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刀が出来上がるまで、待っているうちに一晩が過ぎることとなる。ブリギッド渓谷の長い道中でも一夜を明かしており、距離や航路を考えるとバンエルティア号は今日中に、ゼクソン港に着港するはずだ。

 腹が減っては戦はできぬ、道中にホワイトかめにんから購入した携帯食を食べながら鋭気を養う名無とロクロウ。それ以外はクロガネを見つめ続け、新たな二刀小太刀が出来上がるのを待ち続けた。

「―――完成だ」

クロガネが差し出した二刀小太刀。受け取ったロクロウはまじまじと眺め、強く頷いた。名無もそれを見る。「かっこいいー……」そして純粋な感想を述べた。刃が黒く、禍々しさがあるが、見る人を惹きつけるようでもある。まさか少女に刀の外見を誉められるとは、クロガネは照れているようだ。

「これで準備は整った!名無」
「ああ、みんなも待ってる。行こう!」
「俺も見届ける」

三人は鍛冶場を出る。しかし、待っているはずのベルベットたちはいなかった。何か問題があったのだろうか、名無たちは彼女たちを捜しながら出口方面へと向かった。

 少し進むと、エレノアと一等対魔士が戦っている場面であった。自分と同じ対魔士を倒せないのか、エレノアは相手の攻撃をしのぐだけだった。ロクロウが駆け出す、そして一等対魔士を斬り伏せた。

「借りは返したぞ、エレノア」

ロクロウの持つ得物を見たライフィセット。「新しい刀!」「ほお……禍々しいのー」ロクロウは一行に少し見せた後に収めた。後ろを歩いてくる名無とクロガネをちらりと見たアイゼン。

「準備はできたんだな」
「ああ、あとはあいつを斬るだけだ」

あいつとは、いわずもがなシグレのことだ。ロクロウが倒した者が、襲撃した対魔士たちの最後の一人だった。戦闘は終わり、ベルベットが鋭い目でエレノアを見る。

「今みたいな戦い方じゃ死ぬわね。あんたが死ぬとライフィセットの器がなくなる」
「わかっています」

そう答えるエレノアだが、後ろにいる名無でもわかる。彼女は辛そうだと。倒れている対魔士たちの一人が呻いた。まだ生きている。ベルベットは左手を業魔のものに変えた。喰らって止めを刺すらしい。

「やめろ、ベルベット」

強い口調で彼女をとめるアイゼン。これ以上精神的ダメージを負わせれば、エレノアは壊れてしまう。これがエレノアの限界か、ベルベットは左手を元に戻した。

「殺さない……のですね?」
「今は、お腹空いてないの。命令よ、エレノア。対魔士とは死なないように戦いなさい」
「わかりました」

一行は倒れている対魔士たちを通り過ぎて、坑道の先へと向かい出した。

 内通しているエレノアだ。ベルベットが厳しくあたるのも頷けるし、彼女自身も自覚しているだろう。名無は自然とエレノア傍に近寄り、隣を歩き出した。エレノアはちらちらと名無を見る。「何か聞きたいことでもあるんだろ、言ってみろよ」察した名無は質問しやすいように言葉を添えた。

「名無は……人間を、殺したことがありますか?」

声が震えているエレノア。少し目を丸くした名無だが、すぐに彼女を真っ直ぐ見据えて口を開いた。

「あるよ。何度も」
「……どうして」

人間を殺して罪悪感はないのか。それがエレノアが次に聞きたいことだろう。名無は過去のことを明かす。

「―――最初に殺した時のことは忘れられないな」

それは、名無が恩人に面倒を見てもらっていた時だった。アイフリードが名無を匿う為に住処にしていた家での出来事。


*  *  *


「ぐっ…」
「アイフリード……!」

壁にアイフリードを押し付け、首を絞めている大男。彼からは黒いオーラが溢れ出ていて、業魔病にかかっていることがわかる。今にでも業魔になってしまいそうだ。「あ、ああ……」名無は二人から少し離れた場所に座り込んでいた。このままではアイフリードが絞殺されてしまうというのに。恐怖で腰が抜けており、動けないのだ。精神状態も酷く、謳える様子でもなかった。

「……名無」
「……っ!」

大男の手を外そうとするアイフリードは、名無を見て、笑った。

「大丈夫だ、こんな野郎……すぐにぶっ倒してやるからよ……」
「!!」

お前は、俺が守る。
あの時と、同じだ。王城地下道の時と。姫であった名無を守る為、身を呈して業魔の餌食となった配下たち。名無は誰も殺したくないと震えているだけだった。そして、たった一人の母は―――

(……私だけが手を汚してない、そんなことが許されるの?)

