02  



「……あ"ー、気絶してたか。…寒っ!」

飛び起きる名無。目を開くとそこには雪景色が広がっていた。
 倒れているが三人も無事だと確認する。船を座礁させてしまったがなんとか約束通りベルベットたちを陸に上げることはできたようだ。
冷たい地面。先程まで見ていた夢の内容を思い出してしまった。

 ―――冷たい石畳の上で横たわっていた名無が目を冷ます。気絶していたようだ。名無はキョロキョロと周りを見渡すが探し求めている人物はいなかった。
母様、母様……と、か細い声で呼んだが返事はなかった。泣いても母は現れなかった。
名無はとうに母とは決して再会できないことを知っていた。それでも呼び、探すことを止めたくなかったのだ。
いち早く外に出なければならないのに、前に進まなければならないのに、名無は優しかった母を捜し求めていた。

(その後にアイフリードが助け出してくれた訳だけど……)

もう二年前のあの時のことを思い出しても仕方ない。三人を起こそうと名無は立ち上がった。

「………?」

見馴れない少年がいた。十歳くらいの少年だった。
聖隷の少年がベルベットに歩み寄り治癒術をかける。名無には少年が敵には見えず、邪魔はしなかった。

「ライ…フィ……聖隷!?」

ベルベットも起きたようだ。少年はそれに驚いたのか、彼女の傍に落ちていた羅針盤を持ち駆け出してしまった。しかし二体の業魔が前に立ちふさがる。直ぐ様ベルベットは少年を庇うように下がって!と言い戦闘態勢に入った。名無も加勢しようと彼女の傍へと走り出し、業魔を倒すべく剣を取り出した。

「ベルベット!加勢する!」
「片方は頼んだわ!」

分散させて各々が確実に止めを刺すのがいいだろう。名無は狼型の業魔の前に素早く踏み込み体当たりをすると同時に霊力を放ち、吹き飛ばした。

「獅子戦吼!」
「はぁっ!」

ベルベットは跳び上がり、猛禽類の業魔を斬撃を当て地面へと叩き落とした。素早く立ち回る二人。先程起き上がったばかりなのだが全く問題はないようだった。ベルベットは衝撃で起き上がれない猛禽類の業魔に追撃し、止めを刺した。

「鈍い!説破!」

名無も狼型の業魔を斬り付け、なぎ倒す。辺りを見渡すが援軍はないようだった。名無はホッと息を付き、剣に付いている血を振り払い鞘に納める。
するとベルベットが左手を変形させ業魔を掴んだ。そこから行われる行為から名無は目を離せなかった。

(業魔を、吸収してる……!?)

いや、その光景はまるで―――

「むは〜、業魔を喰らうとは!なんともエグイ奴じゃのう」

マギルゥの声だ。彼女の名前を知る為に船の中で軽く自己紹介だけはしておいた。名無は後方へ目を向ける。ロクロウも起き上がっており、先程の戦闘中に目覚めたようだった。業魔を喰らい終わったベルベットも振り向く。

「すまん。武器があれば力になれたんだが」
「背負ってるでしょ」
「それ使えよ」

彼の背中には立派な太刀がある。それで戦えばいいだろ、と名無は指差した。

「いや、號嵐は使えん。話すと長くなるんだが―――」
「さっきの子は?」

ロクロウの話が長くなると判断したベルベットは彼を無視して少年のことを尋ねた。名無はその容赦のなさに苦笑いする。この場にはもう少年はいないようだった。

「そういや、いなくなってるな」
「なんかこまいのがピューと逃げていったわ」

マギルゥが少年が逃げた方向を指す。ベルベットはその方向を向き、呟くように言った。

「……逃げていいわよ。あんたたちも」

名無たちの立つ位置からでは彼女の表情は窺えない。どこか切なげな印象を受けた。出会ったばかりだというのに名無にはそんな彼女が放っておけなかった。

「逃げるわけないだろ、そんな寂しいこと言わないでさ、行き先が変わるまで一緒に行動しようよ」
「まだ恩を返していない!受けた恩は返すのが俺の信条だ」
「逃げるにしてもここがどこか確かめんと。儂らは哀れな遭難者じゃろ?」
「………」

