短編 | ナノ


 ――この世界に来て、始めての勝利だ。カムイはリザルト空間を抜けると、乱闘の興奮も冷めやらぬままにチームメイトとして共に戦ったプリンへ満面の笑顔を向ける。
 元の世界とは異なる戦い方にも徐々に慣れてきた。ステージごとのギミックや、地面に叩きつけたはずなのに遥か上空に吹っ飛んでいくファイターの姿に驚くことももうほとんどない。この調子でいけば、単独勝利も遠くはないだろう。

「僕らの勝ちだよ。やったね、プリン!」
「プリ!」

 カムイが膝をついて手をかざすと、弾みをつけて飛び跳ねたプリンが丸い手でぽすんとハイタッチを返してきた。乱闘で見せた切れ味鋭いビンタとは真逆のやわらかい感触に、カムイは思わず笑みをこぼす。この世界に来た初めの頃は、こんな小さくか弱げな生き物がまともに戦えるのかと心配に思っていたものだ。
 ふん、と背後で鼻を鳴らす音がした。どきりとして振り返ると、不機嫌そうに唇をとがらせてこちらを見下ろすアヤメと目が合った。彼女とタッグを組んでいたロゼッタは、困った子供を見るような眼差しをアヤメに向けている。
 ――怒らせてしまった。カムイは慌てて立ち上がる。リザルト空間の出口でしゃがんでいたのが邪魔だったのだろうか。いや、敗者の鼻先で勝利を素直に喜んでいるのが目障りだったのかもしれない。瞬時に様々に思いを巡らせたが、まずは謝罪をするのが先決だ。カムイは謝ろうと口を開きかけたが、アヤメはつんとそっぽを向いてそれを拒絶した。

「謝らなくてもいいわ。プリンと戯れてるのが羨ましいなんてこと、微塵も思ってないし」
「……う、うん?」

 きょとんとカムイは首をかしげた。この流れでどうしてプリンが出てくるのだろう。しかも羨ましいかどうかなど訊いてもいないのだが。
 ……ひょっとして。カムイは隣にやって来たプリンを見下ろす。大きな瞳をぱちくりと瞬かせるプリンに「ちょっとごめんね」と一言断ると、彼は両腕を彼女の脇の下にそっと差し入れて持ち上げた。さすがはふうせんポケモンといったところで、重さはほとんど感じない。そのまま彼女を抱え上げて、アヤメの前に差し出してみる。

「はい、アヤメ」
「だ……っ、だから、微塵も思ってないって言ってるでしょ!」

 アヤメは顔を真っ赤にして声を荒げた。だが、ちらちらとプリンに向けては緩みかける眼差しが彼女の本心を如実に表している。変な意地を張らず、素直に受け取ってしまえば楽になれるというのに。ずい、とカムイは彼女の顔にプリンを近づける。アヤメはその誘惑から逃れようと一歩後ずさると、唇を引き結んで眉を寄せた。込み上げる何かを懸命に堪えているらしい。
 大きく揺れる彼女の心にとどめを差すかのように、プリンが片手を上げてアヤメに挨拶をした。

「プリ!」
「……ま、まあその、あなたがそこまでプリンを手放したいって言うのなら、私が可愛がってあげなくもないけど」

 落ちた。それはもう呆気なく落ちた。敵砦を落としたのにも似た達成感を覚えつつプリンを手渡せば、先程まで険しかったアヤメの表情がふにゃりと溶けた。言葉こそなかったが、喜んでいるのは明白だ。
 アヤメはふやけた顔をしながらプリンのやわらかな体を堪能している。なんとも言えず幸せそうである。

「その、アヤメ」
「何よ」

 声をかけると、邪魔をするなと言わんばかりにじろりと睨まれた。だがプリンにめり込むように頬を押しつけながらでは全く威圧感がない。それがなんだかおかしく感じて、カムイは笑みを目尻に浮かべながら、プリンと彼女を見比べる。

「可愛いもの、好きなのかい?」

 ――それは何気ない話題提供のはずだった。深い意味や意図など欠片もないし、『はい』か『いいえ』で答えられる単純な質問である。それ以上でもそれ以下でもない。だがその質問の何が気に障ったのか、アヤメは眉を跳ね上げて烈火のごとく怒りだした。

「べっ――別に好きじゃないわよ! 隙あらばピカチュウやフォックスをもふもふしたいなんて、そんな失礼なこと私が考えてるとでも言うの?」
「ご、ごめん! そういうつもりじゃ――」

