短編 | ナノ

(2018バレンタインデー)

※スマブラ設定です。




 館のどこへ行っても甘ったるい匂いが追いかけてくる。鼻というより肺そのものにこびりつくそれに辟易としながら、ファルコは少しでも澄んだ空気を求めて別館のファイティングエリアに向かっていた。色事に最も関心の薄い男達が集うあそこなら、まだ女性ファイターの手は伸びていないかもしれない。
 ――だが、願いというのは多くの場合において儚いものと決まっている。別館へ続く渡り廊下に一人の女の姿を見つけたファルコは、重たいため息をつかずにはいられなかった。

「あ、ファルコさん。ちょうど良かった」

 そんな彼の心情など露知らず、壁に背をもたせかけていた女性――アヤメはファルコを見つけると、嬉しそうに微笑んで手招きをする。いっそ、ここで踵を返して逃げ出してしまおうか。そんな出来心で一瞬足に力を込めたファルコだったが、次の瞬間うっかり彼女の残念そうな顔を脳裏に思い描いてしまった。……たったそれだけのことで背を向けるのを躊躇うくらいなら、諦めて捕まってしまった方がマシである。彼はもう一度深くため息をつき、降参の意志を示すように片手を上げた。

「よお、アヤメ」

 佇む彼女のやわらかな微笑に歩み寄れば予想通り、朝からさんざん嗅いできた匂いがふわりと漂ってきた。館全体に覆い被さっているのと同じ、しつこいくらいに甘いチョコレートの匂いである。ファルコに彼女のような『人間』らしい表情筋があれば、反射的に眉を寄せていただろう。
 アヤメは手に持ったバスケットをまさぐると、中からファンシーなリボンで飾られた小さな包みを取り出す。いかにもピーチ辺りが好みそうな、少女趣味全開の色合いである。

「ファルコさん。これ、まだ誰にも貰ってませんか?」
「運がいいことにな」
「あら」

 ファルコはとりわけチョコレートが苦手というわけではない。気軽に感謝や好意を伝えられるイベントも、たまには悪くはないものだと理解はしている。だがそんなありがたい好意も、激しい自己主張と共に恩着せがましく鼻先に押し付けられれば、逆に嫌気が差してしまうというもの。だからこそ、こうして女性ファイターに見つからないよう逃げ回っていたのだ。

「それは悪いことしちゃいましたね」

 ひねくれた反応に込めた心情を、アヤメはほんの幾らかでも読み取ってくれたようだった。だが、だからと言って見逃してくれる気はないらしい。彼女は罪悪感の欠片も感じられない笑みを目元に乗せると、手に持った包みを彼の胸に押し付ける。

「でも、残念でした。はい、女子全員からのハッピーバレンタインです」
「チッ」

 舌打ちをしながらもファルコは素直にそれを受け取った。引き際は弁えている。いずれ数に圧されて捕まることを考えれば、ここでさっさと終わらせてしまった方が身のためだ。
 受け取った包みは、その大きさに反して意外にも軽かった。中に詰め込まれているのは恐らくカップケーキ辺りだろう。ファルコの眼差しに皮肉を混ぜた笑みがこぼれる。どうやらこれは、女性陣にとってはただの気安い挨拶状のようなものらしい。感謝だ好意だと重く考えていた自分が馬鹿のようだ。

「にしても、全員でひとつとはな。ガキどもが残念がったんじゃねえか?」

 羽先で摘まんだ包みをマジマジと眺めれば、アヤメは楽しそうに笑った。

「ふふ、そりゃあもう。でも全員が全員分用意したら、それこそ大変なことになっちゃいますから」
「……まごうことなき地獄だな」

 その光景を想像したファルコはぞっとして身震いする。前回の大乱闘中に遭遇したバレンタインデーもそれはそれは酷い惨状だったが、今回はさらにメンバーが増えている。その上ファンからの贈り物が届くことも考慮すれば、館がチョコレートの山に埋もれる未来は想像にかたくない。被害は匂いだけでは済まないだろう。……そうならなくて、心底助かった。発案者に感謝である。

