12  



渓谷を下っている一行。エレノアは特別任務の対象である名無の情報を得る為に、彼女に声をかけた。

「姫様」
「……」
「あの、名無しさん姫…様…?」
「………」
「え、と……名無」
「何ー?エレノア」

ようやく名無と呼ばれたので、エレノアに返事をしてやる。「もう出奔してるって離宮でも言っただろ?」姫と呼ぶのはやめてほしい、もう一度注意する。

「すみません。以後、気を付けます……」
「それで?話しかけた用は何だ?」
「はい。何故ひ…名無は、王家を脱したのですか?」

名無が出奔した理由を聞き、解決すれば自ら戻ってくれるかもしれない。「んー?色々あるんだけどなぁ……」名無は腕を組んだ。そしてさらっと国王との血の繋がりないことを話し、エレノアを驚愕させた。加えて謳術士の能力もあり、母親似。血の繋がりがなくとも寵愛されていた。それが他の王家の者には気にくわなく、政権崩壊の心配もあったのだろう。

「それもあってか、何かと命を狙われることが多くて……気がついたら城を抜け出してた」
「そんなことが………」

あからさまな策にも騙される名無が十四歳まで生き残れたことは奇跡に近い。よく生きてたよと笑い、深い青色の瞳が景色を見渡す。

「……一番の理由は、世界が見たかったから」
「世界……」
「生まれた時から城の中でさ、よくても中庭にしか出られなかった。だからかなぁ……本に書いてある外のことが輝いて見えたよ」

木が寄り添いあってできた森。穏やかに流れる川。氷の大地。灼熱のマグマ。なにより、無限に広がる青い海を見たかった。名無の気持ちがわかるライフィセットは彼女に同意し、頷いた。

「惜しいことするのぅ。姫の身に甘んじておれば一生楽に暮らせるじゃろうに」
「だろうなぁ。でも、なんかなー……。一つの場所に留まるのが苦手なんだよな」

昔からドレスの裾が邪魔でしかなかった。コルセットがきついだの、他にも文句がぽろぽろと出てくる。

「乙女の憧れをそうも否定するのかえ……」
「ははは、名無は生まれつき、姫は似合わなかったようだな!」
「そうだなぁ、性格は父親に似たのかも」
「……!」

アイゼンは目を見開いた。確かに名無は、性格や心意気がアイフリードと似ている。(気付いたのか……?)隣を歩く彼女を盗み見た。

「本当の父親のこと、知ってるの?」
「いや、全く。何も知らない。けど……」

とんでもない悪い奴な気がする。そう言って、けらっと笑う名無がアイフリードとの関係に勘づいているのかどうかはアイゼンにはわからなかった。いらないことを言って墓穴を掘るわけにはいかない。彼が会話に参加することはなかった。

(名無しさん姫が王家を脱したのは、そんな理由があったのね……。命が危ういなら聖寮で手厚く保護すれば大丈夫。連れ出すために、もっと情報を集めないと……)

エレノアは考えを巡らせていた。アイゼンは彼女に気付かれないように見る。名無の情報を得る為に、今の質問をしたのだろうと見破っていた。こいつの思惑通りにはさせん、名無は絶対に連れていかせないと鋭い目をした。


 いくつもある吊り橋を渡る一行。「んあ?誰かいないか?」名無は指差した。一人の男性が、吊り橋の先に佇んでいる。皆も気付いてるようだ。「あんた、ちょっといい?」最初にベルベットが話しかけた。振り返った男性は賊のような身なりをしていた。賊でも何でもいい、一行は現在地を聞き出そうとする。彼はロクロウとアイゼンを視界に収めた瞬間に怯え出した。

「ひっ!刀斬りの仲間か!?」
「はぁ?」
「かたなぎり?」

「く、来るな!!」混乱している彼は剣を取り出し、こちらに襲いかかってくる。

「俺が悪かったー!」
「謝りながら斬りかかるな!」
「あーあ、怯えてら……アイゼンの顔怖いからだー」
「うるせぇ」

初撃を避け、二刀小太刀を構えたロクロウ。男性の戦意を喪失させることは彼に任せることにした。男性の攻撃は隙まみれで、ロクロウは綺麗なカウンターをお見舞いする。対象は男性の剣の刃だ。

