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ザビーダという風の聖隷。名無は考えを巡らせた。交戦してわかった、彼はアイフリードを倒せるような者ではない。

「名無、お前はどう考える?」

自分にしか聞こえぬように囁いたアイゼンの問いに名無は、「主犯じゃないだろうけど、きっとアイフリードと関わりはあると思う」と答えた。近いうちに、また会うことになるだろう。名無はそう言い切る。

「あと一つ、あいつとは何を話した?」
「えーと……」

宿屋でのことを思い出す。微妙な面持ちでパイナップルご飯を食べている姿に笑われ、「……えっと、こんなに美人なんだ。そうなるのも仕方ねえか。三、四年後が楽しみで仕方ねえよ…」棒読みで、ザビーダの台詞を口に出した。言われたことの記憶を辿りながらたどたどしく述べていく。徐々にアイゼンたちの表情が歪んでいった。

「あんた、それ……口説かれてたんじゃないの」
「……そうなの?」
「自覚なしかい」

名無が鈍いことが判明した。彼女は今まで蝶よ花よと育てられてきたはすだ。男性に口説かれるという経験がなかったのだろう。(気に入らねぇ……)アイゼンは舌打ちをした。そして名無に、次そういうことを言う奴に会ったら逃げろと注意をする。彼女は素直に頷いた。

 一行は先に進むが、ザビーダの気配は感じられない。本当に去ったようだとマギルゥとビエンフーが確認した。

「風のザビーダ……か」
「なかなか強かったな。アイフリードを知ってるようだったが?」
「……わからん。奴に聞け」

彼のことについて、一行に様々な憶測が飛び交う。「僕……あの人、嫌じゃないけど……」ライフィセットの感想にロクロウたちは同意した。名無は複雑な表情で彼らの会話に耳を傾けるのだった。”ケンカ屋”と自ら名乗っていただけあって、殺気は一切感じられなかった。はっきりした態度もあってか、嫌な印象は受けなかったのだろう。
名無も彼に嫌悪感はない。だが、自分とは道が違う。そう思いながら、大きく足を踏み出した。


 聖主の御座には、最低限の聖隷しか配置されていなかった。「人払いをしているのは本当みたいね」聖隷をなぎ倒したベルベットがブレードをしまう。

「しかし、何でこんな場所に新しい神殿を?導師様なら王都にだって造れるだろうに」

ロクロウの疑問の呟きに名無が答えようとすると、ライフィセットがそわそわと地面に視線を注いだ。

「ここって……」
「お前も感じられるのか」
「なんか……地面の中に強い力が流れてる」

「そうだ、ここは、大地を流れる自然の力―――地脈の集中点のようだ」地の聖隷のアイゼンや、主に自然のエネルギーを扱う名無が感じるのはわかるが、ライフィセットまでとは驚きだ。
地脈は世界中に張り巡らされており、力が特に集中している場所は多数存在しているという。
名無は彼らに説明すると、アイゼンは頷き、ロクロウは感心して誉める。それに対し彼女は母からの受け売りだ、と目尻を下げた。

(そういえば……監獄島や離宮地下も、地脈エネルギーが強く感じたな)

ここほどではないが、地脈のエネルギーを感じとっていた名無。それはアイゼンやライフィセットも同じだろう。

「聖主カノヌシを祀る絶好の場所というわけじゃな」
「ふん、襲撃にも絶好よ」


 一行は先に進んだ。聖主の御座の長い階段を上りきる。―――アルトリウスは近い。
「はぁ、はっ…はぁ……、はぇ〜………」名無は上りきるとともに膝をついた。彼女以外の面々は、駆け上がったというのに疲れていないようだ、自分がひ弱なのか、と疑問に悩まされる。
襲撃の前に聞かねばならないことがある、ロクロウはベルベットに声をかけた。「アルトリウスはどんな技を使うんだ?」彼女たちは走るのをやめ、その場に留まり作戦会議をすることにした。

