3月  



「お兄ちゃんいい加減にして」
「何……」

夕食時に、向かいに座っている妹、エドナに睨まれる。何かしただろうか。思春期で反抗期気味のこいつに気を悪くさせないように、最近は細心の注意を払っている。何に対して怒っているのかわかっていない俺を見たエドナが口を開いた。

「デザートを出すのやめて」

俺が机に置いた一品が気に入らないらしい。今日はシフォンケーキだ。

「シフォンケーキは嫌いだったか?」
「そういう意味じゃない。ワタシは毎日デザートを出すのをやめてほしいの」

年頃の乙女に毎日お菓子を出すなと俺をじとりと睨むエドナ。

「なら食わなければいいだろう」
「……あったら食べちゃうのよ」

それくらいわかれと馬鹿にされた。エドナに感想を教えてもらおうと思っていた俺は悩む。
今月の十四日はホワイトデーだ。あいつ、名無に最高のお返しをしようと思った俺は先月から一日に一品以上は作っていた。あいつも家庭科部のベルベットと練習したらしい。なら俺も本気でメニューを選び、何回も作るまでだ。エドナは太るからという理由で苦言を唱えている。

「そこまでしてお返しがしたい相手がいるってわけね」
「な、……」
「わかるわよ。お兄ちゃんったら、真剣にお菓子を作ってるもの」

見え見えよ、と笑う妹。そこまで読まれてたのかと片手で顔を覆った。
俺は、名無が好きだ。生徒としてではなく、一人の女として。
最初はアホで生意気な部員としか思っていなかったが、接しているうちに他の女子生徒とは違うとわかってきた。そして、名無の可愛さに心を奪われ、好きになっていたのだ。

「よかったわ。お兄ちゃん三十路に入っても全く彼女できないから、心配してたのよ」
「お前なぁ……」

若い頃……いや、俺は今も十分若いぞ。……とにかく昔に彼女がいたことは何回もあるが、その時のエドナは相手に攻撃的な態度をしていた。なので今の肯定的な様子に俺は呆気にとられる。

「だって昔のお兄ちゃん、見るからに悪い女ばっかり連れてくるんだもの。女を見る目がないわ」

はっきりと言われてしまった。……いい返せない、過去の苦い出来事を思い出し、俺は黙ってしまう。エドナは興味津々のようで、次はどんな女性か聞いてきた。

「画像とかないの?悪い女かどうか見極めてあげる」
「………」

画像は、ある。夏休み中の旅行の写真や、学園祭の時のものが。あれは最高のチャンスだった、とっさにスマホで撮影した俺を今でも誉めてやりたい。あの画像は可愛く撮れているし、バックアップもとって大事にしている。

「画像をないとも言わないし、見せられないってことは……もしかして、生徒?」
「……っ!」

我が妹ながら鋭い。当たっているとわかったエドナはため息をついていた。

「それなら……例の、物好きな機械部の子ね?」

「お見通しじゃねぇか……」誰に似たのかはわからないが、末恐ろしい奴だ。画像を求められたが、実はもう知っているのではないか。
それからは夕食を食べながら俺が名無の好きなところなどを尋問され、最後は警察沙汰だけはやめろと注意された。文句を言っていたデザートのシフォンケーキも綺麗に平らげていた。

「来月が楽しみね」

俺は楽しみじゃない。エドナがうちの学園に進級することは楽しみなのだが、一つの問題がわかってしまったのだ。そう、教師と生徒以上の壁がある。名無の父親のことだ。名無が、まさか親友であるアイフリードの娘だとは一ミリたりとも思っていなかったのだ。
俺は先月のことを思い出していた―――

* * *

「―――もう、帰ってくるなら言ってよ!本当に驚いたんだからな」
「いやぁ悪い悪い!」

リビングで、俺とアイフリードに茶を出す名無は一見怒っているように見えるが、久々の父親の帰宅に喜んでいた。……この二人、似てなさすぎるだろう。名無が父親似だったら好きにならなかったかもしれない。
アイフリードの話によると、三月に帰国する予定だったが急いで仕事を終わらせたらしい。連絡ができないほどに仕事を詰め込んで終わらせたのだろう、そんなにバレンタイン当日にチョコが欲しかったのかと呆れた。