自分だけが誰も殺めず、潔白のままでいていいのだろうか?己はもう守られるだけの姫ではない。自由を求めて王城を脱した時から、この厳しい世界で生きていくことにしたのだ。

(駄目……今の私では、大切な人が死んでいくだけ)

”名無しさん・名無し”として―――今、成さねばならないことは?
あるものが視界に入った。すぐそこに落ちている魚。アイフリードと大男の乱闘中に、机に置いてあるまな板から落ちたのだ。先程までリビングの広い机の上で、さばき方を教えてもらっていた。二人で釣ってきた、かつては生きていたもの。名無はアイフリードに教わりながら、ためらうことなく刺身包丁の刃を魚の身にいれた。名無は目を見開く。

(……”同じ”だ。命自体に優劣なんてない!)

理解した瞬間、不思議と震えはなくなり、名無は立ち上がっていた。

(自分や、自分の大切な人の為にする行為なら……どんなことであろうとも、ためらわずに成し遂げろ!)

名無は刺身包丁に手を伸ばし、しっかりと持ち手を掴む。

「うああああっ!!」

助走をつけ、深く踏み込み、大男の背に包丁を刺し込んだ。次に傷穴を拡張するように、ぐり、と抉って包丁を抜いた。そこから飛び出た血飛沫が名無の頬や鎖骨付近にかかる。
呻き声を上げた大男は倒れ、やがて力尽きた。彼の腕から解放されたアイフリードは、咳をして大きく呼吸を繰り返す。

「名無、お前……」

名無の前に屈み、視線を合わせる。

「敵は、殺さなきゃ…」

名無はぽつりと呟いた。アイフリードは目を見開く。

「殺さないと、守れない……!!」
「……名無…」

大男の死体は人間の姿のままだった。つまり、名無は―――
アイフリードは何も言わずに、名無の持つ包丁を取り外し、返り血を拭った。

「よく、自分の意思で選び抜いたな」

そして彼女の体の震えが収まるまで、しばらくの間は優しく抱き締め、頭を撫で続けた。


* * *


過去の出来事を話した名無。「あくまで私の考えだから、エレノアが悩む必要はない」そう強く念押した名無は次の言葉を紡ぐ。

「どんなに種族が違っても、命がある限り同じだ」

人間も、聖隷も、業魔も。それだけではない、動物たちや植物だって。

「人間だけ殺したくないなんて都合がよすぎる。そんな綺麗事が言えるまでこの国は平和じゃない」

業魔でも、聖隷でも、自分と同じ人間であろうとも。敵は殺らなければ、自分が殺されるだけじゃない、大切な者も守れずに死んでいく。

「自分と、自分の守りたい人をたちが思うように生きていけるように、私はそうするんだ」

種族は差別せず、味方と敵を区別する。それがこの世界に生まれ落ちた名無が辿り着いた考えだ。命とは何なのだろうか、それを奪うのは、どういうことなのか。この題材の答えを導き出せていないことも名無は正面から受け止めている。それを聞いたエレノアは黙ってしまった。名無は目尻を下げて笑い、彼女の肩を優しく叩く。

「それが私の信念だ。エレノアも、自分の信念通りに行動すればいいんだよ」
「……はい」

年下の戯言だよ、気にするな。と笑う名無であったが、エレノアは強い衝撃を受けていた。

(幼少時から、虫すら殺せないようなお優しい方だとお聞きしていたのに……)

王城の外に広がる世界や、業魔病という災厄が彼女をここまで変えたのか。ベルベットたちと行動を共にして数日しか経たないエレノアだが、自分とは違うさまざまな価値観を知ることとなっていた。


 ライフィセットがロクロウに、真打ちと影打ちの意味を尋ねている。鍛冶場でも名無にも説明したことなのだが、彼にも丁寧に教えてやるロクロウ。

「俺の一族では当主となった者に號嵐の真打ちが渡され、それ以外の兄弟に影打ちが渡されるんだ」
「真打ちが本物で、影打ちが偽物ってこと?」

シグレの剣が本物で、自分の剣が偽物という意味と捉えるロクロウに、「そんなつもりじゃ……」ライフィセットは否定する。それでもロクロウはいいことに気付かせてくれたと感謝を述べた。

