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急遽目的地になったウエストガンド領は、ミッドガンド王国領土の西側に位置する自然豊かな大陸だ。雨の中進み続けるバンエルティア号。フードをかぶっている名無が先を指差した。

「―――見えた!レニード港だ!」

壊賊病という脅威に侵されているアイフリード海賊団。航路を急変更したバンエルティア号は、数日かけてウエストガンド領のレニードに入港する。ベルベットたちの後に続き、名無も船から降り立った。ロクロウが辺りを見渡す。

「さて、薬屋はどこだ?確か、壊賊病には特効薬があるんだよな」
「”サレトーマ”という野草の花だ。その絞り汁を飲めば、壊賊病は治る」

サレトーマと聞いた瞬間、エレノアは顔をしかめた。(花の絞り汁……どんな味だろう。甘いかな)名無は花の名を覚えるのとともに、飲んだことのないものの味を想像していた。

「今回は大事にならずに済みそうだな」
「安心するのは薬草を手に入れてからよ」

それまでに何が起こるかわからない。「ああ。行くぞ」ベルベットに同意したアイゼンは歩き出した。「待ってください。感染している者が街に出たら壊賊病が広まってしまいます」しかしエレノアが慌てた様子で引きとめようとする。

「案ずるには及ばん。不思議なことに、壊賊病は海の上でしかうつらんのじゃ」
「そうなの?」

名無の確認に頷いたマギルゥは、空気中の塩分濃度が関係しているとも、海水に潜む微生物のでいともいわれている説を語る。

「真相はわからんが、陸で壊賊病が広まった例はない」
「へぇー」
「……そうですか。本当に奇病ですね」

アイゼンはベンウィックを始め、港に降り立っている船員に言葉をかけた。

「すぐに戻る。お前たちは船で待ってろ」
「お願いします、副長!」

昨日に比べて、倒れている者が格段に増えている。最初に発症した者は、あまり猶予が残されていないだろう。「急ぐぞ」アイゼンたちは早足で村の方面に向かい出した。対してエレノアは苦虫を噛み潰した表情で、最後尾をとぼとぼ歩いている。

「サレトーマ……あれを……飲まないといけないのか……」
「エレノア?」
「なんか嫌なことでもあるのかよ」

ライフィセットと名無の心配そうな表情に首を振るエレノア。

「いえ、高熱の病気によく効く薬草なのですが……この世の物とは思えないほど不味いの。”業魔も泣く”っていうくらい」
「マジかよ、花の絞り汁っていうくらいだから甘いもんだと思ってた」

しかし名無は不味いと知っても嫌悪感を抱かなかった。良薬口に苦しというし、仕方ないだろう。(どのくらい不味いのか興味が湧いてきた)むしろ逆に好奇心を覗かせている。

「でも薬だから……死ぬよりイヤ?」
「あ……泣き言ではありませんよ。子供の頃のことを思い出しただけです」
「ふーん……なら、今なら大丈夫じゃね?」

依然名無はあっけらかんとした表情をしていた。彼女だって飲まなければならないというのに。不味さの説明が伝わっていないことがわかったエレノアは、じとりと睨み付ける。

「……名無。サレトーマの不味さを嘗めてはいけませんよ」
「舐めるわけねーよ、飲むんだから」
「はい?」
「エレノアはそういう意味で言ってるんじゃないと思うよ、名無……」


 港から村へと続く長い橋を、アイゼンの説明兼自慢話を聞きながら渡る。ベルベットは呆れていたが、名無は凄いと素直に称賛していた。

 レニードは草花の多い、のどかな村だった。水辺の村といわれているだけはあり、村の中にも川が流れていて、水車もある。
村の中の一角に、対魔士に問い詰める村人たちの姿があった。本当は大司祭が業魔に襲われたのではないのか、という疑いをかけている。民衆が真実に気付くのも、そう遠くない話だろう。薬屋を見つけたアイゼンは店主にサレトーマの花を注文する。これで一件落着するかと思われた。が、あいにく切らしてしまってるので売れないと残酷にも断られてしまう。

「何故品切れになる?今が花の季節だろう」
「サレトーマの咲くワァーグ樹林に業魔が出てな。聖寮が樹林への立ち入りを禁止しちまったんだ」

アイゼンは舌打ちをした。最初の者が発症して三日も経つ、早く手当をしてやりたいのに。彼は呑気に薬を眺めている名無を見た。アイフリードの大事な船員たちだけではない、娘のこいつだって死なせるわけにはいかないのだ。

「立ち入り禁止……?退治していないのですか?」
「よくわからんが、探しても滅多に見つからんらしい。百回に一回出くわすかどうかだとか」
「それ、危険じゃないだろう?」