「それにしても本当に久々だな。五年ぶりか?」
「最後に会ったのはお前に車を貰った時だから、そうなるな」

お互いどうしていたのかなどの雑談をしていると、名無が興味深そうに眺めてくる。そうだ、こいつに説明してやらなければ。アイフリードもそう思ったらしい、俺を指差して学生時代からの親友だと話す。

「何だよ先生やっぱ元ヤンじゃねーか!」

そういえば、以前に昔は不良だったかという質問をはぐらかしたな。俺は茶をすすりながら目を逸らした。「それで、お前らはどういう関係だ?」楽しそうに聞くアイフリードに名無が答えた。

「アイゼン先生は部活の顧問。私機械部に入らさ…入ったから」
「機械部!?機械音痴のお前がか!?」
「おかげさまで最低限の操作はできるようになったよ……」

名無の理数系が壊滅的なこと、機械音痴ぶりには苦労させられた。俺がどんなに大変な思いをしたか……。アイフリードは感心し、激しく感動している。「立派になりやがって……!!」「うわあああヒゲじょりじょりはやめろぉ!」アイフリードに抱きかかえられた名無は嫌そうに暴れていた。

「お前も立派な親バカになったな……」
「うるせぇシスコンには言われたかねぇよ」

「……あぁ?」アイフリードを睨みつけた。こいつにも、俺はあくまで妹想いだと言ったはずだが。「お、久々にやるか?」名無を解放して拳を構えるアイフリードに、俺も椅子から立ち上がって応える。こいつを負かしておいたら名無とのことがスムーズにいくかもしれない。

「ちょっ…!家の中でやめろよ!」
「よし表に出るぞ」
「望むところだ」
「外でもやめて!!」

てっとり早く窓から外に出ようとする俺たちを引き止める名無。椅子に座らせ、話題を変えるように「何で私とアイゼン先生知り合いじゃなかったのかな。逆に父さんも、先生の妹さんと会ってないんじゃないの?」と新しい茶を注ぎながら言った。

「そりゃあこんな目付きの悪い奴とお前を会わせるわけにはいかねぇだろ」
「こんな顔に傷のある危ない奴をエドナに会わせられないだろう」

「「……あ"ぁ"?」」ガタリとお互い立ち上がろうとする。そんな俺たちを見た名無は「本当に親友だよな?」乾いた笑いを浮かべていた。

名無の早く帰らなくていいのか、という質問で思い出した俺はコートを着る。エドナに夕食を作らなければ、きっと腹を空かせている。玄関で靴を履きながら二人と言葉を交わした。

「今度バイク乗り回さねぇか?あと酒!奢るぜ」
「それならいい居酒屋があるぞ。ザビーダの奴も誘うか?」
「いいな!昔を思い出すぜ」

確かに昔を思い出す。たまにはガキのようにはしゃぐのも悪くねぇ。軽く笑った俺は扉に手をかけた。

「先生、今日はありがとう」
「いや、俺こそ世話かけたな。あと……あれは家でゆっくり食う」

あれとは車の中にある、名無から貰ったチョコのことだ。名無も勿論わかるだろう。照れているのか、少しばかり頬を赤らめてはにかむ。……ああ、可愛いな。今日のこいつは特にだ。
名無の後ろに立つアイフリードが人を殺しそうな顔をこちらに向けていたが、俺は気にせず二人に別れの挨拶をして出て行った。

* * *

それからは、親父と同年代の俺を恋愛対象に見てくれるのか、という悩みが渦巻いていた。アイフリードの奴め、若すぎる時に名無をつくりやがって…という支離滅裂な愚痴を呟きながら菓子の本に目を通していると、「お兄ちゃん」少しばかり扉を開けたエドナがその隙間からこちらを見つめる。

「どうしたエドナ。食い足りなかったか」
「そんなわけないでしょ。……アドバイスしてあげる」



* * *



三月十四日。アイフリード宅、玄関の前。学園は春休みだ、機械部もない。俺は親友を訪ねる建前で名無に会いに来ていた。深呼吸をして、インターホンを鳴らした。

「―――アイゼン先生!」

扉を空けて出迎えてくれたのは、他でもない名無だった。アイフリードが睨みながら出てくると思っていた俺は少し驚く。まだ寒いだろうからと、まずは俺をリビングに通す名無。すぐ傍のキッチンで茶を入れる彼女に話しかけた。