「だから俺は、あいつに勝ちたいのかもしれん」

表芸の大太刀一刀に、裏芸である小太刀二刀で。そのまま前列を歩くベルベットとアイゼンに続いて歩いていくロクロウの背を、ライフィセットは複雑そうな顔で眺めた。

「ベルベットにとっては、どのライフィセットが真打ちなのかのー?」
「!!」
「おい、マギルゥ」

マギルゥの不穏な発言に、ビクリと肩が跳ねたライフィセットと、咎めるように彼女の名前を呼ぶ名無。意味がわからないエレノアは、三人に真相を求めた。

「僕の名前は……ベルベットの弟の名前なんだ」
「えっ!?」
「アルトリウスに生贄にされた弟の……のう」
「大切な人の命が奪われた。だから復讐したいんだと思う」

ライフィセットたちから明かされたことにエレノアは信じられず、首を横に振った。

「何かの間違いです!あの方が、そんなことをするはずがありません!」
「……でも、ならどうしてベルベットはあんなにアルトリウスを憎んでいるの?」

「そ、それは……」ライフィセットの疑問に、エレノアが答えられるはずがなかった。

「お主の真実とベルベットの真実。これも、どっちが影打ちで、どっちが真打ちなんじゃろうな〜?」
「……」

黙ってしまうエレノアに、名無は言葉をかける。「いつかわかることだ。まずは今の状況をどうにかしないと」そのまま名無も歩き出した。


 ヴェスター坑道を抜けると、港街が広がっていた。採掘拠点でもあるカドニクス港だ。ヘラヴィーサの時と同様、住人を避難させているらしい。人の姿は見えず、静寂に包まれている。
一行は街を抜け、真っ直ぐ港に向かう。バンエルティア号は見当たらない、先に着くことができたようだ。そして、一行を待ち構えるのは―――

「きたか」

シグレだ。彼の傍には猫の聖隷ムルジムと一等対魔士が二人いる。

「てことは、出向いた対魔士たちはみんな返り討ちにあっちゃったのね」
「だからやめとけって言ったんだ」

シグレはムルジムからロクロウに視線を移し、どんな刀を打ったんだと聞くがロクロウは彼を睨みつけるだけであった。口を開かない弟。その態度に笑ったシグレは大太刀を鞘から抜き、構えた。

「ま、やってみりゃわかるな!」

一等対魔士の二人も構え、ムルジムがシグレのなかに入る。名無は剣を抜いた。ベルベットたちも、いつでも戦える状態だ。

「僕たちが、あの対魔士たちと戦う。ロクロウはシグレに勝ってね」
「頼む」
「ロクロウ、頑張れよ!」

ライフィセットはロクロウを信じ、対魔士とだけ戦うようだ。名無も彼が勝つと心から思っている。対魔士だけを見ていた彼女は、ベルベットとアイゼンが何かの目配せしたことなど気が付かなかった。

「よっしゃ、おっぱじめるか!!」

ロクロウはクロガネの二刀小太刀を持ち、シグレへと一直線に駆け出す。

「簡単に終わっちゃつまらねぇ!手段は選ばなくていいぜぇ!」
「舐めるな!」

ロクロウ以外の面々は一等戦杖対魔士、二人の相手だ。一等対魔士二人は早々に詠唱を始めた。ベルベットとアイゼンが、いの一番に飛び出し前線を買って出る。名無も近接攻撃に打って出ようとするが、その前に気遣う言葉を、まだ迷いのある彼女に残す。

「私たちが前で戦うから、エレノアはベルベットに言われた通りにライフィセットの護衛と、あと援護!」
「わかりました」

ベルベットとアイゼンが一等対魔士にそれぞれ襲いかかる。が、惜しくも詠唱の方が速く一等対魔士二人から茶黒色の円が横に広がった。「ぐっ…!?」「これは……!」ベルベットとアイゼン二人が己の体の異変に気付いた。名無は二人を援護する為に駆け出す。

