昨夜はカーテンを開け放したままだったらしい。瞼の隙間を掻い潜って射し込んだ朝日に起こされた高杉は、在ると思い込んでいた温もりが無いことに気付く。
 そうだ、昨夜は自宅に帰ったのだ。
 隣にその存在が在ることがまるで当たり前のことなのだと、身体が思い込んでしまっている。そう頻繁に寝泊まりしているわけではないというのに。漏れるのは苦笑いのみである。
 ついこの間まで叶うはずがないと思っていた願いが叶っているという事実に、戸惑うことが無いわけではない。だけどそれでもこのような思い込みが生じてしまうのは、その温もりが常に傍にあることを望んでいるためであると、高杉自身も気付いている。
 顔に熱が集まるのを感じ、高杉は首を振る。決して照れているわけではない。まして脳裏に過るあの能天気な笑顔に、顔が綻ぶなんてことはあり得ない。
 邪念を振り払い、布団から抜け出す。それを邪魔をする存在が無いことに違和感を覚えて、また同じような思考を繰り返した。


 寝巻のまま部屋を出て階段を下りると、三人分の洗濯物が詰まった籠を持った母に遭遇した。二階ベランダに洗濯物を干しに行く途中だったようだ。
「おはよう、晋助」
「……おはよ」
 会話は相変わらず少ないが、それでも一時よりはましになったと思う。以前は互いに意図的に顔を合わせないようにしていたのだ。
「朝ご飯、テーブルに置いてあるからね。あなたが早く起きないから、お父さんも私も先に食べちゃった」
 母が拗ねたように口を尖らす。高杉は困ったように笑った。
「ごめん、ありがと」
 母は少し目を見開いたが、すぐに微笑んで、早く食べちゃいなさいよ、と大きな籠を持って階段を上っていった。
 リビングへの扉の取っ手に手を掛けて、ぴたりと動きを止める。籠を運んであげれば良かった。そんなことを考えた時にはすでに母の姿は無く、高杉はそのまま扉を開いた。またいくらでもチャンスはあるだろう。そう思える程度には、親子関係は修復されていた。



 食卓に父の姿は無かった。壁に掛けられた時計を見ると既に十時を回っていたので、それもそうかと一人納得する。
 食卓に並べられていたのは、納豆、ご飯、それに味噌汁。そして取り分けられていないホウレンソウのおひたし。これはきっと昨日の残りだろう。昨日夕食は外で取ったのでその真偽はわからないが、前日の残りが朝食に並ぶのは最早定番であるので、その予想は八割方当たっているはずだ。
 冷蔵庫から牛乳を出してコップに入れる。一口飲んで喉を潤し、納豆をかき混ぜた。徐々に粘り気を帯び、徐々に糸を引いていく様を眺めながら、高杉はふと昨夜のことを思い出した。



 次の日は朝早くから仕事があると言ったあの男は、夕食を食べ終えた後、高杉を家まで送り届けた。帰り道、高杉の手はずっと男に握られており、誰かに見られやしないかと気が気ではなかったが、男はそんな高杉の様子なんかは気にも留めることなく、今日も星が綺麗だなどと呑気に宣っていた。
 人の気も知らないで。胸の内でそう悪態をつくが、人の目を気にすることなく自分の隣に居てくれる男の存在は、高杉の気持ちを酷く安堵させた。
 自分も人並みに恋をして良いのだと、許されたような気持ちになっていた。



 自宅が見えてきたと同時に、高杉は手を離した。一瞬、男が名残惜しそうな顔をしたので罪悪感を覚えたが、男同士で手を繋いでいる現場を家族に見られるのは、やはりまだ忍びなかった。
 ごめん、と呟くと男はにっと笑う。
「気にすることないちや」
 頭を撫でるその大きな手に、高杉は堪らなくなる。スーツの裾を引いて男を引き寄せようとした時、人の気配に高杉はその動きを止めた。
「晋助?」
 気配の正体は母だった。高杉は男の服から手を離す。
「おかえりなさい。……その人は?」
 母は怪訝そうな顔をして男を見る。観察するようなその視線に、なんと言ったら良いのかと答えに迷っていると、男はそんな高杉を尻目に笑顔を作った。
「初めまして、坂本辰馬です。息子さんとは趣味の合う友人でして」
 ペラペラと口からでまかせを発する男、坂本に、高杉は呆気に取られる。それは母も同じだったようで、ぽかんと口を開き、止まらない坂本の話をただただ聞き続けた。
 天文学にただならぬ興味を抱いているということにされたところで、高杉は坂本の口を封じる。呆気に取られていた母も我に返ったようだ。
「ああ。こんな遅くにうるさくして申し訳ない。ではの、晋助くん。また今度」
 ひとしきり話終えて、坂本はそそくさと去っていく。白々しい呼び方だ。だけどそれもこれも、坂本なりの思いやりだろうと高杉は思った。親子関係が上手くいっていないこと、その理由も、坂本は解っているのだろう。
 小さくなっていく坂本の背中を見送りながら、母が口を開いた。
「あの人、恋人なんでしょう」
 背筋が冷えた。これまでの苦い経験がフラッシュバックする。嫌な汗が頬を伝う。
 また理解できないと言われるのだろうか。お前はおかしいと罵られるのだろうか。そんなことばかりが頭の中を駆け巡り、この場からすぐにでも逃げ出したかった。
 母が溜め息を吐いた。
「いつまでもあなたのことを理解できないなんて、そんな子供みたいなこと思ってないわよ」
 一瞬、母の言葉が理解できず、高杉は母をの顔を見てぱちぱちと瞬きをした。間の抜けたその顔に、母は苦笑いを浮かべて高杉の頬を撫でた。
「時間はかかってるけどね、私なりにちゃんとあなたのこと考えてるのよ」
 身体の奥底からなにかが込み上げてくるのを感じたけれど、それに気付かぬふりをして、高杉は母に家の中に入るよう促した。


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