(和風パロ/♀)





分かっている。

この幸せな一時に、終りが訪れる事くらい。

分かっている。

お前の傍に居る為には、帰らねばならぬ事くらい。

だけど、願わずにはいられない。

どうか、この時間よ永遠に―…











たった数刻の逃避行










「銀時。」

紅にも桃色にも見える美しい着物を身に纏う、長い黒髪を持った姫君が、銀髪の護衛の名を呼ぶ。
呼ばれた護衛は部屋の扉の横に、刀を立てて座っていた。

「何でしょう、姫様。」

その言葉使いに、姫は複雑な表情を浮かべるが、仕方の無い事と諦め、口を開く。

「出掛けたいんだ。」

「今日はどちらへ?」

相変わらずの丁寧な口調で護衛が尋ねる。姫は小さく溜息を吐いて、部屋の窓から空を見る。

「少しだけ、遠くに行きたい。」

空を見つめたまま、姫は言う。護衛は立ち上がって姫に近付き、その美しい黒髪を掬い、口付ける。

「姫様の仰せのままに。」





姫は、護衛が操る馬に乗る。後ろから姫を包み込む形で馬を操る護衛の顔を、横目でちらりと盗み見れば、彼はその死んだ魚の様な目で、前方を見つめていた。

姫が出掛けるとなれば、世話係の女や複数の護衛が付くのが常識であるが、姫はそれを嫌がるのだ。
窮屈で仕方が無い。もっと自由に外に出たいのだ、と。
それを、この銀髪の護衛が叶えてくれた。彼の護衛としての力は並外れており、彼一人で何人分の働きをするのかは、数え出すのは難しい。
この護衛が付くならば、他のお付きの者は付いて来なくて良いだろう、という姫のわがままを、父である殿は渋々了承した。殿はもしかしたら、可愛さ故昔から姫を束縛してきた事に、多少後ろめたさを感じていたのかも知れない。

ただひたすらに馬を走らせ、どこに向かっているのかは、姫には分からない。分かっているのは、この銀髪の護衛がどこか遠くへ連れて行ってくれるという事。姫にはそれで十分だった。
護衛の顔から視線を外し、彼の胸に頭を預ける。護衛は左手を手綱から離し、姫の頭を一撫ですると、また手綱を握り、より速く馬を走らせた。




「綺麗なところだな。」

それ程高くはない山の頂上付近から下を見下ろせば、そこには田と畑、森、そして遠くには海が見える。
近くにあった木に馬を繋ぎ、護衛も姫の元へ向かった。

「どうです?気に入りましたか?」

護衛がそう声を掛けると、姫は彼をきっと睨む。

「その口調は止めろ。気持ち悪い。」

拗ねた様に言う姫に、護衛はただ苦笑い。

「へいへい。これで満足かい?」

ぼりぼりと頭を掻きながら溜息混じりにそう言うと、姫はようやく笑顔を見せた。

護衛が敬語を使う事を姫は嫌う。本当は城の中でも、彼に敬語を使わせたくはないのだ。
だが二人がまだ幼い頃、一度敬語を使わずに話していたところを家臣に目撃され、護衛が折檻された事があった。
それ以来、城の中に居る時は、護衛は敬語を使う。姫もそれを良しとせざるを得なかった。
自分のわがままのせいで彼が傷つくのは、耐えられなかった。
しかしこうして二人で居る時、姫はそれを許さない。それを分かっていながら、命ぜられるまで敢えて敬語を使うこの護衛は、むくれる姫の様子を楽しんでいるのかも知れない。

「銀時。海が見えるんだ。」

護衛の着物を引っ張り、嬉しそうに姫は言う。
空と一体化してしまいそうな青い海は、かなり遠くではあるが確かに二人の目に映っている。二人は海を見た事が無い訳ではないが、これ程に美しく見えた事があっただろうか。
城の者達に囲まれて見た時よりずっと遠くに見えている筈なのに、今、海はその時よりもずっと広い様に思える。それは、ゆっくりと流れる二人の自由な時間の中で、この景色を見ているせいなのだろうか。

「次はあそこに行きたい。」

海の方を指差し、いいだろう?とねだる姫の頭を、護衛はぽんと撫でる。
姫はくすぐったそうに、そして少し照れた様に笑う。

「また今度な。今日はもう帰らねェと。移動にかなり時間食ったからな。」

姫の表情が曇る。一気に現実に引き戻されて、胸の奥が冷えるのを感じた。
またあの窮屈な場所に戻らねばならぬのか。またこの男とこんな風に話せなくなってしまうのか。

「嫌だ。」

姫は、はっきりと拒絶した。
帰りたくない。あの窮屈な場所には帰りたくない。

「あのなぁ、ヅラ…」

「ヅラじゃない、桂だ…」
姫は護衛に背を向ける。唇を噛み締め、涙を堪える無様な顔を、護衛に見られたくなかった。
そのまま動こうとしない姫に、護衛は溜息を吐いた。

姫の気持ちが分からない訳ではない。
直接聞いた事は無いが、護衛は姫の想いに気付いている。幼い頃から共に過ごしてきたのだ。そして自分も、昔から姫に想いを寄せてきたのだ。気付かない訳が無い。
だが、名家の出身ではなく、腕っ節の強さだけを理由に姫の傍に居る事を認められている自分は、姫の傍に居る為に、殿に逆らう訳にはいかないのだ。

「ちゃんと暗くなる前に帰らねェと、二人で出掛けらんなくなるぞ?」

姫の黒髪を梳きながら、出来る限り優しい口調で護衛が言うと、姫の肩がぴくりと反応する。
考えられない、そんな事。この自由な時間が、この男と共に居られる時間が失われるなんて、考えたくない。

「それも…嫌だ。」

必死で涙を飲み込んで、振り向き護衛の顔を見れば、困った様な苦笑いをその顔に浮かべている。

「だろ?だからほら、馬に乗れって。」

姫の手を握り、馬の方へ導こうとする護衛の手を強く握り返す。足を止めて振り返った護衛の顔から目を逸らし、もう片方の手でその大きな手を包み込んだ。

「なら…ならば、せめて…」

馬をゆっくり走らせてくれ。

消え入りそうな声で、わがままを言った。
何て馬鹿な事を言っているのだと、姫は後悔した。きっと護衛は呆れている。自分の事を馬鹿と言って、願いを叶えてはくれないだろうと思った。
だが姫の予想に反して、護衛は何も言わない。もしかしたら思った以上に怒らせてしまったのではと不安になった。
恐る恐る護衛の顔を見ようと、視線を上げたその瞬間、ふわりと彼の匂いに包まれた。

「…姫様の仰せのままに。」

言葉の後、抱き締める力が強くなる。少し苦しくて、だけどその苦しさが嬉しくて、愛おしくて。

「…気持ち悪い。」

精一杯の強がりを言って、護衛の着物をきゅっと掴んだ。





先刻よりも幾分か遅い速度で馬は走る。姫は先刻と同じ様に、護衛の胸に頭を預けている。
規則正しいひずめの音と心地良い振動、そして彼の心音が、姫の眠気を誘う。

眠りたくない。今眠るのは余りにも勿体無い。
この幸せな一時を、もっと長く味わっていたい。

思いながらも、迫り来る眠気に姫は為す術が無く、夢の中に堕ちていく。

たった数刻の逃避行。それがいつか永遠になる事を願いながら。




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