06
青空の下、バンエルティア号はミッドガンド領への航路を順調に進んでいた。
(変な形でアイフリードの船に乗ってしまった……)
ライフィセットに両手を治してもらいながら、名無はボーッとそんなことを考えていた。
「痛みがなくなった!ありがとう、ライフィセット」
「うん……あの、名無、さっきはごめんなさい」
彼に謝罪される覚えはない名無は「何が?」と聞く。
「この手の怪我は僕のせいだから」
「いやいや、これは私の未熟さのせいなんだよ。お前は気にすんな」
「年上が年下を守るのは当たり前のことだしな!」とも付け足し胸を張る。今まで年上たちと行動を共にするばかりだった名無は、自分より幼い彼がパーティに加わったことが嬉しいのだ。
「こういう時はお礼でいいよ」
「……うん!ありがとう、名無」
名無は笑い、頭を撫でようとするが彼にはタンコブがあることを思い出した。
「そういえばタンコブは大丈夫?」
「うん。ベルベットが砂糖を塗ると腫れがひくって教えてくれて、試したら効いたよ。」
「え、砂糖を?痛くなくなるの?甘くなるんじゃなくて?」
凄い知恵だなあ、とベルベットを誉めた。回復術を終えると、すぐ傍に置いてある羅針盤をしっかりと持ち進路を確認するライフィセット。アイゼンの脅しも効いているようだった。
「あーあ、新しい剣を調達しねえと」
「折れちゃったもんね……」
「今ある短くなった鉤縄だけはちょっとな」
名無は溜め息をつきながら鉤縄を見る。強化し続けることは不可能だ。中心が細くなってしまった物など使えないので、自ら半分の長さに切ったのだが、すぐに廃棄することとなるだろう。
「剣がないと、そわそわする……」
「確かに!手元に刀がないと落ち着かないよな、斬りたい時に斬れなくなる」
「お前と一緒にすんな!」
いつの間か二人の傍にいたロクロウが名無の呟きに同意する。名無のそわそわする、とは長い間腰にあった物がないから落ち着かないからであり、ロクロウのような物騒な意味ではない。
「それにしても上手かったよなあ。名無の鉤縄」
「うん。百発百中って感じだった」
「まあなー。いざという時に使ってたし」
二年ぶりだったが感覚を失ってなくてよかったと言いながら、ひゅんひゅんと鉤縄を回し、適当な場所に引っ掻ける。ロクロウはその腕を絶賛し、ならあそこはどうだ、あそこも!と次々と鉤を飛ばしてほしい場所を指定する。名無も二人に誉められ悪い気はせず、彼らのお望み通りに操った。
「なら次はあそこの角はどうだ!」
「任せとけぇ!……ん!?」
名無はこれまで通り的確に飛ばしたはずが、鉤縄が急に奇妙な軌道を描き、何かに引っ掛かる。こちらの視界からでは見えない。不可解に思い縄を引っ張ると、何かが転倒するような音がした。……嫌な予感がする。
「………いい度胸じゃねえか、名無」
「「し、死神が釣れた!」」
少しだけ間を置いた後に、アイゼンが名無を睨みながら登場する。彼の片足には縄が巻き付いていた。ずんずんとこちらに向かってくるアイゼン。
「いやロクロウも……あれ!?いない!」
隣にいたはずのロクロウが消えている。どうやらライフィセットを連れて避難したようだった。(あの野郎!覚えてろよ!)そんなことを考えてる間にアイゼンは目の前に到着しており
「船の上で振り回すな!」
「う"あっ!………いっでー!」
ゴン!と名無の頭にげんこつがお見舞いされた。初めての頭部への強い衝撃にうずくまって耐える。元はといえば自分が悪いな、と涙目で顔を上げ「ごめん」と素直に謝ると彼は腕を組んで頷く。許してくれるようだ。
「もう掌は大丈夫そうだな」
「ああ。ライフィセットが治してくれたから、今は頭が痛いかな」
「……話は変わるが」
「おい」
アイゼンの顔付きが変わる。話とはアイフリードのことだろう。名無も真面目になろうと立ち上がり、彼を見つめた。
「アイフリードっていつからいないの?」
「……一年前からだ」
「そっか」
(つまり私と別れて半年後に捕まった訳か、私が聖寮に追われ始めた時期とも合う)名無は考える仕草をした。今度はアイゼンが名無に問う番だ。再び洞窟で聞こうとした質問をする。
「お前はアイフリードとはどういう関係だ?」
「よく……わからない。恩人としか言いようがない」
そうとしか答えようがなかった。そう、彼は名無の危機に颯爽と現れ救い出してくれた恩人だ。
「なんであいつが私を………だから、確かめたい。会いたいんだ。私は―――」
アイフリードを助けたい。
正直にその気持ちを彼に伝える、彼の瞳を見つめて。アイゼンは名無の瞳に取り込まれそうになる。彼女のそれは眼前に広がる大海原のようだ。(だが、正体のわからないこいつを信用していいものか)アイゼンは悩んだ。名無が聖寮の回し者の線も捨てきれないからだ。
「……私なりにあいつを探ってみたんだけどさ」
彼に信用してもらえてないと察した名無であったが、監獄島で得た情報を全て教えた。自分は怪しい者だろうが、彼らは正真正銘アイフリードの仲間だ。名無は疑われたままでもいい、アイフリードが助かりさえすればいいのだ。
「対魔士が管理する監獄島だな」
「ベルベットたちにも聞いたらいいよ。あいつら脱獄勢だから……あっ、いいところに。おーい!ベルベットー!」
遠くを歩いていたベルベットに手を振り、彼女を呼び寄せる。自然とロクロウ、ライフィセット、マギルゥも集まってくる。名無はロクロウを睨むが笑顔で返されてしまった。
気を取り直して、名無はロクロウたちに自分の恩人がこの海賊団の船長だと明かした後、ベルベットに問う。
「ええ、監獄の囚人が言ってた。”この島から生きて出たのはアイフリードだけ。メルキオルというジジイの対魔士が連れ出した”って」
「私も色々捜し回ったけどその情報しか得られなかったんだよな」
メルキオルってどんな奴なのかな。名無の疑問にライフィセットが口を開いた。
「メルキオル様は、特等対魔士で聖寮の長老。いつもは本部にいるはずだよ」
「”様”はいらない」
ベルベットに対して首を傾げるライフィセット。名無は苦笑いした。
「あいつの失踪には聖寮の上層部が絡んでいるようだな」
「その本部とやらは王都にあるのかの?」
「うん、王都のローグレス離宮に。行ったことないけど」
「………」
王都ということは、王城の離宮か。あそこに再び向かわなければならないか、と名無は眉間にシワを寄せた。
「ベルベットの目的もそこにいる男だろう?」
「目的は同じというわけだな」
「謝らないわよ。巻き込んでも」
「それはこっちの台詞だ」
アイゼンの発言は死神の呪いの意味からだろう。いい機会だと名無はロクロウとマギルゥにも質問を投げ掛ける。
「二人はアイフリードに関して何か知らない?」
「俺は聞いたことはない。マギルゥ、お前はどうだ?」
「連れられてきたのは一年ほど前じゃったか?囚人どもがざわついたのを覚えておるが。よほど極秘扱いのようでのー、どの房に入れられたのかすら漏れてこんかったな」
そこまでして?名無は聖寮の不可解な行動に頭を悩ませる。だって、彼は
「アイフリードって、普通の人間だよな?」
「そうだ。対魔士の能力もなければ、業魔でもない」
そう、アイゼンの言う通りアイフリードはただの人間だ。やたら強いことを名無は知っているが、彼自体に特別な能力はないはずだ。
「海賊潰しが目的ならば、愉快な仲間たちを野放しにしておくのもおかしな話じゃしのー」
「聖寮がそこまでしてこだわる理由がわからん」
アイゼンたちも情報収集を続けているが聖寮の狙いが一向に見えないらしい。
「だが、必ず救い出す。海があいつと俺たちの生きる場所だからな」
名無はアイゼンの言葉に強く頷いた。(アイフリードの為だ、どこにだって行ってやる!)そう決意を固め、彼が助かることを願った。
「生きてると確信してるみたいね」
「海賊が邪魔なら、殺せば済む」
「聖寮には生け捕りにして聞き出したい、大事な用事があるんだろうな」
「だが、生き方を他人に曲げられて大人しく従うような奴じゃない、あの男は」
「自分の舵は自分の意志で取る……」ライフィセットが呟く。「そういうことだ」アイゼンは肯定した。
「名無、タンコブできてない?砂糖貰って来たよ」
「うわぁマジかよ!お前いい奴だなー!ベルベット、これ塗ればいいの?」
「そうよ、貸して。こうやってね、頭に……ていうか、なんでこんな立派なタンコブあるのよ」
「いやー……はっはっはっ」
ミッドガンド領に着くのは明日だ、それからは各々で時間を過ごすこととなった。
名無は甲板から一人でずっと海景色を眺めていた。船上から夕方の海を見るのは初めてかもしれない。彼女の瞳が夕日に照らされ、深い蒼になっていた。
「ずっと眺めてたのか」
「アイゼン」
後ろを振り向くと、アイゼンがこちらに向かってきていた。そのまま名無の隣に立ち、二人で海を眺めながら話す。
「船から見る海が特に好きなんだ」
「……そうか」
何か用かと聞く。すると彼は二つの物を名無に渡した。
「片刃剣!………と、何これ?」
「ボーラという、ロープの先端に錘を取り付けた投擲武器だ」
彼が言うボーラという物は、ロープの先が二又に分かれ、それぞれの先に丸い錘が付いていた。彼はロープを持ったまま錘を回転させて相手に叩き付ける打撃武器としても使われる、などのボーラについての説明やうんちくを語る。名無は頷きながら最後まで真面目に聞いた。
「くれるの?」
「少しの戦力も惜しい状態だ。役立たずが増えるのは困る」
「いや、武器なくてもマギルゥみたいに何もしない気はないけど……」
役立たずという例えは彼女を指していることを察し苦笑いした。武器がなくとも術や素手でやるつもりだった名無だが思わぬ形で入手することができ、彼に感謝する。
「ありがとう!」
「お前に合いそうな武器を探したのはベンウィックだ」
「そっか、あいつにもお礼言わないと」
ベンウィックとはアイフリード海賊団に所属する若い青年だ。初めてこの船員たちと接触した時に名無が威勢よく罵倒を吐き捨てた相手でもある。彼はそれを気にする様子もなく、海門要塞を突破した後には、すんなりと仲良くなれていた。
「お前には洞窟から助けてもらってばっかりだ」
「勘違いするな。お前は色々と役に立ちそうだから少し手を貸しただけだ」
「うん、わかってる」
「でも、どうしてもお礼が言いたくて」名無は屈託のない笑顔をアイゼンに向けた。
「ありがとう、アイゼン」
「………ああ」
彼女の素直な言動に、疑いの目を向けることは間違っているのかもしれない。(早いうちにアイフリードと名無の関係性を突き止めて、確実に疑いを晴らすか)自分に大きな瞳で見つめ返してくる名無は、育ちの良さそうな可愛らしい少女であった。
一晩が明け、バンエルティア号は交易の中心地ゼクソン港へ辿り着く。ベルベット一行は船から港へ降り立った。ロクロウが感慨深く腕を組む。
「いやあ、新鮮だな!まともに港に着けた」
「これが普通なんだよなぁ」
「坊や、よかったのーサメのエサにならずに済んで」
「うん、よかった」
ロクロウたちが呑気に話すなか、ベルベットは海賊が普通に港に船を着けることに疑問を持った。
「いいの?海賊船がこんなに堂々と」
彼女に目もくれず、船着き場にいる壮年の男性の元へ歩いていくアイゼン。彼は不適な笑みでこちらを迎えた。
「北の海はいかがでしたか、アイゼン副長?」
「ヘラヴィーサと海門要塞が沈んだ。当分ノースガンド領の流通は大混乱するはずだ」
「それは耳よりな。早速手を打たせていただきます」
アイゼンは「船長の手がかりがあったと?」と彼に尋ねるがその情報はタイタニア島に送られた、という名無たちのよりも少し古いものであった。
「いつも通り、我が社の商船として停泊届を出しておきましたが、お気をつけて」
「ローグレスで盛大な式典があるせいで、ここも人目が多くなっておりますので」壮年は去ってしまった。(ボラード……船泊めの貿易商人か)名無は納得した。それと人目が多いことに不安を覚え、思わずフードを被った。
「成る程。情報がボラードの見返りってわけだな」
「情報が……見返り?」
「最新情報をいち早く教えてやれば商人は儲ける機会を得られるでしょ」
「だから、海賊でもかばってくれる」
ベルベットの説明に納得するライフィセット。アイフリード海賊団は、あちこちの港にこういうコネをもってるのだろう。
「聖寮の規律でも、人の”欲”までは縛りきれんということじゃ」
「……そうなんだ」
船の安全は確保できた、後は王都に向かうのみだ。一行はゼクソン港を出発し、ダーナ街道に出るが「お前、何でまた戻って来たんだ?」ロクロウの言葉に気付く。そういえば、何故かマギルゥも付いて来ている。
「主らが寂しがるかと思ってのー」
「全然寂しくないけど」
嫌悪を込めたベルベットの冷たい言葉が放たれた。
「裏切り者を捜すとか言ってたのはどうなった?」
「取り逃がした、手がかりもない」
手がかりがないから、とりあえず自分たちに付いてくるつもりらしい。
「魔女なんだから、魔法で探せばいいでしょ?」
「あいにくと儂の魔法は二人三脚方式でのぉ、裏切り者のあやつがおらねば発動せぬのじゃ」
それは初耳だ。つまりマギルゥはその裏切り者がいない限り何もしない、ということだろう。
「共犯者ありきのペテン魔法というわけだな」
「やーい!ペテン師ー!」
「ちがわい!」
「その裏切り者とやらを捜す手伝いはしないわよ」
「バナナで釘が打てるほどの冷たさじゃのー」
名無はどうじゃ?何故か名無に話を振ってきた。
「え?まあ暇なら協力してもいいけど、あいにくそうじゃないからなー。諦めろ」
「そう言うでない〜!名無がおれば向こうから近付いてくるやもしれんのじゃ〜!お主はあやつの好みじゃろうし!」
「うわ!やめろ、ひっつくな!というか何だよその理由!?」
腰付近に抱き付いてきたマギルゥを振りほどく。一向に彼女のことが不明なままだ、ロクロウが質問を重ねた。
「そいつの他に仲間はいないのか?」
「はて……おらぬのー」
「帰りたい故郷はないのか?」
「ないのぉ……」
「魔法の他に、やりたいことはないのか?」
「ないのぉ……」
この会話でライフィセットが何かに気付く。それを聞くアイゼン。
「うん……マギルゥの話聞いてたら、なんか胸がもぞもぞして……鼻がつんとした」
「何それ……?」
「友も居場所も目的もない空っぽの人生を送る魔女をお前は憐れだと感じたんだ」
「憐れ……?」復唱するライフィセットにアイゼンは「相手をかわいそうに思う気持ちのことだ」と丁寧に教えてやる。
「マギルゥは、憐れ……」
「そういう目で儂を見るでない〜!」
名無も「やーい!憐れな奴ー!」と彼女を指差し煽る。それも効いたようだが、次にはいつもの調子に戻っていた。
「ではでは!改めてローグレスへ!」
「……結局あんたも来るの?」
ダーナ街道を歩き、橋を越える。すると王都ローグレスの外観が見えてきた。
「わぁ、あの壁……凄く大きい」
「この国の王都ローグレスだ。巨大な城壁で街を囲み、業魔の侵入を防いでいる」
「聖隷をこき使うことによって、人は身の丈以上の文明を手に入れたのじゃよ」
ライフィセットの初見のような反応に一行は疑問を持つが、対魔士に使役されてる時は景色を見ることも満足にできなかったようだ。マギルゥが不穏なことを言い出した。
「王家も聖寮の本部もある国の中枢じゃ、王国兵も対魔士もあちこちで見張っておる。儂ら悪党にとっては、居場所のない街じゃ」
「………」
「居場所なんていらない。アルトリウスの居場所さえわかれば、それでいい」
(居場所、か……)名無は物思いにふける。アイフリードと別れてからは慌ただしくて居場所なんてものはないに等しかった。
「どうした名無?具合でも悪いのか?」
黙っている名無にロクロウが視線を合わせた。大丈夫だと彼に伝え、フードを深く被る。一行は王都へと向かうのだった。
正門の人混みがあるなか、王国兵が民に何かを出すように指示している。
「検問……!」
「全員を調べるものじゃない。自然にかわすぞ」
(自然に……)
この面子で?名無の顔が強張る。ロクロウが「顔、硬いぞ」とベルベットと名無に忠告する。
「わかってるわよ」
「うう、気を付ける……」
自然体を装って歩く一行。正門を越えても声はかけられず、無事に王都に入れた、と思いきや
「そこの黒コートの女。”手形”を見せてもらおう」
「ええと……」
ベルベットが王国兵に引きとめられてしまった。マズイ。手形なんて物を彼女が所持している訳がない。何故かこのタイミングで名無の隣で裏しかでないコインを投げるアイゼン。(そういえば癖だって言ってたな)
「どうした?聖寮が旅人に発行する”通行手形”だ」
どうする。ベルベットは考えるがいいものが浮かばない。それを見たマギルゥがニヤリと笑った後に彼女の頭を叩いた。後頭部への衝撃に驚く。
「この未熟者!奇術師見習いの基本はニッコリ笑顔と教えたじゃろーが!」
「奇術師?」
「イカにも!ご覧の通りクセ者揃いの我が一座。その名も”マギルゥ奇術師”と称しまする〜♪」
奇術師と騙り、この場を乗り越える策のようだ。騒ぎに人が集まってくる。
「式典の余興か?」
「タコにもその通り!いやはや、我が馬鹿弟子が失礼いたしました」
彼女にとっては屈辱だろうが、これで済むなら安い物だろう。
「ほれ、兵士様の御不審を解くのじゃ。お前の得意芸、鳩を出してみせよ!」
「は!?」
無茶振りにも程がある。ベルベットはマギルゥを見るが彼女はちらりと目の前に視線を寄せる。その先にはじっと見定めてくる王国兵。怒りを抑えながらベルベットは口を開いた。
「すみません、師匠……仕込みを忘れました」
「な、な、なんと情けない奴じゃ!芸の道をイカに心得おるか〜!」
腕を上げて怒るマギルゥ。(おいおい、調子に乗って変なこと言うんじゃないだろうな)名無はベルベットの身を案じた。
「待て、こんなところでハトを出されても困る」
「いいや、勘弁できませぬ!お詫びに鳩のモノマネをせいっ!」
ベルベットが強くマギルゥを睨む。これは後で覚えてろ、という表情だ。嫌がる彼女に無理強いはさせたくない、と名無は助け船を出そうとする。
「あ、あの師匠!それなら私が渾身のハトマネを……!」
「黙っておれ音響担当!」
「お、おんきょう」
ごめん、ベルベット。助けられないと大人しく後ろに下がった。名無の渾身の鳩のモノマネ、少し見てみたい気もする。アイゼンは彼女をちらりと見た。
「ハ・ト・マ・ネ!」
観念したのかベルベットは右手を鳩のくちばしに見立て、二回前に出し「ポッポ………」と小さな声でハトマネをした。自分のやったことに顔を染め俯く。名無はこれからどうするんだ、とマギルゥを見ると彼女は鳩と輝く紙吹雪を辺り一面に繰り出した。周りの民衆とライフィセットから感嘆の声が上がる。
「かように泣く子も笑うマギルゥ奇術団!ローグレスの皆様に御挨拶の一席でございました〜♪」
ギャラリーの拍手に包まれた。相変わらずベルベットは俯いたままである。王国兵は手形を確認することなく、一行に散れと命令した。「かしこまり〜♪」そのまま中に進んで行く。
何はともあれ、誤魔化すことに成功する。一行は堂々とローグレス内部に進んだ。「べ、ベルベット、元気出せよ……王都に入れたんだからさぁ」彼女の背中を撫でてやる。
「ははは!なかなかの手口だったな、マギルゥ」
「あんな子供ダマシは今回限りポッポ〜」
「………」
「おお、怖い怖いポッポ〜……」
ベルベットの恐ろしい顔にマギルゥは思わずロクロウとアイゼンの背後に逃げる。二人とも背が高くガタイが良い為、綺麗に隠れてしまった。
「鳩、凄かった」
「……その子供ダマシで入れた。王都も大したことないわね」
彼の言葉を聞いて脱力したのか、ベルベットはマギルゥに仕返しをするのは止めたようだ。話題が変わる。これでマギルゥ奇術団とかいうふざけたものは終わりだろう。
「それだけ守りに自信があるんじゃろうて。ライフィセット、王都の戦力を知っておるか?」
彼が言うには、王都に配備された対魔士は千人以上。守備兵士は二個師団。途中で対魔士に様を付けようとしたが、ベルベットの視線に気付き、対魔士と言い切った。
「……流石は王都だな。油断ではなく余裕とみるべきだろう」
(通行手形がないと厳しいか……)どうにかして偽造できないかとベルベットは考える。
名無は必死にはぐれないように付いていく。普段は景色に見とれるのだが、今彼女の視線は味方たちの背中と地面にしか注がれていなかった。
「民衆がニコニコなのも納得じゃの。業魔に怯えまくっとった数年前とは大違いじゃわー」
「でかい式典があると言っていたしな。そんな余裕があるほどここは平和なんだろう」
「……その平和は……ラフィの………」
頭を押さえ辛そうに呟くベルベット、それに気付いたのはライフィセットだけであった。
王都の様子を見ながら進む一向。聖寮と国王や王子を褒め称える声ばかりだ。しかし今の体制によく思わない者もいるようで、王都といえども全員が絶対服従している民とはいかないようだ。
式典で王子と筆頭対魔士アルトリウスの演説が行われる王城前広場へ向かうが、すでに民衆が溢れかえっており、とても広場に入れない。大勢の歓声がこの国を称えていた。
「躾が行き届いておるわ」
そして第一王子パーシバルの演説が始まる。名無の表情が更に強張った。
「式典が始まった」
「こりゃあ、割って入るのは無理だぞ」
王城前広場だけでなく、門の前にまで人が溢れている。王子の演説は止まることなく、順調に進む。ベルベットが城壁を指差した。
「あそこ!」
「上か」
「登るのはいいが、ここで襲うのは無謀―――」
「!!」
王子がアルトリウスという名前を発した瞬間、彼女の眼が変わった。民衆もそれに歓声を上げる。そのまま走り出す。
「ベルベット、どこに……!ロクロウ!」
「追うぞ!名無!」
名無たちも走り出し、追い付こうとするがベルベットは城壁を登っている最中だった。落ちそうになった瞬間、ライフィセットが彼女の名前を叫ぶ。それでも彼女は憎しみを込めた顔で、左手を城壁に食い込ませながらよじ登る。
追う為に、名無も階段から跳躍すると同時にボーラの先を城壁の上部分に投擲し、壁に足を付けた。
「ロクロウ!踏み台にしろ!」
「すまん名無、重いぞ!」
名無は壁に背を向け、右手を差し出し足場をつくってやる。ロクロウも跳躍し名無の右掌に片足を一瞬だけ乗せた。「―――う、おっらぁ!」ロクロウの跳ぶタイミングと同時に名無は右手を振り上げ、彼をロープの上部分へ飛ばす。彼がそのまま城壁を登りきるのを見た後に名無は壁に足裏を付けロープを手繰り寄せながら登ろうとするが
「うあっ!?」
突然背中に重い衝撃が襲い、手を止めてしまう。
「ライフィセット」
「ごめん、名無」
「いいよ、しっかり掴まってな!」
きっとライフィセットもベルベットのことが心配なのだろう。彼をそのままに、再び登っていく名無。
「重い?」
「全然!もっと飯たくさん食って大きくなれよ!」
ライフィセットを背負ったまま、なんとか城壁を登りきった。前を見ると「馬鹿!見つかるぞ!」ロクロウがベルベットの頭を押さえ、伏せさせているところだった。城壁の上からだと演説する王子とアルトリウスが見える、奥には対魔士たちも。名無も頭を伏せた。
「ライフィセットを殺した……!」
その発言を聞いてしまう三人。名無とロクロウは気付いた。(ライフィセットという名は、ベルベットの―――)彼女の握り締める左手から血が滴る。
「導師………アルトリウス!」
演説は、パーシバル王子がアルトリウスの偉大なる功績と献身を讃え、災厄を祓いし民を導く救世主の名”導師”の称号を授けるものであった。彼は”世界の痛みは、私が必ずとめてみせる”と宣言したが、そんなことが可能なのだろうか。
式典が終わり、一行は人気のない場所に集まり話し合う。アイゼンがベルベットに確認をとった。
「……導師アルトリウス。あれがお前の標的か」
「いきなり飛びかかるかと、ヒヤヒヤワクワクしたわい」
「それじゃ無駄死にでしょ。”理”と”意思”の剣が要るのよ」
マギルゥに冷静な言葉で返す。アルトリウスを確実に殺す為の冷徹さだ。
「あいつを殺す為には」
「アルトリウス様を、殺す……」
「手堅くてつまらんの〜」
ここには用はないと言った感じで、マギルゥは背を向けた。
「そろそろ儂はおいとまするかの。名残惜しいじゃろうが、捜し物があるでな」
「お好きにどーぞ」
「せいぜい頑張れよー」
ライフィセットも一拍置いて、「さよなら」と彼女に別れを告げた。
「じゃあの。皆の大願成就、七転八倒を祈っておるぞ♪」
「最後に嫌なことを……」
名無は彼女が消えるまで背中を睨む。せめて七転び八起きと言ってくれ。気を取り直すようにロクロウが口を開いた。
「敵は導師様とやらだ。姿を隠すような相手じゃない。じっくりいこうぜ」
「奴の後ろにいたジジイがメルキオルだな?」
ライフィセットは頷く。となれば名無とアイゼンの目的はあの老人だ。名無は過去のことを思い出そうとする。
(あいつは”あの時”に……?)
「奴らの情報を集めよう、何をしてるかわかれば隙を突ける」アイゼンが皆を仕切る。
「といっても、王国の最重要人物だ。探るにも手掛かりがないとな……」
「アイゼン、王都に裏の知り合いはいないの?船着き場の時みたいな」
「内陸には疎いが……アイフリードが懇意にしていた闇ギルドがあったはずだ」
バスカヴィルという老人が仕切っている。王都の酒場が窓口だ。彼は疎いと言ったが、しっかりと重要なことを覚えている。
「闇ギルド、そんなものがあるのか?」
重いか空気が続くかと思いきや、ぐうう、と誰かの腹の音が鳴った。「わっ!?」声をあげるライフィセット。名無とロクロウは笑う。彼のおかげで空気が和んだ。
「そういや朝から何も食べてないな」
「とにかく酒場へ行ってみよう。腹ごしらえはできるだろう」
「そうね」
一行は真っ直ぐ街の中へ向かうのだった。
「お腹から、凄い音がした」
「生きてる証拠よ、それも」
まだ人通りが少ないのを見計らい、名無は気になることを彼に聞いた。
「そういえば、ロクロウの目的の奴はいた?」
「いや……ああいう場にすまし顔で並ぶ奴じゃない」
彼はそのまま、アルトリウスの右腕のことや、立ち姿だけで彼の強さがわかることなどを話す。遠くから見ただけでわかるロクロウの洞察力に感心した。
「”あいつ”がアルトリウスの傍にいる理由はおそらく……俺もあいつを斬りたくなってきたぜ」
アイゼンの言っていた酒場に到着する。店前の看板には”バー・ブラッド・バタフライ”と書かれていた。店内の様子を探る、雰囲気があり綺麗な酒場だ。カウンター前で黒服の老婦人に出迎えられる。
「あら、小さなお子様連れなんてめずらしい。ここは酒場だけど食事もなかなか美味しいわよ」
彼女に軽く返して、カウンターの酒場店主に声をかける。低い声で「いらっしゃい」と一行を見渡しながら言った。
「この子たちに何か食べ物を」
(たち?)
この子たち、とはライフィセットと名無のことだ。名無はむっとするが、ベルベットよりは年下なのと、何かを食べたいのは事実だから黙っておく。
老婦人がこの店の名物を説明してくれる。一週間も煮込んだマーボーカレーだそうだ。ライフィセットはそれに興味津々で、名無にも急激に空腹が襲いかかる。「じゃあそれを」二人の様子を見たベルベットがそのメニューを頼んだ。
「ところで、バスカヴィルって人を知らない?ここで会えるって聞いたんだけど」
「……そのジイさんは聖寮の規律に逆らった悪人だ。とっくに処刑されたよ」
「………そう」
なら、闇ギルドとやらは解散してることだろう。次どうするかの話は食事の後だ。カウンター席に腰掛ける。少しするとマーボーカレーがライフィセット、名無、ベルベットの順で並んだ。美味しそうな匂いが鼻腔を刺激する。食事といっても、大人組は心水を立ったまま飲んでいるが。アイゼンの隣に座る名無は彼らを見上げる。
「それだけでいいの?腹減らない?」
「俺たちはこれでいい」
「大人はな、心水があればやっていけるもんだ」
「ふーん……」
大人はよくわからんと思う名無。マーボーカレーを口に入れる。それを味わった瞬間「美味しい……!」「お、よかったな」ロクロウに笑顔を返した。ライフィセットも気に入ったのか、勢いよく食べている。
「ベルベット。マーボーカレー、美味しいよ」
ベルベットは一口食べるが、喋らない。やはり味はしないようだ。カウンターに入っている老婦人がベルベットとライフィセットの様子を見て「仲がいいのね。ご姉弟?」と尋ねるがベルベットは否定する。
「―――そうよね。 あなたの弟さんは殺されたんですものね 」
老婦人の一言に周りが凍りついた。ベルベットは椅子から立ち上がり、老婦人を睨む。
「何故それを!?」
「闇は、光を睨む者を見ているものよ」
和やかな食事風景は終わりを告げた。名無とライフィセットもカウンターから立ち上がり、彼女から少しの距離をとる。
「バスカヴィルが捕まっても闇ギルドは動いているのか?」
「ええ。船長が消えてもアイフリード海賊団がとまらないように」
「!」
この情報の正確さ。本物のようだ。
「……あなたが窓口なの?」
その問いに言葉を出して答えることはなく、彼女は自分の役割を果たそうとする。
「御用は何かしら?」
「アルトリウスの行動予定を知りたい」
「それは、ちょっと値が張るわね」
聖寮の筆頭対魔士の情報だ。安値では決して得られないだろう。
「いくらだ?」
名無が値を聞くが、老婦人は首を横に振った。ということは、彼女が今求めているのは金品ではないのだろう。そのまま、一枚の紙をカウンターに置いた。
「非合法の仕事よ。”これ”を全部こなしてくれたら、こちらも情報を提供するわ」
その紙には”ギルド 血翅蝶 依頼書”こう書かれていた。
血翅蝶というのが、この闇ギルドの名前だろう。依頼の項目は三つある。
物資の破壊 、失踪者の捜索 、襲撃者の排除
非合法な仕事なだけあって、名前からして不穏なものばかりだ。勿論受けるつもりのベルベットは依頼の内容を詳細に読む。そして最初にこなす依頼を定めた。
ゼクソン港の倉庫に集められている”赤箱の物資”を破壊してほしい。
ベルベットは物資の破壊という項目の依頼から請け負うと決めた。周りも依存はない。
「これを持っていって」また一枚の紙を、カウンターを通してベルベットに渡した。これは彼女が欲していた”通行手形”だ。
「偽造だけど、まず見抜ける者はいないはず」
「……マギルゥ奇術団って書いてあるんだけど」
気に入らない名前が通行手形に記載されていた。あの場しのぎのものが、こうも彼女を苦しめるとは。
「あら、門前でそう名乗っていたでしょう?」
「あいつが勝手にな」
「……そっちの力は、よくわかった」
仕方ない、と彼女は通行手形をしまう。穏やかな顔で発言する老婦人。
「達成したらここに報告にきてね」
しかし「でも、失敗した時は……」彼女の声が低くなった。ベルベットはわかっているように、老婦人の言葉を遮る。
「あたしが勝手にやったこと、でしょ。迷惑はかけないわ」
「その心がけに応じて今晩は宿をサービスするわ。依頼は明日からになさいな」
一行は老婦人の言葉に甘えることにした。食事を再開しようとするが、その前に老婦人は名無だけを見やり、周りを絶句させる一言を放つ。
「ただの宿だから、”お姫様”のお気に召すかはわからないけど」
「………!」
名無は冷たい眼で老婦人を見据えた。息をついて、観念したようにフードを外す。やはり知られていたか。周りは目を見開き、彼女の方を見る。一番始めに口を開いたのはベルベットだ。老婦人に詳細を尋ねる。
「名無が……?どういうこと?」
「……このお方の本名は、”名無しさん・イマ・ミッド・アスガード”。正真正銘のミッドガンド王国第一王女よ」
「やめろよ、そんな言いかた」名無は首を振り、嫌悪するように否定する。
「王家はもう二年前に出奔した、もうあそこは関係ない」
「向こうはそうでないみたいよ?……でも、気分を害したのなら謝るわ」
老婦人は名無に頭を下げる。別に謝罪させたいわけじゃない、顔を上げるように頼んだ。ロクロウがこちらをまじまじと見ながら問う。
「なら名無しってのは?」
「母親の旧姓。アスガードはもう名乗らないしな」
老婦人は名無を見つめる、何かを見定めるように。
「その様子だと王家に戻る気はないみたいね」
「当たり前だ。姫なんかじゃねえからな」
腕を組み、吐き捨てるように。この言葉遣いと態度はとても姫とは程遠いものだった。
「そもそも私は国王とは血の繋がりはない」
「……!!」
「ええ。あなたのお母様が第二王妃になる時には、既にあなたはお腹にいたものね」
「……凄いな、そのことを知ってるのは王家とその重臣くらいだぞ」
最初の爆弾発言に驚いたベルベットたちであったが、今の名無は王家を脱していることもあってか、落ち着いてこの二人のやりとりを聞く。しかしアイゼンだけは心中穏やかじゃない。名無の一言に対し、彼の胸がざわつく。
(まさか………!)
ひとつの仮説に辿り着く。アイフリードにとって、名無は―――。
(……だとしたら、俺はこいつを守り抜かねばならない。なんとしてでも)
名無の背後から彼女を見つめた。
日も沈み、ベルベットたちは上の部屋でもう休んでいるが、アイゼンとロクロウはまだ酒場にいた。
アイゼンはカウンターで老婦人にアイフリードの行方を依頼する。このギルドは彼に借りがあるらしく、無条件で教えることを約束した。失踪した現場に”ペンデュラム”が落ちていたことや、特等対魔士メルキオルが絡んでいることもを告げ、なるべく彼女らの調べがスムーズになるようにこちらの情報も教えた。
「……あと一つ、調べてほしいことがある」
「何かしら?」
「名無の母親。ミッドガンド王国第二王妃の出身地や妃になる経緯についてだ」
「……何故知りたいのかしら?」
アイゼンはアイフリードと名無のことを話す。
「あいつは二年前に突然船を出ていったことがある。一通の手紙を読んだ直後に”女のところに行ってくる”と一言残してな。そのまま半年の間、帰ってこなかった」
名無が寝てるであろう、上の階を眺める。確かに女で、健康的で見た目のいい奴だが、年の差からアイフリードの恋人とは考えにくい。
「俺たちは恋人の会いに行くと解釈し、何も言わなかったが……どうやら名無の面倒をみていたらしい」
アイフリードと名無の関係が知りたい。自分の予測が的中してるかの確認の為に、彼女の母親のことを教えてほしい。そうアイゼンは老婦人に頼む。
「………わかり次第、調べた結果を教えるわ」
「頼む」
アイゼンは礼を言った後、自分の心水を持ちロクロウの近くに座る。
「名無は、船長の失踪に関係あるのか?」
「おそらくはない。ただ、少し気になることがあるだけだ」
「大変そうだな。俺たちに付き合ってる場合じゃないんじゃないか?」
「……お前こそ、何故ベルベットに付き合っているんだ?」
アイゼンとロクロウは心水を飲みながらベルベットのことについて話す。お互いひとりで世界に抗う彼女に興味を持っているようだ。”自分の為”に彼女と行動を共にする。
お互いの心水を酌しながら、アイゼンは名無の事を切り出した。
「名無は、どんな奴だ」
「ん?名無か。ううむ……」
口は悪いが、可愛い妹がいたらあんな感じだろうなあ。と呟き、アイゼンと出会うまでの名無との出来事や彼女との会話内容を話す。そして顎に手を寄せ、少し唸ると名無のことを動物で例えた。
「人懐っこい犬かと思いきや、一匹狼な面もある」
「何だその例えは……」
だが前者の方は素直な彼女には妙にしっくりくる例えだ、とも感じる。ロクロウは印象深かった名無の台詞を呟いた。
「敵は殺す、仲間は守る。そう言って自分は単純な奴だと評価していた」
「あいつがそんなことを?」
「おう。とても十六とは思えない割り切りの良さだよなあ」
確かに悩みが多いであろう年代の少女とは思えない意思の強さだ。出生理由もあってか、波乱万丈な人生を歩んできているのかもしれない。
「やけにひとりになる時のことを考えているし、船長の救出以外にも自分の手だけで何か成し得たいことでもあるのかもな」
「なのに身内には優しくて貧乏くじを引くタイプ。自分のことはそっちのけで、当初はひとりでアイフリードを救出する気でいた……どうやら名無も―――」
「ああ。立派な”馬鹿”さ」
すると、上から誰かが降りてくる音がする。寝静まってる者に対しての配慮か、階段を降りる音は控えめだ。二人は階段の方に視線を寄せた。
「あ、まだ飲んでる。もー、明日に響いても知らないからな」
降りてきたのは、彼たちが話していた名無だった。
「お、もう一人の馬鹿が降りてきたぞ」
「はあ?喧嘩売ってんのか」
酔っ払いの言葉だと判断した名無はロクロウを追究することもなく、真っ直ぐに目的の人物の前に歩む。老婦人の前のカウンター席に腰掛けた。
「頼みがあるんだ」
「依頼ね。何かしら?」
名無は小袋をカウンターに置く。ジャラリとそれの中身が鳴った。ロクロウは知っている、あの中には稀少な宝石たちが詰められているはずだ。あれを全て依頼料にする気だろう。全部渡してまで彼女が知りたいこととは一体―――
「捜してもらいたい業魔がいる」
今の名無からは、今までとはまるで違う冷たさを感じた。アイゼンは彼女から視線を離すことなく観察する。
「それだけでは捜しようがないわ。特徴は?」
「頭の片側に珊瑚の角、顔はドクロの仮面。腕は左右それぞれに二本、つまり四本だ。そのうち二本はハープを奏で、残りの二本は短槍を持っている。……あと、脚は魚」
老婦人は頷く。名無の依頼を受けるようだ。
「脚が魚……さしずめ”人魚の業魔”、とでもいいましょうか」
「………人魚か。そうだな、それでいい」
業魔なのに人という矛盾に、皮肉めいた笑いで目を伏せた。そして小袋を老婦人に寄せる。
「居場所を突き止めるだけで、余計なことはしなくていいから。頼むよ」
老婦人は小袋の中身を広げる。やはり中身は美しい宝石たちだった。
「世間知らずね。こういうものは少しずつ出すものよ」
「いいよ。私はその業魔を捜し出せれば、自分のことなんかどうだっていいんだ」
老婦人は宝石を仕分ける。依頼料の分だけの宝石をとった彼女は残りの宝石、海や水が関係する物たちを名無に返した。
「これはあなたが持ちなさい。母の形見でしょう」
「いい。母からは、もっと大切なものをもらってる」
見えないものだけど、そう付け足して。老婦人は宝石を小袋にしまい名無に手渡す。
「だからといって見えるものを手放すのは悲しいわ。私たちはあなたの母には世話になったの。いいから、持っておきなさい」
「………そっか。ありがとう」
名無は少し物悲しそうに微笑み、小袋をしまう。ロクロウが名無に声をかけた。
「その人魚の業魔を倒すのが名無、お前の目的か」
「そうだよ。でも、まずは恩人の救出だ」
「一生懸命頑張るから。アイゼン、よろしくな」彼に誠意が伝わるように、彼だけをその綺麗な海色の瞳で見つめた。
「お前も”自分の為”に行動してるんだな」
「ああ。多分、私なんかがいなくても、お前らだけでアイフリードは助け出せるだろうよ。だからこれは私の自己満足、自分の為さ」
自己中心的だろ?名無は眉を下げて笑う。アイゼンは心水を飲んでから彼女にニヒルな笑みを返した。
(こいつを疑うのは、どうやら杞憂だったようだな)
名無は緊張がほぐれて眠気が襲ってきたのだろう、大きく欠伸する。
「くぁあ………。お前たちもさっさと寝ろよ。二日酔いしても看病なんかしないからな」
老婦人に就寝の挨拶を済ませ、再び就寝する為に上の階に向かった名無。
自分を自己中心的だと称したにも関わらず、その他人に気遣う言動に(おかしな奴だ)アイゼンは口角を上げた。