「ふん!」
「剣が……斬られた!?」

ロクロウの鋭い攻撃で、綺麗に真っ二つになる。が、切り離された刃の上部が回転しながら名無の頭目掛けて飛んでくる。「おわあああ!!」とっさに上半身を真後ろに反らして一命をとりとめた。前髪が数本切れる。名無はブリッジの体勢で「死ぬかと思った……」と冷や汗を垂らした。

「おー。よく避けたのう」
「名無!だ、大丈夫!?」
「すまん!そっちに飛ぶはずはないんだが……」

確かに切られた刃は、下に落ちるはずだ。斜め後ろの、しかも離れている名無のところに飛ぶはずがない。名無は乾いた苦笑いをしながら地面に腰を下ろしていた。

「……名無」
「お、ありがとう」
「………」

名無に手を差し伸べて起こしたアイゼンの表情は険しい。これは、死神の呪いの影響だ。エレノア以外の面々は察していた。名無は勿論アイゼンを責めたりはせずに、彼の手を借りて立ち上がった。

「ああ……業魔様……命だけは勘弁してくれぇ……」

跪き命乞いする男性に、ベルベットは話を聞けと苛立つ。彼の恐怖を消し去らなければ話は聞けそうにない。ライフィセットがエレノアに視線を注ぎながら優しく声をかけた。

「怖がらないで。この人は対魔士だよ」
「わ…私は一等対魔士エレノアです。落ち着いて話を聞かせてください」

エレノアはライフィセットのアイコンタクトの意味をなんとか汲み取った。彼に続き、優しい言葉をかけるエレノアを見た男性は落ち着いたようだ。

「確かに対魔士だ……けど、何で対魔士がこんな奴らと一緒に?」
「極秘任務の途中なのです。ここがどこか教えてもらえませんか?できれば港の場所も」

男性はこの地の名前を即答し、ここはアイルガンド領のカドニクス島だと判明する。この渓谷を進み、ヴェスター坑道を抜ければ港に出ることも教えてくれた。

「バンエルティアに繋ぎをつける」
「お願い」

バンエルティア号と合流する為に、アイゼンはシルフモドキを飛ばすようだ。「ぅ、わ」名無のフードの中からシルフモドキが顔を出す。ベンウィックと離れている間は、名無のフード内が彼らの住処になりそうだった。羽が首元に当たって思わず笑い声が漏れる。「くすぐった……!慣れないなぁ。アイゼン、はい」腕に乗せて、文を書き終わったアイゼンに渡した。彼は念じて、空にシルフモドキを飛ばす。あとは港に向かうのみだ。

「もうひとつ。刀斬りってのは何だ?」

不可解な呼称にロクロウは興味を示していた。

「最近、この辺りで暴れている業魔でな。剣士ばかりを狙って、その刀を叩き斬るんだ。一等対魔士まで何人もやられてる」
「だから刀斬りか」

ロクロウは納得したように顎に手を当てた。この山賊の男性は、刀斬りと呼ばれる業魔の異国の業物を盗もうと、棲家を探していたら襲われてしまったらしい。彼はロクロウの背中にある太刀を見て警告するが、本人は楽しそうに歯を見せて笑った。

