ウィズロといっしょ! | ナノ


 指を切り落としでもしない限り、その指輪を外すことは不可能だ。ゴロン族の現族長は重々しくそう告げ、沈痛の面持ちで首を横に振った。
 ――封印を管理していたゴロン族なら指輪の外し方を知っているかもしれない。そう主張したラナに連れられて善は急げとオルディン火山まで赴いたニゲラだったが、結局得られたのは『残念だったな、ゲヒヒッ』というウィズロの馬鹿にしたような笑い声だけだった。腹立ち紛れに指で強めに弾いてやったのは言うまでもない。
 ゴロンの族長が言うには、過去の指輪の持ち主はもれなく魂を奪われるか、もしくは新たに指輪に魅了された他者によって悲惨な死を迎えているらしい。まさに呪いの指輪と呼ばれるに相応しい逸話である。そうやって死を振り撒きながら何世紀も人々の間を渡り歩き、その魂でもって輝きを増してきた指輪――それがウィズロなのだ。
 その呪いから逃れるには、指を切断して指輪を放棄するしかない。指を失うか、命を失うか――。ゴロンの族長は、神妙な顔でニゲラに選択肢を突きつけてきた。
 ニゲラは左手を見下ろして、人差し指の根本で松明の火に妖しく揺らめくルビーを眺める。……この息を飲むような深い煌めきを放つ宝石は、これまで幾多もの人間を殺めてきた。人々を惑わし、狂わせ、血で血を洗う争いを引き起こしてきたのだ。ニゲラも同じ道を辿らないとどうして言えようか。こんな危険極まりないもの、指の一本を犠牲にしてでも封印してしまった方がいい。

『若い女に指を切り落とせとは、ゴロン族も酷な選択を強いるものよ』
「よく言うよ。誰のせいだと思ってるの」

 ウィズロはニゲラの瞳を見つめ返して、ヒヒッと引きつった笑い声を上げる。目の前で自分を封印する話し合いをしていると言うのに、上機嫌なことだ。

『さて、どうする? 最も、貴様に自ら血を流すような気概があるとはとても思えぬがな』

 ――結局、答えは出なかった。
 ゴロンの族長の部屋から退出した二人は、緊張感と重苦しい空気から解放されて大きく息をついた。互いの脱力しきった様子に目を合わせてくすりと笑った彼女達は、気を取り直して今後の方針を練ることにした。
 族長に散々脅されはしたが、ニゲラの命が今すぐにどうにかなることはない。少なくとも、彼女の存在はウィズロが封印から身を守るために必要不可欠な盾でもあるのだ。ラナが傍にいて目を光らせている限り、そう簡単に殺しはしないだろう。
 ニゲラは汗を拭い、ラナに緊張感のない笑みを向ける。

「困っちゃったね」
「ホント。やっぱり無理に外そうとするより、復活した瞬間に倒しちゃうのが一番かも」
『ふん、やれるものならやってみるがいい。その時はこの女を盾にしてくれるわ』

 ラナの提案を受けて、ウィズロが強気に鼻を鳴らして伝わらない挑発をする。美しい見目にそぐわず、実に外道な指輪である。ニゲラは苦笑を漏らしながらそれをラナに伝えた。

「こんなこと言ってるけど」
「……相変わらず最低なヤツだね」

 ラナは眉をつり上げ、腰に手を当てながらウィズロを覗き込んだ。怒ったような表情をしていても、元々の顔立ちが可愛らしいせいかあまり迫力は感じない。ウィズロもそう思っているのか、相手を小馬鹿にしたような下衆な笑い声をニゲラの頭の中に響かせている。
 むっとした表情でウィズロを睨み付けていたラナだったが、やはり無言の指輪相手だと張り合いがないのだろう。ため息をついて肩を竦めてみせると、今度はニゲラの手を取ってまじまじとウィズロを見つめだす。

