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ライフィセットとエレノアを捜しながら、遺跡の出口へ向かう一行。アイゼンから器の説明を受けたロクロウは「しかし、対魔士が聖隷の器とは……マギルゥ、お前もそうなのか?」と彼女をまじまじと見た。

「うむ!清らかすぎる乙女の儂は聖隷が宿りたい器三年連続NO.1じゃよ!」
「清らかってどういう意味だっけ……」

知ってた意味が急にわからなくなった名無は首を傾げた。ビエンフーも複雑そうな顔をしている。

「なら、エレノアの代わりに、あんたをライフィセットの器にしてもいいのね?」
「却下じゃ。儂はビエンフー一匹で手一杯じゃし」

即答するマギルゥを見たビエンフーは嬉しそうだ。そんな彼を名無は微笑ましく見ていた。

「ビエンフーを喰らえば空きができるでしょ」
「ビエエ〜ン!?」
「うわ、すげぇ発想!」
「空いても無理じゃ。お主らも見たじゃろ?」

ライフィセットは、あのカノヌシに一瞬だけだが対抗した。「儂なんぞでは、とてもとても受け止めきれぬわ」と謙遜する。器なら名無の方が適していると続けるが、名無が言葉を発する前にアイゼンが首を横に振った。

「もしかしたらの話だが、ライフィセットの影響で謳術が使えなくなるやもしれん。やめた方がいい」
「そもそも私は聖隷と契約する気はないしなぁ」

あの時はやむを得ず提案したまでだ。それなら他の器を捜すべきだ、とベルベットに伝える。「名無をライフィセットの器にすることも諦めるしかないか」彼女はそう呟いた。

「結界の時といい、地脈を開いたことといい、ライフィセットには秘めた力があるようだな」
「けど、あの女対魔士は器になれた」
「エレノア様は、マギルゥ姐さんより頑張り屋さんでフから……」

直後にマギルゥが容赦なくビエンフーをドカッと突き飛ばす。「ビエエ〜……」「一言多いんだよ、ほら大丈夫か?」名無は地面に伏した彼を起こし、埃を払ってやった。

「では、なおさら捜し出して倒さねばのう。みすみす強力な敵を増やすことになる」
「見つけるわよ。絶対」

先を見据えるベルベットの眼差しは強かった。


 移動しながらここはどこなのだろうときょろきょろする名無。それに気付いたロクロウは「ここは遺跡みたいだが、どこなんだろうな?」と話題を振る。

「うん、扉とかに何かの紋章があるけど……」すぐ傍に見えた紋章を見るとアイゼンも気付いていたようで、彼は頷いた。

「……壁や柱の様式から考えると、ここは聖主ウマシアを祀った古代の地下聖殿のようだな」

流石は物知りなだけはある、名無は感心した。ウマシアは、地を司る聖主だったはずだ。

「俺たちが地脈からこの聖殿に出てきたことも無関係ではない」
「人間たちが聖殿をつくろうと掘った穴が、たまたま地脈に繋がったってことか?こう……ボコッと」

「ボコッと……?」そんなことあるのかと名無は、また首を傾げた。ロクロウの考えをアイゼンは否定する。

「地脈というのは、そういうものじゃない。普通の人間には知覚できない自然の力の流れだ」
「私……謳術士みたいな奴らがいたのかな?」
「ああ、古代には見えない存在を感じ取れる人間が多くいた」

太古には謳術士は大規模な一族として生きていたという。彼は引き続き、名無たちに説明する。

「人間は彼らの導きによって、聖主に近付くべく地脈の近くに聖殿をつくった」
「ほほう……」
「へぇー」

ロクロウと名無は聞き入っていた。納得したベルベットは口を開く。

「聖主は自然の力を操る存在。地脈を聖主と同一視して御神体にしたってわけか」
「そうだ。聖主信仰が強かった時代には、こういった聖殿はあちこちに点在していた」
「つまり、どこも似ておるゆえ、外に出てみん限り、ここがどこかはわからん……ということじゃの」
「そうなるな」

ならばここから出るまでだ。一行は確実に外に向かっていた。

「ふぅむ……穴を掘った時、いい刀になりそうな鉱石とか見つからなかったのかな?」
「ロクロウはそればっかだな!ははは!」

彼らしいと名無は笑う。ロクロウに溜息ついたアイゼンは「……お前には説明しても意味がなさそうだな」と、呆れた。

「前からちょっと思ってたけど、アイゼンって案外説明好きよね」
「………」

名無もそれは気付いていた。彼は一見無口かと思いきや、実は語るのが好きなのだ。ベルベットの指摘にアイゼンは黙ったままで、否定はしない。

「いいじゃん説明好き、私は知らないことが多いから色々聞けて楽しいよ」
「!……そうか」

心なしかアイゼンの表情が明るくなったようだ。二人を見ながら、「嬉しそうじゃの〜」「これも前から思ってたんだけど、アイゼンって名無に甘いわよね」と聞こえないようにマギルゥとベルベットは話した。

 それから何度か業魔と対峙するが、ベルベットにはエレノアとの決闘が待っている。なるべく名無たちで戦闘をすることにした。


 遺跡から出ると冷たい夜風が体に当たる。外は渓谷のような場所だった。この珍しい場所なら、特定は早くできるかもしれない。
一行の目の前には、エレノアが待つように佇んでいた。

「てっきり逃げたと思った」
「姿を消したことは謝罪します。覚えず、別の場所に出てしまいました」

ライフィセットはエレノアのなかで眠っているらしい。容態は落ち着いたようだ。ベルベットたちは一安心した。

「エレノア……だっけ?あたしが勝ったら、器として死ぬまで従ってもらうわよ」
「承知しました。代わりに、あなたが負けた時は命をもらいます」

ベルベットは一歩前に出る。確認する為にアイゼンが彼女に声をかけた。

「サシでやるのか?」
「一人で十分よ」
「頑張れ!ベルベット!」

名無の応援を背に、ベルベットはエレノアの前へと歩いていく。お互いが武器を構えた。ベルベットとエレノアの戦いが、始まる。

「ライフィセットは使わないのね」
「もちろん!一対一と言ったでしょう!」
「ふん、後で言い訳はきかないわよ!」

二人は激戦を繰り広げた。名無は、ベルベットの勝利を信じて見続ける。

攻撃に耐えられず、片膝をついたエレノアにベルベットはブレードを突きつけた。「勝負ありよ」しかし、エレノアの目はまだ屈していなかった。

「”勝利を確信しても油断するな”!」

今度はベルベットが槍の先を突きつけられる。しかしエレノアの刃はベルベットを貫くことはなかった。「……何故とめた?」「あなたは器の私を殺せない。同じ条件で戦ったまでです」

「勝ったら殺すんでしょう?」
「それはそれ、勝負は勝負です」

「面倒な奴ね……けどっ!」その甘さや、隙をベルベットが見逃すはずがない。彼女から槍を奪い、エレノアに向けた。

「”剣を抜いたら迷うな。非常の戦いは非情を持って制すべし”よ」
「アルトリウス様の戦訓……!」

エレノアの目に涙が浮かんだ。彼女は倒れ込んでおり、槍は奪われている。「なんて不甲斐ないっ!」ベルベットに敗れた自分を責めていた。

「約束は……守ります。あなたの命令に従う―――私が死ぬまで!」
「!!」

エレノアは、向けられている槍で自決しようとしたが、突然動きがとまった。「体が動かな……!?聖隷が器に……干渉するなんて……」そして倒れてしまう。そのまま気を失ってしまった。

決闘はベルベットの勝利で終わりを告げた。
エレノアのなかからライフィセットが出てくる。彼女を制止させたのは彼のようだ。ベルベットたちは彼の元に集まった。

「ライフィセット!もう大丈夫なの?」

心配するベルベットを前にライフィセットは何故か、ばつの悪そうに俯く。彼の無事を確認した名無は、今度は倒れたエレノアを覗き込んだ。

「急に倒れたけど、どうしたんだ?」
「器になった反動がでたようだ」
「反動?」

儂にも覚えがある、とマギルゥもエレノアを覗き込み、容態を見た。

「高熱を出して、しばらくは目を覚まさんじゃろうて」
「足手まといを連れてどこだかわからん土地を進むのは危険すぎるな」
「こいつが回復するまで休もうぜ」

ロクロウはベルベットに了承をとる。

「道連れなんだろう?ライフィセットの器なんだから」
「そうね」

一行は、今夜は遺跡の内部で休息をとることにした。

 安全を確保した奥の部屋にエレノアを寝かせる。自ら看病すると名乗り出たビエンフーは、エレノアの傍を離れなかった。名無は術で出した氷を渡す。看病に使うらしい、ビエンフーは礼を言って受け取った。

「エレノア様って真面目な人でフよね〜マギルゥ姐さんと比べたら、月とアンパンでフ〜」
「はぁ……?」

月は月、アンパンはアンパンで長所が違うから比べようがないだろ、と疑問に思いながら名無はこの場を離れることにした。

「……あ、ベルベット」
「……あいつの容態は?」
「命に別状はなさそうだから大丈夫。ビエンフーが甲斐甲斐しく看てるし、明日には熱も引くんじゃないかな」

様子を見に来たらしいベルベットは名無の言葉を聞き、ならいいとエレノアの所へ行くのはやめたようだ。少しだけ、奇妙な空気が流れる。名無の元から去ろうとするベルベットを名無は呼び止めた。

「ベルベット、あのさ」
「何?」
「ええと……あの時は、ごめん」

聖主の御座で彼女に逆らったことを、頭を下げて謝罪した名無。「……ああ、あのことね」最初はわからなかったベルベットだが、すぐに気付いた彼女は名無の頭を上げさせる。

「どうしたの、急に」
「……思い出したんだ」

夢での、仲間が辛いときは助けてやれというアイフリードとの、昔の出来事を。名無は口には出さないが、ベルベットたちを仲間だと思っているのだ。ならば助けてやるのが道理だろう。

「私が謳ってたら、お前があんな痛い思いはしなかったかもしれない」

ベルベットに道具扱いされて、寂しかったのかもしれない。だから反発してしまった。そう説明して、最後にもう一度、謝罪の言葉を添えた。

「……いや、あたしだって、あんたの立場だったら逆らうわ。……悪かったわね」

顔を斜め下に反らして、腕を組んだベルベット。名無は笑顔で、ベルベットが顔を反らした方に移動し、屈んで見上げて目線を合わせた。

「これで仲直り!」
「……元々、そんなに仲もよくないけどね」
「ははは、そうかも!」

照れ隠しだとわかった名無は笑い飛ばした。下を見ていたベルベットは名無の脛に目線がいく。その付近の布は破れており、前後に丸い傷跡が残っていた。

「あんた、それ」
「メルキオルとやり合った時にちょっとな」

あの時ベルベットたちはアルトリウスと戦っていたので知らないだろう。メルキオルとのことを話した。少女の脚に残る傷。ベルベットは顔をしかめる。

「無理しない方がいいわよ。人間なんだから」
「人間でも、無理しなきゃ自由に生きれないんだよ」

名無の意思なら、何も言うまい。ベルベットの素っ気ない返事で、この話題は終わりを告げる。

「……そう」
「アイゼンには、ああいう場合は助けを待てって言われたよ。お前ら優しいな」

眉尻を下げて微笑んだ。そして、ふと思い出した名無は、ライフィセットの名前を口に出した。

「あいつにも謝りなよ、それに礼も言わないとな」
「わかってるわよ」

そんなことを話しながら歩いていると、アイゼンと出くわした。彼は腕を組んで、この面々のいびつさを口にする。

「業魔に謳術士、聖隷に魔女……今度は対魔士が道連れか。厄介なことになったな」
「他に方法がなかった。仕方ないでしょう」

アイゼンと名無は頷く。カノヌシがあれほどの化け物だとわかった以上、彼の力は貴重な戦力だ。失うわけにはいかない。

「にしても、カノヌシか……凄い力だったよな」
「本物の聖主なの?」
「わからん。だがまともな聖隷じゃないことは間違いない。聖寮が、あの力で何かをしようとしていることもな」

カノヌシの正体と、聖寮の本当の目的。倒すためには、それらを知る必要がある。謎を解き明かしていかねばならない、やることはたくさんあった。

「アイゼン、アイフリードは……?」
「ああ、状況証拠から考えれば、アイフリードの失踪も奴らの企みの一部である可能性が高いな」
「……そっか」

エレノアから情報を引き出せるかもしれないと、彼女の眠っている方へ視線を向ける。目覚めたら聞き出そう、二人は目を合わせた。

「そうだけど。拷問は禁止よ。器が壊れたら困る」
「お、おお……」

普通に聞こうと思っていた名無は、さらっと拷問という言葉が出されたことにうろたえた。

「わかっている。契約を結んだ以上エレノアが壊れたらライフィセットが業魔化するからな」

返されたアイゼンの発言に二人は驚いた。「何それ!?聞いてない!」ベルベットは目を見開いた。「アイゼン、本当に?」不安げに名無は彼を見上げる。

「器と聖隷の宿命だ。危険だが、しばらくは身近で泳がせるしかないだろう」
「……厄介なことになったわね」

先程アイゼンの言っていた厄介とは、そういうことなのだろう。表情を曇らせるベルベットに名無は大丈夫だと言葉をかけた、気休めにもならないだろうが。

「まぁ、あいつ……エレノアとは徐々に仲良くなっていけばいいんじゃねえの?味方にはなったんだしさ、雰囲気よくいこうよ」
「そういうのはあんたに任せるわ。……人間同士、頼んだわよ」

ベルベットはエレノアとの関係はよくならないと言い切る。だから名無が彼女と仲を深め、色んなことを聞き出すしかない。エレノアの精神状態は人懐っこい名無に任せればいいとベルベットたちは践んだ。

 ベルベットは遺跡の外に出て行ったライフィセットに会いに外に向かう。名無とアイゼンは集合地点でもあるエレノアが寝ている場所に向かった。
(拷問……)ベルベットの発言で気付いてしまった。アイフリードも聖寮、メルキオルに拷問されている可能性は高い。辛い状況下に置かれている彼のことを考えると、自然と目線が下に向いていた。

「……名無」
「……?」

アイゼンの手が名無の頭に置かれた。そのままぐりぐりと乱暴に頭を撫でられる。「うわわ……!何だよ!」彼の行動の意味がわからない名無は勢いよく振り払った。

「不安になるな。あいつは強い」
「……アイゼン」
「俺たちに心配する暇はない。やらなければならないことが沢山あるからな」

それに、暗いのはお前は似合わない。アイフリードもそう思うはずだ。そう言い残して先に行ってしまう。

「……不器用な励まし方」

クスッと笑い、荒れた髪を手櫛で直した名無。今度はしっかりと前を向いて歩き出した。

 奥の部屋に着くと、ビエンフーが名無を呼ぶ。

「エレノア様の為に、詩を謳ってほしいんでフ〜」
「熱を治せる詩はないよ?」

ビエンフーは、そうではないと首を振る。「いい夢を見られるように、謳ってほしいんでフ」熱にうなされているエレノアを名無は見つめた。「……そうだな」彼女の側に腰を下ろす。

「子守唄になっちゃうけど……」

小さい頃、名無は恐怖に怯えていた。名無を邪魔者扱いする者もおり、命を狙われたことは何度もあった。そんな彼女が寝付けなかった時期に謳ってもらった詩がある。枕元で謳ってもらった母の詩が。
名無は謳い出した。

「……」
「綺麗な詩でフ〜……」

アイゼンとビエンフーは名無の詩を聞き入る。
敵の配下に成り下がったエレノア。彼女自身が決めたことの結果なので同情はしない。今は悪夢を見ないように詩を捧げたい。彼女が起きたら一人の仲間として接しよう。
うなされていたエレノアの寝顔が穏やかになった。もういいだろう、名無は謳うのをやめる。ビエンフーの拍手に笑顔で返した。

 それから少し時が経つと、ベルベットたちも戻って来る。「みんな、これを見て」ライフィセットが一冊の本を皆に見せた。

「これは……離宮から盗った本か?」
「う、うん……」

それは王城離宮でベルベットが無断でライフィセットに渡した古文書だった。その表紙を見たアイゼンがいち早く気付いた。

「その紋章は、カノヌシの……」
「神殿の玉座にあった紋章と同じものか!」
「なら、それにカノヌシのことが!?」

ロクロウと名無も気付く。離宮に隠されていたほどの古文書だ、期待はできる。これは重要な手がかりだ。

「でも、古代語で書かれていて解読できないんだ」
「アイゼンにも?」
「詳しい古代語は俺にもわからん」
「名無は?」

ライフィセットは名無に手渡す。パラパラと目を通すが、わかるはずがなかった。

「うーん………全く読めん」
「わけのわからない言葉で謳ってるのに?」
「いや私の詩は古代語じゃねーから」

名無の詩は普段話す言葉と原語が違うが、古代語ではない。自然や霊力に語りかけるものなのだ。人が使う言葉ではない。
つまりこの中には誰も古代語を解読できる者がいないということだ。マギルゥが言うには、彼女の知人なら解読できるそうだ。ならばその知人に協力を仰ぐしかない。
落胆するのはまだ早い、一行の目的はサウスガンド領のイズルトに決まった。

「休みましょう。明日も早いわよ」
「名無、ちゃんと寝れそうか?」
「野宿にも慣れてるよ!もう、その扱いやめろよな」
「名無〜、その健康的な脚で膝枕しておくれ♪」
「ごくり……名無の膝枕……柔らかそうでフ〜」
「やめろぉ!!」
「……明日も早いって言ったわよね?」
「はぁ……名無、俺とベルベットの間に来い」
「はは……みんな、おやすみ」

名無は眠りについた。途中で微かな光が出現し、去って行ったことに目覚めかけるが、アイゼンのお前は寝ていろ、という言葉を信じて再び目を閉じた。



 翌朝。名無はエレノアから少し離れた所で、片刃剣を手入れしながら彼女が目覚めるのを待った。ボーラは切れて使いようがなくなった。今はこの剣しかないのだ、いつも以上に念入りに行った。

手入れが丁度終わった時にエレノアの目蓋が上がる。

「ん……」
「よう、起きたか?おはよう」
「……あなたは!他の者たちは?」
「外で待ってる。動けそうか?」
「……はい」

歩み寄り、傍に立つ。「熱も引いたみたいでよかった。知ってると思うけど、私は名無しさん。名無って呼んでくれよ」手を差し伸べ、笑顔を向ける。エレノアは名無のからっとした態度に驚く。離宮で相対した時の表情とはまるで違う、殺意は一切たりとも込められていない純粋な少女の微笑みだった。

「……私が憎くないのですか?」
「は?何で?」
「何でって……私があなたを押さえつけたから、メルキオル様の杭に……!」

嫌でも目に入る、痛々しい傷跡が。それでも名無は気にするなと笑った。

「生きていて、自由に歩ける。それでいいんだ」
「………」

名無は自らエレノアの手を握り、立ち上がらせる。

「お前もさ、無事に生きてるんだからそう落ち込むなよ。あいつ、ああ見えて面倒見よかったりするんだ」

聖寮とは感性も何もかもが違うだろうし、苦労するかもしれないけど。少しずつでいいから、私たちのことを知っていってほしい。そう言ってエレノアに素直な気持ちをぶつけた。

