08  



「……ん?何、アイゼン」
「………」
「な、何だよ…」
(タバサも外見は母親似だと言っていたが……本当にアイフリードと似てねえな)

酒場の扉付近で、まじまじと仮眠から起きたばかりな名無の顔を見ていたのだが、初めて会った時のように不快な顔はされなかった。何かに気付いたのか、少し頬を染め自分の顔をペタペタとさわる名無。

「さっき食べたピーチパイが口についてる…? あ……も、もしかして目やにか…?」

強く目を擦る。アイゼンは違うと彼女の行為をやめさせた。その綺麗な目が傷つくのは勿体ない。

「じゃあやっぱ何か用―――っうわ!」
「! あ…名無……」

名無の背後に衝撃が走り、それに驚く。後ろにはライフィセットがいた。彼がぶつかってきたのだとわかる。「ご、ごめんなさい……」名無は彼の異変に気付き、屈んで目を合わせた。

「どうした?」
「……何でもないよ」
「…そっか」
「言いたくないのなら詮索はせん」

上の階にはベルベットがまだいるはずだ。起こしに行った時に何かあったのだろう。名無とアイゼンは察するが彼が口を開くことはない為、これ以上聞くのはやめることとする。

「何かあったら遠慮なく言えよ。私なりに力になるからさ」

ライフィセットの頭を撫でた後に立ち上がり、扉を開けた。三人はそのままロクロウと合流する。

 少し待つとベルベットと、突然転がり込んできたマギルゥが酒場から顔を出す。ベルベットを見た途端、ロクロウの後ろに隠れるライフィセット。ベルベットは目を逸らし、俯いた。

「間に合ってよかったわい」
「あんたも来る気?」
「お主らと一緒におれば、ビエンフーを使う女対魔士が現れるぞよ〜……と、マギルゥ占いに出たのでな」
「当たるのか、それ?」

マギルゥは昔王城に入ったことがあるらしく、便利かもしれないと言うが、ベルベットは必要ないときっぱりと言った。

「名無がいるからいい」
「しかし姫一人の案内では不安ではないかえ?」
「姫って言うな!……昔はバレないように城内うろついてたから覚えてるよ!」

すぐさま姫ではないと否定する名無は昔からお転婆のようだった。何故マギルゥが名無の素性を知っているのかは不明だ。

「まぁ、あやふやな所があるのは事実だし、邪魔しないならいいんじゃね?」
「邪魔したら捨てていくわよ」

断っても付いてくるだろうことがわかる一行は、仕方なく了承する。

「敵の本拠地だ。警備は堅いぞ」
「けど、闇はあるはず。赤いスカーフをつけた兵士を捜すわよ」

 夜の街は静かで、民衆はあまり見られない。規律で夜の外出は控えるように言い聞かされているからだろう、見回りの兵士くらいしか歩いていなかった。途中で何の用でうろついてるのか問われるが、マギルゥの機転のきいた発言でやり過ごす。
名無が目指す抜け道の入り口に見張りらしき男性と兵士がいた。勿論二人とも赤いスカーフを身に着けている。「……手形を拝見」兵士の要求に、ベルベットはタバサから預かった手形を見せる。彼はそれを確認すると数歩下がってマンホールを示した。ここから地下道は王城と繋がっており、離宮の中に出られるはずだ。一行は素早く地下道へと降りるのであった。

 この王城地下道は巨大な水道装置だ。王都の水利となっている。地下なだけあって暗く、視界が悪い。ライフィセットがこけそうになるが、近くにいたベルベットが抱きとめて助ける。彼女は何も言わずに再び歩き出した、二人はどうにも気まずそうだ。

「……あ…」
(うーん……もう少し様子みても駄目そうなら、助け船出すか)

名無がどうにかしようと考えるなか、意地の悪い顔をしたマギルゥがライフィセットに話しかける。

「気を付けい、坊。水の中には巨大ワニがおるでのー」
「ワニ……?」

それは嘘だ。少なくともワニはいない。名無は怒ろうとするが「ワニの好物は魔女だ」「さあ行くぞ!マギルゥ以外は足元注意でな」というアイゼンとロクロウの発言によってライフィセットの不安そうな顔がはれる。してやられたマギルゥを名無は笑い、皆を先導する為に歩き出した。「暗殺に向かう雰囲気じゃないわね」ベルベットは一人呟いた。

