この間、名無子は鏡斎に描かれないの哉、と柳田から訊かれた。
微睡みの中、特に何も考えずそう鏡斎に言えば彼は気難しげに眉根を寄せた。
「柳田サンは解ってねえな」
曰く、名無子を題材にはしたくないのだという。その答えが気に入らないので問い詰めると、彼は黙って名無子の身体を引き寄せた。背中に感じる彼の逞しい身体は先刻の余韻の熱を残している。
「そんなことしたら、勿体無い」
「……そ、う」
気恥ずかしくなって腕から逃れようとすれば、鏡斎は片腕を緩めて隙間を作る。毛布代わりに身体に掛けられた着物が持ち上がり、何も纏っていない背中が空気に触れた。
「随分冷めてんのな」
「照れ隠しだとは思わないの?」
「それ、自分で言ったら意味無いだろうに」
「………それより、背中が寒いんだけど」
ああ、と呟いた鏡斎はしかし着物を戻そうとはしない。ただ、首筋に顔を埋めるようにして、空いた片腕でこちらに向けられた名無子の背中に触れた。
「え?」
鏡斎の唇が首筋の線を、指は背筋をなぞる。ぞくり、と仄かな快感が混じる戦慄に肌が粟立った。
「妖怪にするのも良いけどな、やっぱり違うだろうが。…ああ、でも迷うなァ」
「何それ、私が妖怪に相応しくないってこと――…っ」
熱い舌が首筋を辿って背中を這う。指先は何かを描くように腰の辺りを擽った。名無子の身体を拘束していたもう一方の腕は、身体の前面の線をなぞり始める。
「ちょ、待って……、よ!」
「なあ、名無子、
オレがさあ、どんなにこの背中に絵を描きたいか解るかい?
どんなにお前を妖怪にしたいか、解るかい?」
「……、鏡、斎」
「でも勿体無い、こんなことも出来なくなるんだから」
基本的に鏡斎という男は自らの欲望に忠実である、と経験上名無子は知っている。制止しようとして身体を捻り、彼の顔を見上げれば案の定口元を歪めていた。いつも気怠気で覇気の無い瞳もこの時ばかりは狂気に染まっている。
「だから妖怪にするのは思い留まんだよ」
手の動きに生温い吐息を漏らせば、比例してそれは激しくなる。引いてきた筈の熱はまた上がって来て、先刻の行為にまた導くように鏡斎を煽る。
「……あ、
ねえ、鏡斎、待ってよ…!」
「無理だ、もう待てない」
ああ、何て強引なんだろう。それでも、こうなってしまったらもう彼を止める術を名無子は持たない。
それは諦めにも似て無意味な抵抗を止める。鏡斎はふと目を細めて、名無子の頬に柔らかく口付けた。
「オレが堪えられるなんて、な」
「何のこと?」
「描きたい衝動を。お前を描きたいけれど、妖怪でなくても名無子が好きだ」
「ん…」
この状況で何を言い出すのか。しかし、自分は本当に彼が好きなのだ、とその言葉に改めて思う。例え鏡斎が人間の少女を集めて背中を晒させて、筆を走らせて妖怪にしていたとしても、その場面を目撃したとしても自分は彼を好きでいるだろう。その場の悋気に呑まれても、鏡斎は必ず自分の元に戻って来るのだから。
もし戻って来なかったその時は、つまり自分が鏡斎にとって只の人間と同等になった時なのだ。
「…ねえ鏡斎、もし私に飽いたら、私の背中に絵を描いて。その時は鏡斎の手で妖怪に成りたい」
「オレが飽きる、なんて起こり得ない」
「そう、なの」
零れ落ちた本心に対する鏡斎の返答が嬉しくて、彼の瞳が狂気に染まっているのももう気にならない。狂気などと名付けてしまうからそれまで、要は執着ではないか。
「でも、名無子がオレに飽いたら。
名無子を題材に九相図を描いてやるよ」
「そう…嬉しい」
彼の狂気に揺らいだ瞳に映る自分の瞳もまた、狂っているように見える。
寧ろ喜ばしいことだ、そう思って名無子は鏡斎に身を委ねた。
重なる体温が愛しい。もう彼になら何をされても構わないのだ。抱くも、妖怪にするも、この身を腐らせるのも好きにすれば良い。いや、好きにして欲しい。
彼に狂わされるのも、彼を狂わすのも本望だ。