「しっかし、業魔相手に盗みを働こうとは自業自爆じゃな」
「馬鹿すぎたよ……」

山賊の男性は己の過ちに肩を落とす。「きっと、これを機に足を洗えということです」エレノアが歩み寄り、真っ直ぐな目で彼を見た。

「業魔に殺されなかった幸運な命を、もう悪事で穢さないでください」
「………」

彼は、エレノアに見とれながら頷いた。

 山賊の男性と別れた一行は引き続き、渓谷を下る。名無は気付く、ロクロウが普段より楽しそうなことに。「何か楽しそうだね」ライフィセットも言い当てた。

「俺は”夜叉”だからな」
「夜叉……戦いの鬼神……」
「応、斬ってなんぼって業魔なのさ」

名無は、そういえばロクロウは過去にそう言っていたな、と思い出しながら刀斬りに会いたいのかと質問をした。

「どこまで強者なのかは気になるな」
「異国の刀で対魔士も倒したって……怖くないの?」

「死ぬのがか?」ロクロウの確認にライフィセットは、うんと頷く。

「死ぬのは怖くないが、”生きたい”とは思う」

名無は目を少し見開いた。生きたい、彼からその言葉が出てくるとは思わなかったからだ。よく意味がわかってないライフィセット。

「斬ることが俺の存在そのもので、欲なんだ。それを満たす為に斬る……”生斬る”なんてな」
「………」
「そうだな……自分のやりたいことをしてないと、生きているとは言えないよな」

名無は自分の片刃剣の柄に触って、同意した。そこに、しかめっ面をしたエレノアが会話に入ってくる。

「他者を斬り殺すことが生きがいなんて……業魔はどこまでいっても業魔なのですね」
「身も蓋もない言い方だなぁ、ははは」

陽気に笑っているロクロウと、険しい表情のエレノアに苦笑いする名無。早歩きで進むエレノアに追いついて、隣に並んだ。

「確かにロクロウはそういうところは物騒だけど、味方だと頼りになるんだぜ。話してても楽しいよ」
「……そうですか」

業魔となど、不要な雑談をする気にはならない。彼女の顔がそう語っていた。(……まぁ、今まで業魔を殺してきてたもんな。すぐには仲良くなれないか)名無は軽く頭を掻いた。


 長い間歩いている名無は山賊の言っていた坑道はまだなのかと口に出そうとすると、ロクロウが足を止め、ベルベットとアイゼンも気付いたように立ち止まる。名無とライフィセットは不思議そうに彼らの目線の先を追った。
鎧をまとった業魔が、行く手を阻むように立っていた。その者の右手には刀……異国の業物を振るう業魔、刀斬りだとわかる。今にも襲いかかってきそうだ。

「その刀、”征嵐”か」

ロクロウの問いかけに何も言わない刀斬り。そのまま振りかざしてくる。「問答無用か!」ロクロウは刀斬りの攻撃を避けた。一行は戦闘態勢に入った。「言語道断蒟蒻問答怨敵退散じゃ!フラッドウォール!」刀斬りの足元から水の壁が噴出される。マギルゥの聖隷術を食らっても、刀斬りは少し仰け反るだけだった。

「!! おおっ!?」

片刃剣を取り出した名無に向かい、真っ直ぐに突進してくる。何とか後方に跳躍して、斬撃をかわした。名無は剣を構えて迎撃しようとするが「狙いは剣士か……!」アイゼンが割り込み、名無を後退させる。

「名無!下がれ!」
「はぁ!?私も戦えるよ!」

アイゼンの命令に反抗するが、武器を斬られたいのかとたしなめられ、唸りながらその場に留まる。お前では勝てないと言われたようなもので(助けられてばっかりだ)名無は、純粋に味方を守れる強さを欲した。

 刀斬りの標的は、三人とも得物は違うものの剣士である名無、ベルベット、ロクロウだ。ベルベットが鎧部分ではないところにブレードを振り抜くが、弾かれるだけであった。「なんて硬い奴…!」刀斬りの防御力の高さに苦戦し、戦いは進展しない。ベルベットが名無に謳術を頼もうとするが、ロクロウが一歩前に出た。

「任せろ」

正面からやり合うようだ。彼は刀斬りに突っ込むが、攻撃を弾かれ倒れてしまう。むくりと起き上がった彼は

「……斬り甲斐があるぜ」

赤い右目を煌かせてニヤリと笑った。その顔は普段とはまるで違う、業魔のそれであった。刀斬りが向かってくる、ロクロウも応戦しようとするが「ロクロウ!」彼の身を案じたライフィセットが聖隷術で刀斬りを吹き飛ばした。すると、振り返ったロクロウは怖ろしい形相でライフィセットを睨む。

