名無し様、サイチ様リク
「いつか、あの日の君の様に」続編




雨が降っていた。それはそれは盛大に降っていた。
傘なんて持ってきていない。なんとなく俺は、学校の玄関に腰を下ろした。

いつも一緒に帰っているアイツは今、週に一度の委員会に出ているらしい。
別に待っている訳じゃない。普段だって、この曜日は一緒に帰らないのが、俺達の間での暗黙の了解だ。
俺がここに座っているのは、雨が降っているからだ。走るのも濡れるのもかったるいからだ。
あの日の事を、思い出してしまったからじゃない。





そうやってしばらく座り続け、二十分程経った頃、人の気配がした。アイツだと思い振り返ると、目が合った真面目そうな男子生徒に驚いた顔をされた。
知らない奴と目が合うのは、非常に気まずい。同時に、期待した自分が恥ずかしくなった。まるで待ち望んでいたみたいじゃないか。
すぐに男子生徒から目を逸らす。人の気配がしても、二度と振り返るものか。そう心に誓った。

恐らく何かの委員会が終わったのだろう。生徒達が次々に玄関から出、俺の横を通り過ぎて行く。
桂がどの委員会で、誰と一緒なのかは知らない。だから、人を見て、アイツはもうすぐ来るだろうとか、まだ来ないなとか、そういう予想は出来ない。
どうしてだろう。それが今、妙に歯痒い。

「あれ、坂田じゃね?」

後ろから微かに声が聞こえた。知らない男の声だ。
俺も相変わらず有名だな。知らない奴から呼び捨てかよ。
聞こえないふりを決め込んで、そのまま座り続ける。
盗み聞きなんて趣味が悪い、なんて言わないでくれ。これは不可抗力ってやつなんだよ。

「アイツ、桂さん待ってんのかな?」

「あー、最近よく一緒にいるよな。」

「なぁ、桂さん、アイツに脅されて付き合ってるって噂あるんだぜ。」

「うわ、マジかよ!こえー!でもアイツならやりそー。」

「おい、聞こえるだろ!」

うん、思いっきり聞こえてる。何だその噂。どっから湧いて出やがった。
会話をしたであろう二人は、俺の横を足早に通り過ぎて行く。ちらちらと俺の顔に注がれる視線が、鬱陶しかった。

この手の噂はもう何度も聞いた。もう慣れすぎて、誤解を解こうとも思わない。怒る気なんかも起きやしない。
それに、こんな風に言われる様になったのも、元はと言えば俺が原因だ。
短気な俺は、誤解の解き方なんて知らない。一度、噂の出所を見つけ出し、脅して噂を取り消そうとしたら、もっと酷い噂が流れるようになっちまった。
その時俺は、数ヶ月前と何にも変わっちゃいないんだと自覚した。なんだかそれが妙にショックで、だからせめて、噂が消えるまでは大人しくしとく事にした。

大体、俺達は付き合っていない。休み時間にちょっと話したり、一緒に帰ったりしてるだけだ。
端から見れば、それはまるで逢い引きの様なものなのかも知れないが、俺達はそんな事、考えてすらない。
いや正確には、アイツは、桂はそんな事を考えていないんだろう。俺の方はというと、正直、少し期待している。

あれだけ懐かれてしまったら、誰もがそう思うだろう?
アイツは、俺の事が好きなんじゃないか、って。

だけどアイツは、天然ボケの、世間知らずなお嬢様。普通の人間の物差しじゃ、とても計りきれない。
この数ヶ月、毎日の様に一緒に居ても、アイツの考えている事がイマイチよく分からないままだ。
だけど、それでもいいと思う。アイツが俺と居て、妙に嬉しそうなあの笑顔を見せてくれるなら、俺はそれで満足だ。
いつの間に、俺はこんなプラトニックラバーになったのだろう。少し前までの、欲求に正直な自分が嘘の様だ。
まぁ実際、喧嘩も女も今は特に欲していないから、ある意味欲求には正直か。
欲しているものは、そう、アイツの笑った顔。本当にそれだけなんだ。なんかクサいけど。





「…銀時?」

聞き慣れた声だった。すぐに振り返りたくなる衝動を抑えて、左手を軽く挙げた。

「…待っていてくれたのか?」

俺の後ろに立ったまま、少し遠慮がちに尋ねてくる。間近に感じるアイツの気配が、何だかくすぐったかった。

「まさか。傘がねーから止むの待ってんだよ。」

自惚れんじゃねー。そう言った自分の声が裏返りそうになったのは、気にしない事にしよう。

「…そうか。」

声が少し残念そうに聞こえた気がした。まるで、俺に待っていて欲しかったかの様に聞こえた気がした。馬鹿だな俺。それこそ自惚れだろ。

「そ。だからオメー、早く帰れよ。」

本当は帰って欲しくない。最近になって気が付いたが、あの日だって、本当は放っておいて欲しかった訳じゃなかったんだ。
俺はいつも、本心とは真逆の事を言う。他人に弱みを見せたくないという気持ちが、俺にそうさせた。
今はそんな強がりが、邪魔で仕方が無い。これは、今まで人を信じてこなかった俺への罰なのだろうか。
だけど、お前は…