「よろしく、エレノア」
「……はい、よろしくお願いします」

エレノアは名無が話せる人間だとわかり、安堵したようだ。きゅっ、と握手をする。名無はそのまま彼女を出口に導いた。

 遺跡の外に出て、朝日を浴びる。天気は快晴だ、名無は背筋を伸ばしながら空を眺めた。遺跡を出た傍で、ベルベットたちが二人を待っていた。

「具合はどうだ?」
「………問題ありません」

ロクロウの問いに答えるエレノアは酷く冷静だった。ライフィセットが、もう争うようなことをしないでほしいと頼む。彼女は逃げないから大丈夫だと返した。

「僕はライフィセット。よろしくね、エレノア」
「あ……ええ、こちらこそ」
「逃げようとしたら、あんたの手足を喰って動けなくするわよ」

ベルベットの生きてさえいれば器の役割は果たせる、という態度にエレノアはその必要はないと首を振った。彼女が言うにはベルベットとの決闘に”誓約”をかけたという。

「”負けた場合、相手に従う”という枷によって自身の力を引き上げる術です」

一度発動した誓約は自分でも解除できない。だから約束を守らざるを得ない。ベルベットは納得したような態度を見せるが、それは演技であった。

「なら、さっそく質問に答えてもらうわよ。聖寮はカノヌシを使って何をする気なの?」
「……勿論、業魔を消し去ることです。開門の日から続く大災厄の時代を終わらせる為に」

エレノアの返答にアイゼンが畳み掛ける。

「具体的に、どうやって業魔を消す?願えばカノヌシが業魔を皆殺しにするとでもいうのか」
「そこまでは……知らされていません」

カノヌシの祭祀は聖寮でも機密事項で、メルキオルが取り仕切っているらしい。彼女は知らされずに手駒にされている可能性が高い、ベルベットとアイゼンはお互い目で合図した。

「やっぱり、カノヌシの正体を知るにはライフィセットの古文書を解読するしかなさそうね」

昨夜決まった通りに、一行は古代語を読めるマギルゥの知り合いを捜しにサウスガンド領のイズルトを目指す。

「その前に、ここがどこか調べんとな。まずは人か集落を探すんだ」
「ははは、わからんことだらけでなんとも頼りないなぁ」
「それでも、知ろうとしないと。ずっとわからないままだよ」
「応!こりゃ一本取られた」

男性陣の会話にエレノアは「こんな聖隷もいるのね……」と、ライフィセットをもの珍しそうに眺めた。構わずベルベットがエレノアに命令を下す。彼女に与える役目はライフィセットの護衛だ。

「相手が対魔士でも守り抜きなさい。逆らえば……」
「わかっています!逆らえないと言ったでしょう」

エレノアは少し苛立ったように歩いて行ってしまった。あの距離なら話し声が聞こえないと践み、アイゼンは名無の隣を歩く。

「名無」
「何?」
「お前が一人でエレノアを見張っている間に、俺たちが話したことだが……」

そのまま深夜の出来事を話し出した。彼が言うには、メルキオルの交信聖隷術でアルトリウスがエレノアと連絡をとったとのことだ。名無は夜に薄目で見た光とはあれのことだったのかと納得する。抜け目ないベルベットとアイゼンが、エレノアの後をつけて連絡内容を聞いていた。
ライフィセットと名乗る聖隷を保護し、ローグレス聖寮本部に回収せよ。この特命は特等対魔士以上の機密事項とする。
それがアルトリウスからエレノアに命じられたことだったと名無に伝え終えた。

「なるほどなー。やけに落ち着いてると思ったら、そういうことか」
「いい、ライフィセット。エレノアが妙な行動をとろうとしたら、すぐにとめるのよ」

ベルベットの言いつけにライフィセットは、エレノアは悪い人ではなさそうだし誓約で約束は守ると言っていたからその必要はないのでは、と首かしげた。ベルベットはそんなものは嘘に決まっていると言い切る。マギルゥも同意した、誓約というものは複雑な儀式と試練を経て、やっと完成するものだと。