「お前だけか?」
「仕事場にトラブルがあったらしくてさ、数時間前に出ていったよ」

これは絶好のチャンスではないか。真の用事を知らない名無は湯呑みを置いて「父さんに用があった?ごめん、いつ帰ってくるかはわかんないや」と眉尻を下げながら謝罪した。

「………構わん。用事はお前にもあるからな」
「……私?」

首を傾げる名無。こいつ、忘れてやがるな……。こっちに来いと手招きすると素直に寄ってくる。椅子から立ち上がった俺は紙袋を手渡した。

「?」
「バレンタインの礼だ。美味かったぞ」

「……あっ」ようやくわかったのか、名無の頬が染まる。

「別にお返しなんて貰おうと思ってなかったのに……気を使わせたかな」
「俺が礼をしたいから渡すんだ。自分で決めたことだから気にするな」
「う、うん。……ありがとう」

照れた表情で目を泳がせる名無。ただの教師からの贈り物にこんな反応するだろうか。こいつなら普段と同じ態度でハッキリと礼を言うだけで終わりそうなものだが。
俺を、一人の男として見てくれている?バレンタインの時もやけにしおらしかった。……もしや、いけるんじゃないか?

「開けていい?」
「ああ」

俺の返事を聞いた名無は、紙袋から中身を取り出し、手に取った箱を開ける。中身を見た名無は目を輝せた。「わっ、なんか色々ある」
一つは、俺の得意料理であるパルミエだ。今日の為に様々なものを作ったが、結局これに落ち着いた。あとはガラス製のキャンディーポットだ。水色のガラスで、海をモチーフにしたデザインはこいつに似合う。

「こっちのパイは、もしかして手作り?」
「パルミエだ」

俺が作ったと答えてやると、名無は目を丸くして驚く。相変わらず表情が忙しい奴だ。

「味わって食べるし、キャンディーポットは大切に部屋に飾るよ、本当にありがとう!」

嬉しそうに笑顔を見せる名無は本当に愛らしい。……が、これは知らない様子だ。
この前エドナから教わったアドバイスとは、お返しの意味を調べろ。これだけだった。ものによって意味があるらしい。エドナの言う通りに調べた俺は、迷わず飴を贈ることにしたのだ。手作りの物も贈りたかったのでパルミエも添えて。

「名無……」
「ん?」

ホワイトデーに飴を贈る意味を調べてみろ。この台詞を言えば、こいつはすぐさまスマートフォンを取り出すだろう。そして、俺が名無に抱く想いも伝わる。
いや、そんな回りくどいことを言うよりは、直接好きだと告白したい。名前を呼ぶだけで口を閉じていた俺は、名無を見つめて再び口を開く。

「お前に伝えたいことがある。世間的には許されないことだが……」
「先生?」

アイゼン先生、その呼称をやめてほしい。名前だけで呼び、俺を男と見てもらいたい。今の俺は感情を抑えられなかった。
俺は一人の男として、名無を一人の女として見ている、好きだ。
そう言おうと名無との距離を積めるが、「うわっ!?何だ!?」名無が驚く。外からのけたたましいクラクション音により、中断されてしまったのだ。

「名無ー!アイゼン来てねぇか!?」
「来てるよー!今リビング!」

窓を開けて自分の父親に教えてやる名無。……ああ、そうだ、こいつと付き合う前にアイフリードをどうにかしねぇと。俺も窓から顔を覗かせ、アイフリードに姿を見せた。

「おおアイゼン!今朝に名無とアイゼン誘って飯でも食いに行こうって話してたんだがどうだ?」

アイフリードには再会した時に住所も教えていた。あの様子だと帰り際に俺とエドナが住んでいるマンションを訪ねたのだろう。そして俺が留守だったのに加え今日はホワイトデー、自宅にいると判断して飛ばして帰ってきやがったな。親友の俺を心から誘ってくれているのはわかる。しかし娘には手を出させねぇぞ、ともアイフリードの目が語っていた。

「先生よかったら行こう!父さんの奢りだろうし、美味いもの食べられるよ!」
「……そうだな」

俺の腕を引く名無の笑顔に毒気を抜かれてしまった。三人で賑やかに飯を食うのもいいなと思った俺は、名無に引かれるままに外に出たのだった。


 


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