「左手一本で振るう長刀よ。それにシアリーズっていう火を操る聖隷」

「けど……そいつはもう殺した」彼女から明かされた事実に名無は目を丸くする。少しだけ、表情を曇らせた。

「そいつの代わりに、カノヌシを名乗る聖隷を使役しているのか」
「おそらく。けど、そいつがシアリーズ以上の連携をとれるとは思えない」

「随分、希望的な観測じゃのう」マギルゥの鋭い物言いに彼女は眉を潜め「シアリーズ以上なら、あんたたちの出番。一体五で使役聖隷を抑え込んで」と指示した。弟の仇が間近だからだろう、ベルベットの冷たさが増していく。

「その隙を突いて、あたしが喰い剥がす。そうすればアルトリウスはただの人間よ」

簡単には言えるが、実践に興すには難易度が高いはずだ。ロクロウがどういう方法でアルトリウスの間合いに入るのか、と彼女に問う。

「ライフィセットの術と、名無の詩を使う」
「ライフィセットと、私」

ベルベットはライフィセットを見ながら淡々と言葉を発する。「あたしは斬られようが焼かれようが、かまわずアルトリウスに突っ込む。あんたは、あたしが動けるように回復し続けなさい」次に彼女の視線が注がれるのは名無だ。

「名無は強化の詩をあたしにかけて。防御力なんていらない。速さが落ちず、疲労が重ならないような詩を謳うのよ」
「………」

名無は返事をせずに、ベルベットに耳を傾けた。

「攻撃を受けるのを前提にした特攻か。確かに虚をつけるかもしれないな」
「即死しなければのう」

彼女自身を省みない作戦に、ライフィセットは心配する。

「でも、それじゃベルベットが―――!」
「これは命令よ」

命令、重い言葉が圧し掛かる。「……はい」彼は従うしかなかった。ベルベットは一歩踏み出した。「結局モノ扱い。惨いもんじゃな」彼を見て、マギルゥが呟いた。

「―――嫌だね」

先に進もうとしたベルベットが立ち止まる。振り返って、拒否の意を伝えた名無を見た。立ち上がった彼女の眼差しは鋭い。ベルベットは名無に初めて敵意の目を向けられ、内心驚いた。

「……逆らうの?」
「逆らうも何も、私はお前の“都合のいいモノ“じゃない」

いつものように二つ返事で受けてくれるものだと思っていたベルベットは目を丸くした。周りも驚いて名無を見る。

「確かに私はベルベットに協力すると言った。でもそれは“私個人“、名無しさん・名無しとしてだ」

友好的な彼女に慣れて、忘れていたのかもしれない。「私の目的はメルキオルだ。お前のモノとして付き合ってやる道理はない」彼女も自分の為に周りと行動を共にしているのだと、改めて思い知らされた。

「ライフィセットや私を、そう扱うのなら……私は手を貸さない」

“個人“としての私の自由を、前に進む為の脚を封じるのなら容赦はしない。一層強く睨み付けた。二人はお互い睨み合う。嫌な空気が流れた。女同士がぶつかり合う独特なそれに、男性陣は息をのむ。

「……好きになさい」折れたのはベルベットだった。ライフィセットの回復で充分よ、と吐き捨て再び御座内部へと歩き出す。名無は彼女の背中を睨みつけた後に切なそうな表情をし、そのまま足を進めた。
アイゼンたちは二人を後ろから眺める。名無は味方に優しい人物だ。しかし許せないことや譲れない信念がある、今の出来事が物語っていた。

 ベルベットとの距離が空くと、マギルゥのなかから出てきたビエンフー。そのまま前を行くベルベットを見た後に、慌てたように彼女に問いただす。

「あのベルベットという業魔は本気で導師アルトリウス様を殺す気なんでフか?一体何を考えてるんでフ〜?」
「さぁての。案外な〜んにも考えておらぬのではないか」

彼女の台詞にライフィセットが否定した。彼らは演説の時のことを話す。アルトリウスはベルベットの仇ということが判明している。ビエンフーは彼女らの関係を質問するが、答えられる者はいなかった。アルトリウス様と呼ぶ彼に”様”はいらんぞ、と

