短編 | ナノ


 耳をきんと刺す冷たい空気から逃れるように、アヤメはふんわりとやわらかな羽毛のつまった掛け布の下に潜り込む。夜が白んできたのにつれて部屋の中も大分明るくなってきてはいるが、まだ太陽は顔を出していない。おまけに、今日は仕事場に向かう必要もない。……つまり、まだ起きなくてもよいということだ。アヤメは深く息をつくと、再びまどろみの淵に身を投げようと瞼を閉ざした。
 だが、そこで不意に隣で衣擦れの音がしたかと思うと、掛け布の中に冷気が忍び込んできた。アヤメは思わず身震いし、厚い布を自分に巻き付けるようにかき寄せる。顔の下半分まできつく覆ってしまうと、不満げに眉を寄せて相手に瞳を向けた。

「寒いじゃないですか、ガノンさん。まだ朝じゃないんですから、起きないでください」

 上半身を起こしたガノンドロフは、その筋肉のたくましく張り詰めた褐色の素肌を寒気にさらしながら、じろりとアヤメを見下ろした。その眼差しには呆れの色がまざまざと表れている。

「貴様はこれほど明るくともまだ夜だと言い張るのか」
「太陽が昇らない内は夜です」

 コッコもまだ眠っているのだから、人が活動しなければならない謂われなどない。そう主張すれば、あからさまなため息が上から降ってきた。

「朝告げ鳥の鳴き声でようやく起き出すのは寝坊助だけだ」

 その言葉に、アヤメはむっとガノンドロフを睨み付ける。

「お休みの日にまでいつも通りに起きようとするのはガノンさんくらいです」

 仕事のある日であれば、さすがのアヤメもここまで物臭になったりはしない。まだ暗い内から寝台から這い出て寝ぼけながらも身支度をし、なんとか頭をしゃんとさせて日が昇る前にハイラル城に登城しているのだ。
 つまり、彼女はガノンドロフよりもずっと早くに活動しているのである。たまの休みの朝くらい、ゆるりと過ごしても許されるだろう。

「それに、こんなに寒いんですよ。こんな中で起きるなんて、それこそ愚の骨頂です」

 アヤメはぎゅっと掛け布を握り込み、わざとらしくぶるりと震えてみせる。ここまで厳重に体を覆っていても、まだ耳が摘ままれるように冷たい。もういっそのこと、頭の先までくるまって簑虫になってしまえればどんなに心地いいか。アヤメは厚い布の中でこもった長い息をつきながら、素直な思いを口にする。

「今日一日でいいので冬眠してたいです」
「貴様は休日になる度にそれだな」
「いいじゃないですか。普段頑張ってるご褒美です」

 ふん、とガノンドロフは彼女の言葉を鼻で笑った。――褒美が必要なほどの働きなどしておらぬであろう。その短い息遣いと小馬鹿にしたような目元の歪みが、そんな言葉をありありと伝えてくる。アヤメは布の内側でむっと唇を尖らせた。人には適度な休息が必要なのだ。無尽蔵の体力を持つ自分と同じように考えないでほしい。
 ……いっそ、彼もこちら側に引き込んでしまおうか。ふとアヤメの脳裏にそんな悪魔じみた考えがよぎった。それは非常に素晴らしい思いつきに感じた。冬の寒い朝にだらける心地よさを一度知ってしまえば、いくらガノンドロフでも二度と抜け出せまい。きっとアヤメのだらけ癖についてとやかく口を出すこともなくなるはずだ。
 彼女は布の隙間から手を伸ばし、ガノンドロフの黒い腕に自分のしなやかなそれを絡み付かせた。冷たい空気の中で、彼の肌が一層熱く感じる。口元をゆるりと微笑ませた彼女は、自分にできる精一杯の蠱惑的な目つきで彼の黄金の瞳を掬い上げるように見つめた。

「ガノンさんも、今日くらいは一緒に堕落しません?」

 すると興味が向いたのか、ガノンドロフがその瞳をすっと細める。――かかった! アヤメが目を輝かせた直後、だが彼はそんな彼女を見るや否やにやりとその唇を歪ませた。

「悪魔の囁きにしては随分と稚拙な誘いだな。その程度の言葉でこのオレ様を引きずり落とせるなどと思わぬことだ」

 彼はアヤメの腕をすげなく振り払った。せっかくの何もない朝なのだから、もう少し遊んでくれてもいいものを。彼女はふんと鼻を鳴らすと、冷たくなった腕を引っ込める。

「つれないですね」

 顎まで布の中に引っ込んで腕をさする彼女を見下ろし、ガノンドロフは短く笑って寝台を降りた。完全なる交渉の決裂である。広い寝台に取り残された形のアヤメは、布にくるまったまま不満げに呻くと広いシーツの海をごろりと転がる。後で自分で整えなければならないのは分かっているが、それを鑑みても寒さと気だるさが面倒に勝る。せめて暖炉に炎を入れて身に染み入るような寒さがゆるむまではこうしていたいものだ。
 寝台から立ったガノンドロフは上裸のまま――これがアヤメを毎度ぎょっとさせる――窓辺へとゆったりとした足取りで歩み寄った。厚いカーテンを引けば、結露の白に縁取られた青灰色の空が彼女の目に優しく映った。城に勤めている予見者によれば、今日は昼中どよりとした曇り空が続くらしい。なんとも気の滅入る一日になりそうだ。
 ガノンドロフは、だがそれの何に気を引かれたのか、興味深げに顎を撫でた。

「ほう、道理でこの時間にしては明るいわけだ」

 もぞもぞと寝台の上で蠢いていたアヤメは、その言葉を聞いて奇妙な芋虫のような動きをぴたりと止めた。――冬の朝。異様な寒さ。そして『明るい』。ばさりと布を剥ぎ取った彼女は、瞳を輝かせて寝台を降りる。

「もしかして雪ですか?」

 裸足の指先に貼りつく痛みにも似た冷たさに全く頓着する様子もなく、アヤメはひたひたとガノンドロフの隣に駆け寄った。背伸びをして高い位置にある窓を覗くも、硝子の曇りが邪魔で上手く外が見えない。ガノンドロフの生活圏で過ごしていると、ふとした瞬間にまるで子供に返ってしまったような感覚を覚える。
 袖口が濡れるのも構わずに窓を拭うと、城下町の屋根屋根や街路樹がふんわりとまるく覆われているのが目に入った。真っ白なはずの雪は、夜明け前の薄青を纏ってしんとした静けさに沈んでいる。きっと日が昇れば、世界は一転して薔薇色に染め尽くされることだろう。
 町をすっぽりと包み込んでしまっている雪を夢中になって眺めていたアヤメの頭上にふと、長々としたため息が落ちてきた。

「貴様、堕落はどうした」
「雪とあらば見ないわけにはいきませんから」
「年端もいかぬ小娘か、貴様は」
「小娘上等。季節の移ろいを楽しめなくなるくらいなら、子供のままで結構です」

 アヤメが微笑ませた眼差しを持ち上げれば、呆れ果てて物も言えない様子の金眼と目が合った。彼は眉を寄せると、その大きな掌で彼女の頭を無造作にわし掴む。頭蓋から脳に直接伝わってくるくすぐったさに、彼女は肩をぶるりと震わせる。いくら掴みやすい位置にあるからと言って、立派なレディを子供のように扱うのはやめてほしい。今しがた子供のままでいいと言った手前、何も言い返すつもりはないが。
 だがそんなアヤメの不満は手のひらを通して彼へと伝わってしまったらしい。頭部に張りついた指にじわりじわりと力がこもっていく。このままでは本気で握り潰されかねない。ぞくりと背筋を走る恐怖と焦りを感じたアヤメは、慌てて彼の手を頭から引き剥がした。その勢いで、ただでさえ寝起きで乱れていた髪がぐしゃりとかき混ぜられる。
 本当に、こちらに嫌がらせをすることにかけては天下一品な男だ。ため息をついたアヤメが不格好になった髪を手櫛で直していると、ふんと鼻で笑うのが聞こえてきた。今度はなんだと顔を上げて睨み付ければ、ガノンドロフは底意地の悪い笑みをその瞳に浮かべてこちらを見下ろしている。

「なんですか、その目は」
「いいや。確かに貴様は子供だと思ってな」

 ガノンドロフは腕を持ち上げると、アヤメの首筋に軽く触れた。薄い皮膚に固い指先の熱を感じて、彼女はかすかな身震いをする。たやすく反応を返すアヤメに喉の奥を鳴らして低く笑った彼は、腰を落として片膝をついた。普段滅多なことでは間近に見ることのない重く鋭い金瞳の輝きが、見えない鎖となって手足の自由を絡め取る。

「が、ガノンさん――」

 名を呼んで無言の眼差しで行動の真意を問いかければ、ガノンドロフは無造作にアヤメの髪の中へと手を滑らせる。そして何を思ったかぐしゃりとその髪を無造作に掴むと、思いきり片側に引っ張った。痛みを覚えて顔をしかめたアヤメの首元に顔を寄せた彼は、その歯で先程触れた白い肌をやわくついばむ。
 一歩間違えば食いちぎられてしまいそうな恐怖を覚えて表情を引きつらせたアヤメだったが、直後に感じたぬめりとした熱さに声にならない悲鳴を上げて体を硬直させる。

「この程度で言葉を失うなど、大人とはとても呼べぬ」

 耳の下で低く囁いた嘲笑を含んだ声を、アヤメは下唇の内側を咄嗟に噛んで震えを堪えた。
 骨張った指がその力を抜くと、その隙間をアヤメの髪がさらりと滑り落ちる。その感触が思いのほか快かったのか、彼は再びその髪を指に絡めて弄びだした。先程の乱暴な仕草とは打って変わって優しい手つきだが、じんじんと痛みと熱を訴える頭皮にはそれでさえ辛い刺激である。
 肩口に顔を埋めていたガノンドロフの頭がゆっくりと持ち上がった。アヤメの視界に映ったほの暗く輝く瞳がわずかに細められる。その吸い込まれそうな闇色の瞳孔が、獲物を前にした猛獣のように音もなく拡がった。

「貴様が子供だと言うのなら、『この先』は必要ないな?」

 静かに揶揄するその問いに、アヤメはぐっと言葉を詰まらせる。ねぶるように押しつけられた熱が引き金となってくれたお陰で、寒さが気にならなくなるほど体が熱い。この指先まで侵している火照りは、たかが雪の冷たさ程度では到底鎮めることもできないだろう。――本当に、意地の悪い。アヤメは悔し紛れにガノンドロフを睨みつける。

「もう大人です!」

 腕を伸ばして彼の裸の耳に両手を触れた彼女は、身を引こうとする彼を追いかけて噛みつくように口づけた。





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