「ええ、まあ、それはそれとして――」

 アヤメは不自然にも思える唐突さでそれまでの会話を切り落とすと、バスケットではなく腰につけたポーチに手を伸ばした。何をするつもりだろうか。怪訝に思っていると、彼女はいくらかまごつきながらそこから何かを取り出した。それがなんであるかを一目で察したファルコは、思わぬ展開に目を瞬かせる。
 紫がかった青い袋に、目にも鮮やかな赤いリボン。シンプルで落ち着いた色合いではあるが、それがバレンタインデーのチョコレートであることは明白だ。

「その。よかったら、こちらも」

 おずおずと差し出されたそれを流れで受け取ってしまった彼は、どう反応していいか分からずじっとアヤメを凝視する。彼女のほんのりと色づいた頬に、気恥ずかしげに伏せられた眼差しに、顔が熱を帯びるのが分かる。まさか、彼女が自分に――。

「じ、実はですね、お世話になった人に渡して回ってまして」
「あ――ああ、なんだ。そうか」

 ほっとしたような残念なような、いまいちスッキリとしない感情に目を細めて彼は貰い物を見下ろす。傾けてみれば、気品を漂わせるマットな質感の袋の中で、ころりと中身が転がった。なかなかの大粒だ。

「それで、ファルコさん。ひとつお願いなんですけど――」

 その言葉に不意を突かれて、ファルコは体にさっと緊張を走らせる。まさかこちらが受け取ったのをいいことに、三倍返し――いや、五倍返しを要求するつもりではなかろうか。人の好いアヤメに限ってそれは有り得ないと頭では理解しているのだが、過去の苦い経験がついつい脳裏に甦ってしまう。

「……あの、そんなに無理言うつもりないですから」

 警戒をしていたのが知らず知らず目つきに出てしまっていたらしい。アヤメはやわらかく苦笑してファルコの懸念を否定した。

「本当に簡単なことですから。その……私に貰ったこと、人には内緒にしてほしいんです」
「なんだそりゃ」

 あまりにささやかすぎるお願いに、ファルコは思わず脱力する。
 最初から言い触らすつもりなどさらさらない。だがそんなファルコでも、誰かに出所を訊ねられればアヤメの名を口にすることはあるだろう。そんなささやかな情報の流出ですら、彼女にとっては不都合であるらしい。わざわざ口止めするからには、それなりの理由があるのだろうが――。

「だって、その、渡してない人に申し訳なくて」

 ……大して深い理由でもなかった。ほんのりと頬を染めて照れ臭そうに笑うアヤメに呆れて、軽く鼻を鳴らす。

「だったら最初から用意しなきゃいいじゃねえか」
「そ、そういう訳にもいかないんです」
「……ほーう」

 先程までの煮え切らない態度とは打って変わって、アヤメはきっぱりと首を横に振る。詳しい事情は今もって不明なままだが、それを問いただすことは躊躇われた。
 お世話になった人に、と彼女は言った。だがファルコには、自身が特別扱いされるほど彼女と深く接した覚えはない。自分よりもそれにふさわしい男はこの館にわんさかいる。だからきっと、これを貰った男も同じくらいわんさかいるのだろうと思うわけであって。
 ……釈然としない。心の奥に何やらもやもやと燻るものを感じる。ファルコはそれから目を背けるように、居心地悪げにしているアヤメからふいと視線をそらした。

「ま、くれるっつーんならありがたく貰っとくか」
「ホントですか? ……よかった」

 ほっと安堵したような、どこか嬉しそうな、暖かくゆるんだ声が返ってくる。――そんな調子だから勘違いされるんだ。そう毒づく内心を悟られまいと「サンキューな」とひらひらと片手を振ったファルコは、そのまま彼女の顔に目を向けることなく、元々の目的地であったファイティングエリアへと足を向けた。
 背に触れるアヤメの視線は、ファルコが廊下を抜けてその先の角を曲がるまで離れることはなかった。




 人影こそ見えないが、ファイティングエリアには確かに人気があった。恐らく自分と同じく甘い匂いから逃げてきた男達が、気晴らしに乱闘にでも勤しんでいるのだろう。そして同じように、通路で待ち受けていたアヤメの奇襲に遭ったのだ。
 その内の誰が、アヤメからの個人的な贈り物を受け取ったのだろうか。……いいや、考えるまでもない。彼女が最も世話になっている相手といえば――。