「その時がくれば、わかるだろう。生きてアルトリウスに牙を突き立てられればな」
「その通り。すべてを焼き尽くす憎悪の炎が、一体誰を焼くかも……のう」

ライフィセットは表情を曇らせる。そんな彼にロクロウが励ますように声をかけた。ライフィセットは頷き、前を見据える。


 最深部に辿り着いた一行は、一人の男性を見つける。演説でも見た姿だ。彼を見た途端にベルベットは声を荒げた。

「アルトリウス!!」

ベルベットは、ついに導師アルトリウスと対峙した。
二人はシアリーズについてのことなどの話を、少しだけ交わす。アルトリウスは立ち上がり、こちらを見据えた。ベルベットたちは構える。

「今度は前のようにはいかない!あの子の……ライフィセットの仇を討つ!」

彼女の言葉を聞いたアルトリウスは剣を抜いた。

「……いいだろう、かかって来い!」

憎しみの感情を込めたベルベットは襲いかかる。見たところ彼には聖隷はいないようだ。一行は策戦通りに立ち回る。
業魔ベルベットと導師アルトリウス、二人は剣を交えた。

 一行はアルトリウスと戦うが、あまりの強さにたじろぐ。ベルベット以外の面々は、体勢を立て直す為に後ろに下がった。ベルベットから繰り出される攻撃をいなし、弾き飛ばすアルトリウス。

「ぐうううっ!!」
「ベルベット!」

ベルベットの剣は見切られていた。彼女はかけよるライフィセットに回復術を求める。

「まだだ!」

彼の術で傷を塞いだベルベットは、雄たけびを上げながら再びアルトリウスに斬りかかる。しかし彼女の立ち回りは完全に見切られており、アルトリウスの鋭い一閃が見舞われる。腹部を貫かれた。

「かはっ……!」
「ベルベット……!」

名無は後ろから彼女の復讐劇を見届けようとしていたが、あまりの実力差。見ていられない、自分も援護しようとするが、肩を掴まれる。手の先を辿るとアイゼンが名無を見つめていた。

「お前は”都合のいいモノ”ではないんだろう?」
「……」

確かにここで動けば名無は先程の言葉を無下にすることになる。自分で決めた譲れないことは変えるな、とアイゼンの目が語っていた。二人はベルベットの方に視線を戻す。
もう一回、と回復術を求められ、それに従い彼女に術をかけるライフィセット。

「戦訓その四!はあああっ!!」

貫かれたままブレードを振り下し、一矢報いることに成功する。一撃を受けたアルトリウスは彼女と距離をとった。剣を抜かれ、そのまま倒れる彼女にライフィセットは傍で回復術をかけ続ける。「ふっ……”勝利を確信しても油断するな”か」微笑を浮かべるが、それは一瞬のこと。直後には険しい表情に戻る。

「お前をとりこぼすわけにはいかない。戦訓通り、全力で相対そう。
 ”聖主カノヌシ”と共に!」

剣を天にかざした。すると玉座の上部から眩い光が発せられる。それは彼の傷を包み、回復していく。「な、何だ……!?」名無はその力に圧倒される。

「一瞬で回復しやがった!」
「この力……まさか本物!?」
「そりゃ反則じゃろ〜!」

ロクロウたちはアルトリウスと聖主カノヌシに驚愕する。ライフィセットとベルベットも彼らを見つめた。

「こ、この感じ……は……!?」
「これは……こいつは、あの夜の!」

次の瞬間、風圧に襲われ一行は遠く吹き飛ばされる。そのまま地面に叩きつけられた。「うう……まだよ、回復を……」ベルベットはそれでもライフィセットに回復術を命じた。

「もう無理だよ……!逃げないと!」

回復しながら彼女を心配し、逃げることを提案するが「今度は逃がしませんよ」よろめきながらも立ち上がった一行に、凛とした声が耳に入る。四人の人物が退路を封じていた。そのうちの二人はエレノアと、逃がさないと言葉を放ったテレサである。アルトリウスに敬礼して一人の若い青年が口を開く。

「申し訳ありません、アルトリウス様。シグレ様が警護していると思い、油断しました」
「!!」
「シグレなら修行に出た。そもそも私を一番斬りたがっているのはあいつだ」

変わらないな、と悟るような目でロクロウは呟いた。名無は老人、メルキオルを睨む。

「全く。アイフリードの時といい、勝手な奴だ」
「……!!」
「やはりこのジジイが……!」

名無とアイゼンが彼の発言によって目の色を変える。メルキオルがアイフリードを捕らえているという事実に確証がついた。そんな対魔士たちの会話を聞いていたベルベットが感情を込めて叫んだ。

「違う……誰よりもあんたを斬りたいのは……あたしだ!!」

ベルベットから憎悪が消えることはない。「アルトリウス様。この業魔の始末はお任せください」再び襲いかかろうとする彼女の前にテレサが立ちふさがる。

「ベルベット、思いっきりやれ。退路は確保しとく」

ベルベットの右隣りに立っていた名無がメルキオルたちを睨みつけながら伝えた。名無とベルベットは、それぞれの方向に駆け出した。途中でアイゼンの制止の声が聞こえたが、名無は迷うことなく突っ込んだ。

「メルキオル!」声を荒げた名無が襲いかかろうとするが、青年に阻まれる。

「姫様、おやめください!」
「姫じゃねぇし邪魔だクソッタレが!!どけ!!」

剣同士がぶつかり合う音が響く。名無の猛攻を受け流す彼は一等対魔士なだけあって、強者であった。

「……お前は」
「一等対魔士、オスカー・ドラゴニアです。貴女様を城に連れ戻します」

テレサがヘラヴィーサで言っていたオスカーとは彼のことか。名乗りと彼の怪我で判断できた。「そうか、お前ドラゴニア家の二男だな」名門貴族のドラゴニア家、嫡男との面識があった彼女は察する。

「聖寮との繋がりを確保するために出家させられたのか」
「違います、自らの意思です」
「……どうだろうな」

再び二人の剣を交えた。
お互いの実力は拮抗しているように見えるが、オスカーは名無に怪我をさせないよう手加減している。このままでは、らちが明かないと名無が口を開いた。

「くだらないお家事情にかまうな、そうしないと真に守りたい者が手からこぼれ落ちるぞ!“私のように“!」
「……!!」

オスカーの剣が揺らいだ。名無はその隙を見逃さずに彼の左側に回り、蹴りを放つ。「くっ!」名無はよろめくオスカーには目もくれず、今度こそとメルキオルと対峙した。斬るわけにはいかない、剣を納め、ボーラを取り出す。

「クソジジイ……二年前の借り、返させてもらうぞ!」
「………随分と変わられましたな。あの時になんとしても捕らえるべきだった」

今の名無の目的はこの者を殺すことではなく、アイフリードの居場所を吐かせることだ。(気絶させて、連れ出す)縄を持ち錘を回転させて、いつでも投擲攻撃できるようにする。メルキオルが二つの宝珠を出現させた。それらは青黒く、異様な気を放出していた。

「名無!罠だ、戻れ!」アイゼンの声は今の名無には届かない。とめに行こうとしても、オスカーがさせまいと邪魔をする。「先にはいかせん!」「くっ……!」聖隷も繰り出し、アイゼンの行く手を阻んだ。

メルキオルの操る宝珠が名無目掛け、飛ばされる。名無は錘をぶつけて弾いた。追撃はもう一方にある錘を投擲してまた弾く。何度も向かってくる宝珠を弾き続けた。
名無の視線の一直線上に二つの宝珠が並んだ。(ここだ!)玉突きの要領でメルキオルに宝珠をお見舞いしようとボーラを回して降り下ろすが

「………はぁ!?」

突然縄が切れたのだ。前触れもなく、ブツ!と、音をたてて。明後日の方向を飛んでいく錘に気をとられた名無は、後ろからの衝撃に抗えずに地に伏せられる。

「お前……っ!」
「あなたは聖隷を持たない!拘束することくらい、今の私でも可能です!」
「放せ!くそがぁ!」

エレノアに取り押さえられた。「うっ……!」名無は身をよじるが抜け出すことは不可能だった。ギリギリと間接が痛む。拘束を解かせるには術しかないと詠唱を始めた。そのまま押さえ続けろ、というメルキオルの命令にエレノアは頷いた。