一緒に行こう!と名無は笑顔でベルベットの肩を軽く二回ほど叩いた。振り払われると思ったのだが、そんなことはされずベルベットは黙ったままだった。

「にしてもここはどこなんだろ。実際に初めて見るけどこれは雪、だよな。北のどっかか?」
「それならこんな地図が落ちていたぞ」
「地図?さっきの子が落としていったのか……」

ロクロウが広げる地図を全員で覗く。どうやらここはノースガンド領らしい。そこでベルベットの目的地はミッドガンド領の王都だと判明した。名無は王都と聞き、早々に彼女と別れることになるかもしれないなと思った。

「船を修理しないといけないわね」
「ローグレスにどんな用があるんだ?」
「………」
「……脱獄してでも行きたい用だよな」

口を挟んではいけない雰囲気だったが、動かずに立ったままでいると急に寒さが身に染みてくる。名無とマギルゥが揃ってくしゃみをし、身体を震わせた。

「くしゅんっ!ああ〜さみぃ、雪ってこんなに冷たいもんなのかよ!」
「へぷしょいっ!…立ち話は後じゃ。どこかに温かいスープと心温まる小話はないかのう?」
「小話はいらねーだろ」
「近くにヘラヴィーサという街があるはずだ。小話は知らんがメシも船大工もそこで探せるだろう」

このままだと少なくとも名無とマギルゥは風邪をひいてしまうだろう、四人はヘラヴィーサに向かうべく歩き出した。

「……?」

業魔が倒れていた場所に人間が倒れていた。すでに事切れているようだ。しかしこれは、どういうことだろうか。決して元の姿に戻れないといわれる業魔が戻ったのだろうか。名無は考えようとしたのだが、ベルベットたちが進んでしまっていたので中断して慌てて追いかけた。

「ベルベットはさっきの坊と知り合いなのかえ?なにやら呼びかけておったろう?」
(そういや誰かの名前を言いかけてたな……というかこいつ起きてたのか!)
「別に。聖隷に知り合いなんていないわ、もう」
「………」

シアリーズは名無がいない間に命を落としてしまっていたのだ。名無は今更だろうがと思いながらも目を閉じ、黙祷した。
それにしてもマギルゥの言葉にはどこか含みがある。まるで何かを知っているようだった。

「もう……のう」
「何?」
「何もマギもないが、あの坊は変わっておったのー」
「確かにな。命令もないのに回復術で業魔を助けやがった」

ロクロウも最初から意識があったようだ。どうやら素直に起き上がったのは名無だけだったらしい。

「おまけに羅針盤を盗んでいきおった。対魔士に従う聖隷のくせに我欲のある奴じゃわー」
「まあ、こっちもあいつの地図を頂いちまったけどな」
「何だお互い様じゃん」
「いやはや悪党ばかりじゃなー、儂以外は」
「うむ、全くだな」
「ちょい〜!そういうボケ潰しが一番の悪じゃよ!?」
「そうなのか?」
「名無!何故さっきみたくツッコんでこんのじゃ!?」
「え?ボケだったの?ごめんマギルゥは良い奴だと思ってたから」
「……脱獄囚がいい気なものね」



 ヘラヴィーサに着くまで少し距離がある。四人は……特にロクロウとマギルゥは道中話しながら向かっていた。マギルゥは魔女だとか、その魔女と魔法使いの違いとは?だとか。二人の捕まった理由もおおざっぱにだが判明した。

業魔と遭遇した時はベルベットと名無が相手をした。戦う名無を見ていたロクロウが戦闘終了後に彼女に尋ねる。

「名無……お前、剣の経験が浅いな。型はしっかりしている様に見えるが、まだまだって感じだ」

その言葉に名無は驚く。簡単に言い当てられたからだ。

「……わかる?」
「剣の事に関してはな」
「まあ護身用に簡単に習っただけだしなあ……あっ」

そうだ、と閃き剣をロクロウに差し出した。

「剣がなくて戦えないならこれ使えよ」
「それは駄目だ、お前の剣だろう」

きっぱりと断られてしまった。自分よりも剣の扱いが上手そうなロクロウに渡すのが一番だと名無は思ったのだが。

「第一、それじゃあんたが戦えなくなるじゃない。あんた剣がなくなったら何ができるのよ」
「う、謳うことができる」
「「はあ?」」
「ああ〜そうだよな!おかしなこと言ってるようにしか聞こえないよな!」
「ほう……」