「俺も傘が無い。」

ああ、やっぱり。お前はいつも俺の願いをあっさりと叶えてしまう。真実とは真逆の事を言った俺に、更に真逆の事をして、真実を当ててしまうのだ。
俺の隣に桂が座る。あの日と同じ様に、肩が触れる程の距離で。

「嘘つくんじゃねーよ。オメーいつもあのオバQもどきの折り畳み傘持ってんじゃん。」

「オバQもどきじゃない、エリザベスだ。」

他愛の無い言い合いがしばらく続く。本当にくだらない話しかしていないのに、どうしてこうも幸せなのだろう。
いつだってそうだ。コイツと居ると、いつだって。





「なぁ、ホント帰れよ。しばらく止まねーぞ、これ。」

元々雨雲により暗かった空に、夜の闇が加わって更に暗くなっていく。
さすがに家族が心配するだろう。桂は俺と違って、一人ではないのだ。
俺はもう満足したから。お前は帰るべき場所へ帰るべきなんだ。

「濡れるのは嫌なんだ。」

「だから、オメーは傘あんだろーが。」

持ってない。そう言って桂は膝を抱いて、顔を半分ほど埋めてしまった。まるで拗ねている子供の様だ。
いつまでここに居るつもりなのだろう。雨が止むまで?日が完全に沈むまで?
それとも、俺が帰るまで?

「…なぁ、何で?」

胸の内で呟いた筈の言葉が、口から滑り出てしまった。
ああ、やばい。これを聞いてしまったら、もう後には引けない。

「…何が?」

聞き流してくれたら良かったのに。お前はどうしてこうも律儀なんだ。

「…何でお前、ここに居んの?」

桂が俺の顔を見る。驚いた様にその黒目がちの大きな瞳を更に見開いて、俺の顔をその瞳に映している。

「…嫌、なのか?」

「そうじゃねーよ。ただ、気になっただけ。」

嫌な訳ないじゃないか。そう言って否定しても、桂は悲しそうな顔をする。
違う、違う。そんな顔をさせたい訳じゃない。

今にも泣き出してしまいそうな桂の顔に、俺は自分の顔を近付ける。そのまま額をくっ付けて、桂の瞳を覗きこんだ。桂はまた驚いた様な表情をしたが、その瞳は潤んだままだ。

「…ね、何で?」

泣き出しそうな顔から打って変わり、今度は真っ赤に染まる、桂の顔。
間近に感じる呼吸音が少しずつ速くなり、何だか俺まで恥ずかしくなってくる。こんな行動を起こしたのは自分のくせに。
我慢しろ、俺。コイツがちゃんと答えを言うまでは。

「…俺、は…」

「うん。」

「銀時の隣に、居たかったから…」

「うん。で、それは何で?」

我ながら酷な事を言う。桂の顔は可哀想なくらい真っ赤になって、目は忙しそうに泳いでいる。
でも、駄目だ。逃がさない。俺ももう、逃げないから。
だから、ちゃんと最後まで、聞かせて。

「っ…俺は、ずっと、銀時の事が好き、だったから…」

「…そう。俺も好き。」

「え…」

何か言おうとした桂の唇に、触れるだけのキスをした。膝に乗っていた小さな手に自分のそれを重ねて、軽く握る。
手を握った。あの日の様に。ああ、あの日以来出来なかった事が、こんなにもあっさり出来てしまった。
こんな簡単な事を、今までどうして出来なかったのだろう。済んでしまえば、そう不思議に思うばかりだ。

唇を離し、また額をくっ付ける。俺も桂も、互いの瞳を見る事が出来ずにいた。
それでも互いに離れないのは、キスした後の気まずさなんかよりも、こうしていたいという想いが強かったからだと思いたい。
少なくとも、俺はそうだ。

「銀時…」

「…雨、上がったぞ。」

「あ…」

呼ばれても、何て答えていいか分からない。だから、いつの間にか止んでいた雨に、話題を逸らしてしまった。
あの日と同じ様に、雨が上がった後の空は酷く澄んでいて、パラパラと、いくつか星が見えていた。

「…帰るか。」

「うむ…」

二人、立ち上がって、服に付いた砂を払う。
手に付いた砂も払い落し、俺は桂に手を差し伸べた。
桂はこの手を取ってくれるだろうか。そんな俺の心配は全くの無駄だった様で。
すぐに俺の手の上に乗った、俺の手より幾分か小さな手を、俺は今、確かに握り締めた。










握り締めたこの手は、あの日よりも温かくて









コイツも恥ずかしいって事を知っているんだと改めて気付く。
次は、いつから俺の事を好きだったのか、じっくりじっくり聞いてやろう。
今度はどれほど顔を真っ赤にするのか見物だと、この小さな手の持ち主に見えない様、一人笑った。




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