「へぇ、誓約ってめんどくさいんだな」
「じゃよ」
「言ったでしょ。あいつの目的はあんたを連れ去ることなの。女を見かけで判断しちゃ駄目よ」
「う、うん……」

年端のいかない少年には難しいことを言う。彼はよくわからないと思いながらも、とりあえず頷いた。

「そうじゃぞ。……というか、そもそも悪者はベルベットの方じゃけどな」
「……否定はしないわよ」

確かにエレノアや聖寮視点からしたらそうだろうが、「私から見たら、お前の方がいい奴だよ。行こう」名無はベルベットの背中をぽんと軽く叩いて歩き出した。

 しばらく歩いていた名無だが、立ち止まって渓谷を見渡した。(うーん……どこだったかなぁ)思い出せ自分、捻り出そうと唸った。集中していたのだが、誰かに強く名前を呼ばれて、はっと目を開く。直前に眉間にシワを寄せたアイゼンが立っていた。

「お前は一人で何を考えてるんだ」
「あ、いや……この場所、本で見た気がするんだけど……どこだったかなー、て」
「……無理に思い出さなくてもいい、この辺りには業魔もいる。気を抜くなよ」

いつの間にか最後尾になっていた。先頭集団と距離も離れつつあり、このままだとはぐれてしまう。慌てて追い付こうとするが、アイゼンに手首を掴まれ、引き止められてしまった。疑問に思い、見上げる名無にアイゼンが一言。

「エレノアには気を付けろ」

アイゼンは深夜のことを思い出す。アルトリウスが命じたのはライフィセットの回収だけではない。アルトリウスは確かに”名無しさん姫も連れ戻せ”、と確かに命じていた。ライフィセットほど優先度が高くないとはいえ、エレノアは名無も連れ出そうとするはずだ。

(聖寮が名無を欲する理由はただ一つ……)

聖寮の欲する能力が名無にある。アイゼンは名無を見つめた。
ベルベットと話し合い、エレノアが名無も目的ということは伝えないことにした。名無のことだ、自分が聖寮に狙われてていることに確信を持てば、変にぎこちなくなったり、アイゼンがいる今なら自分をエサにしてアイフリードを助けろと提案するだろう。
確かに名無を”使えば”、アイフリードを連れ戻すことができるかもしれない。しかし、アイゼンはそんなことをする気はさらさらなかった。親友の娘をおとしめるような外道なことはしない。名無を傍に連れたうえで、あいつを救出すればいい。

「不意をつかれる可能性もある。完全に味方だと思って油断するなよ」
「わかってるよ。上手くやるから任せとけ」

何だったかなぁ、そう呟きながら進む名無に不安を覚える。アイゼンは(こいつを守り抜くのは死神の呪い関係なく、前途多難だな……)足を踏み出した。

 長い道のりを進む一行。ライフィセットはベルベットの、女を見かけで判断しちゃ駄目という台詞がどうにも気になるようだ。聞かねばわからないと判断した彼は、ロクロウとアイゼンに相談する。二人は聞いた途端に真剣な表情をした。女がらみで過去に辛いことがあったのだろうか。三人は男の永遠のテーマを議題に話していた。
最終的に、女の涙には気を付けろ。決して女には油断するな。これだけは覚えておけ。とアイゼンが言い聞かせる。ロクロウも同調して何度も頷いている。ライフィセットもアイゼンの台詞を復唱して心に刻んだ。
そんな男性陣の会話に我慢できなくなったベルベットが、ライフィセットに変なこと教えるなと注意する。それからの皆の会話内容が、名無にはいまいち理解できずに首をかしげることしかできなかった。

「なぁ、お前らの会話の意味がわかんねーんだけど」
「まだ子供ね」
「何だと!?」
「そう焦らずともよい。いずれわかるじゃろうて」
「くっそー……!」


 渓谷のいくつもある吊り橋の一つを越えた所で名無は立ち止まり、もう一度景色を見渡した。また景色に夢中になっているのかとアイゼンは注意しようとするが、彼女の口からは思わぬことが溢れた。