名無の持つ力を使えるものはこの時代にはほぼ存在しないらしく、ロストテクノロジーとなっている、と母から教わっていた。他人からしたら詩で戦うという言葉は意味不明なことに等しい。しかしマギルゥだけはわかったようだったが、ベルベットとロクロウの方を向いている名無は気付かなかった。

「ふざけたこと言ってないで戦いなさい」
「いや、えーと……私の言う詩はな…あっ!ヘラヴィーサに着いたんじゃないか?」

わかってもらえるように説明しようとした名無であったが、ふと視界に入った建造物によって辞めてしまった。名無の言う通り建造物、正門が見えたのだが、そこにいる者たちによって彼女たちは岩陰から様子を見ざるを得なかった。

「対魔士がいる」
「まずいのー。脱獄の噂はまだ届いとらんはずじゃが」
「俺たちの風体では入れてくれそうにないな」
「確かに……」

ベルベット、ロクロウ、マギルゥ。客観的に見れば怪しい集団だろう。名無は三人に比べてまともな格好であるが、この極寒の地域にふさわしくない服装だ。よって四人とも目立つ身なりには変わらなかった。どう街の中へ向かうかベルベットが考えを巡らせていると

「さっき……ごめんなさい。これ……盗むつもりじゃなかったけど」

先程の少年だ。彼は謝罪し、持っていた羅針盤を地面に置いた。

「羅針盤……」
「こっちもお前に返さないといけない物が…っておい、待てよ!」

彼は羅針盤を返してくれたのだ。ならばこちらも返さねばと名無は地図を渡そうとしたのだが少年は一目散に走って行ってしまった。

「あー……行っちゃった。地図…」
「いいのか?あやつは対魔士の配下かもしれんぞ」
「後を追うわよ」
「食後のデザートか?」
「……必要なら」


 少年の後を追い、横道を抜け、裏手の梯子を上る。すると倉庫のような場所にたどり着いた。この倉庫からは名無が嗅いだことのない変な臭いがする。名無が顔をしかめているとマギルゥがクンクンも臭いを嗅いだ。

「この臭いは……”炎石”じゃな」
「「炎石?」」

名無だけでなく、ロクロウも知らないようで二人で復唱してしまった。マギルゥはノースガンド領だけで採れる鉱物と説明してくれた。硫黄と混ぜれば爆薬に、油と合わせれば燃料になるらしい。

「へえー……」
「物騒なものね。本当なら」
「疑うのは自由じゃよー」
「あの少年には逃げられたか」

本来の目的の、聖寮に見つからずに街に入ることは成功した。船関係の組合に行こうと出口へと向かう。求めるのは船の修理と航海士だ。

「武器も探そう。そうすれば俺も助太刀できる」
「だから、背中の」
「私の剣でも」
「いや、それは断る」

倉庫の外は港だった。規模の大きい港で大型の船が何隻もあった。これなら船大工はいるだろうと安堵し、街中へ向かう。

 途中で子供たちが対魔士を称える話をしていた。ヒーローに憧れるように目を輝かせながら喋る子供たち。微笑ましい会話のはずだが、名無にはそうは聞こえなかった。ベルベットは「ふん、まるで正義の英雄ね」と皮肉そうに吐き捨てていた。

 港で情報収集しながらも、ベルベットたちは街に大きな門に着いた。街、つまり大人数の人間たちがいるということだ。名無は念の為にフードを被る。

「おや?名無や。どうしたのじゃ?急にそんなに深くフードを被りおって」
「……耳が冷えてきたんだよ」
「そうなのかえ?」
「そうだよ!うるせーな!」
「おおっ!怖っ!最近の若者はキレやすくて敵わんわ〜」
「一体お前はいくつなんだよ……」
「ちょっとあんたたち、うるさくしないでよ。目立つでしょ」

