得てして女子というものは恋愛の話となると目を輝かせる。自分に関わることであれば憂いや惚気を、そうでなければ嫉妬や好奇を含んで、それをなに食わぬ顔で隠して話を聞く。
因みに今眼前で話を聞いている友人はそのどちらでもない。強いて言えば好奇、わくわくとして聞いているように見える。


「で、それはやっぱり好きってことなのよね?」

「…う、うん……」


改めて訊かれると恥ずかしい。生きてきた年数からしてきっと恋愛経験も豊富であろうこの友人から見れば、自分の一喜一憂はさぞ大袈裟に映るだろう。しかし良いわねこういうの、とにこにことする彼女はどうやら純粋に楽しんでいるらしい。


「でも意外、あたし絶対別のひとだと思ってたのに」

「え、そう?誰だと思ってた?」

「柳田。割と良く一緒にいない?」

「えっ?いや、なんかさあ、柳田さんはそういうのとは違うくて…」

「でも名無子、その例の彼の前だって一緒にいるじゃない」

「…だって、気不味いもん、緊張してあんまり上手く話せないし。
柳田さんは保護者的な感じなの。話しやすいの」

「えー…そっちの方が絶対珍しいわあ…
逆なら分かるんだけど。柳田が大丈夫で雷電は駄目、ってあんまりないわよ」

「う……」


確かにそうだとは思う。しかし柳田はかつて百物語組において自分の教育係のようなものだったので、一番古い付き合いなので気安いのだった。
しかし初対面で近寄り難い印象を与えるのはやはり柳田で、それと対照的に雷電は明るく話し易い印象がある。名無子が雷電を意識し過ぎるせいか、これは名無子には適用されない。心なしか雷電の方でも微妙に接し難そうにしている気さえしたが、それはこの友人に一蹴された。
曰く、彼はそういった心の機微には疎いのだ、と。


「不思議ねえ」

「……うう…、でもそれなら雷電には気付かれてないよね?」

「きっとね、だってあんなに鈍いんだもの。あたしだって気付かなかったし。
でも何か、張り合いがないと思わない?」

「え?」

「いつまで経っても進展しないでしょ」


微笑んだ彼女が何か企んでいるように見えて、嫌な予感がした。どうかそれは杞憂でありますように、と思いながら慌てて首を振る。


「い、いいの!進展とかそういうことじゃなくて、ただ見てられれば満足なんだから」

「……えー」


ふう、と溜め息を吐いた彼女は女の自分から見ても美しい。名前の通り珠のように白い肌も、流し目の似合う目元も、紅く小さな唇も。名無子もこんな容姿だったなら、或いは関係の進展を望み行動出来ていたのかも知れない。


「勿体ないじゃん。だってあたし、勝算があるもの」

「勝算、て」

「名無子が雷電を好き、てなんとなく思ったから観察してたの。そもそも名無子と二人になるのが少な過ぎて大変だったけど、あんな雷電初めて見たよ」

「やり辛そうだったんでしょ」

「雷電も意識してるってこと!」

「多分違うよ、気遣わせてるだけだよ」

「絶対ないから!だって雷電だもの、
……ああ、もう!ほんともどかしいんだから!」


そう言って白い着物の衣擦れの音をさせながら近寄って来る。だって雷電だもの、とはよく考えると失敬だよな、と思いつつ謎の迫力に思わず後退れば思わぬ力で細腕に拘束された。


「あたしが一肌脱ぐわ」


にっこりと笑った顔は妖艶で一瞬目を奪われたが、ぞわりと背筋に悪寒が走った。嫌な予感が現実味を帯びて頭のなかで警鐘を鳴らす。
一体、何をする気なのだ。


「え、ちょ、待っ――」

「間違えた。一肌、貸して貰うわ」


異論を唱える間もなく、鳩尾に感じる衝撃。呆気なく衝いた膝、暗転する視界。意識を手放す直前に瞳が映したのは、友人、乃ち珠三郎の笑顔だった。





――ごめんね、名無子。

名無子を部屋に運び、その容姿を身に纏って珠三郎はそう呟いた。
これからどうするか言えば名無子は抵抗するだろうから、強行手段に出た。無理矢理気絶させたのだからきっと怒るだろうけれど、ついもどかしさに痺れを切らして手が出てしまった。
自分より百年遅くに奴良組傘下の江戸で生まれた名無子は、百物語組の妖怪として別段幼いという訳ではない。人間の歳を越えて生きていれば、もはや精神面で子供だ大人だなどということはなく、それは各々の性格の問題である。名無子はその点もとりわけ人見知りだとか、恥ずかしがりではなかった。只、色恋の話となるといつまでも初恋をしている少女のようである、と思う。