メルキオルは手を上げる、すると空中を舞う宝珠が杭に変化した。ぞわりと鳥肌がたった名無は「な、何をするつもりだ……!おい、」とメルキオルと上空の杭を睨んだ。
メルキオルは手を降り下ろした。二本の杭が、名無の両足のふくらはぎに突き刺さる。

「―――――っ!!」

激痛が名無を襲う。「あああああっ!!」目を見開いた彼女の断末魔が響いた。

「名無!!くそ!」

オスカーと、その聖隷たちが彼の行く手を阻む。名無の叫びを聞くことしかできないのか、アイゼンは必死で戦う。
離れたエレノアは、メルキオルの後ろに下がる。
名無のふくらはぎから、じわじわと流血し、血溜まりができ始めていた。

「メルキオル様、これは……」
「謳術士……対名無しさん様用に、特別な術式が組み込まれておる。この杭が刺さっているうちは、謳術は使えん」

彼の言うことは本当のようで、名無は激痛に耐えながらも詩を謳うが、何も発動しない。謳う度に杭が青く光り、力を吸収されていることがわかる。メルキオルは名無の前に歩み寄る。

「お戯れが過ぎますぞ、名無しさん様」
「やめろ……!」

首を振って、彼を拒んだ。

「王城に戻っていただきます」
「嫌だ、来るな……!」

見下すメルキオルと、動けない無力な自分。
あの時と同じではないか。何も変わっていない。

「貴女様には世界の為に、祈りを捧げてもらわなければならぬのです。それが理」

二年前のように、アイフリードは助けに現れない。誰も救いの手は差し伸べない。

(自分の力でどうにかしないと……)

元から名無は他人の救済など求めてはいなかった。名無自身の力で乗り越えなければならないのだと、本人が一番わかっている。
自分で立ち上がらねば、自分の足で歩いて行かねばならないのだ。(なのに……)名無は封じられた脚を見た。

「違う……」

声を捻り出す、それは震えていた。悲痛に歪んだ顔で、メルキオルを見上げる「“私“じゃない………」爪を立て、床を掻いた。

『私じゃない、立ち上がれない私なんて!!歩けない私なんて!!私じゃない!私じゃない!!私じゃない!!!』

叫ぶ、自分にしかわからない言語で。言い聞かせるように。予想しない名無の態度に、メルキオルは驚いた。
彼女の目から涙が溢れた、それは透明なものではない。真っ赤な涙だった。

『名無は!!名無しさんは!!
前に進む為の足がなければ!!生きてる意味がないんだ!!!』

脚から眩い碧色に輝く光が放たれる。『流るる生命の息吹を謳い―――』ワンフレーズだけ謳い、雄叫びを上げながら立ち上がった名無。

『―――儚き時計は砂と崩れゆく。泡沫となりし消え、母なる海に碧花を咲かせや!』
「何……!?」

メルキオルはありえない光景に目を見開いた。彼女の脚に杭がある限り、自身の霊力や自然エネルギーは使えないはずだ。一体、何を代償に発動しているのか。

「ぅ"……あ"あ"あ"っ!!」

名無は二本の杭を引き抜いた。貫通していた傷穴はみるみると埋まっていく。杭を放り投げ、それはカラカラと音を立てて地に落ちた。

「私をただの謳術士だと思うな……!!」
「……そのようですな。自然の代理人である謳術士にあるまじき野蛮さよ!」

野蛮という言葉はしっくりくるな、剣を抜いて笑う。
メルキオルが詠唱を始めた。動けなくして捕らえる気だろう。名無はさせまいと駆け出すが、彼の詠唱は速くて正確だ。発動された術を避けることしかできなかった。
避ける為に後方に跳躍する。着地した瞬間、顔を歪めた。まだ完全には塞がっていない。頬についている血涙を拭う。すると、すぐ隣にアイゼンが駆け寄った。

「この馬鹿が!普通罠だとわかるだろう!」
「悪い!自分でなんとかしたから許して!」

二人が言葉を交わす隙にオスカーも後退し、メルキオルと並ぶ。名無とアイゼンは構え直した。「今は逃げることを考えろ、切り開くぞ」「わかった」退路を確保せねばならない。

「―――僕は!僕は……っ!ベルベットが死ぬなんて嫌だっ!!」

叫び声に皆が振り向く。名無の目に、倒れているベルベットの傍でテレサとの契約を破るライフィセットが見えた。彼の力に何かが呼応し凄まじい力が放出される。テレサの悲鳴が上がり、彼女は吹き飛んだ。

「姉上!」

オスカーがテレサの元へ走り出す。「あれは……」名無は空中の亀裂に目が奪われる。空間に穴が空いた。その中は黒く、どこに繋がっているのかはわからない。逃げるなら今が好機だと、気絶しているベルベットとライフィセットをアイゼンたちが担ぐ。

「名無、来い!あれに飛び込め!ロクロウ!」
「う、うん!」
「おう!」
「儂を忘れるな〜!」

アイゼンはベルベットを担いでない方の手で名無の腕を引く。そのまま一行は未知の空間へと飛び込んだ。



* * *

 (……この感覚、二年前にも同じようなことが―――)

一人の少女を背負う男が、浜辺を歩いていた。
アイフリードが、名無を。名無の目は赤く、鼻をすすっていた。

「おい名無。足首を捻挫したくらいで、そこまで泣くこたぁないだろ?」
「だって……」

名無にとっては、自らの足で世界を駆けれることが、自由の証なのだ。名無は足を拘束されたり傷付けられること、動けなくなることが何よりも嫌なことだった。
仕方ない、アイフリードが言葉を紡ぐ。

「……名無、お前はただの人間で、小娘だ」
「………それは重々承知しております」
「そんな小娘がこんなご時世に、無傷で一生を終えれると思うか?」

「……いえ、」軽く首を振る。「だろう?」とアイフリードは口角を上げた。

「怪我した時は、誰かにおぶってもらえばいい」
「誰か……?」
「俺や、いつかできる“仲間“にな」
「でも、それでは迷惑なのでは……」

アイフリードは名無の不安を、そんなことは気にするなと笑って吹き飛ばした。迷惑には入らない、ただ礼を言えばいいのだ、と。

「いつか、そいつが歩けなくなった時は、お前がおぶってやるんだ」

そういうのが、仲間ってもんだ。
度重なるアイフリードの言葉は名無に響く。彼女の表情が明るくなった。

「それなら、アイフリードが怪我をした時は、私がおぶって差し上げます!」
「ははは!お前が?俺を!?」

彼とは、このような約束を重ねている。再会したい、約束を叶えたい。
アイフリードは名無にとって、大事な―――


 「アイフリード……」名無は無意識に腕に力を入れて、微かな声で呟く。その声は震えており、アイゼンの瞳が揺れた。

「……ん、………?」
「名無」
「………アイゼン?」

目を開けるとアイゼンの横顔が直前にあった「……ごめん、迷惑かけた」「気にするな」彼の肩に手をそえて顔を離す。名無は彼に背負われていた。

「もう大丈夫だから降ろしてよ、つーか叩き起こしてくれればよかったのに」
「お前を起こす方が手を焼きそうだったからな」
「そこまで寝起き悪くねーよ!」

降ろせと言ってもアイゼンは頑なに断る。「一つ質問に答えたら、降ろしてやる」一つ条件を出してきた。名無は何だと怪訝そうにした。

「名無……一体、何の力を使って治したんだ?」

アイゼンも、あの杭の効果を知っていた。それでも確信する為に聞き出さなければならない。名無からはアイゼンの表情は見えない。彼女は一拍置いて口を開く。

「自分自身……私の生命エネルギー」

彼の嫌な予感が当たった。「つまり……」確定させるように、彼女が次の言葉を言うように誘導する。

「……寿命」

自分の失敗のせいでああなったとはいえ、あの行動は名無の覚悟の証だ。それに、己も今のままの生活を続ければ“ある結末“が待っている。注意する資格はないのかもしれない、それでもアイゼンは容認できなかった。人間の寿命は短いのだから。
今から言うことは、名無の生き方の邪魔ではない、名無が生きていける為に言うのだ。