 (二年ぶりだ、ここにくるのは)ここはアイフリードと初めて会った場所であり、母が”消えた”場所でもある。浮かない顔の名無。アイゼンはそんな彼女を後ろから眺めていた。
こんな道を知ってることや、城の中にまで仲間がいること、やはり血翅蝶はあなどれない。アイゼンが言うには、王国全土に支部を置き犬や猫さえも情報集めに使うノウハウまで持っているらしい。

「儂も聞いたことがある。連中は仲間の死体すら無駄にはせんとな」
「仲間の死体…!?」

反応するライフィセットにマギルゥは昔話を語る。簡潔に言うと、血翅蝶の男が地下道の水中でワニに喰い殺され、その流れ着いた死体からここを見つけることができた…という話だ。

「ワニの肉は人の血で揉むと柔らかくジューシーになり、マーボーカレーには最高に合うそうじゃて」
「……僕が食べたのは!!」

虚言に怯えるライフィセット。そんな彼を助ける為に口を開いたのはベルベットだった。

「そんなに美味しいなら、試してみようかしら。嘘しか言わない魔女の血で」
「俺も食ってみたいなぁ」
「戦力ダウンにはならん」
「むしろ私たちの血と肉になるわけだから…役に立てるぞ!よかったなぁーマギルゥ」

四人は一致団結してマギルゥを追い詰める。「……坊の緊張を解く為の可愛いジョークじゃて」

「嘘…なんだよね?」
「ワニというのは真っ赤な嘘じゃがのう、坊が食たマーボーカレーには人食いナマズの「お前さ、いい加減に―――」

懲りずに新しい嘘を言いかける。名無が今度こそ怒ろうと声を上げるが、途中でベルベットがマギルゥを水中に落としたので最後まで言い切ることはなかった。大きな水しぶきが飛ぶ。

「行くわよ」
「うん」
「名無、案内を」
「あ、ああ……」
「こら〜ッ!この魔女殺し〜〜ッ!!」

邪魔をしたら捨てていくとベルベットは言った。確かに虚言を続けることは邪魔にはなるだろう。本当に捨てるように落としたな、と苦笑いをする名無は歩き出そうとする。が、マギルゥにピンポイントで助けを求められてしまった。どうやら水は深く、床も高くてよじ登れないらしい、ため息をつく。

「ったくよー、次くだらないこと言ったら私が落とすからな」
「わ、わかったから、わぷっ…はよう、引き上げておくれ!」

溺れそうな彼女に屈んで手を差しのべる。手を繋ぎ、引き上げようとするが「えっ?あ、ちょっと待……きゃっ!?」
ドボン!と再び水しぶきが飛ぶ。名無も水の中に落ちてしまった。思いっきり引っ張られた、今隣にいるこの魔女に。

「名無!」
「ぷはっ……!マギルゥ!!てめえ!!」
「助けようとする奴も道ずれにする、お約束じゃな!」

しがみつきながら言う。「何のお約束だよクソッタレ!!」名無はアイフリードに泳ぎを教え込まれた為、彼女がまとわりついても沈むことはなかった。「何やってるの…」ベルベット、ロクロウ、アイゼンはマギルゥなんかを助けようとするからだ、と呆れた。

「それにしても、随分と可愛らしい悲鳴じゃったのう?口が悪くともやはり乙女なんじゃな♪」
「〜〜〜っ!!このクソアマ!!」
「ぐぼっ…!水中でヘッドロックをかますでない!」

真っ赤な顔でマギルゥの首に締め技をかける。バシャバシャと水が跳ね続ける。拉致が明かない、ベルベットたちは名無を助けることにした。アイゼンが名無に手を差し出す。何故か彼の顔がいつも以上に険しい。

「名無……間違っても引き込もうとするなよ」
「そんなことするつもりないけど……」
「おお〜!魔女助けしてくれる気になったかえ?」
「アイゼン、名無だけ引き上げて」

「どれ、俺も手伝ってやるか」見かねたロクロウも彼女たちの元へ歩んだ。二人で引き上げようとする。名無はやっと上がれると思ったが片足に違和感を覚え、血相を変える。

「―――!! アイゼン!ロクロウ!」

突然マギルゥの首根っこを掴み、二人に押し付けた。彼女の必死な顔を見た二人はマギルゥを掴み上げる。「名無!?」直後にざぷん、と音を立て名無は水中に沈んでしまった。

「―――何!?」

全員が水中を見ようとするが、暗く視界が悪い為様子がわからなかった。名無は浮かんでこない。代わりに、血らしきものが水面ににじむだけであった。

「これって……血?」
「もしかして、ワニに…?」
「いや、それはマギルゥのホラ話だろ」
「嘘が真になったのかもしれんのー」
「名無!くそっ…!名無!!」

名無を死なせたらアイフリードに合わす顔がない。しかし、水中の問題は自分の力ではどうにもできない。アイゼンの顔から血の気が引いた。

(―――くそ!何だよこいつは!?)