 ヘラヴィーサの街は雪と共存しているような、綺麗な街だった。そんな街並みに見惚れていた名無だったが、みんなに置いていかれそうになったので気を付けることにした。住人に聞いたのだが、大通りを進めば船の修理等を請け負ってくれる”商船組合”があるらしい。ベルベットたちはそこへと向かう。進んでいくと組合らしき人物たちが見える。

「船員が集まってる。あそこが組合?」
「お、良さそうな武具屋がある!船大工の話は任せた」
「……マジかよ」
「男って生き物はオモチャを見ると我慢できんのじゃなあー」
「……ほんと」

瞬く間に武具屋へと走って行ってしまったロクロウ。商船組合には三人で話をつけることにした。ベルベットが組合長らしき人物へ話しかける。

「ここ、船の組合?」
「ダイルめ、悪あがきをしやがって」
「全くだ。あいつが死んでいればこんな面倒なことには「おーい、無視すんなよな」
「船の修理を頼みたいんだけど」

こちらの声が聞こえていないのか、無視されたのか。名無が会話に無理やり割り込み、ベルベットが依頼を持ちかける。こっちは客だ、すぐに船の修理に取り掛かってもらおうとしたのだが。

「悪いが、今はできない」
「何で?」

断られるとは思わなかった。ベルベットがすぐさま理由を尋ねる。名無も理由を聞く為に組合長の言葉に耳を傾けたが、次に聞こえたのは野太い男の声ではなく凛とした女性の声だった。

「商船組合は業務を停止しているのです」

声の元を辿るように後ろを振り向く。そこには一人の女性がいた。二人の子供の聖隷を引き連れて。

「聖寮対魔士テレサの名において」

この服装……一等対魔士だ。そして二人の聖隷の片方は羅針盤の少年だった。この状況はどうすることもできない。三人はしばらく様子を見ることにした。

「テレサ様……」
「二号。口をきいていいと許可しましたか?」
「………」

二号。彼の名は二号というのか。否、それは名前などではない。

(聖隷だって生きてるのに、しかもこんな子供なのに。なのに対魔士って奴は道具扱いするのか……?)

「テレサ様、我々への罰はいつまで続くのでしょう?全部ダイルがやったことで―――」
「ダイルが炎石の密輸を行っていたことは明らか。放置した組合にも連帯責任を負ってもらいます」

テレサの氷のような冷ややかな目が組合の者たちを射抜く。

「それが秩序維持の為に聖寮が敷いた規則です。違いますか?」
「い、いえ……」
「ダイルは我らが捕え聴取の上、処罰します。事件が決着すれば営業再開の許可を出しましょう」

組合長は言い返すことができず俯いてしまう。そう、聖寮に逆らうことなどできはしないのだ。組合長に話し終わったテレサがこちらを向いた。恰好を見られている。

「そこな娘たち。そんな恰好で寒くはないのですか?」
「南方から着いたばかりで。ノースガンド領がこんなに寒いとは……くしゅん!」
「私も彼女と同じでこの地域の寒さに驚いています。今にも風邪をひいてしまいそうで、コホッコホッ…ふぁ、くっしゅん!」

名無は咳をするふりをして顔を隠した。ちなみにベルベットのくしゃみは演技だろうが名無のは素で出てしまっただけである。

「女子が体を冷やしてはいけませんよ」
「この後すぐに防寒着を調達しようと思います」
「お気遣い、感謝します」

ベルベットの言葉にテレサは頷き、聖隷を引き連れこの場から去っていった。張りつめた空気が無くなり名無は安堵した。

「いやはや、これが聖寮のやり方か。キュークツ、クツクツな世界じゃのー」
「ホントにな……ベルベット」
「事情はわかった。ダイルって奴を捕まえれば修理を頼めるのね?」
「そうだが…今の奴は業魔だ。逮捕に向かった兵士を何人も殺して逃げた。対魔士でなきゃ捕まえるのは……」
「大丈夫。行ってくるよ、何か情報を教えてくれ」