ロクロウは呆れるが、店主は出会って生きて帰った者はいないと説明を加えた。名無は(なんで生きて帰った奴がいないのに業魔だってわかるんだろう……?)と疑問に思うのだった。

「壊賊病、薬はない、聖寮に、妙な業魔。いよいよ死神の呪い全開じゃのー」

マギルゥたちはアイゼンを見る。エレノアもつられるように視線を注ぐ。アイゼンは腕を組み、眉間にシワを寄せていた。

「他の街から取り寄せられるかもしれないけど、発熱三日目じゃ、間に合うかどうか」

ベルベットはワァーグ樹林にサレトーマの花が生息していると、店主に再確認をした。

「ワァーグ樹林に行くわよ」

業魔と遭遇してしまうかもしれないし、それは聖寮の規則に逆らうことになる。店主は採取に向かうことをやめるように言うが、他の街からの取り寄せを呑気に待っていれば間に合わないのは明白だ。次の目的地が決まった一行は、しっかり補給を終えてから門の方へと歩いて行くのだった。

 レニードを出てノーグ湿原を東に進めばワァーグ樹林だ。長い間歩いていても、降雨は続いている。業魔病にかかった動物や植物とも戦いながら進んでいると、日が暮れ始めていた。村を出たのは昼過ぎだ、今日中には辿り着けないのも仕方ない。一行は野営を張ることにした。水はけのいい場所を見つけるなど、雨水に配慮しながらテントとタープを設置する。

「名無、お前はエレノアたちと休んでいろ」
「え、でも……」
「無駄に動いて発症された方が困る。いいから座っておけ」

ベルベット、ロクロウ、アイゼンが夜営の準備をしており、手助けをしようとした名無。しかしアイゼンに断られてしまい、しぶしぶ彼らの元を離れた。

 月光は雨雲に遮られている。タープの下で焚き火をおこし、名無たちはそれを眺めていた。今が質問するチャンスだと、エレノアは前から気になっていることを話題にした。

「あの、名無、ライフィセット。死神の呪いって何なのですか?」
「ああ、そういえばエレノアには言ってなかったっけ」
「……アイゼンは自分の周りの人たちを不幸にする力をもってるんだって」

聖隷は、それぞれが特殊な力を持つという。アイゼンの死神の呪いがそれなのかと聞くエレノアに、名無は多分と軽く頷いた。実際に彼と出会ってから今まで以上に危険な目にあっているし、名無自身もそれは身をもって知っている。

(でも、私は―――)

彼女は口を開いた。が、「ただの不幸ではないぞ」すかさずマギルゥが彼女たちの会話に参加した。その為、名無の言おうとしたことを口にすることは叶わなかった。

「海門要塞では突然業魔病が大発生したし、海賊団にも多くの死者が出ておる」

マギルゥから明かされることは事実なのだがエレノアが信じられないといった態度だ。そんな彼女に信じさせようとビエンフーが飛び出す。「死神の呪いは本物でフー!!」彼は自分がエレノアと引き剥がされたのも死神の呪いだと熱弁した。

「そう……なの?」
「そんなわけあるかよ、何から何まで呪いのせいにすんな!」

名無でもわかるほどの明らかな押し付けに、彼女は顔を歪ませる。ビエンフーは気にすることなく、過去に想いを馳せながら続けた。

「エレノア様の涙が渇くよう、頬をフーフーした日々が、恋しいでフー」
「えっ!?ちょっと……!」
「うわぁ……」

自分で拭わずに使役聖隷にそんなことをさせる奴だったのか。何故かこれは信じた名無はエレノアと距離をとった。「再び会えたのもフシギなご縁。改めてエレノア様のもとへ……」エレノアの元へ近付こうとするビエンフー。「好きにするがよい」しかしマギルゥが彼をとめることはなかった。

「いいんでフか!?」
「とめはせぬ。乙女の秘密をペラペラしゃべる聖隷が欲しいならのー」

含み笑いをしながらエレノアを見る、どうやら彼女の返答はわかりきっているようだ。思った通りエレノアはプイッと顔を反らしながら、ライフィセットという聖隷がいるから結構だときっぱり断った。

「そんなぁ〜!今はライフィセットに涙をフーフーしてもらってるのでフか〜?」
「してもらってませんってば!もう、あなたなんて知りません!」

「ビエ〜〜ン……!」暗闇の中へ飛んで行ってしまったビエンフー。降り注ぐ雨が異様に彼にあっていた。エレノアは息をつく。「………」夜食の準備を終えていたベルベットがライフィセットの肩を掴み、エレノアから遠ざける。エレノアはいつの間にか、近くにいたライフィセットと名無が離れていることに気付いた。