アイゼンの浮かべた最悪の事態にはなっていない。水中の名無は無傷であった。アンデッド族の業魔が彼女の片足を掴んでいる。おそらく騒がしくしたことが原因で起こしてしまったのだろう。片刃剣で業魔を刺したのだが、体液らしきものが流れ出るだけで、掴んでいる手を放す素振りはなかった。肺活量には自信があるが限界はある。(この王城地下道でだけは死ねない…!)それに自分は早く皆を案内しなければならないのだ、意識を業魔から水へ移した。

「!!」

一際大きな水しぶきが上がった。五人は上を見上げる。水流の勢いに乗った名無が地面に着地する。片足には未だに業魔がしがみついていた。

「―――私は海の謳術士だぞ!溺死とか死んでも死にきれねえよ!」
「名無…!無事だったんだね、よかった……」

陸に上がればこっちのものだ。業魔に突き刺さっている剣を抜き、振り下ろした。業魔の手から足が解放される。アイゼンは駆け寄った。見る限り名無は無傷だ。耐水性のある彼女の服もしばらくしたら乾くだろう。

「水面に浮き出た血のようなものはこいつのか」
「いや〜災難じゃったのう名無や。これも死神の呪いかえ?」
「どう考えてもお前のせいだろうが!」

他人のせいにするなと関節技をくらわせる。「ギブ!ギブじゃ…!!」その声で気が済んだ名無は関節を外す手前で開放してやった。

「業魔がいるの?」
「ああ、この地下道には普通にいる」

二年前名無たちは王城を抜け出す際にこの地下道を通過しようとして、ここの業魔たちに襲われた。「私を外に送り出そうとしてくれた家臣たちが軒並み殺された。気を付けろよ」淡々と述べて、水をフードウォーマーから追い出す為きつく絞った。

「あんた、業魔が憎くないの?」
「ベルベットはアルトリウスと同じ人間の私を、憎いと思うか?」
「……いや」
「そういうことさ」

無駄な時間を消費したことを謝罪し、今の役割である案内を再開させるべく石畳を踏みしめ、歩き出した。

 名無の言った通りに、行く先々に業魔がおり戦闘は避けられない場面が多々あった。業魔から市民を守る為の城砦都市だというのに王家の足元に業魔がいるとは聖寮の怠慢だとマギルゥが文句を垂れる。

「確かに聖寮にしては脇の甘い警備だ。巨大な防壁で街を囲って、その内側を守るってのが王家と聖寮の対業魔政策だもんな」
「壁の内側で発生した業魔にとって外に逃げるのは容易じゃないともいえる」
「王宮は広いし、建物も大きいから隠れる場所もたくさんある」

取水口を通り抜けるのは業魔にとっても難しいことではない。しかし、それくらいのことは聖寮もわかるはずだ。

「誘い込んで一網打尽にすればよかろう」
「業魔の存在に気付きながら放置してる?でも、そんな理由なんて……」
「さぱらんのぉー」

聖寮に業魔を生かすことによって得られる利点があるというのだろうか。急がないと夜が明けてしまう。現時点でわからない問題を考える暇は一行にはない。先に進むことにした。

 二つの道に分かれた場所で名無が立ち止まる。どっちから出てきたのだったか。一度しか通ったことのない記憶の薄い道を逆走するのは意外に難しいことであった。こんな時はマギルゥ占いの出番らしく、彼女はよくわからない言動をする。可愛らしくもあるが…。

「ど・ち・ら・に・す・す・も・か フィッチ・ウィッチ・フィッチ!」
「あ、思い出した。こっちだ」
「ちょいー!」


 狭い水道を通り抜け、ついに上にあがる梯子を見つけた。地下道の道の記憶が曖昧だった名無はひとまずホッとする。ベルベットは浮かない顔をしており、マギルゥがそれを指摘した。

「子悪党とはいえ人間を殺すのは気が思いかえ?」
「別に……あんたみたいにヘラヘラしてる奴がどうかしてるのよ」
「儂は裏切り者を捜しに行くのであって、人殺しに行くわけではないからのー」
「…………」