「ああいう場合は助けを待て。これからは、容易に使うなよ」
「………ああ、わかった」

アイゼンは背負っている自分を見れない。それをいいことに目を逸らしながら返事をした。それを条件に降ろしてもらう名無。彼に礼を言い、辺りを見渡す。見たことのない幻想的な景色だった。

「ところで、ここは……?」
「地脈だ」

不思議な異空間。自然の力が流れていることがわかる。彼の言うことは事実のようだ。

「そうか、ここが……実際に見るのは初めてだ」
「俺もだ」

「でも、何で地脈への入口が開いたんだ?」あれほどタイミングよく裂け目が出現するものだろうか、そもそも地脈は見ることも触れることも不可能なはずだが。アイゼンは、ライフィセットとカノヌシの力がぶつかり合い、開いたのではないかと推測した。

「ここから抜け出すのはライフィセットの力がいる。探すぞ」
「わかった」

彼は飛び込む時に気を失っていた。ライフィセットだけではない、ベルベットも心配だ。二人は歩き出した。


 しばらく進むと、ある人影が見えた。「出口は……ここは何なのよ!?」彼女の苛立った独り言に、地脈だとアイゼンが答える。

「ベルベット!!」
「名無、アイゼン。無事だったのね」
「そうとも言えん」

こちらを振り向くベルベット。彼女の腕の中にはライフィセットがいた。名無はとっさに二人に駆け寄る。ライフィセットは眠ったままだった。「地脈に閉じ込められたようだ」アイゼンもこちらに歩み寄る。ベルベットはライフィセットを優しく横たわらせた。

「もっとも、あの場に残っていたら今頃生きていなかっただろうがな」
「地脈……この空間のことね」

アイゼンはベルベットに、先程名無に言ったことを説明する。この空間、ここに来れた理由、ライフィセットの力があれば地上に抜け出せるかもしれないということを。うう、とライフィセットが苦しそうにしている。それを見たアイゼンが口を開いた。

「この様子では無理か。もうすぐ業魔化するぞ」
「!!そんな……」

彼から放たれたことに名無は動揺し膝をついて、寝ている彼を見る。馬鹿なこと言わないでとベルベットも動揺するが、直後に何か気付いたようだ。「力を使いすぎたせいなの?」彼女は俯いた。

「……まだとめる方法はある」

名無とベルベットは、彼の言う方法を聞く為に、強く見つめた。

「清浄なモノを”器”とし、それに宿れば聖隷は業魔化を防ぐことができる」
「あんたも?」

アイゼンはコインを二人に見せる。音を立てて彼の掌に収まったそれは、やはり死神が表だった。

「これが俺の器だ。だが、こいつはワケありでな。死神の力をもっていないと宿れない」
「じゃあ、他になにか―――!」

ベルベットはライフィセットを助けようと必死だ。「……私が、器になればいい」名無は気づけば口に出してしまっていた。

「……いいのか?」
「見捨てるわけにはいかないよ」

聖隷と契約する気はない、そう言ったがライフィセットを救い出せるなら話は別だ。

「こいつはまだ自由になれてないんだ。業魔にさせたくない」

これはあくまで応急措置だ。ここから抜け出してから新たな器を見つければいい。そう伝えるとアイゼンは頷いた。「間に合うかはわからないが……」ライフィセットが業魔になるのと、名無に契約の方法を教えきり、成功させる、どちらが先か。

「どうすれば契約できるの、アイゼン」
「よし、まずは―――」

名無はアイゼンに耳を傾けるが「……対魔士の私なら、すぐに契約することが可能です」と、この場にいなかった者の声が聞こえる。名無たちの目の前に、エレノアが姿を現していた。

「我ら対魔士は、自らの心身を器として聖隷を宿らせ、使役しています」

確かに対魔士なら、謳術士の名無よりも確実に救うことができる。私がその聖隷の器になりましょうというエレノアの提案に、ベルベットはある考えに辿り着いた。

「……成る程。つまり、あんたを動けなくして器にすればいいわけね」
「えっ!?おい、待てよ!」

そんな時間はない。向こうは自ら提案したのに戦う必要はあるのかと名無はとめようとするが、彼女は聞く耳を持たなかった。
ブレードを出したベルベットは今にもエレノアに襲いかかろうとするが、彼女は槍の刃を自らの首元に添えた。

「近付けば死にます!」
「ほらぁ……」

そうなれば、ライフィセットは業魔になり、ここから出る方法を失ってしまう。

「えげつない駆け引きするわね」
「”敵を知り、その弱きを攻めろ”戦いの基本です」
「ふん、アルトリウスの弟子らしい卑劣さね」

違います、とエレノアはすぐさまベルベットの言うことを否定した。

「私は対魔士の力を取り戻した上で―――業魔ベルベット!あなたに決闘を申し込みます!」

槍の先を向け、真っ直ぐと。本気だと三人は彼女の覚悟を見据えた。

「私が負けたら、なんでも言う通りにしましょう!死でも器でも、好きに命じなさい」
「ほう……」

ライフィセットが「ベルベット、死なないで」と呟いた。「ベルベット」名無は彼女を見上げる。

「確実に、こいつを助ける方法を選ぶんだ」
「……」

ライフィセットの呟きと、名無の眼差し。ベルベットはわかったと、ブレードをしまう。エレノアとの決闘を受け入れ、ライフィセットを預けることにした。
エレノアが頷いて、ライフィセットの元に寄る。名無は離れてアイゼンの隣に立った。

「この聖隷の名は?本来は、主がつけるものですが、今はまだ私の”もの”ではありませんから」

片膝をついた彼女の言い方に納得がいかなかったのか、眉を潜めたベルベットは「”もの”じゃない。ライフィセットよ」と腕を組んで睨みつけた。

「ライフィセット……それなら」

エレノアはライフィセットの片手を握り、呪文を唱える。「―――覚えよ、汝に与える”真名”を」聖隷との契約を交わすエレノア。ライフィセットは光となり、エレノアのなかに取り込まれるように入っていった。

「くっ……なんて力……!?」エレノアから強い光が放たれる。「わっ!?」眩い光に驚く名無の腕をアイゼンが掴んだ。



 「―――――ん……?」名無が目を開くと、地脈とは全く違う風景が目に映った。
気が付けば名無たちは遺跡の内部のような場所に立っていた。地脈の外には出られたようだ。無事を確認したアイゼンは名無の腕から手を放す。
名無はきょろきょろと見渡した。アイゼンとベルベットも無事だ。傍には驚いている様子のマギルゥもいた。

「ライフィセット!?あの女対魔士は……!?」
「……」

ベルベットが辺りを見渡し、足を踏む度にぎゅうぎゅうと音が鳴っている。音の正体に気付いた名無。言いづらいが、伝えなければ彼が可哀想だ。

「ベルベット、まずは下、下」
「……?」

名無の言う通りに下を見るベルベット。そこにはロクロウがうつ伏せで横になっており、ベルベットは彼の背中の上に立っていた。気付いた彼女はすぐに跳び降りる。起き上がったロクロウは「何があった!?」と彼女たちに説明を求めた。

 ロクロウとマギルゥに、地脈でのことを説明する。

「そうか、例の女対魔士がライフィセットの器にな」

エレノアはどこに行ったという疑問に、アイゼンが「ロクロウたちがここにいたということは、あいつも近くに出ているはずだ」と答える。

二人とは合流できた。あとはライフィセットだが、この場に彼とエレノアの姿はなかった。

「なんとしても捜し出す」

ベルベットは強い眼差しで、先を見た。

「もう、そんなにムキにならんでもよかろー?」
「助けるって決めたのよ、それに……」

歯を見せてニッと笑う。彼女のそんな表情は初めてだ。「あの子の力は戦力になる」ベルベットはアルトリウスに、絶望的なほどの力量差を見せつけれれた。それでも心は折れていない。それを確信した名無も笑う。

「よし、二人を捜そう!」

一行は遺跡の外へと向かい、進み始めた。


 


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