「ライフィセットには、そういうことさせないでよ」
「させません!というか、以前もそのようなことは……!」
「自分の涙くらい自分で拭えよ。ハンカチないなら貸すからさ」
「名無まで!ああ、もう〜!」

エレノアに襲いかかっている小さな不幸。マギルゥは、これも死神の呪いかのと呟いた。途中から彼女たちを眺めていたアイゼンは心底呆れ果てていた。



 一夜明け、明るくなるとともに発つ。未だに雨は降り続いており、一行は昨日と同様、雨に打たれながら進んでいた。

「名無、昨日との体調の違いは?」
「全く、ばっちり元気!」

名無の様子が気になったアイゼンは彼女の容態をうかがう。はきはきと答えた名無の顔色は良好で、嘘をついてる様子もない。感染していないとまで思うほどだった。ライフィセットもエレノアに、気分は悪くないかと尋ねる。エレノアも名無と同じく、今のところは体調に変化はないようだった。

 エレノアとの会話を重ねるが、どうにも彼女は死神の呪いが信じられないようだ。「アイゼンの死神の呪いは甘くみたらダメだよ」ライフィセットが優しく忠告する。

「その呪いって、本当なんですか?どうも信じられないんですが……」
「そういうことを言っておると、急に腹痛になったり、靴擦れしたり、口の中に虫が飛び込んだりするぞ」
「「虫……!?」」

虫という言葉にエレノアだけでなく、アイゼンの隣を歩いていた名無も反応した。マギルゥはあることに気付く。これは後で面白いものが見れるかもしれない、ニヤリと笑うのであった。

「姐さん、テキトーなこと言ってエレノア様を怖がらせちゃダメでフ〜!」

ビエンフーが聞いた噂では、これまでにバンエルティア号を取り締まった海軍の軍艦が四隻も行方不明になってるとか、アイゼンが泊まった島の男が業魔病になったとか、肩がぶつかった人が笑いが止まらなくなって死んだとか。明らかにこちらの方が怖ろしく、エレノアはやめるように言った。

「つくり話だ」

軍艦は七隻、島民は男だけじゃなく全員、ぶつかった奴は笑いじゃなくてしゃっくり。アイゼン本人から明かされる事実の方がもっと悪化したもので、エレノアとビエンフーは怯えた声を上げた。

「だが、壊賊病に関しては心配いらんだろう。サレトーマの花を絞って飲めばいいんだから」
「花が咲いていれば、ね」
「ああ、それはそうだ」

ベルベットの指摘に他人事のようにはっきりと認めるロクロウ。実際に人間しかかからない病気なので、業魔の彼には関係ない問題だが。嫌な予感がする、エレノアは頭をかかえた。

「まぁ、花は咲いてなくても………」

そう名無は小さく呟き、地面に視線を注いだ。(……あれ?)名無は立ち止まって地面を眺め続ける。そして目を伏せ、感覚を研ぎ澄ませた。「名無?」下を向いたままの、彼女の異変に気付いたアイゼン。

「どうした、もしや発症したか?」
「それは大丈夫……いや、ちょっと……」

自然のエネルギーの流れが、かすかに強くなっている。そのことを伝えると、アイゼンは謳術士の感覚の鋭さに感心し、腕を組んで考え始めた。

「近くに”地脈点”があるということか」
「心なしか、ワァーグ樹林に近付くほど強くなってるような……?」

まあ、今は地脈点のことは関係ないだろう。名無は立ち止まったことを謝罪し、彼と再度歩み始めた。


 進み続けた一行は、ようやく目的地のワァーグ樹林を発見する。そしてすぐさま樹林内部に入り込んだ。レニードの村人から聞いた話では、対魔士は交代で見回りしているという話だ。注意して進まなければと言うベルベットに名無は頷く。

 樹林の奥へと少し進むと、とある結界が張られていた。エレノアは聖寮が新しく開発したものだと気付く。一般人の立ち入りを禁止する為にしては随分念入りだというロクロウの見解に、彼女は同意せざるを得なかった。

 結界を解きながら、慎重に進む一行。アイゼンが金貨を投げ、掌に収める。名無は開かれた掌を覗き込んだ。

「相変わらず裏しか出ないな」
「死神の呪いも律儀に作用するのー」
「呪いとは……金貨の裏表にまで関わるのですか?」
「まあな」

聖隷の力は、モノに影響を及ぼしたり、モノが持つ波長と同調することがある。アイゼンの場合は、彼の持つ金貨がそれにあたる。だから必ず裏が出るのだ。アイゼンはもう一度コイントスをするが、結果はやはり裏だった。