「うーん……外すのは無理でも、工具か何かで潰せたりしないかな」
『なっ――!』

 ぎくりとウィズロがおののく気配が脳内に伝わってきた。

『ややや、やめろ! なんと非道なことを考えるのだ、この悪魔め!』
「ラナ、効くみたいだよ」

 にやりと笑ってラナに伝えると、彼女はぱっと表情を輝かせた。

「本当!? じゃあ今からゴロンの誰かに借りてくるね!」
「あ、いいの? ありがとう、ラナ。頼んだよ」
『にこやかに見送るんじゃない! おい女、あの魔女を止めろ! ……止めろと言っているだろうが! いいかニゲラ、私を潰させたが最後、貴様の命を道連れにしてくれる!』

 ウィズロが頭の中でぎゃんぎゃん喚くのを聞き流しながら、ニゲラは満面の笑みでラナを見送る。揺れる空色の髪が遠くなるにつれて、彼の声が焦りを含んでいく。
 ――拳ひとつで岩を壊せるゴロン族が、工具なんて持ってるはずないでしょ。彼女は悪戯っぽく笑いながら騒がしい指輪を見下ろして、べえと舌を出した。




 ニゲラは与えられた部屋のベッドに遠慮がちに腰掛け、そわそわとした気持ちで室内を見回す。書き物机と本棚、そしてクローゼットと最低限の家具しかない殺風景な部屋ではあるが、暮らすになんら不自由はない。この一室を提供してくれたラナが申し訳なさそうにこちらの顔色を上目遣いで伺ってきたのを思い出して、ニゲラはくすりと微笑を浮かべる。

「まさか、魔女の谷にお世話になるなんてね」

 指輪に取り憑かれた状態のニゲラを下手に人里へ向かわせることはできない。それがラナの出した結論だった。
 他者を魅了して指輪の持ち主を襲わせることなど、ウィズロにとっては朝飯前だ。下手をすると、せっかく見つけた呪いの指輪を混乱の内に見失ってしまいかねない。そうならないためにも彼が復活するその時まで、ラナの目の届くところ――つまり、彼女の家に住まわせてもらうことになったのだった。
 何気なく窓の外に目をやると、そこには薄暮に沈む遺跡の偉容が広がっている。ついこの間の争乱でようやく実在すると分かった、時の監視者の住まう谷。歴史学者達の間でも単なるお伽噺としか認識されていなかった場所に、今自分は存在しているのだ。夢にまで見た光景に、ニゲラはほうとため息をつく。
 ラナに聞いたところ、この谷は魔女が招いた者でないと決して足を踏み入れることができないのだそうだ。強大な魔力を持った人物なら話は別だが、そうでなければ同じ場所を延々とさ迷う羽目になるのだという。
 ――あの商人から買い取った古地図は、間違ってはいなかったらしい。

「父さんが聞いたら、羨ましがるだろうなぁ」
『ほう。貴様、父がいるのか』

 唐突なウィズロの声に大きく肩を揺らしたニゲラは、大袈裟にすぎたその反応を誤魔化すようにむすっと唇を尖らせて左手を睨み付ける。せっかく人がいい気分に浸っていたというのに、突然驚かせてくるなんて無粋にも程がある。

『ヒャヒャ、随分と滑稽な驚きようだな』
「うるさい。急に話しかけてくるそっちが悪いんでしょ。話かける前に合図くらい送りなさいよ」
『無茶を言うな。……で、質問の答えをまだ聞いていないぞ』

 話を先に逸らしたのはどちらだ。ニゲラは呆れて軽くため息をつく。

「父さんのことでしょ? 城下町でしがない骨董商をやってる、ただのオジサンだよ」

 ニゲラの父が営む骨董屋は、小さいがその筋ではなかなか評判の高い店だ。よく手入れされた品々に鑑定眼の確かな店主、そしてどんなに貴重な品でも金さえ出せば必ず取引する商売魂。神話時代のマジックアイテムですらなんの躊躇いもなく金銭で手放すスタイルはいただけないが、それが好事家達にありがたがられていることは彼女もよく知っている。
 骨董に囲まれて育ったニゲラがそれらのルーツに興味を持つのは自然の成り行きだった。そうして彼女は家の仕事を手伝いつつ、趣味としてハイラルの歴史――とりわけトライフォースに関する伝承を追うようになったのだ。この魔女の谷を探していたのも、その趣味の一環である。
 ウィズロの気のない相槌を合間に挟みながらつらつらとそんなことを話していると、不意に彼が含みのある声で囁きかけてきた。