「スロウブレイク…!対象の動きを鈍くする聖隷術です!」
「やけに詠唱が速かったのぅ」
「ベルベット!アイゼン!」

円の範囲はそれ程広がらず、後方のライフィセットたちと、彼らの傍に接近できていない名無は何ともなかった。一等対魔士は杖を持ち上げベルベット相手に振り抜こうとするが、間一髪名無が剣で攻撃を防ぐ。

「名無!」
「ちょっと待ってろよ、解除する術使うから!」

一等対魔士の胴体に蹴りをお見舞いし、後方へ下げさせる。アイゼンの方にも、もう一人の一等対魔士が杖で殴打しようとするが、「三風!」ライフィセットの紙葉を投げつける技で妨害した。

「鈍くなったのは足だけのようだな……!」

ライフィセットの攻撃で仰け反った隙に付け込んだアイゼン。「威圧!!」前方に衝撃波をともなう手刀を連続で繰り出し、彼も一等対魔士を後退させることに成功した。これで敵との距離が空いた、名無はワンフレーズの詩を謳い、謳術を発動させる。

『不浄を退ける力となれ―――』

「リキュペレート!」名無が術名を言った瞬間、先程の一等対魔士の術と同じように円が広まった。一つ違うのは名無の発するそれは碧色だったことだ。これは範囲内の味方の状態異常を解除する謳術だ。ベルベットとアイゼンの鈍足は治り、確認した二人は再び駆け出す。一等対魔士たちは再び詠唱を始めていた。これは攻撃の聖隷術だろう。このままでは強力な術攻撃をまともにくらってしまう―――

「スペルアブソーバー!」

後方から響いたマギルゥの声とともに、一等対魔士の詠唱が止まった。彼女が中断させたのだ。マギルゥは不敵に笑う。

「儂の前で術は、そう簡単に何度も発動させんぞえ?」
「崩牙襲!!」

敵が戸惑ってるうちに、ベルベットが宙返りしながら蹴り下ろしを命中させ、着地と同時に回転しつつ足払いで追撃する。倒れ込んだ一等対魔士の一人。「ヴァイオレットハイ!!」そこに、マギルゥが水と火を交わらせた霊力を噴出させる聖霊術を発動させた。
残りの一人が名無目掛けて杖を振り抜く。避けた名無は斬り下ろしから斬り上げへと繋ぐ技を繰り出した。

「双牙斬!!」

浮き上がらせたので追撃ができる状態だ、すかさず踏み込んだアイゼンがフックを放つ。「名無!アイゼン!」ライフィセットの声を聴いた二人は瞬時に後退する。すると、一等対魔士の周囲に無数の鏡の破片が散らばった。

「カレイドイグニス!!」

鏡に光線を乱反射させ、その光線が襲う。威力の高い聖隷術に襲われた一等対魔士の二人が立ち上がることはなかった。これで、こちらの戦闘は終了した。

対魔士たちを倒した名無たちは、ロクロウの戦いの結果を見届けようとする。激しく火花を散らす二人の戦い。ロクロウは善戦するが、坑道の時と同じくシグレの優勢は揺るがなかった。

「やりやがるなぁ!だがよぉっ!!」

「ぐあああっ!!」シグレの威力に圧され、後退するロクロウ。名無は短い声を上げてしまう、クロガネが作った二刀小太刀の刃が折れていたのだ。シグレはロクロウを見下ろす。

「お前の腕は悪くはねぇよ。だが、せっかく業魔になったってのに、ただの出来のいいランゲツ流じゃねえか」

それでは当主の俺に勝てるはずがない。名無は感じた、この台詞はヒントのようだと。左手に握っていた小太刀を放り投げ、立ち上がったロクロウ。

「……なら、見せてやるよ。俺の剣をな!」

そのままシグレに突進していく。シグレが大太刀を突き出すのとともに、ロクロウは自らの左手をわざと刃に突き刺し、迷うことなく前へと進んでいった。

「ぐあああああッ!!」
「おおう!!?」

「もらった!!」左手で大太刀の鍔を掴んだロクロウが、右手の小太刀でシグレの首へと斬りかかる。追撃をする為にベルベットとアイゼンが、先程目配せした通りに駆け出した。―――結果は、ロクロウの攻撃はシグレには届かなかった。「なっ!!?」シグレが即座に、ロクロウの背にある折れている太刀、影打ち號嵐を鞘から抜いて防いだのだ。