どうにもマギルゥのベルベットに対する辛辣な発言が目立つ。

「それはあくまでお前の都合であって、同行してる以上第三者から見たらお前も共犯だぜ?せいぜい捕まらないように努力するんだな」

名無は周りからすればお前も暗殺者なようなものだから、言葉と態度には気を付けろと忠告するつもりで言い放った。

「そんなこと言いおってー!いざとなったら助けてくれるんじゃろ?味方には甘い姫様は」
「味方にはな、魔女は知らねー…つーか姫って言うな!殴るぞ!」
「殴ってから言うでないわ!」

ライフィセットが赤聖水をやめさせればいいだけで殺す必要はないのではと発言するが、それは不可能に近い相談だった。ロクロウとアイゼンがそれは難しいと彼に現実を教えるように話す。

「酒場の噂話じゃ、あの大司祭は相当なくせ者だぞ。今でこそ聖主教も聖寮も民衆から支持されているが、三年前まで閑古鳥が鳴いてたそうだ」

そんな苦しい時代にも、ずっと聖主教会に尽くしてきたのが、大司祭ギデオンだ。

「だが”降臨の日”を境に聖隷が見えるようになり、聖隷術が業魔退治に有効だと知って掌を返した」
「目に見えるものしか信じられぬ愚か者の群れじゃからのー、人間というのは」

民衆の支持を得た聖主教会は浮き足立って醜い権力争いが起こったらしい。そんななか大司祭という座についたのがギデオンだ。彼の邪魔者は総じて死んでしまったそうだ。「城でもギデオンのまともな話は聞いたことがない。あいつは真っ黒だ」ライフィセットはようやく気付いた。

「そうまでして大司祭になったというのに、今や民は導師アルトリウスの大合唱。心穏やかではなかろうの」
「ま、俺たちにも色々仕掛けてくるかもしれん。用心したほうがいいだろうな」
「どんな奴だろうと関係ない。やるべきことをやるだけよ」
「登った先に人はいないはずだ。行こう」

名無は梯子に手をかけた。

 登った先はローグレス離宮の図書館だった。「わぁ……!」本の数にライフィセットが目を輝かせる。マギルゥがある本棚に触れると、それが動き奥から隠し書棚が現れた。

「わあ!古代語の本」
「そんなとこあったのか、知らなかった」

ライフィセットが駆け寄り、名無も興味深そうに隠し書棚を眺める。

「読めるのか?」
「ううん。でも、僕……」

ロクロウの問いにライフィセットは首を振るが、古代語の本を見つめる彼はこれに興味があるようだった。名無は手に取ればいいのにと思った。しかし彼はどこか遠慮がちだ。「暗殺には必要ないものね」ベルベットの言葉に俯いてしまう。

「え……?」
「欲しいなら持っていけばいい。いい子ぶっても仕方ないわよ。業魔に協力してるんだから」

ぶっきらぼうに一冊の本を押し付ける。「名無、いいわよね」「城のもんじゃない私に何で聞くのかはわからないけど…いいんじゃね?ここにあってもロクな奴は読みに来ないだろうしな」

「お前なぁ…もっと素直に優しくできないのか?」
「人を殺しに来てるのに?無茶言わないで」

先に行ってしまうベルベット。マギルゥがその本でいいのかと確認するが、ライフィセットは嬉しそうな顔で古代語の本を持つ。ベルベットがくれたこの本がいいのだ、彼は大事そうにカバンの中にしまった。

 扉をそっと開け、離宮の廊下に出る。広い廊下は左右にわかれており、どちらが礼拝堂かはわからない。駄目元でベルベットがマギルゥに礼拝堂の在処を求めるが、彼女は王城に入ったことはあるが詳しくはないと返され、あてにした自分が馬鹿だったと苛立ちを積もらせた。

「礼拝堂はこっち。見張りはいないはずだけど気を付けろよ」

二人のやりとりに苦笑いした名無は皆を案内する。屈んだ状態のまま先導し、先への扉を開け確認するが、この廊下にも見張りはいないようだった。礼拝堂までは誰もいないことが判明する。おそらく離宮の外をくまなく見回りしているのだろう。そのことを伝えるとベルベットとアイゼンは先に進み出した。ライフィセットが一息つく。そんな彼にロクロウが緊張してるのかと気遣ってやる。

「ならば、儂が”まじない”を教えてやろう」
「フィッチ、ウィッチ、フィッチ…ってやってたあれのこと?」
「あれは運勢や未来を視る占いじゃ」

まじないというのは自分にかける幸運の魔法のようなものと説明する彼女はまじないの呪文を教える。

「マギンプイ!」

独特なポーズで「ほうれ、効き目抜群じゃ!」と自信満々に言う彼女に名無とライフィセット、ロクロウは首を傾げる。

「響きからしてお前限定な気がするが…」
「どういうこと……?何の魔法なの?」
「どーでもいいことが、どーでもよくなる魔法じゃよ」
「どうでもいいなら、最初からどうでもいいだろ?」

「人は気付かぬうちにどーでもよいことに捉われる生き物なんじゃて…」お手上げのポーズで語るマギルゥに名無は「た、確かに……。的を得ている」同意してしまった。そのままライフィセットにまじないを復唱させる。

「マギンプイ!」
「マギンプイ……」
「声が小さい!もう一度…マギンプイ!」
「マギンプイ」

まだ声が小さい、心を込めて言えと強要する。誰もいないとはいえ大声を出すと響くのだが。

「マギンプイプイ!」
「もっと!」
「マギンプイプイ!!」

この騒ぎを聞きつけて先に進んでいたベルベットとアイゼンが戻ってきた。名無とロクロウはこいつが元凶だ、とマギルゥを指差す。

「もっと上げて!」
「マギンプイプイプイ!!」
「しーっ!静かに……儂らは侵入者じゃぞ」
「ええーっ!?」

名無は自分と同じくいい具合に弄ばれている彼に同情した。「これがお約束なんじゃ」小気味に笑って上機嫌なマギルゥであるが、「うるせぇ!」アイゼンの容赦ないげんこつが振りかかる。(あれ痛いんだよなぁ……)

「イテテテ……なんじゃなんじゃ!和ませようとした儂の心がわからぬかー」
「今は和む必要なんてない」
「まったく、業魔と聖隷には余裕がなくて困る」

ベルベットとアイゼンに文句を言う彼女にライフィセットは「マギンプイ…」と呟いた。

「どーでもよくなった?」
「くぅ……坊に慰められるとは……もー、どーでもいいわい……」

 気を取り直して、長い廊下を進む。礼拝堂への扉に手をかけ、中へ侵入した。祭壇の前に一人の老人が祈りを捧げていた。名無はベルベットに彼が目的の人物だと伝える。

「あんたがギデオンね」
「祈りの途中だぞ。無礼者め…だが、業魔ならば当然か」
「!!」

ギデオンの口ぶりに驚く。そして一行の耳に凛とした女性の声が入った。「そこまでです!」一行とギデオンの間に割って入ったのは一等対魔士のエレノアだった。細剣使いの聖隷と二等対魔士が二人立ちはだかる。「マギルゥ占い大当たりじゃ♪」目的の人物と遭遇できた彼女はニヤリと笑った。

「待ち伏せか」
「これも死神の力か?それとも、あの婆さんに売られたかな?」

血翅蝶がそんなことをしても何の利もない。ならば―――

「調べたのね?赤聖水の元締めがそいつだって」
「そう。あなたたちが起こした事件の関連を洗って、ギデオン大司祭にいきつきました」
「知った上で守るの?」

「……処罰は聖寮が厳正に下します」据わった眼で言い放つ彼女に「処罰だと!?私がどれだけ聖寮に便宜を図ったかわかっているのか!」ギデオンは納得してない口ぶりだ。

「ベルベットや、そやつを追い詰めてくれたらいいことが起こるかもじゃぞー」
「外野は黙ってなさい」

マギルゥがゆったり歩きながら一行から離れた。お互いが武器を構える。

「どけ!後腐れなく片付けてあげる!」
「させません!聖寮の規律にかけて!」

ベルベット、ロクロウ、アイゼンの三人が前へ駆け出した。聖寮側も向かい打つように動き出す。ライフィセットは詠唱を始め、名無は手を組み、味方を強化する為にワンフレーズの詩を謳う。

『皆の無事を祈ります。響け、壮麗たる謳声よ―――』

この謳術は攻撃と防御を支援する詩だ。加えて徐々に回復していく効果もある。

「ホーリーソング!!」

光る羽が上空に舞い、礼拝堂を照らす。効果はこの羽が消えるまで。少しの間しか謳ってない為、効果は薄い。しかし長い間謳う余裕はなさそうだと判断した名無はこうした。詩を聴いたギデオンが名無を見やる。「まさか―――!」

「はあっ!」
「っ!!」

エレノアが名無に向かって槍を降り下ろすが、寸前でかわす。鞘から剣を抜き、追撃はそれで防いだ。ガキン!とぶつかり合う音が響く。

「あなたの術の恐ろしさはテレサから聞いています。これ以上はさせません!」
「そうかよ!」

つばぜり合いの状態で睨み合う二人。ギデオンがエレノアに向かって叫んだ。

「やめろ、その方に手を出すな!第一王女の名無しさん様であるぞ!」
「な……っ!?本当、なのですか」
「二年前までな。今は違う、ぜっ!」

弾くことに成功し、数歩だけ後退させる。衝撃の事実を知って揺らいだエレノアを隙を突く形となった。

「大司祭様、ご存知でしょう?私は王家をとうに出奔した身、助けても何の見返りも得られない」
「しかし……」

名無は首を振る。もう王家には戻らない、その意思が揺らぐことはない。次はエレノアに向かって言葉を放った。

「…というわけだ。お前も殺す勢いでこい。さもないと私が殺す」
「………」

エレノアが再び槍を構えた。そして槍を振り上げ、斬撃を繰り出し名無を攻撃する。

「斬華!」

名無は間一髪、避けることに成功した。女性でありながら素早い槍さばきは感心するものがある。隙を突かなければならない、彼女の攻撃を受け流しながらタイミングを待った。
「名無!」背後からライフィセットが彼女の名を呼んだ。反応した名無は瞬時に横に側転する。

「白黒混ざれ!シェイドブライト!」
「くっ…!」

交差しながら前方に飛ぶ光と闇の弾がエレノアを襲った。怯む様子を見た名無は今だと駆け出す。それに気付いたエレノアが鋭い突きを繰り出した。体を横に反らすが髪が数本切れ、頬をかすめてしまう。名無はそれに臆することなく彼女の懐に踏み込んだ。

「獅子戦吼!」
「あぁっ!」

祭壇前に吹き飛ばすが、空中で立て直し着地するエレノア。彼女の聖隷が側に寄り、祭壇前に集まる。二等対魔士を倒し、散っていたベルベット一行も集結する。

「無茶はするな」
「してないよ」

名無の頬を見たアイゼンは忠告するが、反発されてしまった。詩の効果で頬の傷は塞ぎかかっている、確かに無茶ではないかもしれない。しかし(傷跡が残ったらどうする、親父とお揃いにしてえのか)アイゼンはそれが心配なのだった。
ベルベットは一筋縄ではいかないエレノアや対魔士相手に舌打ちする。

「エレノア様!」

彼女の元へ二等対魔士が助けに加わった。ロクロウとアイゼンが後ろを振り向く、後方にも増援が来ていた。「ちいっ、増援か」このままだと挟み撃ちだ。二人が後方の二等対魔士を倒そうと駆けるが、聖隷の術攻撃で上手くいかなかった。

「飛び道具は向こうの方が上か」
「頭を潰せ!」

「わかってる!」ベルベットが左手を変形させて、エレノアに襲いかかる。「くっ!」身構えるが彼女のなかからビエンフーが出現し「エレノア様をいじめるなでフ〜!」守る動作をした。

「ビエ〜〜〜……!?」

ベルベットはビエンフーに見向きもしないように容赦なく左手で振り払う。上空を飛ぶビエンフー、名無はついそれを眺めてしまう。落ちる先にはライフィセットが立っており、綺麗に受け止めた。

「……」

見つめ合う二人。ライフィセットは笑顔を見せる、ビエンフーの顔も明るくなるが―――

「会いたかったぞ〜ビエンフー♪よくも儂から逃げてくれたのう」
「マ、マ、マギルゥ姐さん〜!?」

珍しくキツイ顔をしたマギルゥがビエンフーの帽子を掴み、ライフィセットから取り上げる。「元鞘に戻ってもらうぞ」そのまま呪文を唱えた。

「―――覚えよ、汝に与える”真名”を!”フューシー=カス”!!」
「ビエ〜ン!ソ〜〜〜バッド!」

マギルゥは再契約を結ぶ。悲痛な叫びを上げたビエンフーは彼女のなかに戻されてしまった。念願が叶い、上機嫌になる。上げた両腕が証拠だ。

「ふっふっふっ……みなぎってきた〜!」
「お、おう…よかったな……」

ベルベットと対峙していたエレノアがビエンフーが引きはがされたことに気付く。「この力は……対魔士!?」その言葉にマギルゥは彼女を指差して否定した。

「ちが〜う!儂こそは乾坤宇天を玩具にし、鬼をもおちょくる大魔法使い!」
「アイゼン、けんこんうてん…て、何?」
「天地、陰陽、または天下という意味だ」
「へぇー…それをオモチャにするのかー……」

後ろを睨んだマギルゥは、水の術で対魔士を吹き飛ばしてしまう。威力のある術を瞬時に発動した彼女を見て名無は目を丸くした。

「あ、マギルゥ姐さんと覚えおけ〜〜い!!」
「人の身で業魔に味方する者が二人も……容赦はしません!」

何はともあれ、マギルゥのおかげで背後の増援はいなくなった。一行は目の前の敵に集中する。

「一個貸しよ、マギルゥ」
「儂はロクロウと違ってすぐ忘れるぞ」
「じゃあ今すぐ返して」
「ご利用は計画的にの〜♪」

敵は一等対魔士が一人、その使役聖隷が二体、二等対魔士が二人。ベルベットがエレノアと戦うことを請け負う。それなら他の者は私たちが倒さなければ。名無は剣を構えるが

「名無や、儂にも謳術をかけてはくれんかのう?」
「は?」
「今はもっとみなぎりたい気分なのじゃ!ほれ、はようはよう!」

「仕方ないなぁ…」前線は三人に任せて名無は謳い始める。美しい声が再び礼拝堂に響き渡った。名無の詩は確実にベルベットたちを強化していく。

「弾けおるのか?アクアスプリット!」

前方へ発射された水圧弾が二等対魔士を襲う。マギルゥの術が決め手となり、彼らは倒れた。

「ほほう…これが謳術か。実際に受けてみるとその凄まじさが実感できるわい」
「そりゃどーも」

残すは疲弊したエレノアと聖隷だけだ。

「どいて」
「……どきません!」

聖隷二体の悲鳴が上がる。ベルベットがその左手で喰らったからだ。エレノアは戦闘能力を失ってしまった。

「あ……ああ……」自分の聖隷たちが喰らわれる光景に恐怖し、固まってしまうエレノア。ベルベットは彼女の腹部を殴り、気絶させた。これで邪魔する対魔士はいなくなった。あとは―――

「ま、待ってくれ!全て聖寮の為にやったことなのだ!神殿建立の費用が要ると言われて、それで赤聖水を……」

ベルベットがギデオンに迫る。自らの行為の言い訳を並べる、錯乱しているのだ。死が目前に迫っている事実を受け入れられずに。

「勝手に製造量を増やしたのは悪かった!だが、それもワシなりの救済のつもりだった」話し合いに持ち込みたい彼は、一行が誰からの回し者か聞き出そうとする。聞く耳を持たずにブレードを構える彼女にギデオンはアルトリウスから送られてきたと解釈した。

「そうなのだな!くそ!私を消して闇に葬る気か!おのれ…!私がどれほど援助をしてやったと……」彼を黒紫のオーラが包む。

「いかん!」アイゼンが声を上げた直後にギデオンが業魔化してしまった。「ベルベット!!」思わずライフィセットが駆け出す。

「救世主面の若造がぁぁーッ!」

ギデオンの鋭い爪先がライフィセットに振りかかる。「ぐう……っ!」しかしベルベットが庇い、彼は無傷だった。膝を付くベルベット。「ベルベット!ライフィセット!」名無たちも駆け出す。

「消されてたまるかっ!!」ここから逃走するギデオン。

「くっ…ぼさっとしないで。死んだら本は読めないわよ」
「…ベルベット……こそ……」

勇気を出して、彼女に回復術をかけるライフィセット。二人にはもう気まずさは残ってなかった。追わないと逃げられる、一行はギデオンに追いつくべく走り出した。彼の逃げ先は離宮の地下だ、再び名無が先導する。

「大司祭まで業魔病になるなんてね」
「……限度を越えたということじゃな」

 地下深くへ降りていくと、突然悲鳴が聞こえた。「何…!?」不安を覚えながらも、名無は階段を下り続けた。

「こいつは……何!?」

地下最深部に着いた一行が見たものは、グリフォンのような巨大な業魔がギデオンを喰らう場面であった。

「業魔が……人に戻った……!?」追いかけて来たのだろう、一行の背後からエレノアが動揺しながら口を開く。彼女の言う通り、業魔になったはずのギデオンが、遺体ではあるが人の姿に戻っている。

「それに……この業魔は!」
(ベルベットと……同じ……?)

名無は異様な光景を見続ける。その視線に気付いたのか、グリフォンが振り向いた。名無を見た途端に翼を広げて、こちらへと飛んでくる。「っ!?」しかし途中で何かにさえぎられ、地面に伏してしまった。

「結界が張られている」
「聖寮が、こいつを捕まえてるってことか!?」

「この結界……前にも…」結界を睨み、ギデオンの遺体を確認するベルベット。

「何はともあれ依頼は果たせたの。結果的にじゃが」
「…そうね。報告に戻るわよ」

戻るべく後ろを振り返ると、エレノアが槍を構えていた。この恐ろしい出来事に手が震えていた。

「大司祭に何を…!?それにこの業魔は一体……!?」
「知らないし、興味もない」

彼女の冷たい返答に「ふざけるな!!」エレノアは激怒する。

「ふざけてるのはそっちよ。対魔士の力なしで、あたしとやるつもり?」
「う…」
「名無、戻るぞ」
「……。うん……」

グリフォンから目が離せない名無をアイゼンが促した。一行はエレノアの横を通り過ぎて、階段を上る。「一体何なのだ!お前たちはっ!」背後から、エレノアの泣き叫ぶ声が聞こえた。


 来た道を辿り、ローグレスに着いた一行。「なかなか盛り沢山な一夜だったなぁ」「気を抜くな、まだ夜は終わっていないぞ」真っ直ぐ酒場へと向かう。途中に見かける王国兵は皆、赤いスカーフを身に着けていた。
戻りながらマギルゥのことについて話す。対魔士ではない魔女だ、という一点張りの彼女にベルベットは苛立つだけであった。名無は、お仕置きは免れずバッドな日々に戻ってしまったビエンフーに同情した。

 酒場に戻り報告を済ませようとするが、タバサは結果をもう知っていた。ベルベットは鍵の情報を聞く。血翅蝶が得た情報によると、結界の中には高位の対魔士しか入れず”Aランクの聖隷を四体以上連れていること”が条件らしい。

「Aランクって…?」
「ふむ。つまり四体の強力な聖隷がいれば俺たちも結界を抜けられるってことか」
「だが、聖寮に従わない聖隷は滅多にいない。考えたな」
「……」

ビエンフーがカウンター上に現れ「こう見えてもボクはAランクなにでフよー!」胸を張り教えてくれた。

「アイゼンにライフィセット、ビエンフー。あと一体聖隷がいるな」
「対魔士から奪うしかないわね」

面倒くさそうにマギルゥが口を開いた。

「儂も行くのか?メンドイんじゃが……」
「来なくていい。けど、ビエンフーは置いていってもらうわよ」
「礼儀がなってないのー。そこは御同行ください、マギルゥ様じゃろ?」
「……はぁ…お前らなぁ」

犬猿の仲みたいだと名無は頭を抱え、溜息をこぼした。ライフィセットも二人を交互に見る。

「頼んだら来てくれるっていうの?導師を襲う場に」

彼女の目的を初めて聞いたビエンフーが驚く。

「頼まれ方次第ではの。導師と業魔の決闘なぞ滅多にない見世物じゃし」
「マギルゥ姐さんはこういう人なのでフ……」

がっくりしながら言うビエンフー。少しの間重い沈黙が流れた。もっともマギルゥだけはうきうきしながらベルベットの発言を待っていたのだが。(私が頼んでもいいのかな)名無が声を出そうとしたのだが、それより前にライフィセットが皆の中心に立ち、口を開いた。

「僕、みんなに一緒にきてほしい……です。お願い……します」

彼の意志ある言葉に皆は姿勢を正す。「ライフィセット……」ベルベットも目を丸くした。

「そこまで頼まれては仕方ない。もうしばらく付き合うとするかのー♪」
「もちろん俺もだ」
「神殿にはメルキオルがいる。目的は同じだ」
「敬語で言わなくてもいいのに、水臭いなぁ!」

顔を明るくしたライフィセットは椅子に腰かける。この自己中心的な者たちの集まりに、彼は欠かせない存在となっていた。
ベルベットは記章をタバサに返そうとする。

「持ってお行きなさい。それがあれば、私たちの身内として援助が受けられるわ」
「救世主を殺そうっていう奴を援助?後悔するわよ」

タバサはお行儀がいいのね、と上品に笑った。

「お嬢さん、私たちはそういう”理”の外に生きているんじゃなくて?」

「…警告はしたから」ベルベットは記章をしまった。そのまま酒場を後にしようとした彼女に「待て、ベルベット」投げたコインを手に握り、アイゼンは彼女を立ち止まらせる。
ライフィセットを見ると、彼はテーブルに顔を伏せて寝てしまっていた。

「おやまー」
「無理もない。長い夜だったからな」

「ふぁあ…」名無も欠伸を繰り返しており、くらくらと体が左右に揺れている。今にも夢の世界に旅立ってしまいそうだ。

「援助、頼める?」
「ええ、もちろんよ」

残りの聖隷探しは明日からだ。今夜もこの酒場に泊めてもらうことにした。


 


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