短編 | ナノ


 明るい空色の髪を砂埃に汚して力なく地に倒れ伏した白の魔女は、ただのか弱い少女にしかアヤメの目には映らなかった。――ただし、先程の化物じみた魔術を見ていなければの話だが。

「まったく、とんでもない小娘だよ。まさかこんな奥の手を隠し持っていただなんてね」
「ええ。勝てたのが不思議なくらいです」
「魔力も綺麗に二等分だったからね。追いつきさえすればほら、この通り」

 ギラヒムが白の魔女――ラナの肩をこつんと蹴飛ばす。少女は微かに呻き、土くれに汚れた愛らしい顔でこちらを睨んだ。
 自身の魂を割って自分を増やすという、一歩間違えれば死を招きかねない常識破りの離れ業。膨大な魔力だけでなく針に糸を通すような繊細な技術が必要なそれを、トライフォースの助力もなしにやってのけたのだ。さすがは時の監視者を名乗るだけのことはある。

「それにしても、随分と手こずらせてくれたものだ。危うく、このワタシの美貌に傷がつくところだったよ」
「ギラヒムさん」

 ギラヒムの声のわずかな揺らぎから煮えたぎるような怒りを読み取って、アヤメは彼に視線を飛ばす。八つ当たりをするのは構わないが、それでこの少女に死なれてしまっては元も子もない。
 ギラヒムは忌々しげに舌打ちをした。

「フン。言われなくても分かっているよ。まずはこの小娘を魔王様に献上しなければ――」

 ――ざり、と重い足音が背後から聞こえた。アヤメとギラヒムは反射的に道を空け、その場に片膝をつく。見渡す限りの荒野だから道もなにもあったものではないのだが、『彼』の歩まんとするところが即ち道なのだ。いかなる理由があれ、そして誰であろうと、彼の歩みを妨げることは許されない。
 魔王ガノンドロフの脚が土を踏みにじりつつ二人の間を通り過ぎ、地に転がされたラナの前で立ち止まる。ちらりと持ち上げたアヤメの視界に、ガノンドロフの背後に控えるザントの独特な形をした靴が映った。『あちら側』のラナも、無事に捕らえることができたのだろう。あるいはうっかり加減を間違えて殺してしまったのかもしれないが、それはそれで問題ない。
 ともかくこれで、ようやく目標のひとつが達成された。完全なる復活を遂げた魔王はこれより、その比類なき力と意志をもってこのハイラルの大地を蹂躙する。世界の全てが彼の偉大さを思い知り、あらゆる存在が絶対的な支配者に恭順するのだ。滅びも繁栄も、彼の指先ひとつに委ねられた世界――それがもうすぐ、現実になる。
 ――ああ、ああ、なんて甘美で素敵な未来なのかしら! 膨れ上がる主の力を肌で感じて、アヤメはさらに深く頭を垂れる。見開いたその瞳は、隠しきれぬ高揚に潤んでいた。




 力のトライフォースを少女から奪い返したガノンドロフは、残った体は好きにしろと言い残して本陣へと帰陣した。……好きにしろ、と言われても。ガノンドロフの気配を完全に感じなくなってからようやく立ち上がったアヤメは、気を失ったラナの体を見下ろしてひとつ息を吐く。知らぬ間に体を強張らせていたらしく、肩を落とした瞬間に引きつるような痛みが走った。
 この娘の使い途は色々とある。貴重な情報源としても活用できるし、そのまま人質として捕らえておくのもいい。洗脳して敵陣に潜り込ませるのもありだ。あるいは障害とならぬよう、早々に処分してしまうのも手だろう。なんにせよ、まずは他の二人と相談しなければ。

「さて――」

 どうしましょうか、と声をかけようとしたところで、ザントが不意に腰を落とした。そしてそのまま腕をラナの体の下に差し込んだかと思うと、勢いをつけて華奢な体を抱え上げる。その拍子に「ぐっ」と苦しげな呻き声が耳に届いたのだが、ラナは気を失ったままだ。……とすると、今の声の主はザントか。
 ふらりと危なっかしげに体を傾がせたザントだったが、なんとか体勢を立て直してラナの体を抱え直す。手を貸そうか否か迷っていたアヤメは、ほっと安堵して中途半端な位置にあった手を後ろで組んだ。いくら細身であるとはいえ、自分よりもずっと上背のある男に転ばれてはさすがに支えきれない。