「お、ファルコじゃないか」

 不意に背後から呼び掛けてきたのは馴染みのある声だった。今だけは聞きたくなかったその声に舌打ちをしたファルコは、立ち止まって顔だけ振り返る。
 乱闘ルームからちょうど出てきたらしいフォックスは、友人に不機嫌な眼差しを向けられたのが不可解だったのか、戸惑いがちに口を開いた。と、その視線がふとファルコの手にした可愛らしい荷物に向く。明るい緑の瞳が二度瞬き、次いでにんまりと口の端がつり上がる。

「ははぁ……さては、お前も渡り廊下で捕まったな?」
「うっせ」
「これはアヤメの戦略勝ちだな」

 フォックスはふふんと鼻を鳴らして誇らしげに胸を反らす。……なんでこいつが得意気にしているんだ。苛立つのも馬鹿らしくなって、ファルコは嘴から大きなため息をこぼす。片手に纏めた袋がこすれ合い、かさりと乾いた音で囁いた。

「ん? そっちの青いのは誰からだ?」

 ファルコの持つもうひとつの袋を目敏く――あるいは耳敏く発見したフォックスが、それを指差して何気なく問いを投げる。

「ああ、こいつもアヤメが――やっべ」

 ファルコは言葉を途中で切って目元を歪める。本人に口止めされていたのをすっかり忘れていた。……それもこれも、初手でこちらの気を抜けさせたフォックスが悪い。ファルコがぎろりと彼を睨めば、目を狐のように細めた(実際に狐なのだが)にまにまとした笑みが返ってきた。

「へえ、アヤメから貰ったのか。それも個人的に」

 何やら意味ありげな台詞だが、まったく要領を得ない話しぶりである。ファルコは舌打ちをし、自分が苛々しているのが相手に伝わるようにゆっくりと腕を組む。

「ったく、ニヤニヤしやがって。どうせてめえだって貰ってんだろうが」
「俺が? アヤメから?」
「とぼけんなよ。てめえが一番、あいつを世話してやってんじゃねえか」
「……ああ、なるほど」

 きょとんと心底不思議そうに目を丸くしていたフォックスが、何に合点がいったのかひとつ大きく頷いた。何が『なるほど』なのかさっぱり分からないが、とにかくフォックスの訳知り顔が異様に腹立たしい。いっそこの場でスマッシュを決めてしまおうか。

「いいこと教えてやろうか、ファルコ――」

 フォックスは口の脇に手を添えて声を潜める。ファルコはその行動にわざとらしさを感じて目をすがめたが、素直に耳をそちらに近づけた。フォックスは時折こうして仲間をからかうことこそあれど、決して意地の悪い男ではない。むしろこちらが心配になるほど誠実な性格だ。その馬鹿正直な生真面目さがあったからこそ、ファルコは彼を信頼したのだ。
 ――だから、それはきっと嘘などではなかった。

「俺、アヤメにはこっちのピンクの袋しか貰わなかったんだ」

 ほんの一瞬の思考停止の後、ファルコは嘴をぐっと強く閉じた。
 彼の言葉と自分の信頼が確かなら、フォックスはアヤメから個人的なチョコレートを受け取っていない。誰よりもそれにふさわしいにも関わらず、だ。つまり、彼女が渡してきたこれは『お世話になった人』に宛てたものではなく――。
 アヤメが不可解な場面で赤面した理由、会話の途中で感じた彼女の焦り、渡された贈り物の意味。全てを理解したファルコの目つきがやにわに険しくなる。ぎり、と歯軋りにも似た音が擦れた嘴の間からこぼれた。

「そういうことかよ、あの野郎……」

 ファルコは自分の瞳を縁取る羽毛と同じ色のリボンをほどき、中に転がる大粒のトリュフを口に放り込んだ。しっとりと落ち着いた甘さの中に、ほのかな苦味が隠れている。アヤメはファルコの好みを知らない。知らないなりに頭を巡らせ、試行錯誤したのだろう。にじむ努力の跡を認めて、彼は目を細めた。
 ――オレにこんな思いをさせたんだ。絶対に、五倍返しどころじゃ済まない目に遭わせてやる。「ほどほどにしておけよ」と苦笑混じりにフォックスが発した言葉は、ファルコの固まった決意にこつんと軽くぶつかっただけで、欠片も響きはしなかった。





[戻る]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -