ありふれたものこそ何らかの意味があると思い始めたのはいつからだっただろうか。俺が存在することに疑問を持ったことはないし周りが存在するのと同様であったものだからひたすらボールを追いかけて走ることが出来ていたらしい。ところで最近の走れば走るほど湧いてでる焦燥感や郷愁は何をしていても拭い去ることはかなわなかった。燦々と照る太陽の下、ぐいと汗を拭う。見慣れた青いゴーグルがなんだかひどく遠くに思えて仕方ない。いくぞー!なんて声を張り上げてみるものの、集中なんてまるでできていやしなかった。刻一刻と迫るのはただ時間。鬼道とあとどれだけ一緒にサッカーが出来るだろうか。いや、一緒にいることが出来るのか。永遠に続くものなんてない、と誰かが言ってたなぁ。焦燥感の隣ではやけに冷静な自分がいて、なんだかとても嫌だった。ところで俺たち中学生には定期テストなるものがある。いや、中学生でなくともテストは常に付き物だ。正直なところ俺は頭があまり、うんいやちょこっとよろしくない。小学生の時は赤点なんてなかったのになぁ。おかげでいつも補修の常連組である。そのたびに母ちゃんにも、あまつさえ風丸にもこってり絞
られる始末だ。ちくしょうテストなんて爆発しろそしてサッカーやろうぜ!
「馬鹿なことを言ってないで手を動かせ。」
何てことは勿論あるわけもなく、放課後の教室に心なしか額に青筋を浮かばせた鬼道に勉強を教えてもらっている俺。二次関数が二乗だとか因数分解がどうのなんて頭に入ってきやしない。外を見ても知り合いは全くといっていいほど見えなかった。みんな勉強してんだなぁ。確かめる術を持っているわけでも無かったが、きっとそうだと確信していた。中学生活というものは存外早く過ぎてきた。たった三年で自分を取り巻く環境がこれだけ変わるとも思ってもみなかった。途端に漠然とした郷愁がぐるぐると胸の奥を渦巻いて、上手く吸えなくなった息をようやっと吐いた。そしてふと、我に返るといつの間にか同じように外を眺めていたらしい鬼道の見えない錆色が、またふ、と息を一つ吐く前にこちらの視線を絡め捕った。
「半田達も勉強してんのかな。」
「さぁな。」
「あ、聞いてくれよ。風丸のやつサッカーじゃなくて陸上で推薦が来たんだってさ。」
「元は陸上部だったんだろう。当然といえば然るべきことじゃあないのか。」
「なんか鬼道冷たい…豪炎寺はやっぱり医者かな?」
「蛙の子は蛙とは言うが、それは個人の自由だろう。」
淡々と答えていく鬼道の瞳の色は伺い知れない。実感すら湧かずにただ昏々と不安と郷愁だけが降り積もってゆく。どうしよう。これから、どうやっていくんだろう。けれどそれを表にさらけ出す術を俺は知らない。今の俺はさぞかし間抜けな顔をしているのだろう。なぁ。絞り出した声は震えを出来るだけ押し殺したものだった。さみしい、な。普段であれば照れくさくてはとてもじゃないが口に出せやしない言葉が一つだけぽろり、落ちた。言ってしまってから後悔の念に襲われた。言うつもりなんてこれっぽっちもなかったのに。恥ずかしいやら情けないやらでもう前なんて見ていられない。慌てて首もとに手をやり、誤魔化すようにへらりと笑って見せた。
「あー…っと、あ、これなんて読むんだ?」
通常通り。一気に気まずくなった雰囲気から逃げたくてなんとか目の前の教科書の単語を指差した。正直、何を指さしているかなんてわかりゃあしない。それでもいいから、とにかく普通の会話に戻りたかった。
「必ず迎えにいく。」
「へ。」
「propose.」
「へ?」
どういうことだ。瞬きを一つする間に答えを出されたが、俺の頭の中は既にそんなことを考える余裕なんてものは持ち合わせていなかったらしい。さようならより、おまえに似合うのはただいまの笑顔だろうよ。再び夕焼けにも負けない朱の瞳が俺を捉えたときには、ぐぐぐ、と押さえ込まれていた心臓がひどく音を奏でだしていて、ふわりと鬼道の匂いに飛び込んだのだ。