「勢ッ!!」

再び吹き飛ばされたロクロウが倒れる。起き上がるも、彼の息は切れており、これ以上戦える様子ではなかった。片手を捨てて首を狙うとは、意外性のある攻撃にシグレは大笑いした。

「気付くのが一瞬遅けりゃ死んでたぜ!それでいいんだよ!それで!」

そのまま影打ち號嵐をロクロウの足元に投げた。「よっし!今日はここまでだ」今回は満足したらしいシグレは一人一人に指差し告げる。

「いいか、てめぇら!もっとすげぇ刀を打って、もっと腕を磨いて、俺を斬りにこい!!」
「……斬ってやるさ。何百回負けようが、何百年かかろうがな」

ロクロウの抱く業が、さらに膨らんでいく。ニヤリと笑いながら斬ってみせると豪語したロクロウ、それは狂気も含まれたような表情だった。「……」そんな兄弟のやりとりを見続けるクロガネ。

「いい悪い顔になったな。うん、いい悪い顔だ!」

シグレは笑い声を上げながら、去っていった。「なんという人……」槍を下ろしたエレノアはシグレの人物像に、改めて驚いていた。

「自分の心配をした方がいいんじゃない?あなたが裏切ったことは聖寮中に伝わったわよ」
「う……」

顔を曇らせるエレノア。シグレの後を追いかけ、ムルジムも去ってしまった。

 ロクロウの左手からは血が滴り落ちている。名無は彼の元へ駆け寄り、彼の左手を優しく握って回復術をかけ始めた。

「とんでもねー兄貴だな」
「ああ……すまん名無。今回も勝てなかった」
「いいよ。死んでたら怒ってたけど、ロクロウは生きてるから」

生きてるならまた挑める、勝てる時は絶対にくる。ひとまずはお疲れ様、と名無は笑顔を向けた。「……そうだな」ロクロウも笑う。先程とは違う、優しい笑みで。

「あの人、強かったね」
「ああ、奴は……奴らは強い」
「けど、必要なら倒す。どんな手を使ってでも」

ライフィセットの言葉に、アイゼンの聖寮への評価。それでも、アルトリウスを殺す為なら。ベルベットは小さくなっていく聖寮の船を睨み付けた。

 「バンエルティア号が来たぞ」アイゼンの言葉通り、バンエルティア号がカドニクス港へ向かって来ている。名無とロクロウ以外の面々は船に向かい歩き出した。

「……俺も連れて行ってくれ」

クロガネの頼み、それはロクロウたちと同行することだった。とりあえずの治療を終えた名無はロクロウの左手を解放する。

「俺は、必ず神剣を超える刀を打ってみせる」

號嵐に勝つには、その刀を振るう剣士が必要不可欠。二人の目的は同じだ。彼の誓いにロクロウは深く頷いた。

「アイゼン、船にこの鎧を乗せる場所はあるか?」
「なければ誰かに着せろ」
「はは、そいつはいい!」

「それならマギルゥにでも着せようぜ!」「なぬっ…!?」名無は船へと向かって走り出した。いたずらっぽく笑い、普段の仕返しだと彼女をからかう。「いいわね、それ」「だろー?」そして賛同してくれたベルベットの隣に並んだ。

「頼むぜ、クロガネ」
「任せろ」

ロクロウの目的はベルベットの行く道と重なり、情熱を抱いたクロガネも共に。船員と再会した一行はバンエルティア号に乗り込み、アイルガンド領を発った。



 一行がバンエルティア号に乗り、数刻の時が過ぎていた。船室の中。「おお、すげぇ」椅子に腰かけている名無は感心しながら自分の脛を眺めた。破れていたところが綺麗に修繕され、痛々しい傷跡が見えなくなったのだ。名無は脛付近の布を縫ってくれた人物、エレノアに感謝を述べる。彼女は礼などいらないと首を降った。

「綺麗にできてる!器用だなー」
「性格は不器用だと言われますが……」
「何それ、ははは」

縫い物などしたことがない名無は興味深そうに修繕された場所を眺めた。「どうすりゃこう縫えるんだろ…」彼女の独り言にエレノアは反応する。

「お裁縫に興味がおありで?」
「うん、また破くかもしれないし……最低限はできるようにしないと」

(最近やけに怪我するんだよな)この旅を初めてから危険な場面が絶えない。自身の実力不足だと感じている彼女は強くなるのとともに、様々なこともこなせるようになりたかった。