「こんなことが……」
「信じる信じないは、お前の自由だ」
「付け加えるなら、その金貨はアイゼンの器じゃよ」

エレノアに新たな疑問が浮かび上がる。ライフィセットが大事にしている羅針盤のことだ。

「……ライフィセットが羅針盤を持っているのも、その波長のせいなのですか?」
「そうとも言えるが、あの羅針盤はあいつが男である証のようなものだ」

昨夜、テントの中で羅針盤を磨いていたライフィセットを思い出す。錆びないようにと丁寧に、大事そうに手入れをしていた。

「よくわかりませんが……」
「やれやれ、一等対魔士のクセにな〜んも知らんのじゃのうー」
「………」

羅針盤を手に入れる経緯を知らないエレノアにわかるはずがないのに。ふてくされる彼女に名無は苦笑いした。

(それにしても、聖寮も知らない未知の情報……よく調べておく必要がありますね)

死神の呪いについて詳しく情報収集しようと思ったエレノアは、話題を戻すように口を開いた。

「裏面しか出ないコインなんて。聖隷の力が、そこまで影響を及ぼすものなのですか?」

復習と、新たな情報を得るため。再三確認をするエレノアにマギルゥは呆れた態度を見せる。

「疑り深い女じゃのー」
「でも、アイゼンのコインは本当に裏しか出ないんだよ」
「うん、裏しか見ないな」

アイゼンはコイントスが癖になっている。最近彼と一緒にいることが多い名無は何度も結果を見ているが、全て裏だった。エレノアは疑いの目をマギルゥに向けた。

「マギルゥ……ひょっとして、あなたが術でイタズラしているのでは?」
「ほう、そうくるか?」
「ええ、疑り深い女ですから」
「根に持つ女でもあったかえ。じゃが、残念ながらハズレじゃ」

むしろ術で表を出そうと試してみたが、無理だったと残念そうに言う。「コインに種も仕掛けもない。確かめてみるか?」そんなに信じられないなら実際に確認すればいいだろう、アイゼンはエレノアに金貨を手渡した。それを見た彼女は声を上げる。

「これは……魔王ダオス!」
「よく知ってるな。これはカーラーン「カーラーン金貨ですね!本物を見るのは初めてです」

アイゼンの説明を遮るエレノア。金貨のことを知っているようだ。彼女は遙か古代の貨幣なのに、つい最近つくられたみたいに綺麗だと褒め称えた。

「ふっ……それには理由がある。一見柔らかい金でできているが特殊な加工で硬度を「はい、傷がつきやすい金の表面に、指の温度に反応する特殊な形状記憶合金をメッキしてあるんですよね。だから傷がつきにくい」

またしても遮ったエレノアからの説明を聞いたアイゼンは目を丸くし、「そう……か」と一言だけ。

「私たちには真似できない未知の技術です。これに仕掛けをするのは無理ですね。認めるざるを得ないかも……」
「ん?表面を硬くする加工じゃなかったか?」

ロクロウは疑問に思ったことを口に出した。そう、彼らは過去に、柔らかい金でできているが特殊な加工で硬度が高められていて傷が付きにくいとの説明を聞いていたからだ。今エレノアから語られたこととはまるで違う。

「……勘違いだろう」
「でも、前にアイゼンは……」

彼の説明を覚えていたライフィセットは追及しようとする。しかしベルベットの「そういうことにしておきなさい」という言葉で気付き、空気を読むことにした。

「形状記憶……ううむ、そんな技術が……」
「はえー、四人とも勘違いするなんて珍しいことだなー」

アイゼンは未知の技術に、名無は彼の勘違いという誤魔化しを信じ、それぞれが呟いた。

 「…あっ、そういえばさ」名無は肝心のサレトーマの花がどんな外見なのかを知らない。幼い頃に図鑑で見ているはずなのだが、忘れてしまっていた。どうやらライフィセットも知らないようだ。

「なぁ、サレトーマの花ってどんなの?」
「紫色の花に、赤茶色の茎や葉っぱというなんともシュミの悪い花じゃ」
「……とりあえず、紫色の花を探せばいいんだな……ありがとうマギルゥ」
「サレトーマはシュミが悪い……わかった」


 サレトーマの花をくまなく探しながら進む一行。「あっ!あれサレトーマじゃね?」名無は、マギルゥから聞いた通りの赤茶色の草を発見する。しかしそれらには、要の紫色の花が咲いていなかった。

「……名無、名無や」
「んー?」

マギルゥは、屈んで花を探している名無の隣に同じく屈む。そして一本の草を差し出した。名無は迷うことなく受け取った。

「―――っ!!きゃあああ!!」

突然悲鳴を上げて草を放した名無。先に向かい始めていた面々が慌てて戻ってくる。最も早く駆けつけたのはアイゼンだ。尻餅をつく彼女の付近に敵がいないかを確認し、立ち上がらせてやる。

