01  



海辺に一人の少女と男は佇んでいた。少女はその青い海のような色の瞳を輝かせて言葉を発する。

「世界がこんなに広いなんて知りませんでした!」

その言葉に男は穏やかな笑みで返す。

「おいおい、サウスガンド領をうろついただけで世界が広いなんて言っちまったらこの先はどう言うつもりだ?宇宙とかか?」
「この先?」
「おう、ミッドガンドの先にはまだまだ解明されてない異海、さらにその先には異大陸が広がってるんだぜ?」

少女は目を丸くし、更に輝かせた。

「どんなところだろう……いつか私も赴くことができるのでしょうか」
「お前がもう少し大人になったら連れてってやるよ」
「本当ですか!?」

少女は男の手を握って少し引っ張った。

「約束です!いつか絶対に貴方様のお船に乗せてくださいね!」
「ああ。約束だ。でもそれまでにその型っ苦しい言葉遣いどうにかしとけよ?」
「ぜ、善処します……」

海辺に2人の笑い声が広がる。
少女はこの時を忘れることはないだろう。この恩人である男の言葉を、約束を胸に刻んで生き続ける―――。



* * * * * * *



 ―――監獄島。聖寮にとっての罪人を集めた島。物影に隠れ身を潜めていた名無は二年前のことを思い出していた。
彼女に業魔や罪人等を集めているこの島の重い空気は余りに場違いで不釣り合いだ。しかし名無にはここに来る理由があった。一人の恩人を、アイフリードを助けるために……

「さーて、どうすっかな」

…来たのだが、少し前に脱獄していたことを牢獄の者から聞いてしまったのだ。名無はその後もアイフリードへの手掛かりを探した。どうやら特等対魔士メルキオルが連れ出したらしい。
最早ここにいる必要はない。どうにかして脱出をしなければ。対魔士の気配が無くなった瞬間に走り出した。ここから抜け出すには暴動が起きている今しかない。



 少し開けた場所へと到達する。辺りを見回したが人影はない。名無はさらに移ろうと足を踏み出したが、そこへ二人の人物が表れた。対魔士なら少しの間眠ってもらうところだったが、その必要はない。

「お?…よう!お前らも脱獄犯?」
「あんたは?」
「ここに面会したい人がいてさ、でもいなかったから帰ろうと思って」

囚人だ。一人は黒髪で、服を繋ぎ合わせたような格好の女性。もう一人は赤髪で仮面をした女性。前者の黒髪の女性の身なりで囚人だと認識できた。赤髪の女性の方は聖隷だ。彼女一人だったら対魔士の使役聖隷と勘違いしていただろう。

「面会?」
「うん、アイフリードっていうんだけど知らない?」
「……少し前に脱獄したと聞いたわ」
「ああ〜やっぱりそうか…失敗したな」

もうここにはいないと改めて知り、肩を落とす。しかし今は落ち込んでいる場合でない。名無は再び二人に目を向けた。

「港に行きたいんだ。いい道知らないか?」
「正門は対魔士と囚人達が争っています。正門を目指すことは得策ではありません」
「となると……」

ここを上がるしかないのか。そう言葉を続けようとした名無であったが、それをは出来なかった。

「暴動はほぼ鎮圧した!お前も逃がさん!」

対魔士だ。槍兵を二人引き付けている。こちらも三人。やるしかない、と名無は片刃剣を鞘から抜いた。二人の女性も同じ考えのようで構えをとった。

「誰やる?」
「あたしは対魔士をやる。槍兵はシアリーズとあんたに任せた」
「任せとけ!」

名無は地面を蹴って前に出る。一人の槍兵と対峙した。視線は槍兵から外すことなく、口を開いた。

「黒髪のお姉さん!私は名無しさん・名無しっていうんだ!呼び方は名無でいいよ!」
「何よ…急に」
「何となく?とりあえず自己紹介しとこうかと思ってさ!名前は?」
「……ベルベット」
「ベルベット!いい名前だ」

相手が槍の先をこちらに向け突出してくる。名無はギリギリまで引き付けて避け、懐に入り剣を振り抜いた。自身の耳に届く呻き声。名無は顔をしかめた。命を奪う感覚に慣れないのだ。
赤髪の女性、シアリーズといったか。彼女も終わったようだ。名無はベルベットを手伝おうとそちらを向いたが、刺突刃を振りぬく寸前で、その必要はないと剣を納めた。

「囚人たちはもう……」
「時間がない。この塔から外周道に出るわよ」

塔の最上へと進むベルベットとシアリーズに名無も後に続いた。


追手もなく彼女たちは塔の上へと出ることに成功した。外は豪雨が降っており、雨水に体を叩かれるような感覚だった。名無は下の状況を見て言葉を失う。

「ちっ…」
「道が崩れてしまっている。これではロープも役には……」

そう、シアリーズの言う通り塔の下の道が崩れており、降りられない状況なのだ。この激しい豪雨の影響だ。どうすればいい、名無が考えを巡らせていると

「……えっ!?」

ベルベットの左腕が変化した。その腕は黒く、赤く、異形のもののように。それを見て名無は気付いた。彼女は業魔だ。

「まさか……!?いくらあなたでも」
「あの子が落とされた祠ほどじゃない」
「あの子……?」

次の瞬間、ベルベットは迷いなく飛んだ。塔の下へ辿り着く為に。瓦礫に左手の爪を使いながら力ずくで下りていく。最後に少し体制を崩し地面に叩き付けられたようだが、大丈夫だ。生きている。
それを見届けたシアリーズは聖隷の力を使い彼女の所へ移動した。