「よければ、私が教えましょうか?」
「本当に!?」

エレノアの提案に名無は勢いよく立ち上がった。「わーい!ありがとう!」心から喜んでいる様にエレノアは微笑む。ライフィセットや名無といる瞬間が、エレノアの癒しとなっていた。練習する布を調達しなければ、彼女の言葉で思い出した名無は扉に手をかける。

「クロガネと話した後に、ベンウィックたちの手伝いしようと思ってたんだ。ついでにいらない布がないか聞いとくよ」
「お願いします」

こちらこそ今度にご教授お願いします。そう言ってペコリと頭を下げた名無は部屋を出て行った。エレノアは彼女の丁寧な言葉遣いに少し驚いたが、王城育ちなのだから、それくらい当たり前だと納得する。「そうだ、業魔ベルベットの分析を行わねば……」ふと思い付いたエレノアはぶつぶつと呟きながら歩き出した。


 「あっ、アイゼンだ」
「名無」

クロガネに頼み事がある名無が彼を捜していると、アイゼンと遭遇した。クロガネの居場所を聞くと船内の廊下にロクロウと二人でいたと教えてくれる。礼を言って早速向かおうとするが、アイゼンに引きとめられる。

「クロガネに用があるのか」
「ちょっとだけな。その後はみんなの手伝いでもしようと思ってるよ」

タダで船に乗せてもらっているのだ、働かなければならないだろう。名無の考えにアイゼンは内心思う、名無はこの海賊団の船長の娘だ、下働きをする必要はないと。しかし、それを知っているのは自分だけで名無も船員たちも知らない。この事実を船員全員に伝えれば、どこからか名無本人に伝わる可能性もある。ひとまず己の胸中に留め、一人の船員として扱うことにした。

「そうか。あいつらの言うことはよく聞けよ」
「わかってるよ!そこまで子供じゃないって!」

自分の意思で動くこいつだ、立場を知っていても進んで働くだろう。(こいつの面倒を見てやるように言っておくか)元気よく走り出す名無を見届けた後に、アイゼンは歩き出した。

 アイゼンが教えてくれた場所に着くと、ようやく探していた人物、クロガネを発見した。話しかけようとするが、彼はロクロウと熱く話し込んでいる。刀の素材についての語り合いに入り込めず、物陰から二人の様子を窺う。しかし突然ロクロウに名前を呼ばれて体を跳ねさせた。

「ほら、こっちにこい。この爺さんはお前のこと食ったりしないから」

名無は手招きするロクロウの元に走って、クロガネを見上げる。「食いたくても食える口がないからな」クロガネがおどけながら言った。名無とロクロウはドッと笑い出す。(…どうやって喋ってんだろ……?)新たな疑問が浮かび上がるが、今は本題に入らなければ。

「名無、クロガネに頼みがあるんだよな?」
「えっ?…う、うん」

クロガネが船に乗ることが決定した直後に思い付いた頼み事なのでロクロウが知るはずもないのだが、お見通しなようだ。彼の察しのよさに感謝しながら、名無は小袋を取り出した。


* * * 


 ―――何か手伝うことはないか。名無は船員たちに尋ね、数日に渡り船乗りがせねばならぬ作業を教えてもらっていた。当たり前だが、数日だけではとても覚えきれない量だ。少ししか体験していないのだが、本に書いてあったことと実際の経験の違いを身で感じた。微力であってもアイフリード海賊団の力になりたい名無は、日頃から手伝おうと決めたのであった。


 作業の最中にベンウィックと会い、一通りの仕事を終わらせた名無は彼と共に外に出る。ライフィセットが甲板を眺めていた様子が二人の目に入った。甲板ではダイルとクロガネ、ロクロウが談笑しており、ベルベット、マギルゥ、エレノアの姿もあった。

「ライフィセットー、何見てんの?」
「名無、ベンウィック」
「なんだか海賊っていうよりサーカスみたいになってきたな」

(アイフリードが喜びそうだ)聖隷や業魔だけではなく、対魔士をも道ずれにしている。そんな今の現状にアイフリードなら、そいつは面白ぇと笑うだろう。彼の性格から簡単に予想できる。クスッと名無は笑った。