「邪魔をするな!」
「ひっ!?」

ライフィセットに斬りかかるロクロウ。しかしエレノアとベルベットが阻む。二人は武器を構え、ロクロウを睨んだ。

「仲間を殺す気ですか!!」
「なら、あんたを殺す」

二人の言葉に、ハッと我に返ったロクロウは「……すまん。つい熱くなった」二刀小太刀を収めた。ベルベットとエレノアも自分の武器を下ろす。

「あれ、いない……」そう名無が呟くと、他の者も刀斬りの方を向くが、いなくなっていた。ひとまず驚異は去ったようだ。名無の傍からロクロウの隣へと歩み寄るアイゼン。

「知っている奴なのか?」
「刀だけな。あれは”征嵐”って刀だった」

本当に名刀なのか、へぇーと名無は声に出す。「何だっていいし、刀に用はないわ。港に急ぐわよ」苛立った様子のベルベットは歩き出した。

「セイラン……?」

マギルゥは、その名前に何か引っかかっているようだった。


 名無は先のロクロウを思い出していた。普段は優しい彼だが、その本質を見誤ってはならない。彼はそういう奴なのだ、否定も嫌悪もしない。ただ接し方を間違えれば、自分もライフィセットのように襲われてしまうだろう。名無は最後尾をとぼとぼ歩くライフィセットに近寄った。

「大丈夫?」
「……」

優しく声をかける。しかし彼は俯いたままであった。先のロクロウの行動にショックを受けたのと同時に、彼がどうして自分を襲ったのかがわからないのだろう。

「心がある奴にはな、譲れないものがあるんだ。他人を殺してでも、死んだとしてでも……な」
「譲れないこと……」

隣の名無を見上げるライフィセット。

「名無にもあるの?」
「………あるよ」

彼の質問に答えた名無は、切なそうに笑った。「それって……」ライフィセットはどんなことか、と聞こうとすると、ロクロウが二人の傍に寄ってくる。今の彼の目的はライフィセットだろう。

「ライフィセット、さっきは悪かったな」
「僕……ロクロウがやられると思って……」

「わかってる。あれは、お前の”意志”だったんだよな」「…だと思う」名無は、二人の会話を聞いていた。
ロクロウは自分のことを語りだした。どうしても斬りたい奴がいる。その人物に勝つ為に、自分は剣の腕を上げねばならない。剣の勝負で勝つ為なら、なんだってする。どれだけ血を流そうが、命を落とそうが、人の心をなくそうが。それがロクロウの抱いている”業”だった。

「―――とにかく、命より大事なことなんだ」
「命……よりも……」

でも、助けたことは恩にきる。死んでしまったら、あいつを斬れない。カラっとした口調でライフィセットに伝えるロクロウ。ライフィセットは返事はするが、浮かない顔で彼から離れてしまった。すると怒りの表情のエレノアが「今のが命の恩人にかける言葉ですか!」と啖呵を切る。

「何がだ?俺はホントのことしか言ってないぞ。それに何故お前が怒る?」
「おかしいとすら思わないとは……やはり業魔ですね」
「ああ、業魔だ」

名無は噛み合ってない二人の会話にまた苦笑いをする。エレノアは(名無は話せば楽しいと言っていたけど、わかるはずがない。それは無理だわ)増々苛立ちを募らせた。


 行く手に洞窟の入り口らしき場所が見えた。ここがヴェスター坑道だろう。かなり深い迷路と山賊の男性から聞いていた。アイゼンがはぐれて迷うなよと名無に一言残す。名無は大丈夫だとむきになりながら答えた。唸っているマギルゥは歩きながら、何かを思い出そうとしている。それに気付いた名無は彼女を見た。

「ほら、もうすぐ坑道だ。ボーッとしてたらアイゼンに注意されるぞ」
「それはお主にだけじゃ……むむう〜聞いた覚えがあるんじゃがのう」

ライフィセットがエレノアに、先程助けてもらった礼を言い、二人は少しの間話す。その中のエレノアの台詞にが気にくわなかったベルベットが口を挟むが「思い出した!」マギルゥの大声によって中断された。

