ウィズロといっしょ! | ナノ


 浴場はどうやら別の棟にあるらしく、いったん二人は建物を出て夜の空気に身をさらした。昼間の肌を焼くような熱気から一転して、ひやりとした風がニゲラの髪を揺らす。
 岩を削り出して作った降り階段の両脇には、ラナの魔力を使用した照明が点々と灯されている。静かな夜に浮かぶ淡い青の光はどこか暖かく感じて、強張っていたニゲラの心をそっと慰めてくれた。

「綺麗だね」
「そっ、そうかな?」

 ゆっくりと階段を降りながら素直に感想を伝えると、先導するラナが動揺して声を揺らした。照れているらしい。いっそわざとらしいほどに可愛い反応に、ニゲラはくすりと小さく笑ってラナの後頭部を見下ろす。こんなに可愛らしい娘が時の監視者であり勇者を手助けした強大な力を持つ魔女であるなどと、誰が思うものか。
 階段を降りきったニゲラは、ほっと息をつくと改めて浴場のある平屋を見上げる。先程自分達が出てきた母屋と似た遺跡じみた建築様式だが、ところどころ修繕や改築をされているのが見受けられる。ラナによると、同じような建物はあと二棟存在するらしい。――随分と広い家である。いや、最早屋敷と言っても過言ではないだろう。ただでさえ狭い中に骨董品や古書をこれでもかと詰め込み、足の踏み場もなくなってしまったニゲラの実家とは雲泥の差である。

「ラナはここに一人で住んでるの?」
「うん。昔は魔女見習いとかお手伝いさんもいたらしいんだけど……」

 ラナはそこで一旦言葉を切ると、その眼差しをかげらせて母屋を見上げた。――『いたらしい』。ということは、彼女が物心ついた頃にはもうここには誰もいなかったのだろうか。もしかすると両親くらいは共に暮らしていたのかも知れないが、それについて訊ねる気にはなれなかった。ラナは今、一人なのだ。

「だから、ニゲラが一緒に住んでくれることになって、実はちょっと嬉しかったんだ」

 そっと囁くラナの横顔はどこか照れ臭そうに微笑んでいて、ニゲラは胸がじわりと温かくなるのを感じた。――なんだ、喜んでくれていたのか。こちらは厄介事に手を出した上に家にまで押しかけて、さぞかし迷惑をかけてしまっただろうと思っていたのに。
 ラナははっとニゲラを振り返ると、わたわたと慌てた仕草で両手を合わせる。

「あっ、その、ごめんね! ニゲラは困ってるっていうのに、わたしったら――」
「いいよ、そんなの」

 ラナの慌てぶりについ笑ってしまいそうになりながら、ニゲラは彼女の両手に手を伸ばすとそっとそれを包み込む。

「私も嬉しかったんだから、おあいこ」

 ラナは驚いたように目を瞬かせたかと思うと、心の底から嬉しそうに笑った。ふわりと花開いたような笑顔が眩しくて、ニゲラは目を細めて微笑む。直後、ふんとウィズロが鼻を鳴らして二人の会話に水を差した。

『薄っぺらい三文芝居だことだ。……女の友情ほど脆いものはないぞ。せいぜい裏切られぬよう用心することだな』

 ……本当に無粋な指輪である。ニゲラはラナに向ける笑顔を保ったまま、思いきり力を込めて宝石を弾いてやった。『ギャッ』と短い悲鳴を上げたウィズロに、彼女は得意気に唇を持ち上げて彼を見下ろす。先程散々自分を揺さぶってくれた報いだ。

「ニゲラ?」
「なんでもないよ。さ、行こ」
『貴様……なんでもないわけが、あるか……』

 痛みに耐えるように呻くウィズロを無視して、ニゲラはラナを促す。ラナは不思議そうに首をかしげていたが、ニゲラの行動からまたウィズロがいらぬことを言ったのだろうと察してくれたらしい。晴れ渡ったような満面の笑みで頷くと、ニゲラの手を取って歩き出した。
 別棟に入ったニゲラ達は、廊下をしばらく進んだ突き当たりで立ち止まった。ラナがそこにあった扉を開けば、簡素な板の間がその姿を見せる。奥にあるもう一枚の扉の向こうが浴場だとすると、ここはさしずめ脱衣所といったところだろう。