組合長の隣にいる船員が、ダイルは郊外の小さな村の出身で故郷に手がかりがあるかもしれないと教えてくれた。

「トカゲの顔をした凶暴な業魔だ。殺す気でいった方がいい」
「おい!」
「万が一ってこともある。打てる手は打っておこう」

名無は素直に船員に礼を告げる。

「教えてくれてありがとう!ならその村から当たってみるか……」
「航海士も欲しいの。用意しておいて」

行き先は決まった。後はロクロウだな、と彼を捜しに武器屋へと向かうベルベットたちだった。
 武器屋の前へたどり着く。先程言った通りにロクロウが佇んでいた。

「あ!ロクロウいた!」
「掘り出し物を見つけたぞ!酷く錆びていたが、研ぎ直してみたらなかなかの業物だった」
「ううむ……まさか投げ売りの品にそんな上物が混ざっていたとは。勉強させてもらった、それはあんたに贈らせてもらうよ」
「ありがたい」
「……で、手伝ってくれるの?」
「勿論だ。そっちの首尾はどうだった?」

ベルベットが名無に視線を向ける。それに気づいた名無はロクロウに事の顛末を話した。

「―――成る程。ダイルというトカゲの業魔を捜すんだな?」
「とりあえず、ダイルの故郷を当たってみるつもり」
「がんばっての〜」

ここから立ち去ろうとするマギルゥ。一緒に来るだろうと思っていた名無は驚いた。そんな彼女の代わりにロクロウが尋ねる。

「一緒に行かないのか?」
「儂もなかなか忙しい身でな。”裏切り者”を捜さんといかんのじゃ」

出ていくものを無理やり止めるわけにもいかない。名無はマギルゥに別れを告げた。それに返すと彼女は最後に含みのある一言を放つ。

「それに、喰べられたら敵わんしの」
「……こう見えてもグルメなのよ」
「では尚更危ないのう〜♪」
「行っちゃった。どうする気だろ、あいつ」
「まあ気にしても仕方ない。行こうぜ、名無」

ベルベット、ロクロウ、そして名無は村を目指し、ヘラヴィーサから出る為に再び倉庫へと戻るのであった。



 「ふ、ふぁ……くしゅん!…あ"あ"ーぢくしょー!」
「その台詞は親父みたいだぞ名無……」
「ズズッ……私寒がりなのかもな。このままじゃマジで風邪ひいちまうよ、早く村に行こう」

ダイルの手がかりを捜す為に離れの小さな村へと向かうベルベットたち。今はその道中であるが、相変わらず名無は体を震わせていた。どうして自分だけしか寒がっていないのかが疑問でしかなかった。

「やれやれ、どこまでも氷と雪ばかりだな」
「寒いの?」
「いいや。お前はヘソでも冷えるのか?」
「別に……っていうかどこ見てるわけ!?」
「おっと、すまん。そういうつもりはなかった」

ロクロウは「お前はまだ恥じらいとかそういう感情が残っているんだな」と確認するように呟いた。

「お前は……って、じゃああんたは?」
「応、人間らしい感覚が大分なくなってる。業魔ってのはそういうもんだと思ってたよ」
「人間の感覚が消える……」
「それでも俺が俺である根っこはかわらないがな。相変わらず心水が旨いのもありがたい」
「………そう」

彼の言う人間らしい感覚とは、価値観や倫理の消失ということだろうか。今の二人の会話を名無は黙って聞いていたのだが

「ベルベットはベルベット。ロクロウはロクロウ。それでいいんじゃない?」

という感想が第一に浮かんでくるのであった。そもそも名無は人間や業魔の違いは気にしない性質だ。

「こうして会話できて、共闘だってできる。人間とか業魔とかってあんまり関係ないように思えるけど、それは私が人間だから言えることなのかな」
「そう言ってくれるのか。お前は良い奴なんだな」
「……あんたってお人よしなのね。監獄島に侵入してきた理由もそうだし」
「いや、私は良い奴でもお人よしでもないよ。……貧乏くじはよく引くらしいけど」

単純なんだ。と最後に付け足し、名無は自分を評価した。

「敵は殺す。仲間は守る。それだけだ」

現に名無は既に業魔や人間を殺めている。そうしないと守れない、過去の出来事によって嫌というほど実感していた。命とは何なのだろうか、それを奪うのは、どういうことなのか。名無はこの哲学じみた題材に一生向き合わればならない。

「―――あ」

ふと足元を見ると花が咲いていた。桃色の花弁が綺麗な花だ。踏みそうになった名無は慌てて足を浮かす。

「うわっ!あぶねえ、踏むとこだった」
「お、こんな場所に花が咲いてる。健気だなあ」
「プリンセシア……」
「ほう、なかなか雅な名前だな」
(姉さんが大好きだった花………)

名無がベルベットを見る。名無は前々から感じていた、彼女は感情を隠している節があると。

「よくもあんな嘘を……」
「そういえば、花には花言葉ってのがあるんだよな。こいつのはなんていうんだろうな?」
「……”裏切り”よ」
「ほう……?」
(少なくともそんな花言葉じゃなかったはずだけど……ベルベットにとっての花言葉はそれなのかな)

名無は幼い頃に花の図鑑を眺めていた時期があった。プリンセシアの花にも見覚えがあり、心が温まるような花言葉だった記憶がある。決して裏切りなどではない。
ベルベットにもこれまでに辛いことがあったのだろう。自分が踏み込む領域ではないとわかっている。でもいつか彼女にかかっている黒い霧が晴れることを願い、共に行動するのなら、その為に協力は惜しまないと決めていた。



 地図を確認しながら進んでいると、ヘラヴィーサのものより規模は小さいが門があった。この先が集落だ。聞き込みを始めようと門の先へと向かう。
その先の光景を目にした三人が足を止める。一人の女性対魔士が槍で業魔を倒すところだった。

「はああっ!」

対魔士だ、と名無が呟いた。一等対魔士だろうか。二等ではないことは確かだ。

「居合わせて良かった。でも、次に襲撃があったら……」
「こんなとこにもいるんだ」
「対魔士……まさかダイルが?」
「違うわ。トカゲの業魔じゃない」

ベルベットたちの声に気付いたのか、対魔士がこちらを振り向く。名無は目を丸くした。その対魔士が泣いていたからだ。ベルベットが「何で泣いてるの?」と問う。

「これは、現実を噛みしめていただけです。辺境では未だ業魔の被害が絶えない。それは聖寮が警備を放棄しているせいです」

今さっきの業魔はこの村を襲撃しようとしてたのか。この対魔士がいなければ聞き込みどころではなかったのかもしれない。彼女は手を握り締め、全域を守る戦力がないのも、辺境に住むのが聖寮の規則にそわない人々なのも事実。と本当に今の現状を噛みしめているようだった。

「非情な決断であることはわかっています。でもこれが今最善の”理”なのです!」
「へえー」
「あたしに言い訳されても」
「言い訳では―――「お姉さんって対魔士?ちょっと聞きたいことがあんだけど」

こんな所で話を長くしても仕方がない。名無は手を合わせて頼むと、対魔士の女性は敬礼をして名乗ってくれた。

「聖寮巡察官、一等対魔士エレノア・ヒュームです。御用件は?」

巡察官。各地を回って業魔対策の状況を確認したり、対魔士たちの行動を見る精鋭だ。ここでやりあうのは得策ではない。

「ヘラヴィーサで人を殺して逃げた業魔の話を聞いたんだけど」
「そいつのせいでさ、私たちも色々困ってるんだよ。何か知らない?」
「商船組合の事件ですね。私も聞き込みをしましたが、まだ手がかりは……」
「そう」

名無とベルベットは目を合わせた。この対魔士からは何も手がかりは得られない、早々に別れようとお互いに頷く。

「御安心ください。非道な業魔は我らが必ず討ち果たします」

こちらが何もしなくてもエレノアは真面目な言葉を残して去って行った。
さて、これからどうしようかと名無が腕を組んだ。ロクロウが物陰の方を見る。そこには一人の幼い少女が隠れていた。

「対魔士の人、帰った?」
「ああ、帰った」

ロクロウの返事に安心したのか、少女は笑顔でこちらに歩んできた。

「よかったあ。これで食べられない」
「食べられる…?」
「し、知らないよ!業魔のことなんかなんにも!」

ギクッと肩を震わせ顔を横に振った。この子は何か知っているな、とロクロウは少女の目線に合わせて教えてくれるように頼んだ。すると少女は北の洞窟にトカゲの業魔が潜んでいると素直に喋ってくれたのだ。