「うわ!びっくりさせるなよ」
「思い出したって……何をよ?」

マギルゥにあわせて他の者たちも立ち止まる。とある昔話が始まった。

「世にも悲しい征嵐の由来じゃよ。さ〜て、お立合い!」

この世にふたつとない太刀、神の刀と讃えられるものがあった。それに魅せられた男がいた。稀代の才を持つ刀鍛冶、名はクロガネ。クロガネは心血を注いで神刀を超える刀を打とうとし、自らの刀に”征嵐”の名を与えたという。

「征嵐は、さっきの刀斬りが持ってたヤツか……」
「凄い刀はできたの……?」
「いいや。クロガネは何十度も神刀に挑んだが、その数だけ征嵐は折られ、砕け散った」

絶望したクロガネは、神刀の持ち主に首を刎ねられたとも、自ら命を絶ったともいわれている。

「もう何百年も昔の話じゃ。じゃが、奴の神刀への恨みは征嵐と共に生き続けているとかいないとか……」

「何百年も続く恨み……か」「よくある怪談話ですね。さっきの刀も、何者かが銘をマネただけかもしれません」ベルベットとエレノアはそれぞれの反応を見せた。

「かもの。じゃが、もしあれが本物なら、儂らは枕を高くして眠れんぞ」
「何で?」
「クロガネが倒したかった”神刀”こそ、俺の生まれたランゲツ家に代々伝わる太刀―――」

―――”號嵐”だからな。ロクロウから明かされたことに、一行の空気が重くなる。

「野郎が、また襲ってくる可能性があるわけだな。急ぐぞ」

アイゼンは名無に早く来いと言った後に再び歩き出した。

 坑道内は最低限の明かりが一定の距離に点されているだけで、薄暗い。ここにも業魔ははびこっており、不意打ちの形で戦闘に入ることも多々あった。


 一行の耳に剣戟音が入る。先にある開けた場所で、刀斬りが倒されていた。「む、無念……」彼の持つ征嵐が折られている。

「おいおい、おもしれぇ業魔だなぁ!刀より体の方が硬ぇってか」

名無は傍らに立っていた男性を見る。その手には大太刀、特徴的な格好をしているが対魔士だ。その人物を捕えたロクロウの表情が一変した。

「こいつは……?」
「シグレ様!聖寮に二人しかいない特等対魔士です」

エレノアが驚いたように、その人物の名と階級を一行に教えた。「特等……メルキオルと同格か」アイゼンの言う通り、あと一人の特等対魔士とはメルキオルのことだ。彼もそうとうの強者だろう、一行に緊張が走る。

「おう、エレノアじゃねぇか。何だお前、業魔に捕まったのか?それとも裏切ったか?」

振り返った特等対魔士、シグレはエレノアと顔見知りのようで彼女の名を呼んだ。彼の問い掛けにエレノアは目を泳がせる。

「わ、私は―――」
「ま、どっちでもいい。好き勝手やってる俺が言えた義理じゃねぇわな」

今の発言、シグレはとても対魔士とは思えない性格に見える。

「しっかし、今日はアタリだった。まさか”征嵐”に出会えるとは思わなかったぜ」
「シグレ、何かすっごく睨んでる子がいるわよ。無視しちゃかわいそう」

シグレの足元に佇む白い猫が、彼を見上げながら発言した。名無は目を丸くして驚く。

「うわあっ!猫が喋った!」
「よく見ろ、聖隷だ」

名無はアイゼンから、聖隷はその者の精神によって外見が変わると以前に聞いていた。それを思い出した彼女は「猫の聖隷かー……」と納得する。シグレは猫の聖隷の台詞に笑った。

「はっはっは、悪ぃ、悪ぃ!昔から弟をイジメちまうのがクセでな」

「なぁ、ロクロウ」シグレの瞳はぶれることなく、その名の持ち主を捕らえる。弟、彼以外の者が驚き、ロクロウを見た。

「変わらないな、シグレ」
「馬鹿野郎!メチャクチャ強くなってるっての。そっちこそ相変わらず、俺を斬るなんてできもしないことを考えてんのかぁ?」

ライフィセットがさらに驚いて声を上げた。「ロクロウが勝ちたい人って……お兄さんなの!?」ロクロウは二刀小太刀を取り出し、シグレを睨む。

「こっちも、あの時の俺じゃないぜ」

自分の振った腕から起きた風で前髪が揺らめき、赤い業魔の右目が光る。「おおっ!?お前、業魔になったのか?そりゃあ、おもしれぇ!」猫の聖隷が彼のなかに入る。そしてシグレは大太刀を抜いた。