「どうするんですか、その子。ひょっとして、拷問にでもかけるおつもりで?」
「ふむ、それも悪くはないのだが」

 頭の回る彼のことだ。何かいい使い途を思いついたのだろうと真意を問うも、返ってきたのはどこか含みのある笑みだった。

「こういった手合いがいかに強情か、私はよく知っている。いたぶるだけ無駄であろうな」
「そりゃまあ、そうでしょうね」

 ザントの言うことも分からなくはない。強い信念を持つ者ほど、それを揺らがせるのは難しい。かくいうアヤメも、一向に口を割らない捕虜に対して痺れを切らし、情報を聞き出す前に始末してしまったことが何度かある。いずれも、この少女のように正義感や使命感に溢れる若者だった。

「じゃあ、一体どうしようって言うんです?」
「さて」
「もう。『さて』じゃなくてですね」

 アヤメは苛立ちも露にザントを睨みつけるが、彼はなおも意味深長な眼差しをこちらに向けている。言い当てるまで答えてくれるつもりはないらしい。
 と、斜に構えて成り行きを見守っていたギラヒムがにやりと口元を下卑た形に歪めた。

「フゥン。それじゃあつまるところ、個人的な『オタノシミ』ってことか。なんだい、君も隅に置けないね」
「お、オタノシ――!」

 仮にも乙女の前でなんということを言うのだ、この自称超絶美形は。表情を引きつらせたアヤメの前で、ザントが躊躇いもせず頷く。

「そのようなものだ」

 今度こそトドメを差されて、彼女はふらりとよろめいてザントから一歩距離を取った。……いいや、彼も男だ。そういう気分になる時もあるのだろう。女っ気のないこの軍でそれを発散するには、捕虜を使うのが一番手っ取り早い。それを責めるのはお門違いだとはアヤメも分かっている。だが。だがしかし、だ。
 ――よりにもよって、私の前でそんな話をしなくったっていいじゃない! アヤメは憤慨して、くるりと体を反転させた。
 彼らが自分を女として見ていないことは承知の上だ。アヤメ自身、それを誇らしくすら感じている。でもそれにしたって、最低限の礼儀はあるだろう。情けないやら恥ずかしいやらで、胸の奥からムカムカと怒りが込み上げてくる。それを素直に口にするのも癪で、アヤメはふんと嫌味ったらしげに鼻を鳴らした。

「あーら、そうですか。だったら邪魔しちゃ悪いですね。それじゃあ私は近辺の哨戒でもしてオシゴトに励んでますから、そちらはせいぜい楽しんで――」
「まあ、待て。アヤメ、お前にも是非来てほしい。無論、ギラヒムにもだ」
「……うん?」

 その場から立ち去ろうと足を浮かしかけたアヤメは、その不自然な体勢のまま硬直する。ぎこちなく顔を動かしてギラヒムの方を見やれば、彼もその黒瞳を見開いてぽかんとザントを見つめている。普段は決して欠かさない『美しい自分』を引き立てるための演出も、この時ばかりはすっかり忘れ去っている様子である。
 ゆっくりと振り返って、ザントに目を向ける。彼は真意の読み取りづらい造りの顔で、いつものように涼しげにこちらを見返している。その澄まし顔に微かな笑みが浮かんだことだけは、鈍い彼女でも辛うじて見て取れた。

「共に楽しもうではないか、同志よ」

 ――何をだ。何を楽しもうというのだ。アヤメはどういった感情を抱けばいいのか迷った挙げ句、傍らのギラヒムと顔を見合わせた。あからさまに寄せられたギラヒムの眉間から、彼が同じことを思っていることが容易に読み取れる。
 仲間に対する不審を隠そうともしない二人を他所に、ザントは喉の奥で静かに笑った。




 ひっくひっくとしゃくり上げる複数の音が湿っぽく反響する。加えて堪えきれずに喉の奥から絞り出される苦しげな呻き声やいかにも哀れっぽい嗚咽も混じり合い、さながら葬儀のごとき陰気なハーモニーが室内に満ちていた。
 滑稽にすら思えるほどの重苦しさの中、アヤメは頬に流れる涙の跡もそのままに大きく鼻をすする。