「そのことを喋ったら食われるってそいつに脅されたんだな」
「絶対言っちゃダメだよ!これあげるから」

少女の抱えている三つのリンゴをくれるらしい。口止め料としてロクロウが受け取った。

「わかった。約束だ」

名無は走り去っていく少女に感謝し、手を振った。ロクロウが一個ずつ軽くリンゴを投げる。名無はなんとか落とさないように手に納めた。幸先の良さにリンゴを片手に笑う。

「良いこと聞けたな!」
「北の洞窟……か」

三人は迷わずに北へと歩き出した。

「しかし、意外にも対魔士は信頼されてないんだな」
「そりゃあこんな所じゃな。迫害だってされてるだろうし……秩序を押し付けてくるウザい組織にしか見えないんだろうよ」

実は空腹で仕方なかった名無はリンゴをかじる。その美味しさに自然と笑顔になった。

「美味い!監獄島に行ってからまともな食事にありつけてなかったんだよなあ」
「ん!なかなか美味い」
「……どうしたのベルベット?」

名無がリンゴを頬張りながらベルベットに問う。ベルベットは物悲しそうな表情でリンゴを見ていた。

「しない………」
「え?」
「……なんの味も」

業魔になると人間らしいものを失ってしまうという。彼女の味覚も、そういう人間らしいものに含まれるのだろうか。



 郊外の村、ビアズレイは小さな村だった。聖寮の管轄から外されている村。そう、対魔士も全てを守れるわけではないのだ。念の為に村人にも聞き込みをするが、やはりダイルはこの村出身であった。
村を抜けて北のハドロウ沼窟に向かう。業魔との戦闘は避けられないだろう。名無はいつでも戦えるよう心構えをした。
ロクロウがベルベットに味覚がないのかと尋ねる。彼女はこう答えた。

「ちゃんとわかるわよ。……血の味だけはね」
「それ以外は?」
「何も。満腹感も感じないみたい」

業魔になってから普通の食べ物を食すのは初めてらしい。なら、今まで食べていたのは―――名無はベルベットの過酷な境遇を察してしまい顔をしかめた。

「……戦う力は維持できる。それで十分よ」
「なら、これが終わったら匂いがいい物を食べようぜ!食事って嗅覚も重要らしいし試す価値はあると思う」

五感でなくなったのが味覚だけならどうにかなるかも、と伝えたがベルベットはあまり乗り気ではないようだ。半ば強引に約束を取り付けた名無は「そうと決まればトカゲ捕りだ!」と右手を上げ洞窟に向かうのだった。



 足場の悪い岩場を乗り越え、最奥へと進んでいく。戦闘も何回か重ねるがロクロウもパーティに加わっている為、幾分楽に業魔を倒すことができていた。彼は小太刀の双剣を使ったスピーディな戦い方をする。太刀で戦うものだと思っていた名無は少し驚いていた。

「剣捌きは流石ね」

ベルベットの言葉にロクロウは自分はまだまだと否定した。
ロクロウは”夜叉”の業魔。ベルベットは”喰魔”。二人はお互いどんな業魔か話していたが名無は興味がなく、初めて訪れる洞窟の景色を興味深く眺めていた。

「ふうむ…女で、敵を喰らうというと―――オニババの一種かな?」
「はあ?」
「今の顔、ちょっとソレっぽかったぞ……」
「え、何の話……?」



 開けた場所に到達する。最深部に着いたようだ。ダイルはどこだと辺り捜す前に三人の視界に入ったものがあった。

「対魔士……」
「うっかり落ちたのか?」

対魔士だが沼に沈んでいた。背中だけが浮いている……既に事切れているだろう。問題はどうしてこうなっているのかだが―――
背後から何者かが走ってくる。三人はすぐさま後ろを振り向き、戦闘態勢をとった。

