(三晋)





しい。
三郎は人差し指を唇にあて、部屋に入ってきた隊士に静かにするよう促した。
傍らに薄い布団が敷かれており、そこには高杉が眠っている。つい先刻左目を負傷し、高熱に酷く魘されていた。汗が高杉の頬を滴る。
隊士は汲んできたばかりの桶の水に手拭いを浸す。それをきっちりと絞り、高杉の頬を軽く拭った後、額に当てられていたものと静かに取り替えた。高杉の表情が少しだけ和らいだように見えた。

「じゃあ、俺行きますね。三郎さんも遅れないように」

隊士はそう言い残し、静かに部屋を後にした。

残された三郎は高杉の顔を見る。その目に焼き付けるように、彼の顔をじっと見つめたまま、目を離さない。
再び汗が高杉の頬を伝う。起こさぬよう、太い指でそっとその汗を拭った。指が熱い肌に触れる。ただそれだけで、これまで耐えてきた衝動に負けそうになる。
頬をその手で包み込む。汗ばむ肌を親指でそっと一撫でして、手を離した。これ以上は駄目だと、頭の中で誰かが言った。
三郎は目を閉じる。横たわる高杉から顔を背け、その場を立ち去ろうとしたその時、くん、と弱々しい力で着物を引っ張られた。

「ああ、起こしちまいましたか」

三郎は微笑む。高杉は未だ朦朧とする意識の中、右目で三郎を睨み付けた。

「……てめぇ、どこに行く気だ」

三郎は答えない。だけど答えは知っていた。答えずただただ微笑むだけの三郎に、高杉は苛立つ。

「俺も、行く」

「駄目ですよ」

無理矢理に身体を起こす。三郎は手を貸すことは無い。弱々しい力で掴まれた袖をそのままに、高杉の鈍い動きをただ見ていた。

「鬼兵隊の戦に鬼兵隊総督である俺が、行かないでどうすんだ」

「駄目ですよ総督。寝ててください」

「悠長に寝てられねぇっつってんだ!」

三郎はその怒鳴り声に怯むことは無く、何とか姿勢を保っていた高杉の肩を軽く押す。すると、高杉の身体はいとも簡単に倒れていった。高杉が目を丸くする。

「ほら、満足に動くこともできないくせに、何言ってるんですか」

三郎の一言にぐ、と言葉を詰まらせた。痛みと熱で身体がいうことをきかない。戦場を走り回ることなど不可能だと、本当はよくわかっていた。
情けない。倒れた拍子に三郎の着物から離れ、手持無沙汰になった手で、唯一残った片目ごと顔を覆った。三郎が身体を高杉のほうへ向き直す。

「高杉さん、俺はね、戦はからっきしでも、鬼兵隊であんたの役に立つために、俺なりに必死になってきたつもりですよ」

「……知ってる」

高杉は手で顔を覆ったままで、三郎が笑ったことに気付かなかった。
たった一言。今ここで、この言葉を聞けただけで、こんな虚しい戦争に参加して良かったとさえ思ってしまう自分は、随分とこの人に毒されてしまっている。そんなことを、三郎は随分前から自覚していた。

「……だから、最後まで役に立ちたいじゃないですか。親子喧嘩しにきただなんてふざけた理由でここに来た俺を、あんたは受け入れてくれたんだ」

三郎は高杉の顔を覆う手に触れる。その手をそっと持ち上げれば、いとも簡単に顔から離れた。
一瞬、泣いているのかと思ったが、現れた瞳は潤んですらいなくて、ああ残念、と漏らした。高杉が怪訝そうに三郎を見る。三郎は苦笑いしながら、高杉の髪を撫でた。

「あんたさえいれば鬼兵隊は無くならない。たとえ形が変わろうとも、あんたが総督であれば鬼兵隊は鬼兵隊だ」

高杉は何も言わない。髪を撫でる手も振り払わない。普段にもまして穏やかな表情をした三郎は、包帯越しに高杉の頬を再び撫でた。

「俺達はただ鬼兵隊を、あんたを守るための兵隊だ。駒だ。それでいいんですよ」

そんなことは無いと言おうとしたが、三郎の表情を見て口を噤む。相応しくないと思った。この場でこの言葉は相応しくないと、漠然と思った。
三郎は笑っている。笑ったまま、包帯の境目に沿って指を這わせている。
三郎の表情の意味を、高杉は知っている気がした。だから今この場で、三郎が戦に行く男のものとは思えない表情をしていても、それが自然なことのように思えた。

「ああ、でも」

少しだけ、報われたいなァ。

声と同時に手が離れていく。熱が上がったのか、先刻よりもうまく回らなくなった頭では、三郎の遠回しな言葉を理解できない。
待て。言葉が声となって出てくることは無かったけれど、離れゆく手を追って身体は自然と動いた。しかし、起き上がった身体には力が入らず、ふらりと前に倒れていく。不思議と倒れた衝撃は無かった。代わりに、油と汗のにおいがした。
三郎の胸板は厚く、腕も太い。体格に恵まれなかった高杉は、勿体ない奴だと、いつも思っていた。

「俺はあんたが好きでしたよ、総督」

俺もだと、そう言いたかった。楽しげに機械(からくり)を弄るお前が好きだと、そう言いたかった。
背中をゆっくりと撫でられる。意識が朦朧としてくる。瞼が重い。まだ眠ってはいけないのに。
薄れゆく意識の中、高杉は遠くに声を聞いた。

「いつかまた会いましょう」





ここではない何処かで





そう言ったあなたに、再び会ったのは数日後。
その姿を見た私は、全てを壊すと誓いました。
この国の全てを壊すまで、私は決して死なないと、そう誓いました。

ああ、次はいつあなたに会えるでしょう。
もしかしたら、もう二度と、会えないかもしれない。





(別れ際、三郎は笑っていたのではないかと、思うのです)


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