「名無、何があった」
「…な、何でもない」

名無の声は震えており、目には涙が溜まっているようにも見えた。嘘なことは明白で、アイゼンたちは追及する。

「でも名無、泣きそうだよ……?」
「う……」
「名無、私たちに言えないことなのですか?」
「……ま、マギルゥが…」

その名前を聞いたベルベットたちは、またからかわれたのかと息を吐いた。しかし名無の様子に疑問を持つ。普段通りなら軽く怒るだけで、こうも泣きそうになったりしないからだ。

「名無やー♪さっきはすまんかったのー。これはお詫びじゃ」
「お詫び?何……」

少し離れた所から戻ってきたマギルゥが、またしても草を差し出す。「きゃっ…!?」それをよく見た名無は短く悲鳴を上げ、アイゼンの背後に隠れた。

「もおおおお!!マギルゥ!!」
「いやー、こうも効果があるとはのー」

アイゼンたちはマギルゥの持つ草をよく見る。葉の先に、小さな昆虫がとまっていた。

「何、あんた虫が駄目なの?」
「………」
「名無の、意外にも乙女な弱点を見つけてしもうた」

「ほれほれー」マギルゥもアイゼンの背後に回り、虫つきの草を突き出す。「ひっ、やめ……!」アイゼンの正面に退避する名無。このままだと二人の追いかけっこが始まってしまう。重いため息を吐いたアイゼンは、マギルゥの持つ草を取り上げた。

「何じゃ、今から面白くなるというのにー!」
「名無で遊ぶな」

それを放り投げ、この小さな騒動は終結した。過去に名無は虫すら殺せないような優しい人物だと聞いていたエレノアは、(虫すら殺せない、じゃなくて虫が殺せない、だったようね……)と心の中で乾いた笑いを浮かべた。

「アイゼン、ありがとう」
「このままだと騒がしくてサレトーマ探しどころではなかったからな」

礼を言われる筋はない。あくまで自分は、アイフリードの代わりをつとめているまでだ。(といっても、あいつだったら名無をいじる奴は殴り飛ばすかもしれんがな)それにしても、死病にかかっているかもしれないのに危機感のない奴らだ。

「いつ壊賊病が発症するかわからないんだぞ。それを自覚しろ」
「う、そうだよな……ごめん」

しゅんと謝る名無。落ち込む彼女にロクロウがいたずらっぽく話しかけた。

「名無、足元に注意しろよ。じゃないと虫を踏んづけちまうぜ?」
「えっ…!?」
「おい、ロクロウ」
「すまん!はっはっは!」

名無は赤い顔で頬を膨らませた。それをつついて笑うロクロウ。一応、これで区切りがついた一行はさらに奥地へ向かおうとする。が、行く先から誰かが歩いて来ている。あの白い服装は―――

「貴様ら、ここで何をしている!」

対魔士だ。二等対魔士の二人が立ちはだかる。「それはこっちの台詞よ!」ベルベットとロクロウが特攻し、瞬時に薙ぎ倒した。気絶させ、倒れた対魔士たちを見下ろす。ロクロウたちは、今の彼らの動きがどうにも引っかかった。

「この奥に何がある?業魔を警戒しているというより―――」

「……あっ」ライフィセットの持つ、羅針盤の方位磁針がくるくると回転している。エレノアはライフィセットが動かしているのかと質問を投げるが、彼は急に動き出したと答え、羅針盤を見つめた。アイゼンの金貨のように、同調しているようだ。

「アイゼン、お主は”地の聖隷”じゃろ。何か感じるか?」
「いや。俺よりライフィセットの感覚の方が鋭いようだな」

それに、謳術士の名無も。アイゼンの振りに、名無はノーグ湿原から感じていたことを打ち明けた。

「私は自然エネルギーの強い流れを感じてるけど……ライフィセットの羅針盤と同じかはわからない」

皆は羅針盤を注意深く見る。すると方位磁針が止まり、ある一方向を指した。

「止まったけど……なんか変な感じがする」
「どんな?」
「この前、地脈に閉じ込められた時と似てるっていうか……」

それは、カノヌシの力に近いという訳だろうか。名無とライフィセット。二人の感じるものの違いは、今はわからない。

「この先にいるのは、ただの業魔だけじゃなさそうね」

一行は、さらに用心しながら奥地へと進むことにした。


 サレトーマの花を探しているうちに、最新部へと辿り着いてしまったようだ。開けた空間の先に道はなかった。

「ここだ。ここが一番自然のエネルギーが強い」
「ライフィセット、この先は行き止まりみたいだけど、あんたは何か感じる?」
「ううん……今は何も」

一行は開けた空間の中心に立つ。「あっ……紫色の花が咲いてる!」足元にはライフィセットの言う通り、たくさんの紫色の花が咲いている。これがサレトーマの花だ。

「……聖寮は、業魔を警戒していただけなのか?」

最新部にもサレトーマの花が咲いていただけで、他にめぼしいものは見当たらない。いまいちすっきりしないベルベットであるが、今はサレトーマが採れればそれでいいと言ったアイゼンの言葉に頷く。今はこの花が最優先事項だ、採集して戻ろう。