『――取引をせぬか、ニゲラよ』

 取引? ニゲラは口を閉じると、胡散臭そうに眉を寄せて指輪を見つめる。夜が近づいてきたことも相まってか、ルビーの赤はより深くなり、吸い込まれそうな闇を孕んでいた。

『貴様はラナの目を欺き、故郷に戻って私を父の手に渡すのだ。……なあに、手は出さぬよ。それどころか金輪際、貴様ら父子には決して害を与えぬと誓おうではないか』

 ――成る程、狙いが読めた。ニゲラはふんと呆れたように鼻を鳴らす。

「ふーん。父さんを利用して、もっと魔力の多い人に乗り換えるつもりってわけね。そんなことしなくても、あなたが復活した瞬間に倒しちゃえば全部丸く収まる話でしょ」
『そう上手くいくとでも? 私が力を取り戻せば、魔女の隙をついて貴様を拐かすことなど造作もない。誰も助けになど来れぬ深い暗闇に引きずり込んで、私の気が済むまでいたぶり続けることもな』

 脳髄に直接囁かれ、ニゲラはぞくりと身震いをする。彼女が恐怖におののいたのが伝わったのだろう、ウィズロは静かに喉の奥で笑いながらそっと甘い毒を吹き込む。

『そう悪い条件でもあるまい? 貴様は呪いの指輪を厄介払いできるどころか、家族共々命の危険に脅かされずに済むのだぞ』

 宝石の奥に潜む闇に吸い込まれてしまいそうで、ニゲラは無理矢理ウィズロから視線を引っぺがすように顔を上げた。空は徐々に黒く暗く沈んでいき、小さな星々がちらほらと瞬き始めている。星の海に浮かび上がる遺跡は、さぞかし神秘的な姿であることだろう。……だが、ニゲラの内心はそれどころではなかった。
 ウィズロが近い将来、復活を果たすのは確実だ。ラナは絶対に倒してみせると息巻いているが、そもそもニゲラはラナとウィズロがどの程度の実力を持っているのかを全く知らない。知っているのは、ラナが常人ではあり得ないほどの異質で強大な魔力を持っているということと、ウィズロがハイラル城を労せず陥落させられる策士であるということだけだ。情報量が少なすぎて、どう判断していいのかさっぱり見当がつかない。
 ――もし、ウィズロがラナを出し抜いて、彼女の手から逃れてしまったとしたら。

「ニゲラ?」

 唐突に思考に割って入ったノックの音に、ニゲラは息が止まるほど驚いた。反射的に振り返ると、返事がないのを不審に思ったのかラナがそっと扉を開けて顔を覗かせた。彼女はニゲラが目を見開いて自分を凝視しているのを見ると、困ったように笑いながら耳の下をかいた。

「その、お風呂わいたから呼びに来たんだけど……。ごめん、驚かせちゃったかな」
「う――ううん。大丈夫、今行くよ」

 ニゲラは首を横に振って笑顔を見せると、旅荷の中から急いで予備の服を引っ張り出す。そして準備を待っていてくれたラナに一言謝ると、彼女に案内されるがままに浴場へと向かう。

「ねえニゲラ、部屋に足りないものとかなかった?」
「うーん……特にないかな。今のまんまでも不便はしないよ」
「それならいいんだけど。力になるから、何か困ったことがあったら遠慮なく言ってね」
「うん、大丈夫」

 隣を歩くラナの明るい笑顔に、ニゲラはふっと肩の力を抜いて頷く。
 そう、大丈夫。彼女はなんといっても、世界を覆う闇を払った勇者の仲間なのだ。それが強くないはずがない。たかが指輪が何を企んでいたって、なんとかしてくれるに決まっている。勇者に希望を与えたように、初めにニゲラを死の縁から救ってくれたように、きっと――。

『ヒヒッ、それはどうかな? よく考えることだ。貴様にとって、どちらが得かをな――』

 うるさい。ニゲラは脳裏にこびりつく下卑た笑い声を心の中でののしりつつ、寝巻き代わりの服を胸に抱く腕にぎゅっと力を込める。……きっと、大丈夫。足場がじわりじわりと削り取られていくような不安を振り払いながら、彼女は何度も自分に言い聞かせた。




 

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