「無茶するなあ……」

彼女たちは先へ向かった。名無も降りなければならない。
少し考えを巡らせた結果、一つの方法に辿り着く。私もベルベットのように多少は無茶をしないとな、と思いながら名無は空を見た。いや、正確には空ではない。降り注ぐ雨水だ。

「少し時間はかかるけど―――」

腕を少し広げ、息を吸い込む。
自分自身にこの”詩の力”を使ったことはない。しかしここで試すしかないのだ。先へ進む為に。まだ雨は降り続けていた。名無が得意とする水の力が使いやすい環境だ。

『降り注ぐ雨の力を、私の身体に浸透させます』そう呟いた後に名無は詩を紡いだ。

数分の時が経ち、名無は目を開く。そして迷いなく塔の頂上から飛び立った。

「―――ッ!!……いけた!」

外周道に降り立つ、地面を踏みしめた。自身の強化に成功したのだ。少し脚が痛むが怪我はしていない。
強い想い、祈る力を謳うことによって霊力や自然の力を利用し発動する。名無はその力を操る”謳術士”だ。彼女はこの強い豪雨の力に感謝した。
 少しの間座り込み、走れるようになるまで待つ。時間を使ってしまった、先を急がねばと立ち上がる。
名無が一歩踏み出した瞬間、後ろから大きな音が聞こえた。すぐさま振り向く。そこには男性がいた。着地音、少し屈んでいる男性。このことから塔から飛び降りてきたのだと推測できた。

「ふぅ…何とか飛び降りることができたぞ。ん?お前もか?人間なのによくやるなぁ!」

平気な様子でこちらに歩み寄ってくる男。その口ぶりから人間ではないことが判明した。黒の髪に覆われて見にくいのだが、顔の右側が異形の物であることがわかる。彼は物珍しい異国の服装で、名無は奇抜な奴だと思った。

「そ、そんなとこ。お前も脱獄囚か?一人?」
「儂もおるぞー」
「え?」

男の後ろから一人の少女が現れる。魔女のような身なりの人間。少女、と表現していいのだろうか。長い時を重ねた物が扱うような口調を使っていた。(奇抜な奴から更に奇抜な奴が出てきたぞ……)名無は業魔の男に尋ねた。

「誰?」
「突然きて俺の後ろに負ぶさってきたんだ。俺にもわからん」

二人の奇妙な空気に呑まれかけたが名無はハッと自分を取り戻す。時間がないのだ。

「こんなとこで話してる場合じゃない!ベルベットを追わないと!」
「ベルベット……長い黒髪の女。あやつのことじゃの」
「何!?お前あいつのいる場所がわかるのか!?連れて行ってくれ!」
「はぁ?恩人?…あーもう!好きにしろよ!!」

この二人のことは後でいくらでも尋ねることができるだろう。名無は逃げるように走り出した。


 バンッ!と名無の脚によって扉が開かれる。この数年で随分と足癖が悪くなっていた。扉の先の開けた空間にはベルベットが一人立っていた。

「もう少しで港の筈だ!」
「ほほ〜う!よさ気なトコ出れたわ」
「おう、お前は!」

ベルベットを見つけた男が彼女に礼と自己紹介をしている。彼の名前はロクロウというらしい。辺りを見渡したがシアリーズが見当たらない、名無は尋ねようとしたのだが今の彼女からはどうにも聞けそうにないと感じ、止めるのであった。

「挨拶は後じゃ。急いで逃げんと、囚人どもはほとんど制圧されたようじゃぞ」
「港はこの先よ。手伝って」

急いで、という言葉を使う割りには全く焦ってなどいない。食えない奴だ。
 四人となり外に出る。相変わらず雨は降り続けていた。天気もご機嫌斜め、とへたり込む怪しい女。天気も、と言った彼女だが他に何が、誰が不機嫌なのかは名無はわからなかった。

「おい濡れるぞ。起きろよ」
「こりゃあ外洋はもっと荒れるぞ」
「ああ、今は船は出すべきじゃないかもな」

素人目でもこの天気のなかで出航はするべきではないと分かるだろう。

「あんたたち、船に詳しいの?」
「いや、帆と舵の基本を知ってるくらいだが」
「私も本で学んだ程度かなあ、経験はないよ」

やはりこの中に船を扱える者はいなかった。それでもベルベットは出航する気だ、彼女に迷いは全く感じられない。名無も決意を固めた。

「贅沢は言えないわね。頼むわよ」
「……任せとけ!陸地にだけは絶対に運んでやるよ」
「素人だけで船を出す気か!?」
「仕方ないだろ、素人だけなんだから」
「わかった。これも”號嵐”の礼だ」

ロクロウが腕を組んで頷いた。彼も船を出すことを決心したようだ。そうとなれば出航準備だと名無は船を見やった。

「ゆってものー、こんな天気じゃすぐに方角もわからなくなるぞ?」
「わかるわよ。船には"羅針盤"ってものがあるんだから」

経験なしの自分とロクロウに任せるくらいなのだからベルベット自身も船に詳しくない筈だ。どうして羅針盤のことを知っているのだろうか。その疑問を尋ねたがったのだが今は出航準備を優先することにし、船へと向かった。

「牢のコヤシか、魚のエサか……ま、どーでもいいがの」
「待ってなさい……アルトリウス!」

タイタニアへの潜入で名無の目標は達成できなかった。アイフリードは今どこにいるのだろうか。

「……クソッタレ」

名無はそう吐き捨てた後に、憂いを帯びた表情で彼の名前をぽつりと呟いた。


 


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