「どうじゃ坊、サレトーマはシュミが悪いじゃろう?色の組み合わせなんぞ、最悪じゃし」
「うん」
「本当だな」
「……何故、儂を見ながら言う?名無や」
「いや?別に」

マギルゥの衣装の配色を見ながら言った名無はあからさまに目をそらした。

「これでみんな助かる」

ホッと一息ついたライフィセット。サレトーマの花に手を伸ばすが、視界の端に何か写ったようだ。珍しそうなそれに注意を奪われ、観察する。名無も追うように彼の視線をたどった。「ひぇっ…!」視界に入った昆虫に、反射的に名無は後ずさる。

「うわああっ!」

次に聞こえたのはライフィセットの悲鳴。彼が見つめていた昆虫が突然巨大化し、襲いかかろうとしていたのだ。守る対象の名前を叫んだベルベットとエレノアがそれを阻む。ベルベットがブレードを振るい、昆虫の業魔を遠ざけた。

「薬屋が言ってた業魔はこいつか!」

一行は構える。昆虫業魔は空中からこちらを見下ろしている。飛んでいる業魔の相手は非常に厄介だ。

「滅多に出会わないと言っていたのに……これが死神の呪い!?」
「まだ序の口だ」

昆虫業魔は飛び去ろうとするが、何かに弾かれて落下してしまう。「またあの結界!」それは、王城離宮で見た結界と同じものであった。(これは……一等対魔士でも張ることのできない結界術!?)こうまでして業魔を生け捕りにするのは、一体何の為にだろうか。昆虫業魔はまた飛び立った。今にも襲いかかってきそうだ。

「なんにせよ、この空飛ぶ虫を倒さぬとサレトーマの花は手に入れられぬぞ」
「虫っていうなよ!業魔って割り切ってるところなのにー!」
「やるわよ!」

昆虫業魔、クロッサアギトとの戦闘になってしまう。クロッサアギトは威嚇の為か素早く下降し、一行の横を通り抜けて再度高く飛んだ。

「この虫、なんかカッコイイ……」
「馬鹿言ってないで集中しなさい!」

まずは地上に落下させなければならない。ここは後衛タイプの出番だ。ライフィセットが聖隷術を放つ。しかし素早いクロッサアギトは、いとも簡単に避けてしまった。

「速い…!」
「向こうの体力が消耗するまで待ってられないわ!名無!」
「わかってる!」

名無はすでに謳術の陣を展開していた。碧色に輝く光円が彼女を囲んでいる。そのまま謳い始めた。詩を通して敵の霊力に干渉し、動きを鈍らせるよう試みる。異変を感じたクロッサアギトは効果が出る前に中断させようと、尾についている針で名無に襲いかかるが「させるか…!戦慄しろ、スプリットステップ!」アイゼンが瞬時に間に入り込み、名無を守った。

「鎧通し!」

ロクロウが自身の正面で二刀小太刀を重ね合わせ、その際に発する衝撃波で吹き飛ばす。「!?何をする気だ?」クロッサアギトは飛び上がるかと思いきや、その鋭い前足を地面に潜り込ませた。そのせいでサレトーマの花も一緒に掘り返されてしまう。

「サレトーマが……!」

大きく飛び上がったクロッサアギトの前足には大きな岩があった。そして名無の頭上へと直進しながら岩を落としてくる。「名無!!」「わっ!?」アイゼンが謳術に集中している名無を抱き寄せ、共に避けた。

「あ、ありがとう」
「礼は後でいい、お前は詩の続きだ!」

サレトーマの花の上に岩が落ちてしまった。今の攻撃をされてしまったら、また花が掘り返され、潰されてしまう。頷いた名無は詩を再開した。ベルベットがクロッサアギトの背後に回る。業魔手で攻撃し、直後にブレードを振り抜き、薙ぎ払う。

「裂甲刃!」
「灼熱震えよ!ヒートレッド!」

後退したベルベットを確認したライフィセットは、追撃するように高熱の蒸気を拡散する聖隷術を発動。

(雨…水があいつにも降りかかってるし、いつもより早くできてる!あともうちょい……!)