「あうぅ、ガノン様ぁ……! さぞやご無念であらせられましたでしょう!」

 彼女が敬愛してやまない主の名を呼んだのを皮切りに、忠臣二名の嘆く音量がやにわに上がる。どん、と力の限り床を拳で叩いたギラヒムが、食い縛った歯の間から悔しげな唸り声を漏らす。

「くそっ、ワタシがあの場に馳せ参じることができればこんなことには! だが、だが――散り際ですら、なんと雄々しく神々しい!」

 両手で顔を覆い、彼は大仰に感激しながら背筋を美しく反らして天を仰ぐ。そんなギラヒムとは対照的に、感極まった様子のザントは甲高い金切り声を上げながら地に激しく額を打ち付けていた。
 そんな惨状を眺めるラナの眼差しは、どこか虚ろに濁っていた。……敵陣営の主だった将が揃いも揃って悶絶しながらのたうち回っているのだ。現実逃避もしたくなる。
 彼女は勇者が黄昏の姫君と再会したのを見届けたところで、壁面に投影したその映像をふつりと途絶えさせた。

「あの、もう帰っていいかな……?」

 げんなりとした顔で呟くラナに、それまで顔を伏せていたアヤメが眉をぎっとつり上げて睨み付ける。

「まだよ! まだ通しで三回しか観せてくれてないじゃない!」
「もう三回もだよぉ……」
「泣きごと言わない! ほら、頑張ったら約束通り解放してあげるから!」

 大きなため息をついて肩を落としたラナに、アヤメは傍らに用意しておいた魔力瓶を押しつけた。ラナは受け取ったそれを見下ろし、もう一度深く息を吐き出す。

「……なんでこんなコトしてるんだろう、私」

 ――気を失ったラナを肩に担いだザントは、同胞二人を伴って荘厳な雰囲気の漂う一室――恐らく時の監視者が時代を見守る務めに使うのであろう――を訪れた。わざわざ神聖な部屋を穢そうとするとは、ザントもなかなか倒錯的な趣味を持っているものだ。そうアヤメが思ったのも束の間、ザントは魔力瓶をありったけラナに用いて彼女に意識を取り戻させたのだ。
 ……そうしてあれよあれよと言う間に始まったのが、この『魔王様の栄光よ永遠なれ上映会』である。
 何をトチ狂った催しを。初めは小馬鹿にしていたアヤメとギラヒムであったが、ラナがザントに言われるがまま映し出した異なる時代の魔王を一目見るなり、瞬く間に意見を翻した。

「ああ、それにしてもやっぱり若々しい時期のガノン様は素敵ね。あの荒削りで獰猛な雰囲気、粗暴さの中に光る絶対的な王としての重圧感! 貪欲な獣のようで、気高い鷹のようで――」
「確かにあのお姿も胸を衝くほどに素晴らしい。だけど思い出してごらんよ、我がマスターの完成されたあの雄姿を! 原点だからこその神聖さ! 強大さ! あの偉大なる御手に振るわれる無上の喜びといったら……ああ、今思い返しても身が打ち震えてしまうね!」
「神聖さといえば、あの黄昏を背に馬を駆るお姿であろう。あの堂々とした立ち居振舞い、勇者の前に悠然と立ち塞がるあの貫禄、全てを飲み込まんとする強固な信念――おお! さすがは我が神!」

 口々にガノンドロフを讃えながら、三人は溢れる忠誠心を体全体で表現する。奇嬌な儀式めいたその不気味な動きを直視するのが精神的に負担だったのだろう、ラナは目をそっとあらぬ場所に向けてアヤメに渡された魔力瓶の中身をあおる。そうして水晶に手を翳すと、もう一度最初から――原初の神々の時代から投影を始めた。その瞬間、今までの狂態が嘘のように三人はぴたりと静まり返って壁面を凝視し始める。どうやらラナもこの短時間で、個性的にすぎる彼らの御し方をすっかり心得たようだった。
 ――いつまで経っても戻ってこない三人の部下に痺れを切らしたガノンドロフがこの惨憺たる乱痴気騒ぎの現場に足を踏み入れるのは、もう少し先の出来事である。





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