申し上げたくとも、そんな恐れ多いことは出来ません。それでも心中密かに思っております、あなたは非道い、ひどい。酷い方だ。


非道い、というのは良いのです。私はあなたの、そういった人間らしからぬ残忍さ、相反する情の深さを知っている。人間でありながらあなたは、妖の私よりもずっと畏れるに足るお方だ。脆い権力にしがみつく愚かな人間共を操り、実質の権力を手にし、果ては妖の領分までも従えてしまう。

あなたはそんな風に妖よりも妖らしくありながら、人間の俗欲に忠実に動く。いや、逆にそれこそがあなたを妖たらしめているのかも知れないが。
たかだか錦を纏い白いものを塗り、紅を引いただけの女、そんなものに何千両もかけて何人も屋敷に呼び寄せる。正直私はこれに関しては理解に苦しみます。吉原の女共、春をひさぐようなそんな卑しい者共があなたの、山ン本様の傍に侍るなど言語道断だ。わざわざそんな卑しい人間と交わらなくとも良いでしょう、それでもあなたが望むのだから仕方がありません。その為ならあなたの小間使いとなり、麝香に沈水香のきつい匂い、嬌声やら猫撫で声やらの中、吉原の茶屋まで金子を届けに行くことなど造作もないことです。


例えあなたが昼日中から花魁と共に部屋に閉じ籠っていても、そう望むのなら私は目を瞑りましょう。けれど山ン本様、まるで落ち着き払った顔をしながら、腹の中に優越と金子を抱えて出ていくあの花魁共は何なのですか。妖よりも夜の支配者だというような顔をして、澄まして帰って行く人間。それは金子を手に入れれば何でも手に入ったような哀れな錯覚は覚えるのでしょう、けれども結局は汚らわしい行為との引き換えではないですか。



しかし山ン本様、驚くべきことにそんな顔をしない娘がいたのです。ええそう、あなたが今一番御執心の、昼日中から戯れて掛かっているあの花魁ですよ。確か名無子といいました、ともかくその娘は帰り際、私に会釈をしました。山ン本様の腹心である私に媚びるでもなく、ただ凛とした礼儀正しさがありました。侍る理由は他の花魁と違いがある筈もないのに、どうしてあの娘は汚らわしさというものを感じさせないのでしょう。

しかし結局、他の女共よりも汚らわしさを隠すのが上手というだけ、所詮一番汚い娘なのでしょうか。ああそうだ、人間など皆そうだ、いいえ山ン本様はそんなものなど超えた人間であるけれど、他の凡百な人間など自分が良く映るためならどんな演技でもする生き物です。清楚で誇り高いふりをして、腹の内では山ン本様を手玉にとった気でいるのです。客などという枠に嵌めて、対等或いはそれ以上の関係だと思い込んでいるのです。山ン本様はそんなこと、確りと見抜いているのでしょうが、私は腹立たしい。あの娘の演技があまりに巧妙で、あなたがそれは演技なのだと気付いていないように思われるからです。



何故、それでもあの娘に拘るのですか。あれは名のある太夫ではありません。いいえ、山ン本様の御贔屓となれば何れ吉原でも指折りの花魁になりましょうが、あんなに人を貞淑なふりをして欺き腹の中では嘲っているような女、自らの職と作り出した人柄の矛盾にも気付かないような女など、何故望んで侍らせるのですか。吉原中の女を侍らせることの出来るあなたなら、別の娘でも構わないではありませんか。

あなたがあの娘と戯れている度に、屋敷を出ていく娘を見る度に、彼女が私に会釈をする度に、言い表せぬ熱が胸に支えて苦しいのです。演技だとは分かってはいても、花魁という境遇に身を置いても尚清げなその様子が頭から離れない。結髪や着物の乱れに、先刻まで部屋の中で苛まれていた痕跡を見出だしてしまって辛いのです。


山ン本様には、もっと多くの女がございます。けれども私には、あの娘しか、


私の方があの娘を見ている、私の方がずっとあの娘のことを心に掛けている!私はもう名無子しか目に入らないのだ!
何故名無子なのですか、他にも女を囲っておきながら何故、名無子を私に与えては下さらない!



申し訳ありません。
馬鹿らしいことでございます。汚らわしいと軽蔑しておきながら、それは芝居だと貶しておきながら、私は結局惹かれている。認めまいとしてもいつも徒労に終わるのです。
あなたが私に名無子を与えないのではない、私が勝手に理由をつけて諦めているのです。まるで山ン本様が愚かな女に入れあげているような風に話を作り、憎む相手を間違えている。

あなたの執心の女を奪うようなこと、誰が出来ましょうか。――ええこれだって、恥も外聞も棄ててまで名無子が欲しいと訴えることの出来ない見栄っ張りの私が、忠誠という体で誤魔化しているだけです。

心の中ならばそれでも恨み続けましょう、あなたは酷い方だと。名無子は貞淑なふりをしてあなたを、そして私を嘲っている不届き者であると。逆恨みであり、自分の度量の狭さを認めまいとしていることであり、問題がすり変わっていることは分かっております。



いっそ、何かの進展を期待してあなたに進言致しましょうか。さも忠誠な臣下の諫言な風なことを装って言うのです。あんな傲慢な女に傾倒するのはお止め下さい、と。
理由ならお分かりでしょう。

私は山ン本様の側近でございます。
あなたが愚かな人間を――私以外の者を重用するのが我慢ならないのですよ。


そうでも思わなければ、私はきっと名無子を拐うでしょう。山ン本様に呆れられ名無子には恐れられ、そうなれば私は何物をも手に入れられない。山ン本様からの信頼も、名無子からの愛も。
それだけは嫌なのです。そうなる位なら何もかも我慢した方がずっと良い。例え何も変わらず、何も得られなかったとしても。

私は山ン本様の忠実な側近、柳田なのですから。