07  



「ふぁあ……んあ?アイゼンおはよー。何してんの?」
「バンエルティアに連絡をな」

窓から伝書鳥、シルフモドキが飛び立つ。「これは請け負い仕事だ。無駄に消耗することはない」ゼクソン港にいる船員に連絡をつけて警備を引き付けさせる考えらしい。名無はアイゼンの隣で大空を飛ぶシルフモドキを眺めた。

 一行は依頼の為に酒場を出る。目指すはゼクソン港の倉庫だ。

「何を壊すのかな?」
「さてね。何でも同じことよ」

ダーナ街道を歩く道中、ロクロウが口を開き老婦人の話題になった。

「優しそうな顔して強かなばあさんだな」
「ああ」

名無は頷く。門前のことやベルベット、名無のことも知っていた。あの情報網は本物だ。

「偽造と言っていたが、通行手形も本物だ」
「王国内にも仲間を潜り込ませてるってわけか」
「バスカヴィルというカリスマを失っても組織は揺らいでない。底が知れない連中だな」

味方なら頼もしい存在だ。敵にまわすことは避けたい。

「それくらいの連中でなきゃ聖寮とは渡り合えない。情報を手に入れる為にも依頼を成功させないと」
「旨い心水をもう一杯呑む為にもな」
「気が合うな。あの店はいい心水を出す」
「お前ら昨日からそればっかだな…」

名無が二人に呆れていると ぐうう、と誰かの腹の音が鳴る。ライフィセットの「あ」という声がした。

「あんたも頑張りなさい。またマーボーカレーを食べる為に」
「…うん!」


 歩きながら、名無は王都のことを考える。二年前と違う様子に驚きを隠せなかった。後ろを振り向き、独り言をこぼす。

「二年前に城の上から見た街とはまるで雰囲気が違った。聖寮の影響で変わったんだな…」
「聖寮、そして導師アルトリウスは思っていた以上に支配力を増しているな」

名無の独り言がきっかけで話題が変わる。

「王国そのものって感じだな。なにより民衆の支持が圧倒的だ」
「人類の救世主、導師様か」

ベルベットが顔を暗くして俯く、ライフィセットはそんな彼女を心配そうに見る。アイゼンは演説の内容の一部分が気になるようだった。

「アルトリウスは”聖主カノヌシの加護をもたらす”と言っていた」
「聖主…教会が祀ってる神様よね?演説でも言ってたけど、本当にそんなものの力をどうにかできるの?」
「わからん。俺たち聖隷にとっても聖主は話でしか聞いたことのない伝説上の存在だ」

「しかも演説では”五番目の聖主カノヌシ”と言っていた」名無は指で数えながら首を傾げる。

「聖主って四体しか聞いたことないけど」
「ああ、地水火風を司る四柱のはずだが…」
「新しい聖主ってこと…?」

ロクロウはライフィセットに尋ねるが、彼も知らないようだった。ごめんと謝る彼にベルベットは気にしなくていいと言うように、言葉をかける。

「いいわ。アルトリウスの言葉にとらわれすぎると奴の術中にはまる危険がある」

「あいつは聖人なんかじゃない。目的の為にはなんだったする男よ。神様をどうこうできるはずがないわ」鋭い眼で言い切る彼女にアイゼンが「奴らを甘く見るなよ」と忠告する。

「甘くなんて見てない。だから闇ギルドの力を借りて追いつめるのよ。あいつを確実に殺す為にね」
「…うん、そうだな。依頼を成功させに行こうか」


 ゼクソン港に辿り着く。相変わらず街の中は活気に満ちていた。一行は真っ直ぐ街外れの倉庫を目指す。

「よし、警備がいない。今のうちに!」
「ベンウィクたち、上手くやったようだな」

名無はふと何かに気付いたように足を止める。

「私は念の為に外の少し離れたとこにいるよ。もしかしたら誰かが来るかもしれないし」
「なら俺と名無は外で見張りだ」
「お願い」

ベルベットはライフィセットとロクロウを連れて倉庫の中に入って行った。倉庫から少し距離をとり、壁に背中を預ける。名無は不服そうにぼやいた。

「見張りくらい一人でできるよ」
「倉庫に四人も人員を割く必要もない。それだけだ」

船を降り、一人の女性が歩いて来ていた。倉庫方面に行かないのなら声をかける必要はないが、その人物は名無とも少なからず因縁のある相手で避けることはできなかった。お互い気付き、目を見開く。

「げっ」
「あなたは…!?」

その人物とは、ノースガンド領で出会い交戦した一等対魔士、エレノアであった。アイゼンが名無の耳元に顔を寄せ、向こうに聞こえないように問う。

「一等対魔士…知ってるのか?」
「巡察官らしい。ヘラヴィーサでちょっとな…」

(まずい、めんどくさいことになった)これなら全員で倉庫に入ったほうがよかったかもしれない。思いもよらない不運にガシガシと頭を掻く。エレノアはアイゼンに目もくれず名無に問いただす。

「あの業魔はどこにいるのですか!?」
「さあ…?」

明後日の方向を見ながら不真面目な態度でほのめかす名無にエレノアは激怒した。

「人間が業魔に味方するなど…恥を知りなさい!!」
「ええ…味方に人間とか業魔とか関係なくない?」

敵は敵、味方は味方。そこに種族や生物の違いはない。名無は自分の考えをエレノアに伝えてみるが、当然彼女にわかってもらえるはずもなかった。

「名無」

アイゼンと目を合わせた名無は軽く頷く。ベルベットたちが出てくるまでにどうにかしなければ。

「あなたはまだ若い、まだやり直せます。どうか自首してください!」
「まーまー、そう言わずにお姉さん!なんなら一緒に散歩でもしようや、刺身でも奢るぜ?」
「何をわからないことを!」

人間で年下の少女だからという理由で話し合いで解決しようとしてくれてるらしい。エレノアの説得に聞く耳を持たない名無は彼女の腕をぐいぐい引っ張る、行き先はただひとつ。

(このまま海に落としちまおう!)
(名無、そのまま海に落とせ!)

「いい加減にしなさい!さもないと…!」

名無を取り押さえようとするエレノアだったが、何かが目に入ったようでその手を止める。
彼女の視線の先には駆けて来ているベルベットたちが。どうやらは破壊工作を終えたようだ。彼女たちもエレノアに気付いたようで足を止める。

「っと、涙目の」
「一等対魔士エレノア・ヒュームです!」

槍を取り出し細剣を持った二体の使役聖隷を繰り出した。名無とアイゼンは彼女から離れ、ベルベットたちの方へ一旦下がる。

「今度は逃がしません!」
「ちっ!穏便には済まないか!」

一行とエレノアは再び交戦することとなる。彼女の槍術は洗練されているが、ベルベットとアイゼン、二人を援護するライフィセットの三人相手には歯が立たなかった。の細剣使いの聖隷たちは名無とロクロウが倒す。

「くっ…」エレノアはかろうじて立ってはいるが、息を切らしておりいつ力尽きてもおかしくない状態だ。

「聖隷なしでまだやる気?」

強い眼差しでベルベットを見るエレノア、まだ戦う気らしい。倉庫から煙が上がる。彼女の視線はそれに奪われた。

「まさか……倉庫に火を!?」

ベルベットに向かい質問を問いかける。「災厄のなかで人々が築き上げたものを、どうして…どうして壊せるのですか!」

ベルベットは彼女をじっと見据えた後、その目を閉じ「人間じゃないからよ」と冷たく言い放つ。

「許しません!業魔!」

さらに聖隷を出現させるエレノア。まだ聖隷を使役しているのか。一行は再び構えをとった。

「エレノア様はボクが守るでフよ〜!かかってこいでフ〜!」

表れたのは奇妙な帽子をかぶった小さな聖隷。一行はあっけにとられる。その場違いさに構えをといてしまった。名無が嬉しそうに声を上げる。

「うわー!なんだそいつ!可愛い!!」

続けてライフィセットも可愛いと呟いた。それを聞いた小さな聖隷は「そ、そうでフか?」照れる動作をした。すると奇妙な空気になったこの場に怨念を込めたような声が響き渡る。

「見ぃ付けたぞぉぉぉ……」
「このバッドなお声は〜!?」

その場の者全員が声を出した人物を見る。何故かマギルゥが船のバウスプリット先に立っていた。

「裏切り者ビエンフー!珍妙にお縄につけ〜いっ!」

こちら側へと飛び降りてきたマギルゥ。小さな聖隷はどこからともなく現れた彼女に恐れおののく。

「で、でたぁああ〜〜〜!!」
「こ、こら!戦いなさい!」

逃げるように再びエレノアのなかに戻る聖隷。それを叱咤するエレノアであったが何も起こらない、戦意喪失しているようだ。
彼女を倒すチャンスだが、街の者が倉庫の煙に気付き始めた。どうやらここまでのようだとベルベットが口を開く。

「火が回る時間は稼いだ。逃げるわよ」

瞬く間に一行は街の外へと走り出す。「お前も来い」ロクロウがここを動く気がなさそうなマギルゥを担いだ。

「は〜な〜せ〜!魔女さらい〜〜〜!!」

エレノアは追おうとするが足を止める、火を消し倉庫の中の物をひとつでも多く守ることが先決だ。街の者に消火を頼み、そのうちの一人に倉庫の中身を教えてもらい、ベルベットの行動に疑問を抱くエレノアであった。


 ダーナ街道へと逃げ出すことに成功した一行。「ふう……なんとか逃げ切れたな」ロクロウが一息つく。

「よよよ…無念じゃよ〜せっかくあいつを追い詰めたのに〜」
「お、おい元気だせよ…」

膝を付き落ち込むマギルゥに名無とライフィセットが駆け寄った。名無はマギルゥの背中を撫でて励まそうとする。

「まあ、居場所がわかったからよしとするかの♪」
「ええ…」

すぐさまケロリと立ち上がるマギルゥ。そんな彼女の切り替えの早さに名無は困惑した。

「あんた、あの変な聖隷を捜してたわけ?」
「そうじゃ。ヤツの名は聖隷ビエンフー。儂の可憐な乙女心を傷つけおった、憎さあまって可愛さ全開なノルじゃよ」

「…捕まえたらどうしてくれようか〜」気味悪く笑いながら去って行ってしまう。嵐が過ぎた後のようだ、場が静まり返った。

「意味がわからん」
「「わからん…」」

ロクロウの言葉をマネするように名無とライフィセットが呟いた。

「いいの。わかったら困るわ」

 何はともあれ依頼は達成だ。酒場に報告に行かなければ。ローグレスに戻ることとする。
名無はベルベットに倉庫のことを聞く。中には大量の赤い箱があったらしい。中身は確認していないがミッドガンド協会の封紙が貼られていたことを聞いた。何故そんなものを破壊する依頼を出したのだろうか。


 ローグレスに戻った一行は酒場に入り老婦人に報告をする。「港では一騒動あったようね?けど、目的をはたせたなら問題ないわ」こちらの行動も筒抜けのようだ。残りの依頼は明日にしなさいと言われ、今日も宿を借りることにした。名無はチャンスだと思い、ロクロウにしばらく稽古をつけてもらう。相変わらず歯が立たなかったが、着実に強くなっているとの評価をもらい名無はさらに励むのであった。

 日も暮れて夕食の時間だ。席に集まり、夕食をとりながら昼の出来事を話す、勿論大人組は心水を飲みながら。ベルベットたちとエレノアの因縁が気になるアイゼンに、ロクロウが簡潔に教える。エレノアは甘ちゃんだと評価するベルベットにアイゼンはそれでも一等対魔士であることには変わりないから油断はするな、と忠告した。

「ところでマギルゥが追っかけてたビエンフーとかいうのは本当に聖隷なのか?」
「あ!それ私も気になってた」

ロクロウの疑問に同意する名無。自分が想像していたマギルゥの相方像とはあまりにも違った外見だった為、それが判明した時には驚いた。

「俺たちとは異なる種族だが、聖隷だ」
「聖隷にもいろんな奴がいるんだな」

名無はアイゼンとライフィセットを交互に見る。

「なら、マギルゥは対魔士ってことか。魔女とか魔法使いって言ってたのは何だったんだ?」
「監獄島に捕まってたことを考えれば、聖寮から弾き出された奴なのかもね」

あるいはただのペテン師か。マギルゥのことについて様々な憶測が飛び交うが、本人もいない為、結論は出てこなかった。
突然ロクロウがビエンフーの声マネをする。それに名無とライフィセットが吹き出した。彼はライフィセットも笑ってくれたことに喜ぶ。

「おっ、笑った!」
「…!ごめんなさい」
「何で謝るんだよ。ビエンフーが面白かったんだろ?」
「うん」
「ロクロウの声マネもな。ねえもっとやってよー!」

いいぞ、と名無の頼みに応じたロクロウはライフィセットに「笑いたい時は笑えばいいんでフ〜!」声マネを混ぜながら、良いことを教えてやる。名無は笑い、ライフィセットも我慢することなく笑った。ロクロウは二人のいい兄貴分をしてくれている。ライフィセットにも声マネを促す。彼も挑戦しようと声を出すが

「やめなさい!」
「えっ!?」

ベルベットに強い口調で止められてしまった。馬鹿なことは止めておとなしく夕食を食べなさいと注意する。謝るライフィセット。

「全く、余裕のない奴だな」

自分はやっても怒られないだろうと名無は咳払いをして喉を触り、渾身のビエンフーの声マネに挑戦しようとするが

「お前もやろうとするな」
「ぐえっ……、ちぇー」

隣の席のアイゼンにその大きな手で頭を軽く押さえつけられ、成し遂げられないまま終わった。

「楽しい会話中悪いのだけれど」

老婦人がデザートをテーブルの中央に置いて会話を切り出す。名無とライフィセットがデザートに釘付けなことがわかった彼女は食べながらでいいと二人に優しい微笑みを向けた。

「「美味しい!」」
「お気に召したようでよかったわ」

マーボーカレーだけでなく、このピーチパイも絶品だ。二人が笑顔で食べているなか、老婦人は本題に入った。

「二つ目の依頼”失踪者の捜索”を明日に、三つ目の依頼”襲撃者の排除”を明後日にこなしてもらう予定だったのだけれど……どうやら襲撃が明日にでも発生しそうなの」
「なら明日は三つ目の依頼をこなせばいいのね?」
「それが、学者の方も限界が近いかもしれないわ。そちらも急いでもらいたくて…」

確かに失踪者の救出の為に捜索も急がなければならないだろう。

「つまり並行して依頼を達成しなければならんということか」

「すまないわね」謝る老婦人にベルベットは問題ないとその頼みを受けた。

「三人と二人に分かれたほうがよさそうね」
「三人が襲撃者の排除で、二人が失踪者の捜索だな」

少しの間、皆で話し合う。別行動は問題ない、後はどういう風に分かれるかだ。「上手く戦力を分散させないと」

「ならこいつで決めるか!」
「……くじ?」
「あんた話聞いてた?」

別行動になると決まってから、いそいそと何かを準備していたロクロウだったが、まさかくじを作っているとは。

「まあ、試しに引いてみたらいいんじゃね?問題あったら話し合いで決めればいいんだし」

くじ引いてみたい!とロクロウの案に賛成した名無にベルベットはため息をついた。ライフィセットも引きたそうな目をしているし、一回ならばいいだろう。

「一回だけよ。いい?」
「うん!」

ロクロウの手に握られている細長い五枚の紙に、それぞれ手をのばす。くじの下部分の色は、赤が三枚、青が二枚だ。「せーのっ!」名無の合図で一斉にくじを引いた。

「……あたしは赤だわ」
「あ、僕も赤」
「私青!」
「……俺もだ」

ロクロウの手に残されていたくじは赤だった。ということは―――

「襲撃者の排除はあたしとロクロウ、ライフィセット。失踪者の捜索は名無にアイゼンね」
「なかなかいい分かれ方だな」

後援タイプのライフィセットに近接タイプのベルベットとロクロウ。どちらもこなせる名無とアイゼン。くじにしてはいいバランスだった。一つの心配を除いては。

「死神と一緒になる名無が少し心配ではあるが……」

アイゼンが顔をしかめた、確かに一人の少女に自分の呪いには耐えられないかもしれない。誰かと代わるか?ロクロウは名無に聞くが、彼女は首を横に振った。

「貧乏くじをよく引くって言われるけど、死神引いたのは初めてだ。ははは」

「明日はよろしく、アイゼン」笑顔で言う。変わらず死神の呪いを全く気にしていない名無に、アイゼンは目を丸くした。

(……面白い奴だ)

「ああ」短く応え、頷いた。分かれるメンバーは決まった。名無は依頼書を確認する。

メンディという学者を捜索してもらいたい。彼は”ガリス湖道”に向かった後、行方不明に。

「捜索の依頼だが、何が起こるかわからない。油断するなよ」
「わかってるって」

夕食の時間も終わり、名無はいち早く明日の準備を終え、眠りについた。



 「いってらっしゃい。成功の報告が聞けることを願っているわ」老婦人と酒場の者たちに見送られ、依頼の為に出かける一行。

「じゃあまたな名無」
「失敗するんじゃないわよ」
「任せとけって!そっちも気をつけて」

ダーナ街道で三人と別れ、名無とアイゼンは北東を目指した。
ガリス湖道は王都の北東に広がる湖沼地帯だ。その奥は深く、業魔も多い。

 「……!綺麗なところ…」湖道に入り、その美しい景色に見惚れる名無。空の色を写す水、地面には草花が生い茂っている。雲の影が通過しており、幻想的な場所だ。

「行くぞ」
「あ、うん」

再び歩き出したアイゼンの後に続く。景色を堪能するのは中止だ、今はメンディを捜さなければならない。

 業魔との戦闘を重ねながら奥へと進む。死神の呪いのせいなのか、やけに名無が執拗に狙われていた。(疲れるけど、いい修行になるな)アイゼンと共にすると強くなっていく気がする。彼女はこの短期間で異様なほどの経験を積んでいた。

「悪く思うなよ。名無」
「…何で?死神の呪いもそう悪いもんじゃないよ」

気にするなと名無はアイゼンに笑顔を向けた。「……そうか」アイゼンはどうにも名無の笑顔に弱い。どうしてなのか、理由はわからなかった。
二人は歩く。初めて会った時とは違う、同じ速さで。隣に並んで―――

 長い時間歩いていた二人は、ようやく最深部らしき場所へ辿り着いた。大きな岩場の前で、二人の傭兵らしき人物が佇んでいる。名無は声をかけようとするが、「何者だ!」二人を発見するや剣を抜き、今にも襲いかかってくる勢いだ。

「ん…?見張りか?」
「ボサッとするな!くるぞ!」

傭兵二人はそれぞれ一体の聖隷を出現させる。

「ただの傭兵じゃねえ!」

アイゼンは敵に向かって駆け出した。名無も剣を抜いて後に続こうとするが

「お前は援護だ!」
「…わかった!」

そう言われ、詠唱を始める名無であった。アイゼンは多数相手に一人奮戦する。傭兵の剣を避けた後、詩が全員の耳に入る。

『彼の者を護る歌護を与えましょう―――』

名無は謳う。しかし、それは短いものだった。ワンフレーズだけ音を奏で自然のエネルギーを霊力に変換し、アイゼンに譲渡する。

「―――バリアー!」

これは即席の謳術だ。防御の力を少し上げるもので、ヘラヴィーサで謳ったものには及ばない。しかし短い時間で確実に発動するものでもあった。

『沸き上がる力を、貴方に譲渡します―――』

名無は続けてアイゼンを支援する謳術を発動する。傭兵たちが邪魔をしようとするが、それはアイゼンが許さなかった。

「―――シャープネス!」

自分の攻撃力が上がったことに気付いたアイゼンは詠唱中の聖隷に技をくらわせる、拳で地面を叩き衝撃破を起こした。

「土壇場!!」

自身の周囲にいた聖隷を吹き飛ばし、ダウンさせる。名無はさらに術で援護する。「水に飲まれろ!スプレッド!」水流を噴き上げて攻撃する術を発動し、傭兵二人を怯ませた。アイゼンは聖隷術の構えに入った。

「名無!」
「わかってるよ!」

厄介な聖隷から倒す方がいいだろう、名無は倒れている聖隷に追撃をするように剣を二回振り、地上を這う斬撃を二回放つ。

「魔神剣・双牙!」聖隷二体に止めを刺す。すかさずアイゼンは地の聖隷術を傭兵に向けて発動した。

「ストーンエッジ!」

足元から岩の槍を突き出し攻撃する。人間には耐えられない威力なそれは、確実に二人に止めを刺した。

「…終わった?」
「ああ」

アイゼンは後ろを振り返る―――が。

「名無!!」

彼の焦る声に名無は瞬時に察する。視界に危うい事態は見当たらない、ならば―――

「っ!!」

後ろだ。戦いに夢中で気付かないうちに業魔が背後に這い寄っていたのだ。名無が振り返ると、上半身が女性、下半身が蛇の大型業魔が鋭い攻撃を降り下ろす瞬間だった。とっさに腕を顔の前でクロスさせ、急所を守ることしかできない。
「くそっ!」アイゼンが駆ける。しかし名無までの距離は遠い。後衛の方が安全だという自分の選択が裏目に出てしまった。彼女の名を叫ぶ。一撃は、避けられない。

「!!?」

―――かと思いきや、名無に攻撃が降り下ろされることはなかった。
突然、湖の水が業魔を襲い、そのまま引きずりこんだのだ。業魔は足掻くが、最終的には湖の中へ沈んでいった。アイゼンが名無の傍に駆けつける。

「お前が、何かしたのか?」
「いや……」

水の加護を受ける詩は発動していない。していたとしても、こんな風に直接的には助けてはくれないだろう。名無は湖を見つめる。しかし何も起きることはなく、ただの湖に戻っていた。アイゼンも視線を向けるが、時が過ぎるばかりだ。名無は話題を本筋に戻す。

「それよりも…こいつらは何なんだ?」
「……進めばわかる。奥に行くぞ」

岩場の裏に回る。そこには疲弊した人間たちがいた。テントの下で眠る者、道具を使い岩を掘り進める者。名無とアイゼンがメンディを捜しながら進むと周りの者たちがざわついた。「誰だ、あいつら…」「まさか、あの監視の傭兵たちを倒したのか…?」岩に赤い鉱石が見られる。置いてある箱にもそれが積まれていた。

「メンディはどいつだ?迎えにきた」
「助かった……やっと帰れる」

名無の呼び声に一人の青年が反応した。「大丈夫?…監禁されてたのか」彼のやつれ具合を心配する。

「”赤精鉱”を掘らされてたのか?」
「ああ。コレの製造法を発見したせいで酷い目にあった」
「せきせいこう?」

知らない単語に疑問符を浮かべ、首を傾げる名無。アイゼンがすかさず教えてくれる。

「大地の栄養が結晶した珍しい石だ。薬になるが、毒があって扱うのが難しい」
「ふーん…じゃあ、薬をつくってたのか?」
「ああ、”赤聖水”という滋養薬をつくらされていたんだ」

(ゼクソン港の倉庫の赤い箱。…赤聖水)名無は三つの依頼に共通点があるのではないか、と思い始めた。アイゼンの眉間にしわが寄る。

「……赤精鉱には強い常習性があるはずだが?」
「わ、私もそう言ったのだが、監禁されて仕方なく…」
「まあまあ、アイゼン」
「構わん。依頼は達成したからな」

あとはローグレスに帰すだけだ。しかし彼らに長距離を歩く元気があるとは到底思えない。名無は手頃な岩に腰掛ける。そして、この場の者たちにはわからない言葉で一言囁いた。

『私の詩は癒しとなる―――生命の力を与える為に、謳います』

名無は謳い出した。途端に湖が輝き出し、草花は光を放つ。これは回復の詩だ。一定時間ごとに体力を少しずつ回復させる効果を持つ。
名無はこの回復術が得意だ。ライフィセットの短時間で治してしまう回復術には劣るかもしれない。しかし、彼女の詩が回復させるのは体だけではない。メンディたちは名無の謳う姿とこの場所に見とれる。次第に活力を帯びた顔付きになり、眠っていた者も立ち上がった。

 謳い終わった名無は周りを見渡す。

「みんなでちゃんと帰れる?」
「ああ。本当にすまない……」

メンディは二人に謝罪をして、捕囚を引き連れてここから去って行った。

「俺たちも戻るぞ」
「うん、でも…」

もうちょっとだけ。名無は景色を眺める。ガリス湖道のこの美しい景色を目に焼き付けたい、とアイゼンに伝えた。先に戻っていいと言うが、彼が了承することはなかった。「仕方ねえな」名無の隣に腰かける。特に言葉を交わすことはなく、少しの時間を共に過ごした。


 「―――あ!」
「名無、アイゼン。そっちはどうだったんだ?」

ガリス湖道の入口付近でベルベットたちと再会する。無事を確認し、お互いの請け負った依頼の結果などの情報共有をしあった。ベルベットたちの方の依頼の内容を聞くが、やはり共通している。そして一つの結論に辿り着いた。


 酒場に戻る頃には日が沈んでいた。「おかえりなさい。大変だったでしょう?」酒場に入るとカウンターにいる老婦人と店主が出迎えた。

「マーボーカレーはいかが?それとも特製ピーチパイの方が…」
(マーボーカレー!)
(ピーチパイ!)

ライフィセットと名無は目を輝かせる。「約束よ。本題を」「……」急かすベルベットの発言に二人は肩を落とした。

「導師アルトリウスの居場所は”聖主の御座”。しばらくここに籠もる予定よ」

ダーナ街道の北にある聖寮の新神殿。聖寮は聖主カノヌシの遷座儀式を行っているらしい。

「聖主カノヌシ……聖寮が掲げる新しい神様ね」
「厳粛な儀式だから、付き添うのはメルキオルたち数人の高位対魔士だけらしいわ」
「……メルキオル」
「好都合だ」

「あいつもいるかもな」ロクロウは誰にも聞こえないように呟いた。

「十分よ。それなら襲う隙が必ずある」
「ただし、御座の手前には厳重な検問が敷かれているわ」
「なんとか破ってみせる」

老婦人は首を横に振り、それは無理だと否定した。人は誤魔化せても結界は欺けないということか。彼女が言うには部外者の侵入を阻む術の壁がつくられているらしい。それなら聖寮の者たちが通れる”鍵”があるはずだとベルベットが鋭く突いた。それには老婦人も頷き、肯定する。

「今、仲間が鍵について調べているわ。ただし、それは……」
「……別会計」
「ええ〜?三つも依頼やったのに?」
「ごめんなさいね。まけるわけにはいかないの」

お代はこれだと文字の書かれた紙をベルベットたちに渡す。それには―――

ミッドガンド協会”大司祭ギデオン”の暗殺

そう、書かれていた。

「暗殺任務…」
「……これは最高に穏やかじゃないぞ」

「わかったわ」ベルベットは迷わずに依頼を受ける意を伝えた。老婦人は彼女にこの依頼の理由を尋ねなくていいのか、と問う。

「大方、大司祭が赤聖水の元締めなんでしょ」

ベルベットは三つの依頼の共通点や、推理の結果を話した。それを聞き終わった老婦人は満足そうに口を開く。

「三つの課題の関連に気付いたのね」
「それが本当の試験じゃなかった?」
「合格。いくら凄腕でも、剣を振り回すだけの人は信用できないもの」

腕を組み、据わった眼差しで老婦人を見る。

「勘違いしないで。あたしはアルトリウスに辿り着く為ならなんだってする。―――鞘なんてとっくに捨てたのよ」
「……そう。あなたは”剣”そのものなのね」

老婦人は胸元に手を添え、一向に自己紹介をする。

「改めて名乗りましょう。私はタバサ・バスカヴィル。闇ギルド”血翅蝶”の長よ」

ベルベットも名乗る。そして依頼の為に大司祭の在処を求めた。タバサが言うには、大司祭は毎晩ローグレス王城の離宮で災厄祓いの祈りを捧げている。礼拝は単身で行うはず。狙うならこの時だ、とのことだ。

「離宮に入る手段は?」
「それは名無しさんが詳しいはずよ」

周り全員が名無を見やる。「……ああ、抜け道がある。私ならわかるよ」

タバサはこれがあれば血翅蝶の仲間が手を貸してくれると言い、記章を渡す。ベルベットは鍵の情報を今一度頼んだ後にそれを受け取った。依頼と移動で消耗しているのもあり、明日の夜に決行することとする。一行はそれまで休息をとることに決めた。

 その日の深夜、アイゼンがカウンターに佇んでいた。今この場にいるのはアイゼンとタバサの二人だけだ。彼女はアイフリードが一時的に監獄島に囚われていたこと、特等対魔士メルキオルが連れ出したことが事実だと告げる。しかし、その後の消息がつかめない。血翅蝶の調べでも明らかにはならなかった。

「いずれにせよ、聖寮があいつを捕えているのは間違いないな」
「目的はなんなのかしら?」

海賊討伐の為なら見せしめで処刑するか、仲間たちを誘い出そうとするはずだ。しかし、今のところはどちらの動きもない。

「もしかして、アイフリードが異大陸から持ち帰ったという”遺物”が狙いなんじゃないの?」

(あの”妙な道具”の噂が出回っているのか……)アイゼンは思考を巡らす。

「可能性はあるな。あいつは”ある遺物”を妙に気に入って大切にしていた」
「どんな物なの?」
「海賊団の機密だ。今はこれ以上言えん」

「だが、もし目的がそれなら、離宮に囚われている可能性は少ないだろうな。あそこには拷問の設備がないだろう?」
「……その通りね」

一部でも機密を明かしてくれたことに礼を言う。アイゼンはその線も含めて引き続き情報収集を頼んだ。
タバサは話題を切り替え、もう一つの依頼の結果を報告する。「第二王妃のことだけど…」「わかったのか」

「ごめんなさい、元からよく知っていたの。あの子の手解きのおかげで城に仲間の手を回せた。私たちの恩人よ」

アイゼンがこの依頼を持ちかけたあの場にはロクロウがいた。彼に知られるわけにはいかなかったらしく、彼女はこれから調べると嘘をついたらしい。

「……二年前の、アイフリードに送られた手紙の差出人は……名無しさんの母、第二王妃よ。血翅蝶の仲間がアイフリード船長に送ったの」

謎がひとつ解明された。アイフリードは手紙を読んだ瞬間に処分したものだから、手紙のことは調べようがなかったのだ。燃やしてしまった、まるで誰にも見させないように。行き先も女のところとだけしか言わず、ぼかしていた。
タバサは名無の母親のことを教えてくれる。アイゼンの求める、王妃になる経緯と、出身地を。

「人の少ない田舎の生まれなのだけど、王都に訪れた際に国王に謳う姿を一目で見惚れられてね。村の活性化を条件に妃になったの」

その時には名無は彼女の腹にいた、元々そのことで医者を訪ねに王都に来たのだ。彼女はアイゼンの求める名無のことも語ってくれた。

「……第二王妃の出身の村の名は?」
「数年前に業魔の襲撃で、なくなってしまったけれど。その村の名は―――」

ひとつの村の名前を口に出す。その村は、アイフリードの出身地でもあった。タバサの口から続けるように話される二人の関係性。アイゼンは確信した、名無は―――

名無しさん・名無しは、バン・アイフリードの娘だ。

(娘がいても驚きはしない、だが…)何故アイフリードは名無に自分が父親だと伝えていない?名無自身も国王が実父ではないとわかっている。アイゼンはじっくりと考えるが答えは出てこなかった。これは本人に直接聞くしかないようだ。逆にタバサは全てを知っているようだが、何も言わないということは教えれないことなのだろう。

「あの子を、守ってくださる?」
「……アイフリードと再会させるまではな」

死神に守られることになるとは……不幸な奴だ。アイゼンは目を伏せて笑った。


 


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