「ここだよ。脱衣所は狭いけど、お風呂自体は二人くらいなら楽に入れる大きさだから安心して」

 振り返ったラナの言葉が、ニゲラの推測が正しかったことを証明してくれた。彼女は「脱いだものはここに入れてね」と木の蔓で編んだ籠を差し出すと、早速身に付けているものを取り外し始めた。
 複雑な意匠の髪飾りを丁寧に外して手で軽く梳けば、空色の長い髪がさらりと肩から背に流れ落ちる。ぼんやりとそれに見入っていたニゲラは、ラナが白い外套に手をかけたのに気づいて慌てて背を向けた。――何をしているんだ、自分は。いくら同性とはいえ、人が服を脱ぐ姿をじっと眺めるなんてあまりにも無作法ではないか。ニゲラはため息をつくと、自分の服のボタンに手をかける。
 ほどいた髪に軽く手を差し入れれば、ぱらぱらと床に砂が落ちて彼女は顔をしかめる。乾燥した荒野を越えてきたせいで、頭の先から足の先まで砂っぽい。早く風呂に入って、汗ともども綺麗さっぱり洗い流したいところだ。そんなことを思いながらボタンを全て外し終えたところで、はっとニゲラは動きを止める。――とんでもないことに気がついてしまった。

「ラナ、待って!」

 慌てて左手を覆って背後のラナを振り返る。間一髪、ラナは胸元を覆う布に手をかけたところでその動きを止めていた。様々な装飾を取り払った分、目立たなかった彼女の胸元の豊かさが露になっている。それを目の当たりにしてしまったニゲラは顔を赤らめながら目をそらした。……そらしたはいいものの、その先にあった己の胸元をまともに見てしまい、彼女は得も言われぬ虚しさを覚えてしまった。世界はかくも残酷なものなのである。

「どうしたの?」

 きょとんとこちらを見つめるラナに視線を戻すと、ニゲラはそのままゆっくりと手を下ろすように身ぶりで指示する。不思議そうに首をかしげた彼女は、だが素直にこちらの指示に従ってくれた。彼女が両手を下ろしたのを確認したニゲラは、動揺してしまった心を落ち着かせながらその視線を自分の手に落とす。

「今さ、ここにウィズロいるんだけど」
「え? ――ああっ!」

 ニゲラの言葉にようやく事の重大さに思い至ったようで、彼女は素頓狂な声を上げた。そう、ここにいるのは自分達だけではないのだ。彼の目(指輪に目があるかどうかも分からないが)に自分やラナの素肌を晒すわけにはいかない。ニゲラが左手を覆う右手に力を込めると、呆れたようなため息が脳内に響いてきた。

『……おい、私は指輪だぞ。無機物に性別などないに決まっているだろう』
「なによ、この変態指輪。騙そうったってそうはいかないんだから」

 ニゲラはふんと鼻を鳴らすと、胡乱な目つきで美しい指輪を見下ろす。ウィズロがあらゆる言葉を駆使してこちらを翻弄する策士であることは分かりきっている。きっと今回も言葉巧みにこちらを騙くらかして、うら若き乙女の入浴を覗いてやろうなどと不埒なことを考えているに違いない。そう簡単に信用してなるものか。

『いや、だからだな――』
「ねえねえニゲラ、これでその指輪覆っちゃおうよ」
『おい』
「名案! じゃあラナ、ちょっとそっちの端っこ持ってて」
『聞いておるのかニゲラ』

 ニゲラはラナから受け取った薄手の白い布を、左の人差し指の根元にぐるりと巻きつけた。ラナに手伝ってもらいながら両端をゆるく結び、軽く引っ張ってみてほどけないことを確認する。

「よし、これで見えたりしないね」

 満足げに目を合わせて頷く二人に、白い布にぐるぐる巻きにされたウィズロが心底呆れ返ったように吐き捨てる。

『貴様ら、指輪の目を意識するなど虚しいとは思わぬのか?』

 あからさまなため息をついたウィズロに向かって、ニゲラはべぇ、と舌を出してみせた。
 見た目はこんなにも美しいのに、本当に無粋で繊細さに欠ける指輪である。彼が性別を持たない無機物でしかないことはこちらだって承知している。だが、自分はウィズロをすでに『彼』だと認識してしまっているのだ。
 本当にただの指輪であるならともかく、一個体としての意志を持つ『彼』の前で平気で裸になるなど、ニゲラにできるはずもなかった。




『ギエエェ、湯に浸けるなと言っているだろうがこのクズ! 隙間が錆びたらどうしてくれる!』
「はいはい、後で手入れしたげるからいいでしょ」

 湯船に浸かった左手を持ち上げて、ニゲラは肩をすくめる。ちょっと水に浸けたり泡に触れただけですぐこれだ。初めは相手も貴重なアンティークなのだからと多少なりとも気を遣っていたニゲラだったのだが、いくらなんでも多すぎる文句に次第に面倒臭さが勝り、対応も徐々にぞんざいなものへと変わっていった。
 一から百までウィズロの注文を聞き入れていては日常生活など成り立たない。今までの持ち主はどうやってこの口うるさい指輪と共に暮らしていたのだろうか。
 ニゲラはふう、と息をついて湯船に肩まで身を沈める。これ以上文句を言われては敵わないとウィズロのいる左手は上げたままなので、なんとも妙な格好だ。じわじわと体に熱が染み入ってくるのが心地よくて、ニゲラは眠たげに瞬きをする。
 と、体を洗い終わったラナがニゲラの隣にゆっくりと腰を下ろしてきた。顔を上げてそちらを見やると、彼女は顔を真っ赤にして内気そうにはにかんでいる。こうして年の近い女同士で風呂に入る経験がほとんどなかったらしく、先程からずっとこの調子だ。
 いじらしい様子でこちらを伺うラナも大層可愛らしいのだが、疲れを取るはずの入浴であまり緊張させるのも申し訳ない。ニゲラは相手をリラックスさせようと、体の力を抜いて微笑みを返す。

「本当に何から何までありがとね、ラナ。今日は私が夕飯作るから、お風呂上がったらゆっくりしてて」
「えっ? ほ、ホントにいいの?」
「もちろん。こう見えて得意なんだよ」
『……よもや切って焼いただけのものを料理などと称しているのではあるまいな』

 ニゲラは顔色ひとつ変えずに左手をお湯の中に沈めた。

「ありがとう、ニゲラ! えへへ、楽しみだなぁ……」

 頭の中にぎゃんぎゃんと響くウィズロの喚き声を聞き流しながら、ニゲラは嬉しそうに細められた紫の瞳を眺める。命を助けられた上に住むところまで世話してもらった恩がこの程度で返せるとは思わないが、せめてここにいる間だけでも彼女の役に立ちたいものだ。
 そんなニゲラの気持ちなど知る由もなく、ラナはふと思い立ったように立ち上がった。その拍子に波立った湯が、ニゲラの体を穏やかに揺らす。

「それじゃあ、わたしは先に出てるね。食材がちゃんとあるか確認してくるよ」
「分かった。私はもうちょっとゆっくりしてようかな」

 なんだか疲れちゃって、という言葉は喉の奥に飲み込まれた。うっかり弱音を吐いて、優しい彼女にあまり心配をかけるわけにはいかない。
 纏め上げられた空色の髪が扉の向こうに消えるのを見送ったニゲラは、長いため息をつきながらゆっくりと湯船に足を伸ばす。

「ホント、今日はとんでもない目に遭ったなぁ」
『それはこちらの台詞だ、全く。もう少し豊潤な魔力の持ち主に拾われておれば、魂ごと喰らって見事復活を果たして見せたものを……』
「私でよかったよ、本当に」

 濡れた布に覆われた指輪をかざし見て、ニゲラは思わず苦笑を漏らした。生まれつき闇の魔力を備え、かつウィズロが復活できない魔力量しか保有していない自分だったからこそ、いまだ一人の死人も出すことなくこうして暢気に対策を練っていられるのだろう。次にあの場所を通りかかる魔力持ちは自分とラナに感謝してほしいものである。
 ――天井からしたたり落ちた水滴が、湯船で小さく音を立てて跳ねる。体も十二分に温まった。さてそろそろ出ようかと胸元を腕で隠しながら立ち上がった時、ウィズロが不意に声を響かせた。

『……ふむ。貴様、本当に気づいておらぬのだな』
「何のこと?」

 警戒を露にした目付きで見下ろせば、ウィズロは含みのある低い笑い声を漏らす。その声に、ニゲラはそわそわと落ち着かない気分になって視線を泳がせた。相手には見えないと頭では分かってはいても、こうやって男性の声がする中で無防備な格好で立っているのはなんとなく気恥ずかしい。眉を寄せたニゲラがもう一度湯に浸かろうかと膝を曲げかけたのを遮って、ウィズロが再び声をかける。

『白い布は濡れると透けるぞ。薄手ならなおさらだ』

 はたとニゲラは動きを止めると、瞬きをしながら左手を見つめる。言われてみれば確かに、水に浸かったせいなのだろう。濡れた白い布の向こうから宝石の赤い色がうっすらと透けて見えているのが分かる。つまり、ウィズロの方からも同じように見えていたわけで――。

「う、あ……」
『こうして見ると、貴様は魔力だけでなく体つきも貧相だな。成る程、貴様はそれを恥じていたというわけか』

 ヒャヒャヒャ、と人を小馬鹿にしたようなウィズロの笑い声が混乱したニゲラの頭をかき乱す。――分かってない。本当にこの指輪は分かってない。どうして自分やラナがこうまで必死になってウィズロの視界を遮ろうとしていたのか、この指輪は全くもって分かってない!

「こ、このっ……ウィズロの馬鹿あぁぁ!」
『お、おい待てニゲラ壁はやめ――ヒギェアアァァ!』

 顔のみならず全身を赤く火照らせたニゲラが石壁に向かって拳を振るうと同時に、ウィズロの断末魔が脳内に木霊した。




 

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