「だがよ、結果まで変わるかな?」

”真打ち”に”影打ち”を折られたあの時と。シグレの発言から、彼の持つ號嵐が真打ち、ロクロウの背にある太刀が影打ちだということがわかる。シグレが大太刀を振るう、たちまち強い風が吹いた。

「こいつは俺が斬る。ライフィセット、今度は手を出すなよ。名無、お前も謳うことは許さん」
「……う、うん」
「わかってるよ」

自分の実力で倒したい、だから念の為に名無にも忠告をしたのだろう。

「何年ぶりだ、お前と斬り合うのは?」
「死んで後悔しろ!あの時俺を殺さなかったことをな!」

鋭い目をしたロクロウは、シグレとの一騎討ちに挑んだ。

 坑道内に、何度も剣戟音が響き渡る。シグレの実力は圧倒的だった。刃を交えるごとに、ロクロウが疲弊していくのがわかる。

「流石、業魔だ。悪くねぇ」
「うおおおおッ!」

「斬っ!!」お互いが同じタイミングで刃を向けた為、鍔競り合いの勝負になる。結果はロクロウが負け、吹き飛ばされてしまった。「ぐああっ……!!」体勢を崩したロクロウに、シグレが大太刀の先を向けた。

「だが、ここまでだな」

「ロクロウ……!」ライフィセットが彼の名前を叫んだ。このままでは死んでしまう、けど邪魔はできない。ロクロウに死んで欲しくない、彼の心にその感情が溢れた。

「え……体が勝手に……!?」
「エレノア!?何して―――」

槍の先をシグレに向け、突進しようとするエレノア。何故か彼女の表情は驚きに満ちていた。シグレはロクロウからエレノアへと視線を移す。名無は咄嗟にエレノアの前に出て槍を掴み、動作をとめた。

「―――っ!!」

小太刀がこちらに飛んでくる。名無はエレノアの槍を奪い、それで弾いてエレノアを守った。投擲してきた本人を見る、業魔の形相でこちらを睨んでいるロクロウを。

「邪魔するなっ!!」

即座にアイゼンが名無の腕を引いて自分の後ろに後退させた。エレノアも後ずさる。これで邪魔はいなくなった。勝負はここからだ、ロクロウは背中の太刀を抜く。一行は初めてロクロウが太刀を抜いたところを目撃する。しかしそれは、太刀とは言い難い、短く折られていた刃だった。

「ほぅ……今度は”折れねえ”か」

太刀ではなくロクロウを見たシグレは、満足したのか「今日はここまでだ」自分の大太刀を収め、戦いを中断させた。

「シグレェッ!」
「はやるな。今のお前が強えぇ刀を持ったら、面白ぇと思ったのさ」

クロガネをちらりとみたシグレ。

「そこの爺さんに打ってもらえ。で、もういっぺんやろうや」
「爺さん……?」

シグレのなかから出てきた、猫の聖隷が補足するように発言した。

「その業魔はね、クロガネっていうのよ」
「マギルゥの話の……」
「征嵐の刀鍛冶!」

業魔の身となり、生きていたのか。マギルゥの言うことも棄てたものじゃない、名無が彼女の発言に騙されることに拍車をかけた。

「この先のカドニクス港で待っててやる。俺を倒さなねぇと島からは出られねぇぜ」
「勝手なことを!」
「気に食わなきゃ、かかってきな」

シグレの眼光、本物の強者の視線。「くっ……」ベルベットが彼に襲いかかることはなかった。

「はっはっは!せいぜい精進しろよ、業魔ども!」

エレノアはとっさに引き留めようとする。「シグレ様!私は特命を―――」シグレはエレノアの発言の途中に、ああエレノア、と声を上げ遮った。

「お前マジで裏切りやがったんだな。次に会ったら叩き斬る」
「う……」

敵に向ける顔を彼女に見せた。自分に矛先を向けた、裏切り者に対しての容赦のない言葉に思えるが、特命が一行にバレないように、気を使ったようにも見える。そのまま彼は歩いて行ってしまった。