「ベンウィックは、業魔とか平気なの?」

ライフィセットの質問に、そんなものは関係ないと即答するベンウィック。

「バンエルティアに乗ったからにはみんな”海賊”!それが俺たちの”流儀”さ」
「…それなら、私も海賊になれてる!?」

身を乗り出して自分を指差す名無。「おう、もちろん!まだまだ見習いだけどな」名無にとって海賊とは、自由の象徴だ。広大な海に思いを馳せ自由に憧れる彼女は、見習いでも己が海賊になったことが嬉しかったのだ、頬を紅潮させて数回跳ねる。海賊と呼ばれて喜ぶ女の子は名無くらいだ。しかし心から嬉しそうな彼女の姿が微笑ましく、ベンウィックとライフィセットは笑う。

「…ま、船長や副長の受け売りだけどな」
「そうなんだ、やっぱりアイフリードはかっこいい!」
「名無、副長は……?」
「アイゼンもかっこいいよ、変なとこあるけど」

どうやら名無の中では半月ほど過ごしているアイゼンよりも、半年間共にいたアイフリードの方が好感度が上なようだ。ベンウィックは今度は乾いた笑いを浮かべた。
そのままアイフリードのことを話す二人。ライフィセットは話題の人物のことが気になるようで、アイフリードの人物像を尋ねる。彼は名前しか聞いていないのだ、気になるのも仕方ない。ベンウィックは腕を組む。

「一言で言うと、この”海”みたいなアゴヒゲ男、かな」

ライフィセットはベンウィックの台詞を復唱した。「俺たちは、みんな世の中から弾き出された奴らばかりだ」船員たちを眺め、自分の過去を思い出すように。名無は彼の話を黙って聞くことにした。自分視点からだけでなく、船員から見たアイフリードの印象も知りたいから。

「そんな俺たちを、脛の傷ひっくるめて全部受け入れてくれたのがアイフリード船長なんだ」

名無も自らとはいえ、表社会から外れた身だ。アイフリードはそんな名無の面倒を見てくれた。その大きな器で。

「……優しいってこと?」
「海って、優しいだけか?傷がある時に飛び込んだらどうなる?」
「しみるし、痛い」

それに穏やかな日もあれば荒れる日もある。浅いところ、深いところ、渦巻きだってある。ベンウィックの連なる言葉に浮かんでくるライフィセットの感想は

「怖くて……不思議……」
「そう。厳しいけど、不思議で果てしない。だから命を張ってでも飛び込みたいって思う」

「大海賊バン・アイフリードはそういうデッケェ人なのさ!」それが彼のカリスマだ。名無は海を眺めながら微笑んだ。船員たちにもこんなに慕われているのだ、必ず助け出さねばなるまい。少し考えたライフィセットは一つの答えに辿り着く。

「ベルベットみたいな人……かな」

ベンウィックはがっくしと肩を落とす。対して名無は笑った。(アイフリードとベルベットって似てるのかも)

「な〜んでそうなるんだよ!?俺か?俺の説明が悪いのか!?」
「少なくても私には伝わったぜ?」

ベンウィックの背中を撫でながら励ましていた名無。「お前ならどう説明するよ?」「そうだなぁ……」名無もアイフリードのことを簡潔に表す言葉を探そうとするが、アイゼンがこちらに向かって来ていることに気付いて中断する。いつもより重々しい表情を不思議に思い、彼を見つめた。

「ベンウィック、進路変更だ。レニード港へ向かう」
「アイゼン?」
「副長、急にどうしたんですか!?」

自分たちはサウズガンドのイズルトが第一優先のはずだが。名無は首を傾げた。彼は名無も捜していたらしく、彼女を見つめて一言。

「名無、体調は?」
「え?いつも通り元気だけど」
「そうか、ならいい」

視線をベンウィックに戻したアイゼン。そして、進路変更となった元凶を簡潔に説明する。

「”壊賊病”だ。下で三人倒れた」

名無は驚く。壊賊病。一度本で読んだのみだが、その病状の恐ろしさからよく覚えている。ぞわりと鳥肌がたった。最初の兆候は三日前らしい。アイゼンはベンウィックの体調も確認する。

「俺はまだ大丈夫。けど、三日目ってことはこの船全員もらってますよね?」
「おそらくな」

それなら私もだ、名無の顔が強ばる。水や海の自然エネルギーを扱うことに優れる自分でも、所詮は人間なのだから。アイゼンが体調を聞いてきたのは、進行具合の確認だったのだ。