ベルベットとライフィセット、二人の連撃をくらったクロッサアギト。体制を立て直そうと今一度飛び上がるが、先程のような俊敏な動きはない。羽を動かすので精一杯なようだった。

「名無の詩の効果が出てきておるな!」

空中に、真紅の月のような霊力のエネルギー体が浮かび上がった。「ブラッドムーン!」それはマギルゥの聖隷術で、クロッサアギトに直撃した。

「連なれ真紅!霊槍・獣炎!」

エレノアの槍の先端から放たれた火球が命中する。着弾時に爆発し、それが決め手となったようで、クロッサアギトは落下。動きが停止した。
クロッサアギトを倒すと、最初に発見した時の姿に変化した。戻った、とでも言うべきか。戦闘が終わり、早速マギルゥと名無が緊張を解く。

「ふぅ、まったくとんだ昆虫採集じゃったのー」
「本当だよ……はぁー………」

あとはサレトーマの花を採取するだけだ。が、血相を変えたライフィセットの声が響く。他の者もつられて目線を下げた。サレトーマの花が、無惨に散っているではないか。昆虫業魔の激しい攻撃などにより、花はわずかな数しか残っていなかった。

「これじゃあ、みんなが助からないよ……」

「そんな……」エレノアは絶望した。ここは再奥地。来る道中にくまなく探したが、紫色の花はどこにも見当たらなかった。ワァーグ樹林に生えているサレトーマは、ここに咲いていたものだけだったのだ。

「どうする?咲いているのだけ持ち帰って、重症の奴に飲ませるか?」
「また感染するだけだ。全員に飲ませないと意味がない」
「他に、何か手はないの?」

壊賊病を治せるのはサレトーマの花の絞り汁だけだ。それがなくなったのだ、手の打ちようがない。たちまち、この場の空気が重くなった。

(俺は死なせてしまうのか?船の仲間たちも、親友の娘の名無も―――)

アイゼンは散ってしまったサレトーマの花を眺めながら拳を握った。そうしたって、どうにもならないことはわかっている。その様子に気付いた名無。(―――私の出番だ)挑んだことはない、成功するかはわからない。だとしても。大きく、一歩踏み出す。

「花が咲けばいいんだろ?」

この空間の中心に立ち、しっかりと大地を踏み締める。フードを脱ぎ、気を静める為に大きく深呼吸をした。

「咲かせることができるの?」
「大地の詩を謳うのが得意な謳術士なら、普通にな」

名無の司る詩の属性は、”大海”。地属性は得意としていない。しかし、自然のエネルギーや霊力を扱うのには変わりない。(大丈夫、ここは地脈点。雨も降ってる。上手く大地の求める詩を謳えれば……)これは名無への試練だ。海の力だけに頼ってきた彼女を成長させる為の。アイゼンたちは名無に託し、見届けることにした。

「名無しさんは澪の力を変換し、道標の証へと同調。此の場に謳を捧げます―――」

目を閉じてぶつぶつと呟く名無。何かを掴もうとしている様子だ。集中して今まで以上に、地のエネルギーを理解しようとしている。
少し間を置き、(………視えた!)カッと目を開けた。そして『―――草花よ!!』大きな声で一言。その言葉は、謳術士の名無にしかわからないものとなっていた。名無は母の記憶を辿った。自分に向けてくれたあの慈しみの心を思い描く。

『慈愛は恵みと共鳴して、生長を紡ぐ詩となる』

謳い出した名無は舞う。いつもと振り付けが違った。これは地の自然エネルギーを増幅させ、サレトーマの花の霊力を高めて咲かせる為の詩と踊りだ。『緑溢れる活性を。祈りよ届いて』この場から淡い光の玉が浮かび上がり、輝き出す。雨がリズム良く降り注ぎ、音を奏でるように木々も揺れる。名無の詩に演奏を添えるように。

『大地が眠りから目覚めていく。恵みの雨が地表へと降り注ぐ。彼の花が芽吹き、根付き、咲き誇るよう、私は詩を紡ぎます。愛しい、愛しき大地へ。海は貴方と共に―――』

名無が謳い終わる頃には、サレトーマの花が咲き誇っていた。詩を聴き入ったように、紫の花が彼女の方を向いている。(綺麗……これが、謳術士の能力……)名無の詩を改めて聴いたエレノアは圧巻していた。

「さっきよりも沢山のサレトーマが咲いてる!すごいよ名無!」
「サレトーマの花でなければ、神秘的な光景だったんじゃがのー」

二人の声に促されて、名無も辺りを見渡した。「咲いた……本当…?ああ、よかった……」息をつく名無。何故かその目は虚ろだ。

「これだけあれば十分ね。採るわよ」

ベルベットたちはサレトーマの花を採取し始めた。名無もそうするかと思いきや、少しよろめいた後に倒れてしまう。皆が彼女の元に駆け寄った。アイゼンは名無を抱き起す。顔を覗き込むと、彼女の顔が赤く染まっていた。