雷電はそういうことに疎いのだから、周りに皆知れ渡る位の積極性でないときっと気付いてはくれない。ことに名無子は用心深く、色恋方面に聡い自分でさえ最近気付いたのだから確実にその好意は伝わってはいないだろう。
雷電には自分とは知られないようにしなくてはならない。かといって普段の名無子と同じように振る舞えば関係の進展は期待出来ず、そこの辺りの兼ね合いが難しいところであった。

閉じた襖の前で声を掛ければ、おう、と返事があったので部屋に入る。雷電はこちらを見て一瞬目を丸くして、動揺したように見えた。


「…名無子、!?」

「突然ごめんね、ちょっと話があったから」

「いや、別に良いんだけどよ、
なんか珍しい…な」


名無子から来るなんてさ。そう言ってそわそわと立ち上がった雷電は何処となく緊張していた。


(ふうん……)


これは名無子にだけ見せる顔なのだろう。無論意識的にしている筈もないから、これが雷電の素の反応であると思われる。
脈はありなのではないか、と改めて思った。少なくとも人にどう思われるかあまり気にしない質の雷電が、こうして誰かを意識するというのは見たことがなかった。
そうさせる原因は、名無子が雷電を意識している故にそれを感じ取った雷電も名無子を意識している、というのではないだろう。我ながら酷い扱いだとは思うが、雷電が名無子の思慕を感じ取っているとは考え難い。


「ちょっと待ってな、今何か持ってくっから」

「あ…、ありがとう」


自分が来ても何も出さないくせに、とんだ応対の差である。ばたばたと廊下を遠ざかる足音が聞こえて、珠三郎は息を吐いた。普段の自分に対する態度とはあまりに違うせいか、演技が難しい。


「待たせたな」


案外早く帰って来た雷電は、慣れない手つきで湯呑みを珠三郎の前に置いた。
ありがと、と言って笑むと、雷電がその様子を凝視した。その真っ直ぐな眼差しを不思議に思う。自分だから良いものの、これが本当に名無子だったなら緊張のあまり湯呑みを取り落としただろう。
僅かに眉をひそめて、雷電が問う。


「なあ…、一つ訊いていいか」

「え、うん」

「本当に名無子か?」

「――……え?」


意外な言葉に驚いて、間抜けな声が出た。まさか見破られたのだろうか。自分の変装は組で一番目敏い圓潮さえも欺けるというのに。まさか雷電が、只の偶然だろうか、と思って一応惚けてみる。


「本当、って……どういうこと?」

「やっぱり名無子じゃないんだろ。名無子はそんな風には笑わねえ」


確信したらしく、雷電の表情が浮わついたものから不機嫌なものに変わる。どうやら偶然ではないらしい。
欺き付け入るのが十八番の自分がまさか雷電に見破られるとは、と軽く衝撃を受けて溜め息を吐く。笑いかたで分かったと言ったが、"蠱惑の珠三郎"の異名に相応しい笑いかたでもしてしまったのだろうか。それならば絶対に名無子はそんな風には笑わないから、見破られても仕方ない。今更取り繕う必要もないだろう、とおとなしく諦めた。


「……何か悔しい、油断大敵ってこと?
まさか雷電に見破られるなんて」

「え?お前、珠三郎か?」

「は…?あたしだって分かったんじゃないの?」


食い違う会話に困惑する。名無子でないことは分かったが、その正体が自分とは思い当たらなかったのだろう。しかしそれでは気付く順番が間違っている。


「いや、今気付いた」

「だって、笑いかたが違うって言ってたじゃない」

「だからさ、お前の笑いかたとは違えけど、名無子の笑いかたでもねえんだよ」


ということは、珠三郎だと気付いたから名無子でないと分かった訳ではなく、単に名無子ではないと思っただけらしい。


(随分名無子のこと、見てるんだ)


それはほんの僅かな変化にも気付く位、雷電は名無子のことを気に掛けているということだった。
これは名無子に報告せねばならない。お互いに、相手が自分を意識してるとも知らずに遠い距離で満足していたのだ。
なんて、勿体ない。


「何ニヤニヤしてんだよ」

「ちょっと良いことに気付いたの」

「何でも良いけどお前、それ名無子の顔なんだぞ。変な表情すんじゃねえよ」

「だって雷電、この顔の方が嬉しいでしょ?」

「………はあ!?馬っ鹿お前、でたらめ言うな!」


強がる雷電の顔は何の所以か言うまでもなく赤く、珠三郎は満足して笑んだ。

良かった、名無子。
やっと報われるみたいよ。