「後ろだ!」
「こいつに落とされたか!」

襲い掛かってくるは剣と盾を持ったトカゲの業魔。―――ダイルだ。

「こいつが例の殺人犯だな!」
「そのようね!」
「ヘラヴィーサのクソ野郎どもが!俺を狩りに来やがったか!」
「ベルベット、ロクロウ!援護する!」

一人の敵に対して近接三人では満足に戦えないだろうと思い後方で支援することにした。簡単な術なら詩なしでも発動できる。前線は二人に任せ、名無は詠唱を唱え始めた。

「―――壱の型・香焔!」
「うおっ!何すんだ!熱ぃだろうが!」

ロクロウが炎をダイルの眼前で爆発させ、ダメージを負わせる。直撃は避けたようでまだ動けるようだ。名無の詠唱を唱え終える。簡単な術だ、詠唱も早い。追い打ちをかけるように発動した。

「だったら冷やしてやるよ! アクアエッジ!」

アクアエッジは一直線上に水の刃を三発射出して攻撃する術だ。ベルベットとロクロウは跳んで避けるがダイルは間に合わずに攻撃を受けた。

「ぐおおっ…!」
「ちっ……!水属性はあまり効果ないか!」
「そんなに長く構っている時間はないのよ!―――紅火刃!真月!」

ベルベットが自らのブレードに火をまとわせ輪の形状にして飛ばし、ダイルを怯ませる。その隙をついて宙返りしながら蹴り上げた。重い一撃が直撃し、ダイルは膝を付いた。

「…まだ死ねねえ、奴らに復讐するまでは……!」
「復讐?」

復讐、という言葉にベルベットが反応する。ダイルは話を止めることなく続けた。

「俺を殺そうとしやがった組合のクソどもにだ!密輸の責任を俺に押し付けやがって!」
「密輸は組合がやってたってこと?」

ダイルは力強くうなずいた。

「そうだ!俺みたいな不良船乗りが一人で仕切れるわけないだろうが!……そりゃあ手伝って美味しい思いもしたけどよ」
「じゃあ、仲間を売ったってことかよ?……クソッタレが」

名無は眉間に皺を寄せる。仲間一人に責任を擦り付ける行為に腹が立った。

「確かに倉庫の抜け穴なんて個人で作れるものじゃないよな」
「調子に乗って規模をでかくし過ぎたんだ。聖寮にバレるのも時間の問題だった」

死人に口なし。ダイル一人に罪を擦り付けて罪を最小にするつもりが、計算が狂ったということだろう。ロクロウが納得したようにうなずいた。

「どうやって復讐するつもりだったの?」
「ヘラヴィーサに殴り込みをかけて船員どもをぶっ殺す!」

「は、はあ……」その言葉に呆れる名無。それでは死にに行くようなものではないか。

「自殺行為ね。何人対魔士がいると思うの」
「どうせ逃げても狩られる!奴らに一泡吹かせられればそれでいい!」

ダイルは業魔だ、しかし人間臭く感じるのは何故だろうか。名無はやはり人間も業魔もあまり変わらないのでは?と改めて思う。
ベルベットが溜息をついた。ダイルが諦めたようにこちらに背を向ける。

「……と、思ってたが、それも叶わねえか」
「! ベルベット!待っ―――!」

名無の制止も間に合わず、ベルベットのブレードが振り下ろされた―――ダイルの尻尾の付け根に。

「ぎゃっ!?」
「うわぁ……」

尻尾を斬られた痛さから、のた打ち回るダイル。名無は彼に駆け寄り治癒術をかけることにした。張本人のベルベットは何てことなさそうに斬り落としたダイルの尻尾を持ち上げる。

「これを届けてあんたは死んだと報告する。そうすれば対魔士たちも警戒を解くはず」
「どうしてだ……?」
「こっちの都合よ」

ひとつは船を修理する為。もうひとつは騒動を起こして追手を足止めしてもらう為。それが彼女がダイルを殺めない理由だった。

「……そういうことなら、ご期待に応えるぜ。あまり痛くなくなった、ありがとうな嬢ちゃん」
「勝手にやっただけだから。お礼なんていらないよ」



「いいんだな。これで」
「こっちに追手がかかるのも時間の問題よ。同情してる余裕はないわ」
「………うん」


 


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