「ここ……アイルガンド領のブリギッド渓谷かもしれない」
「……何?」

アイルガンド領とは、ミッドガンド王国の南西端に位置する僻地だ。ここは中央部の渓谷ではないかと推測した。奇妙な形状をした険しい渓谷地帯、名無はわずかな記憶を手繰り寄せて、なんとか引き出した。

「名無、どうしてわかった?」
「本の挿絵で見た覚えがある。……自信はないから、どのみち街を目指さなきゃだけど」

その直後にライフィセットが発見した煌鋼という鉱石も後押しして、ここはアイルガンド領という説が有力になった。

「ミッドガンド領から相当離れた辺境だ。聖寮も、大した人員を配備していないだろう」
「流石海賊。金目の物と警備には詳しいのー」
「追い立てられる危険は低いってことね。ひとつお手柄よ、ライフィセット」
「名無もよく思い出したな」

称賛の言葉にライフィセットと名無は嬉しそうに返事をした。

「でも、手は洗いなさい」
「うん……」
「だが、これ以上景色に呆けるなよ」
「ちぇー、わかったよ」

人間、業魔、聖隷。当たり前のように、様々な会話をしている。エレノアはこの光景を不思議そうに眺めていた。


 「女の人が見かけ通りじゃないとして、男は見かけ通りなのかな?」
「わ、私に聞くのか……」

ライフィセットが名無の隣に寄ったと思いきや、彼から放たれる質問。人選を確実に間違っているだろう、しかし無下にはできない。名無は考えた。

「えーと……まずは身近な男で考えてみろよ。ロクロウとアイゼンはどうなのか、とかな」
「なるほど……」

前を歩く二人を眺めた。見た目通りな気もするし、そうでない気もする。答えが導き出せない名無たち。

「男は単純な生き物だから」
「男は単純……」
「へぇー」

ベルベットの発言を、そうなのかと聞き入る。からかうようにマギルゥも会話に入ってきた。

「ほう、男のことなら何でもわかっているような口ぶりじゃのー」

どうせサンプルは家族だけだろうと言うマギルゥの挑発に、ベルベットは乗らなかった。「ほう……お主の恋人はさぞや素敵な殿方なんじゃろーのー」「そうね」容姿を質問されるが、そっけない態度ではぐらかす。マギルゥは最後に核心づいたことを口に出した。

「いつもスイングドアの向こうにいた人ゆえ、足元しか見たことなかった……とか言うまいな?」
「!!」
「図星かえ……素敵な片思いじゃのー」

名無は今の会話がわからずに、意味を教えてもらおうとする。

「え?それ、どういう意味?」
「その話、読んだことある。確か……足だけおじさんっていう小説」
「は?足だけ?ホラーじゃないのか、それ」

名無は恋愛小説は全く興味がなかった為そんな物があるのか、とぼけたように頷いた。エレノアもその小説を知っているのか、会話に参加した。

「私も読んだことありますが、切なくて甘酸っぱくて、とても面白い小説です」

そのまま一度読んでみることをすすめる彼女に、何かを思い付いたように不適な笑みを浮かべるベルベット。「……アルトリウスを殺して暇になったら読むわ」見事な返しにエレノアは言葉を失ってしまった。

「名無も読んでみるがよい。恋というものがわかるぞえ」
「何だと!?私だって恋の一つや二つ!」

それに彼女たちは反応し、食いついた。「もしや姫時代にかえ!?」「とても興味があります!」「ちょっと、教えなさいよ」そのまま主人公に詰め寄った。

「あ、ごめん嘘ついた……一回だけ」

自分の初恋談を話すのは恥ずかしく、名無はまた今度な、とはぐらかす。そこからは聞き出そうとする三人との争いとなった。

「僕が聞きたかったのは、男が見かけ通りかなんだけど……」

女性の会話の展開の速さについていけず、ライフィセットは困惑するしかなかった。


 


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