「しかし、レニード港に行けば治療薬が手に入るはずだ」
「すぐにみんなの状況確認します」
「全員水分を多めに摂らせろ。自分の分も忘れるなよ」
「了解!全員、緊急体勢ー!」

進路変更の準備と、壊賊病への対応の指示を的確に出すベンウィック。名無も彼らを助力しようとする。しかしアイゼンが許さなかった。

「お前はライフィセットと今の現状をベルベットたちに伝えろ」
「う、うん。わかった」
「それに俺は、お前にも水分を多めに摂れと言ったからな。激しく体を動かしたり、霊力を過度に消費するようなこともするなよ」

名無に水の入った容器を押し付けるように渡したアイゼンも急いだように行ってしまった。名無は彼の言われたようにしようと、ライフィセットと共にベルベットたちと合流する。

 一通りのことを説明した名無。壊賊病のことを知っていたロクロウが、「死ぬかもしれないってのに、胆の据わった連中だな」船員たちを見ながら感想を述べる。

「死ぬ?壊賊病って死病なの?」
「うむ、原因不明の高熱を発し、最後には砂のごとく崩れて死ぬという奇病じゃ」

「人が砂に!?」ライフィセットも詳細は知らなかったようで、その奇病に驚く。マギルゥは説明を続けた。かつて四海を制した大海賊の船で流行し、一味が全滅したことから壊賊病と呼ばれるようになったとか。

「そんな病に、私たちも感染した……?」
「人間はな」

だからロクロウはいつもと変わりないのか。落ち着いた様子で一行を眺める名無。最初こそ動揺したものの、堂々としている船員たちを見た彼女は普段の調子を取り戻していた。

「壊賊病かかるのは人間だけなんじゃよ」
「じゃあ……マギルゥもでしょ?」
「うぅ……そうじゃった……儂の人生もここまでのようじゃあ〜」
「やめろよその台詞ー私たちまで死ぬことになるじゃねぇか!」

「ならば共に天国に参ろうぞ名無〜」「地獄に落ちるの間違いだろ?」じゃれあっている二人をよそに、ベルベットは真剣にエレノアに言葉を投げかける。

「器に死なれちゃ困るわ。発症したら、すぐに言いなさい」
「……ええ」

動揺しているエレノアの傍に寄った名無。彼女に、安心させる言葉を伝えたい。

「エレノア、そんなに心配するなよ。感染したとも限らないし、すぐ死ぬような病気じゃないから」
「名無……あなたは不安ではないのですか?」

名無だって感染してるかもしれないのに。そう、彼女の目が語っていた。

「最初だけな。今は……死ぬとしても二十九歳までは生きたかったなー、って思うだけ」
「……?」
「何で二十九歳までなのよ」
「とりあえずの目安、そこまで生きれば上々だろ」

自分は長生きできるような人生は歩めないだろう。そう自負している。「……そう」そっけない返事をしたベルベットだが、どこか複雑そうな顔をしていた。

「つーわけで、まだ死にたくない私は手伝いに行ってくるよ。器とか関係なくエレノアにも死んでほしくないしな」
「名無……」
「儂は儂は?」
「お前は知らねぇ」

「何じゃと!?」「はは!ごめん冗談!」マギルゥのリアクションに笑う。(激しく動かなかったらアイゼンも何も言わないだろ)そのまま歩いて行ってしまう名無なのであった。

「さて、俺たちも助っ人に行くぞ。エレノア以外は、みんな働けよ」そう言い残したロクロウも、名無の後に続いた。「えっ……」自分を気遣う物言いに頬を赤らめてしまうエレノア。

「エレノア以外とは酷いではないか!儂だって感染しとるかもしれんのに〜」
「あんたは”魔女”でしょ。黙って働きなさい」

文句を言うなといったように、問答無用なベルベット。彼女はライフィセットと一緒にベンウィックに指示を仰ぎに向かったようだ。後姿をジトリと見るマギルゥ。

「やれやれ……これも”死神の呪い”か。魔女にまで迷惑かけるとは、けしからんのー」

彼女も嫌々ではあるが、働きに出向かうようだ。ふてくされながら船内へと入って行った。

「死神の呪い?」

まだ死神の呪いのことを知らないエレノアは、疑問に思ったのであった。


 


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