 アイゼンが去って行くシグレの背中を睨みながら口を開いた。

「野郎、まだ本気を見せてないぞ」
「けど、全員でかかれば……」

数は有利、名無の詩もある。しかし、一行には、シグレに勝つイメージが浮かばなかった。彼と戦ったクロガネも無理だと首を横に振る。

「だが策はある」
「どんな手だ、クロガネ?」
「……ついて来い」

クロガネは歩き出し、ロクロウもついて行ってしまう。槍をエレノアに返し、先程ロクロウが投げた小太刀を拾い上げた名無は「行っちゃったけど……」他の者の様子を窺った。
シグレとの因縁はロクロウ本人の問題だが、シグレを倒さなければアイルガンド領から出れないだろう。一行はクロガネの策を聞く為に、二人を追いかけることにした。


 「名無、ありがとうございました」
「うん、それはいいんだけどさ」

どうしてロクロウを助けるような真似をしたのか。スパイの彼女にとっては、シグレが味方でロクロウが敵だ。ロクロウは手を出すなと言っていたし、シグレの邪魔をしなければ敵を一人消せたはずなのだが。

「本当に、体が勝手に動いてしまったのです。私も何故あんなことをしてしまったのか……」
「ふーん……」

名無は前を歩いているライフィセットを見た。エレノアも彼女の視線の先を見つめる。ロクロウを守りたいライフィセットが無意識にエレノアを動かしてしまったのだろう。器に二度も干渉するとは、やはりライフィセットは、ただの聖隷ではない。


 クロガネとロクロウを追う一行は、坑道の奥深くに入り込む。狭い道を通り、とある場所にたどり着いた。

「凄い……刀がこんなに……」

そこはクロガネの鍛冶場であった。沢山の刀が錯乱している。おそらく、これらは失敗作なのだろう。

「伝説の刀鍛冶クロガネは、號嵐に勝つ為に生き永らえてたんだな」
「そうだ。俺は全て捨て、號嵐を超える刀を打つことだけを考え続けた。そして気付けば―――」

業魔になっていた。クロガネも、ロクロウは兄を斬りたいが為にその身を堕としたと践む。

「同じ穴の貉だ。俺にお前の刀をあずけてくれないか」

クロガネは揺らいでいるようで、下を向いた。そして號嵐に歯が立たなかった自分の刀を求めるのかと確認する。「応とも!」ロクロウは即答した。

「何十回、何百年負け続けても、お前は折れていない」

クロガネは自分と同じ。シグレと神剣を斬れるものがあるとしたら、この”恨み”だけだ。ロクロウはクロガネに自分の感情をぶつける。その真っ直ぐな気持ちはクロガネに届くだろう、名無は彼らを眺める。

「……奇しくも、貴様等兄弟が同じ手がかりをくれた。その策で新たな刀を打とう」

煌鋼を探すのかとライフィセットが問うが、ロクロウはその必要はないと述べてクロガネの直前に歩んだ。

「上の方でいいか?」
「頼む。腕さえあれば刀は打てる」

何の会話だと名無は疑問に思う。すると、ロクロウは小太刀を取り出し、クロガネの首を斬ったのだ。膝を付いて倒れるクロガネ。名無、ライフィセット、エレノアの三人は突然のことに驚愕した。エレノアが一番に非難の声を上げる。

「なんてことを!」
「慌てるな。刀の素材を斬り離しただけだ」

苦しい態度も見せずに、己の頭を抱えて立ち上がるクロガネ。シグレはクロガネを刀より硬い体と評価していた、それが手がかりということだろう。

「そういう業魔だったのね」
「……この頭を刀にするの!?」
「そうだ。恨みの塊であるこれで、號嵐・影打ちを打ち直す!」

頭はないが、喋ることに弊害はないようだった。ロクロウは小太刀を打ってほしいと頼む。彼にとって、背にある影打ちは昔の弱い心を忘れない為の戒めにすぎない。

「俺は、シグレに勝つ為にランゲツ流の裏芸、二刀小太刀を磨いてきたんだ」
「……わかった。ならば、お前の為に短刀を打とう」

了承したクロガネは、早速刀を打ち始める。カン、カンと一定のリズムで上がる音や火花。ライフィセットは刀を打つ迫力のある職人芸に感嘆した。

「俺たちは外で待とう」
「……」

ベルベットたちは外へと歩き出すが、名無は立ち止まったままだった。アイゼンが呼ぶが、彼女はクロガネの手元を見続けている。刀ができる瞬間に興味があるのだろう、集中して見ていた。アイゼンは舌打ちをして、名無の肩を掴んだ。

「名無!」
「……っあ!ごめん、外で待たなきゃ駄目なんだよな」
「名無は邪魔はしないだろうし、気になるんだろ?俺は構わんぞ」

「本当?」パアッと表情が明るくなった名無は小走りで向かい、ロクロウの隣に立った。

「ここなら危険はないだろう。何かあったとしても名無は守るから安心してくれ」
「自分でどうにかできるって!」
「……わかった」

名無がここに留まるなら、自分もそうしたい。しかしアイゼンはロクロウがいない外で、ベルベットとシグレをどうするかを話し合わなければならない。後ろ髪を引かれる気分だが、アイゼンも外へと足を進めた。

 自分の頭を打つ。そんなことは業魔でしかできないことだが、何としてでも勝ちたいというこの情熱は、人間そのものだ。きっとエレノアも感じ取ったことだろう。
名無は刀が出来上がる工程を見続けていた。

「どうした名無?やけに物静かだな」
「え、喋ったら邪魔になるだろ」
「大丈夫だ。クロガネは集中している。話し声くらいでは揺るがん」

真剣な眼差しでクロガネを見ているロクロウだが、普段の様子に戻っていた。名無は先程のことで怒られる、最悪斬られると思っていたのだが胸を撫で下ろした。

「礼を言う、名無」
「……ん?」

覚えがない名無は疑問符を浮かべた。彼女の態度に笑ったロクロウ。エレノアをとめようとしてくれたことだよ、と説明する。彼はわかっていたのだ。

「そうか……救いの手を阻んだ私に礼を言うんだ」
「死ぬとしても、手を出してほしくなかったからなぁ」

でもエレノアには借りを返さないといけないな、と独り言を溢すロクロウ。名無は思い出したように片手に持っている小太刀を差し出した。

「一応拾っといたよ。もういらないだろうけど……」
「そうだなぁ。……なら、お前が使うか?」
「え?」

突然の提案に、名無は首を傾げる。ロクロウは前から感じていたことを話し出した、名無の腰にある片刃剣を眺めながら。「どうにも、それはお前にあってない気がするんだ」柄の太さや、剣自体の重量。なによりロクロウが気になっている部分が、刃の長さだった。

「名無には素早さ……なにより年端もいかないのにもかかわらず、敵の懐に踏み込める勇気がある」
「……そう、なのかな?」

手数が多くできる短刀の方があっているかもしれないというロクロウからの提案。彼の言葉を信じる名無は、小太刀を受け取ることにした。感覚が違うからいきなり実践で使うなとの忠告も受け、ロクロウがこの小太刀に使っていた鞘を貰い腰に固定する。

「とは言っても肝心の技術がまだまだだ、それは今後の課題だな」
「うん、頑張る」

名無はロクロウを見上げた。私も頑張るから―――

「ロクロウに死んでほしくない、だから負けるなよ」

普段の態度は勿論だが、暇さえあれば鍛練に付き合ってくれ、的確なアドバイスしてくれる。兄がいたらこんな感じなのだろうと、名無は思っていた。そんな彼にいなくなってほしくない。

「応!必ずシグレを斬ってみせる」

ロクロウは名無の頭を撫でる。彼女の純粋な応援に、笑顔で答えた。


 


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -