04
曇り空のなか進んでいく船。ヘラヴィーサから脱することができたダイルがご機嫌そうに舵をとっていた。やっと寒い地域から離れることができたと名無も非常に機嫌がよく、海景色を見ながら鼻歌を口ずさんでいた。
「〜♪」
「なんとかうまくいったな」
ロクロウの言葉に名無は船上へと視線を戻し、マギルゥはニヤリと笑う。
「……若干、オマケが付いたが」
「オマケ?」
それはマギルゥに対してかそれとも、ベルベットが手を繋いでいる聖隷に対してか。ロクロウの視線でやっと聖隷と手を繋いだままだと気付く。
「あ」
それを知ったベルベットはパッと手を放した。どうやら彼女は無意識で連れてきてしまったらしい。
「…………」
「ベルベットのオヤツ代わりには丁度よさそうじゃの」
「こら、マギルゥ」
名無はマギルゥを軽く睨みつけた。
「オヤツ……」
「冗談だからな」
「ううん。それが命令なら」
聖隷二号の命令への徹底さに四人は黙る。
「……いいのか?連れて行って」
「この子の術は役に立つ。やばくなったら捨てればいいわ」
「なっ!?」
「じゃの。聖隷なんて道具みたいなもんじゃし。のう、二号?」
「うん」
「………」
「おいお前らそんな言い方…ッ!?いて……」
腕を抑える名無。落ち着いてきてやっと痛みが襲ってきたようだった。
「大丈夫か名無。お前は人間なんだから、ちゃんと手当しとけ」
「うん、自分でやる。……腕でよかった」
脚だったら走れてたかわからなかった。もし走れなくなっていたら、きっと置いて行かれていただろう。運の良さに感謝しつつ自分に回復術をかける。
「すまん、しっかり守ってやればよかったんだが」
「謝るなよ。敵は大人数だったし逆にあそこまで守ってくれて助かった。ありがとうな、ロクロウ、ベルベット」
それから話題は名無の能力の話になった。この面々にはもう見られているし、別に隠すことでもないから正直に答えようとする。
「しかし不思議な奴じゃのー、詩で味方を強化するとは」
「うん、私は”謳術士”だから」
「おうじゅつし?」
謳術士。詩で自分の感情、祈る想いや霊力、自然の力を操り術として発動する力を持つ者。
「さっきのは詩で二人の霊力を強化、増幅するのと同時に、さらに自然の力を霊力に変換して上乗せしたってわけ」
「ほう、初めて聞いた。そんなことができる奴がいるんだなあ」
「今はこの力を使える奴はほとんどいないんだって。強化以外も色々とできるよ。詩に集中しないとだから他のことができないのが弱点だけどな」
(名無の力も使える……)
ベルベットは名無に利用価値があると判断した。共に行動をする間は協力してもらおうと、名無の目的や行き先を訪ねる。
「あんた、これからどうするの?捜してる奴がいるらしいけど」
「ああ、そうだ。許してくれるならしばらくはベルベットたちに付いていこうと思うんだ」
名無はベルベットに聖寮が目的だろ?と確認をした。
「私は恩人を捜してるんだけど監獄島から得た情報だと、どうやら聖寮に捕まってるっぽいんだよな」
「恩返しか……俺と同じだな!」
「つまり聖寮が目的ってとこは同じなわけね」
「うん。だから邪魔じゃなければ一緒にどうかな?」
「構わないわ。でも命の保証はしないわよ」
「お互い様だろ?それこそ構わないよ」
名無は笑顔をベルベットとロクロウに向けた。
「じゃあ、よろしく!」
まず第一に優先するはアイフリードの救出だ。
それ以外に名無には”真の目的”があるが、まだ果たすことはできない。強くなった暁に名無が独りでやらなければならないことだ。(ごめんなさい。もう少しだけ、待っていてください)名無は空を見上げ、届かない想いを馳せた。
「恩人、のう〜。コ・イ・ビ・ト♪の間違いではないのかえ?」
「はあ!!?んなわけねえだろ殺すぞ!」
「真っ赤になりおってからにー♪益々あやしいのう!」
「それだけはないってば!おいこらマギルゥ!」
もう許さないと大声を出し名無はマギルゥを捕まえようとするがヒラリと避けられてしまう。そこから軽いチェイスが始まるかと思ったが、ダイルの操船を手伝ってほしいとの頼みに名無は素直に彼の元へ駆け出した。
「……貧乏くじを引くタイプね」
「そうじゃのー」
大型の船にこの人数ではとても人手が足りない。とりあえず上はロクロウに任せて名無は一人で倉庫の荷物を固定する作業を進めていた。
(そういえば”アイフリード海賊団”って今どうなってるんだろう)
二年前はアイフリード個人と約半年間過ごしただけで海賊団の者たちとは会ったことはない。自慢の仲間たちだと彼から話を聞いただけである。船長のアイフリードは少なくとも数ヵ月以上は留守にしているはずだが、彼が自慢だと誇っていたのだ、船長不在でもやっていけてることだろう。
「いつかアイフリードの船に乗せてもらうって約束、叶えてもらわなきゃ」
絶対に助けてみせると改めて決意を固める名無。それからは黙々と荷物を固定していくのだが、突然の衝撃と船の揺れに無理矢理中断されてしまった。名無はバランスを崩し尻餅をついてしまう。
「いったぁ!……もう、一体何なんだ!」
先程のご機嫌は深い海の底へ沈んでしまった。扉を足で乱暴に開き、眉間に皺を寄せてずんずんと甲板へと向かう。
「どうした!?」
「後方から敵襲だ!大砲を撃たれている!」
「おいおい、どこの船だよだよそんなことする奴は!」
海の謳術士相手にいい度胸だ、逆に沈ませてやる!と意気込み相手の船を睨み付けるが、船を確認した途端に目を見開く。旗のマークに見覚えがあったのだ。名無の恩人のコートにあったのと同じだ。
(アイフリード……海賊団)
ベルベットの陸で勝負するという支持に従い近くの陸へ船を着け、迎え撃つ形をとる。大砲を撃つのを止め、同じく向かってくる海賊船を眺めながら名無はベルベットに話しかけた。
「私の恩人の名前、覚えてる?」
「! ええ……」
「ああ、だからちょっと黙っててほしい。様子を見たいんだ」
あのアイフリード自慢の団員を己の目で見定めてやろうと目を鋭くし、腕を組んだ。
あっという間に武器を構えた団員に囲まれる、手練ればかりなのだろう。お互い睨み合うなか、青年がベルベットたちを眺め一歩前へ出てきた。
「うっはー!本当に業魔の集団だ。これは使えるかもな」
「あ?じろじろ見てんじゃねえクソッタレ!私たちは見せモンじゃねーぞ!!」
「か、可愛い顔して口悪いな」
名無は怒鳴るように大声を出すがアイフリードは一向に出てこない、やはり海賊団の元には戻れていないようだった。
「業魔と知ってやるか、いかれた奴らだな。陸の上なら容赦はせんぞ」
「命令よ、二号。こいつらを蹴散らせ」
二号は頷いた。名無も片刃剣に手をかける。
「おっと、相手は俺たちじゃないぜ」
「……なら誰が相手するんだ、船長のおでましか?」
名無の言葉に返す者は誰もおらず、代わりに一人の男性が名無たちの前に現れた。アイフリードではない。
「俺だ」
黒いコートを身にまとった金髪碧眼の男性だった。何より一番の特徴はその目付きだ。綺麗な瞳の色が勿体ないほどに目付きが悪く、名無が彼に抱いた第一印象も凄く目付きの悪い奴、だった。
二号が紙葉を放ち攻撃するが、彼の前の地面から岩が出現し紙葉は防がれ失敗に終わる。これは地属性の聖隷術だ。
「聖隷!?」
「いいや……”死神”だ」
そのまま海賊聖隷との戦闘に突入する。近接はベルベットとロクロウが請け負い、名無はマギルゥとダイルを守るように二人の前に移動した。
「なんなのこいつは!」
「聖隷が海賊をやってるのか!?」
「剣に片刃剣に双刀に紙葉……ペンデュラム使いはいないようだな」
(ペンデュラム使い?それに死神って何だ?)
名無はその海賊聖隷に疑問に思ったがヘラヴィーサでの反省を生かし、今は戦いに集中せねばと詠唱を始めた。二号も聖隷術でサポートする。
海賊聖隷は武器を持っておらず拳で戦う拳闘士のようだった。ベルベットとロクロウ相手に遅れをとらない身のこなしだ。
長引く戦いになりそうだ、この均衡が続くのなら謳わねばと名無は思ったが、その直後に海賊聖隷は距離をとった後に構えを解いた。
「………合格だ。力を貸せ」
こちらも構えを解いた。彼のその言葉で納得する。こちらを試していたのだと。
「は?ずいぶん勝手な言い草ね」
「ヘラヴィーサを燃やした奴らほどじゃない」
「知ってて試したのか」
「ついでに助けてもいる。あのまま進めば”ヴォーディガンの海門”に潰されていた」
「あんたらミッドガンド領に向かってるんだろ?それにはこの先の海峡を通らなきゃならない。けど、そこは王国の要塞が封鎖してるんだ。文字通り巨大な門でね」
青年の説明にベルベットは口に手を当て考える。
「そんな要塞が……」
(そんなに驚異のある場所だったかな?)
「事実なら借りができたな」
名無の知らない二年で王国は飛躍的な進歩を遂げたのだろう。
「俺たちも海門を抜けたいが、戦力が足りない。協力しろ」
この海賊団と協力するべきだと名無は彼らを信じた。しかしそれは名無が第一にアイフリードを知っているからであり、彼女はそうではない。
「海賊の言うことを真に受けるほど馬鹿じゃない」
やはりベルベットは素直には応じなかった。名無は説得しようと口に出す言葉を考えるのだが
「自分の目で確かめるか?いいだろう、命を捨てるのも自由だ」
名無たちのなかを堂々と通り抜け、後方の洞窟へ進む。その行動に少し驚く面々。
「なんじゃ、断ってもいいのか?」
「お前たちはお前たちで、俺たちは俺たちでやる。それだけのことだ」
彼は背を向けたままそう言い放つ。その強制しない言葉に名無は目を見開いた。
「けど副長独りじゃ!やっぱり俺たちも一緒に―――」
「足手まといだ。お前らは計画通りバンエルティア号を動かせ」
海賊聖隷は今度こそ洞窟の中へと消えていった。
名無は彼が去った方向から目が離せなかった。そして次には足が自然と動いてしまったのだ。
「―――名無?」
「私は先に進んでるから!」
後から追いかけてくるだろうと予想した名無はそう言い残し、洞窟に向かい走り出した。彼の他人にも自由を与える姿勢はアイフリードを思い出させる。名無は監獄島での情報を伝えようと海賊聖隷を求めて走り続けた。
少し進むと、髪以外は黒に染まった後ろ姿を捕らえる。
「あーっ!いた!はぁ、やっと追い付いた……」
「……お前独りか。他の奴らはどうした」
「多分追いかけてくる。もう少ししたら来るんじゃない?」
名無の返答に「そうか」と一言だけ返し、再び歩き出した。それを追うが、いかんせん彼の歩幅が大きく、名無は自然と小走りになってしまう。少し息を切らしながらも、めげずに海賊聖隷に付いて行った。
「お前、どうして船長があの場にいないとわかった?」
「え?」
名無がどう話を切り出そうか考えていると向こうから話を振ってきた。それに驚き瞬きを繰り返す。
「辺りを見渡しても、俺を見ても船長だと判断しなかっただろう。お前、アイフリードを知ってやがるな」
しまったと名無は頭を抱えた。あの一言でここまでわかってしまうのか。口には気を付けねばと反省し、正直に話すことにした。
「アイフリードには二年前に世話になったんだよ。半年間は面倒みてもらってた」
「………何!?」
「ぶっ!?」
突然立ち止まる海賊聖隷の背中に顔から激突してしまう名無。結構な勢いだったため、痛いと呻き鼻をおさえた。涙目で彼を睨む。
「急に止まるなクソ野郎!」
「口の悪い小娘だ。……まさかお前が………?」
海賊聖隷はこちらを振り向き名無をじろじろと、くまなく見渡す。なんだか品定めされてるようだと名無は不快になり顔をしかめた。
「何だよ。見せモノじゃないって言ったはずだぞ」
「お前、歳はいくつだ?十八、十七ってところか」
「じゅ、十六歳だけど」
「あいつ、そんな趣味が……」
それから海賊聖隷は歳の差を考えろだ、いや恋人だとは明確に言ってなかったな等とぶつぶつ呟く、相変わらず名無を見つめながら。なんだか自分のしたい話からどんどんと脱線してる気がする、と名無は冷や汗を垂らした。
「半年間アイフリードはお前だけの面倒をみたのか」
「私しかいなかったし」
「……アイフリードとはどんな関係だ?」
どんな関係と言われても。名無は考えた。腕を組んで関係性を出そうとする。まず彼の独り言にあった恋人とかでは決してない。
「んーと、少なくとも恋人ではないよ。私は……っ!?」
言葉の最中に突然彼に腕を捕まれ、強く引っ張られる。名無はいきなり何をするのだと怒ろうとしたが、海賊聖隷の背後から、今さっきまで自分が立っていた場所に鋭い攻撃が放たれていたのを確認する。彼は名無をそれから守ったのだ。
「サソリの業魔!?」
「ちっ、こっちは急いでるってのによ……さっさと倒すぞ!」
海賊聖隷がサソリの業魔の元に駆ける。名無は術の詠唱を始めた。彼は尻尾の攻撃を避けると一気に踏み込み殴り飛ばした。
「今だ!」
「―――アイシクル!」
鋭利な氷が甲殻を突き抜け、サソリの業魔は力尽きた。ひとまず驚異は去り、名無はホッと息を吐いた。そして彼に礼を言う為に声をかけようとするが
「あ、来た来た!おーいこっちこっち!」
名無は軽く手を振る。ベルベット、ロクロウ、聖隷二号の三人がこちらに向かって歩んできていた。名無はベルベットの元へ駆け寄る。
「海賊を信じる気になったか?」
「まさか。けど要塞を抜けた後、王都まで船と船員を貸してくれるなら協力してもいい」
名無はベルベットの一歩も退かない態度で放たれた台詞に苦笑いした。
「……いいだろう。が、こっちも一つ言っておくことがある」
「おわっ…!」
海賊聖隷がいきなりコインを名無に投げる。なんとかこぼさずに手に納めることができた。
「俺は周囲に不幸をもたらす”死神の呪い”にかかっている」
手を開くと死神が上になっている。これは裏面だ。
「千回振っても”裏”しかでないほどの悪運だ。要塞を抜けようとした時も、五人犠牲者が出た」
先程死神だと自分で言っていたが、それは本当なのだろうか。それは実際に体験してみないとわからないだろう。
「同行すれば何が起こるかわからんぞ」
「何故そんな不利な情報を教えるの」
「業魔も理不尽に死にたくはないだろう」
さっきから意外と律儀だな、と感心する名無。目付きほど悪い奴ではないのだろうか。
「知った上で来るなら自己責任ということだ」
「ふーん……」
名無は今一度コインを眺めた後に海賊聖隷へと投げ返し、迷いがないように彼に笑顔を向ける。
「まあ大丈夫だろ。何かあってもなんとかしてやるよ」
「どうでもいいわ。”裏”なら自力で”表に”にひっくり返すだけよ」
海賊聖隷は投げ返されたコインを見る。女神、表になっていた。その結果に少し目を見開いた後、名無の顔を見てふっと笑う。
「名は?」
「そういや自己紹介がまだだったな、私は名無」
「ベルベット。”これ”は二号」
「………」
俯く二号。名無はこれって言うなとベルベットを少し小突いた。海賊聖隷は腕を組み二号を見る。何か心当たりでもあるのだろうか。
「俺はロクロウ。よろしくな」
「アイゼンだ」
海賊聖隷の名はアイゼンというらしい。名無は心の中で彼の名前を呟く。やけにしっくりくる名前だと感じた。
それからは歩きながらアイゼンに要塞を攻略する策を聞く。彼の説明は同時に攻めて戦力を分散、海門を開きバンエルティア号を通し自分たちを拾って抜け出す、というものだった。
「へえー、大胆なことするなあ」
「一つ間違えば全滅だな」
「けど間違えなければ勝ち目はある」
「死神同伴でか……」
「策戦はもう始まっている。行くぞ、要塞の入口は洞窟を抜けた先だ」
アイフリードのことは後にするしかないか。名無とアイゼンはお互いにそう思った。
名無はマギルゥはどうしただのをロクロウに聞いた。来る気も何もする気もなかったから置いてきたらしい。今は力が使えないらしいし、そうなるとただの人間だから仕方ないと言う名無。それに反応するアイゼンは、人間という単語で何か思い出したようだった。後ろを振り向き名無を見る。
「………担げばいけるか」
「は?」
何を?アイゼンに聞くが、名無の疑問を無視して再び前を向き歩き出してしまった。名無は首を傾げる。(こいつさっきから失礼じゃね……?)彼の背中を軽く睨んだ。
「少年、ずいぶん大人しいな。具合でも悪いんじゃないのか?」
「元々こうよ。二号は」
「やめろよ。二号なんてかわいそうだろ」
「あんたの名前の意味は?」
「兄弟の六番目でロクロウだが」
「それと同じよ」
「同じじゃないだろ……。名無の名前にも意味はあるのか?」
名前を話題にロクロウは名無に話を振ってきた。声に気付いた名無はアイゼンの背中を睨むことを止め、名前の意味を思い出そうとする。
「えっと、”名無しさん”って名前の花があって、それからかな。私の母親が初めて見つけたらしくてさ、滅多に咲かない貴重な花なんだって」
「ほう、それなら花言葉に意味がありそうだな。なんていうんだ?」
「それがかなり小さい時に聞いただけで記憶にないんだよなあ。貴重すぎて普通の図鑑には載ってないし」
詳しく調べればわかるだろうが、名無にそれをする気はないようだった。
少し離れたところに赤い花が咲いている。他は見向きもせずに通りすぎたが、二号だけはそれに見とれてしまうのだった。
「あ……」
他の面々と離れてしまう二号。ちゃんと付いてきてるだろうかと気になって名無は後ろを振り返ると、彼がサソリの業魔に襲われそうな場面が目に入った。
「………!!」
「危ない!!」
口元を押さえる二号。名無がなんとか助けようとするが、ほぼ同じタイミングで気付いたアイゼンが聖隷術でサソリの業魔を倒す。
「大丈夫か、少年!」
「よかった……怪我はない?」
走って二号の元に戻る名無とロクロウにベルベット。
「何で声をあげないの!気付くのが遅れていたら死んでたわよ!」
ベルベットは二号を叱咤する。そんな彼女に気圧されたのか下を向いてしまった。
「……命令だから。”口をきくな”って…」
それを聞いたベルベットは目を見開き震わせ、二号の肩を強く掴んで揺らした。
「あれは違うっ!あんたは……なんでそんな!」
「落ち着け、ベルベット」
ロクロウが肩を掴みベルベットを宥める。命令を忠実に守る二号を見たアイゼンが問うた。
「お前、対魔士に使役されていたのか?」
二号は頷き、名無が言葉を添えた。
「うん。成り行きで今は私たちと一緒にいるんだけど……」
「やはりそうか……こいつは”意思”を封じられているんだ」
「意思を?」
名無はアイゼンに詳細を求める。
「本来、聖隷は人間と同じ心を持つ存在だ。だが対魔士どもは強制的に聖隷の意思を封じ込めている。道具として使う為にな」
「そんな……!」
彼の瞳に光がないのは対魔士のせいだと知った名無は辛そうな表情で二号を見た。ベルベットが質問を重ねる。
「ずっとこのままなの?」
「わからん。対魔士の配下から脱した聖隷は初めて見た」
「……」
そのまま彼女は二号を見たまま黙ってしまう。そのようななか、名無は二号の前にしゃがみ彼に目線を合わせた。
「……お前は、自由にしていいんだよ?」
「自由………?」
「そう、"生きている者"には必ずある権利だ。自由じゃなければ生きているとはいえないと私は思う」
「………」
「意思を封じられているせいで、お前が自由にできないのなら」
目を閉じて、両手を組んだ。
『私は祈ります、あなたの意思が芽生えるのを。自身の足で歩み出し、自由を手に入れたと実感することを』
そして名無は二号に微笑んだ後立ち上がる。聞いたことのない言語に加えて祈る恰好、アイゼンは彼女が謳術士であることに気付いた。
「何て言ったの?」
「大したことじゃないよ。ただのおまじないみたいなもんさ」
先を急ごう。名無たちは再び歩き出した。ロクロウが二号に困ったことがあれば言っていいと伝えている。いい兄貴分になったくれそうだ、と少し笑った。
「対魔士が聖隷の意思を封じてるって言ってたよな」
ロクロウの今一度確かめるような質問にアイゼンがそうだと答える。
「俺たちの存在を知覚できるのは対魔士のように霊応力が強い一部の人間だけだったが……」
(そうか、昔に私と母様しか見えない生物とかは聖隷だったわけか)
名無は幼い頃から母に見えないふりをしなさいと注意され続けたことを思い出す。しかし三年前を期にその注意は一切なくなってしまう。それは自分たち以外にも視認できることになった意味を表していた。
「あの”降臨の日”で変わったんだな」
「聖隷は並の人間たちにも見えるようになり、意思を奪われ命令通りに動く道具にされた」
あの不気味な夜は今でも覚えている。周りはあの日のことを救世主が降臨したという意味で降臨の日と呼んでいるが、名無はあの紅い月に恐怖を覚え、この世界が終焉に向かってるのではと不安に駆られた。
「業魔に対抗する術を得たと人間どもは喜び、アルトリウスの奇跡だと讃えたが聖隷はモノじゃない」
「聖隷はモノじゃない……」
「モノよ……アルトリウスにとっては、聖隷も業魔も人間もみんな御大層な”理”を実現する為の道具でしかない」
ベルベットは悲しみと憎しみが混ざり合ったような眼で言う。
「モノにしか見えないのよ……弟すら………」
洞窟の出口が見える。するとコイントスをするアイゼンに気付き、名無は彼の手を覗き込んだ。
「やっぱ裏なんだ」
「ああ。………」
「アイフリード海賊団の副長は妙な験を担ぐのね」
「癖みたいなものだ。どうせ裏しか出ない」
名無は改めてアイゼンの持つコインを見つめた。珍しい物だ、どこかで見つけるか盗むかしたのだろうか。
「その金貨ってどこの国のものなんだ?表は女神、裏は死神なんてのは初めて見た」
「裏側は厳密には死神じゃない。これは”魔王ダオス”だ」
「なんかどっかで聞いたような名前だな」
「あ、本でそんなのがあった記憶ある!小さい頃一度目を通しただけだから内容は覚えてないけど」
「……女神マーテルと、魔王ダオス…ラグナロック第65章ユグドラシル戦記より」
「おお、それだ!」
名無はおかげですっきりし二号に礼を言う。よく知っているな、と感心するアイゼン。
「これは、異国の古代遺跡から発掘されたカーラーン金貨と呼ばれる貨幣だ。柔らかい金でできているが特殊な加工で硬度が高められていて、傷が付きにくい」
「へえ、ずいぶん珍しいものなんだな」
アイゼンはめんどくさがることもなく名無たちに説明してくれた。
「あんた、本が好きなの?」
「好き……?テレサ様の部屋にたくさん本があって、僕はいつも本を読んでいた……。ラグナロックは神話時代の戦記で、何回も読んだ……」
「それは好きってことだよ」
「………」
二号は本が好きだと判明し、それに思うところがあるのかベルベットは二号を見続ける。
「ま、私は暇つぶしに眺めてただけだけどな」
「それにしてもそんな珍しいコイン、どこで手に入れたの?」
「話せば長くなるが……」
「ならいい」
(いいんだ……)
少し残念に思った。そのコインは異大陸で見付けた物かもしれない、名無はそれに興味津々なだけに彼の話を聞きたかったのだ。
「ちなみにさっきはコインで何を決めたんだ?」
「……今話すようなことでもない」
「そうか、余計な詮索だったな。すまん」
洞窟を抜け、大陸接点ブルナーク台地へと出る。一行は侵入する為に海門要塞ヴォーティガンの入口へと向かうのだった。