうな顔をした名前にロディは首を振る。心配はいらないらしい。
名前の年齢を聞いてから、ロディの挙動がおかしい。手で口元を覆って、なにやら難しい顔をしていた。
「え、ロディも同じくらい……だよね?」
「……17」
「えっ!?」
名前はさっきのピノのように甲高い声を上げる。
「年下なの?てっきり同じくらいかと……」
「……俺も年下と思ってた」
「それはないでしょ。え?ジョークだよね?」
「まじで」
「うそお……」
17歳の男の子から年下に見られていたなんて。自分はそんなに幼く見えるのだろうか。名前はショックのあまり頬を両手で包んだ。
互いに顔を覆ったまま、目を合わせて意味のないため息をついた。
「とりあえず送る」
「お、お願いします……」
ロディはコートのポケットに手を入れて歩き始める。不満げに下唇を突き出していたのだが、後ろを歩く名前にはそんな彼の表情など見えるわけがなかった。
2021.9.26
back