「うあー……ちょっと力使いすぎた……」
「名無、大丈夫?」
「力を使って、壊賊病を発症してしまったか」

慣れないことをさせてしまった。己の、死神の呪いのせいで。アイフリードのかわりに守らなければいけないのに、逆に危険な目にあわせてしまった。「……すまない……」俯いたアイゼンが、ポツリと一言。彼の謝罪の言葉に名無は少し目を丸くさせるが、直後に口を開いた。

「……確かに死神の呪いのせいで、危ない目にあってる」

彼女の肯定にの言葉に、アイゼンの表情が強張った。「でも、私は……」名無は自分の気持ちを打ち明ける。

「死神の呪いで危なくなっても……私はアイゼンに、それ以上に助けられてるよ」
「―――!!」

先程のように守ってくれたり。わからないことを丁寧に説明してくれたり。船員たちが自分に甲斐甲斐しく船関係のことを教えてくれるのも、彼のおかげなことが名無にはわかっていた。例えアイフリードを通してのことだとしても、彼が助けてくれたことは事実だ。アイゼンは顔を上げて名無を見つめる。

「だから、死神の呪いだけを見ないでよ。……私は、呪いごと含めて、アイゼンといて楽しいから」
「…名無……」

名無は自分の意思でこうしたのだ。アイゼンに辛い表情をさせる為に謳ったのではない。そんな顔しないで、と名無は微笑みかけた。アイゼンは目を見開く。

(呪いごと俺を受け入れるのか、こいつも……アイフリードのように)

高熱で辛いだろうに、自分に笑顔を向け続ける名無。胸が締め付けられたような感覚がアイゼンを襲った。壊賊病を発症させてしまった罪悪感からではない。この感情は、一体何なのだろうか。雨がやみ、木漏れ日が二人をさして照らしている。アイゼンは、名無から目が離せなかった。

「よし、ならサレトーマを集めるか」

ロクロウの切り換えの言葉をきっかけに、彼らはサレトーマの採集を再会した。「アイゼン…ごめん。動けない私の分まで、摘んでくれる……?」「あ、ああ…わかった」少し遅れてハッと気付いたアイゼン。

「名無」
「………ん?」
「……礼を言う」
「はは、やっぱりお礼の方が嬉しい。…うん」

そしてアイゼンは名無を近くの木に寄りかからせて、彼も紫色の花に手を伸ばした。

 ライフィセットの視界に、先程業魔化した昆虫が。今度はじっと大人しくしているだけだった。彼は昆虫を持ち上げて、振り返る。

「この虫、連れて行っちゃ―――」
「駄目よ。処分するからどいて」
「あう……」

ぴしゃりと却下したベルベットは左手を業魔手に変え、喰らおうとする。しかし己の、その変形させた手を見て動きをとめた。何かを考えているようだ。

「聖寮が守っていたんだ。殺さずに様子を見た方がいいんじゃないのか?」
「…………」

ロクロウの提案に、ライフィセットの眼差し。ベルベットの業魔手は昆虫の横を過ぎ去り、結界だけを壊した。

「自分で世話をするのよ」
「うん!世話する!」

ライフィセットは笑顔で応えた。ひとまず今回の一件は、これで解決だ。アイゼンは名無のもとへ戻り、彼女を背負う。

「サレトーマの花を確保できた。これで名無や船の連中も、エレノアも大丈夫だ」
「こら!儂も数えーい!」

アイゼンは背負っている名無を見る。疲れたのだろう、高熱にうなされながらもぐっすり眠っていた。

「名無の詩のおかげもあって、壊賊病という死神の呪いも解けましたね。昆虫業魔には驚きましたけど……」

呪いなんて、やはり大げさな気もする。エレノアの感想に、アイゼンは重々しく口を開いた。

「……俺と旅をして、三年以上生き延びている奴は数えるほどしかいない。油断すると五十人目の犠牲者になるぞ」
「五十人!?」

呪いで死んだ仲間の数だ。アイゼンが海賊になってから、今までに四十九人もの死者が出ている。「えっ……あ、あの私……」エレノアは自分の軽はずみな台詞を反省し、俯いた。

「気を抜くなということだ」
「……はい」

名無にも、五十人目の犠牲者にならないよう忠告しなければ。そして、なんとしても守り抜かなければ。そう思いながら、アイゼンは一足先に歩き出す。

「船に戻るわよ」

アイゼンに続き帰路につく一行。ライフィセットは歩きながら、手に持つ謎の昆虫を眺めていた。

「この虫……名前、何ていうんだろ……?」
「案外のんきね……」


 


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