 言っていない。自分はただ可愛いものが好きかどうか訊いただけで、ピカチュウやフォックスに会った時の彼女が何を考えているかなどとは一言も口にしていない。訳が分からないながらも反射的に謝ったカムイを、アヤメはむすっと眉を寄せながらむくれたように見つめている。その顔は、怒りのためかやや赤らんでいる。
 気まずい沈黙にカムイは冷や汗が背中に伝うのを感じる。と、アヤメが軽く鼻を鳴らしてくるりと彼に背を向けた。

「ふん、分かればいいのよ」

 彼女はそのままカムイやロゼッタに挨拶もしようとせず、不機嫌な大股で乱闘ルームを出ていってしまった。……その両腕に、いかにも大事そうにプリンを抱えたまま。
 ぽかんと口を開けたままそれを見送ったカムイの顔を、ロゼッタが穏やかな苦笑を浮かべながら覗き込む。

「こういう子なのです。許してあげてくださいね」
「許してあげて、なの」

 ロゼッタの言葉を無邪気に繰り返したチコが、ママの真似をしてカムイの顔を覗き込む。微笑ましい母子の様子に、彼は思わずくすくすと笑い声をこぼした。
 許すも何も、カムイは最初から怒ってなどいない。ただ少し、彼女の言動のちぐはぐさに驚いてしまっただけである。あれだけ本音をだだ漏れにしておいて、まさか本人に全く気づいた様子がないとは恐れ入る。

「いい子なんですね、彼女」

 ひとしきり笑ってからそう言えば、ロゼッタは同意するようにゆったりと頷く。その口元には、すべてを包み込むやわらかな母の微笑みが浮かんでいた。




 裸足でひたひたと冷たい廊下を歩く。この世界に来たばかりの頃、そんな姿を見咎めたピーチに靴を履かないのかと訊ねられたことがある。小さな頃からずっとこうだったから裸足の方が楽なのだと答えたら、境遇を根掘り葉掘り訊かれた挙げ句、気の毒そうな顔で大量の焼き菓子を手渡された。カムイの身の上話は徐々に館に浸透してきているらしく、菓子やら食べ物やらを黙って押し付けられるのは彼にとってさほど珍しいことではない。
 ――そろそろ靴を履いた方がいいだろうか。腕に抱えた飴玉のぎゅうぎゅうに詰まったビンを見下ろしながら、カムイはため息をつく。同情を買うのは不本意だが、かと言って窮屈な靴に足を詰め込むのもあまり気が進まない。
 そんなことを考えていると、ふとカムイの長い耳が何者かの声を捉えた。

「どうして、私ったらいつもこうなのかしら」

 どこか覇気のないその声に顔を上げたカムイは、足を止めて周囲に視線を飛ばす。だが不思議なことに、廊下には人っ子一人見当たらない。もしかすると外だろうか。窓越しに中庭へと目をやると、そこには石壁に背をもたせかけたアヤメの姿があった。
 軽く目を伏せた彼女の表情に、カムイは驚いて目を瞬かせた。何かにつけてきゃんきゃんと口やかましく怒っているものだから、こうやって物思いに沈んでいる姿を見ると少し不思議な感覚がする。
 ――アヤメがあんな気弱な顔をするなんて、よほどのことがあったに違いない。声をかけるべきかどうか少々迷ったが、こうして悩んでいる様子を見てしまっては居ても立ってもいられない。まずは話を聞いて、何か力になれることがないか考えてみよう。

「アヤメ」
「ひっ――! な、何よ、カムイじゃない。驚かせないでくれる?」

 隣の窓を開けて顔を出すと、アヤメはびくりと肩を跳ね上げさせた。かと思うと、いつも通りのつんとした強気な表情に戻ってカムイを睨みつける。驚いた顔を見られたのがよほど恥ずかしかったのだろう。その頬にはわずかに朱が差している。
 カムイは眉根を下げて苦笑しつつ、窓枠を越えてひらりと中庭に降りる。やわらかい緑の絨毯が優しくカムイの足をくすぐった。

「驚かせてごめん。アヤメが何か悩んでるみたいだから、気になったんだ」
「悩んでる、ですって?」

 不服を全面に表すように、アヤメの眉が寄せられる。反射的に身構えたカムイだったが、予想に反して怒鳴り声が飛んでくることはなかった。こちらを物言いたげな眼差しでじっと見据えていた彼女は、短くため息をつくと腕を組んだ。唇を尖らせた様子は、どことなく拗ねている風に見えなくもない。

「私に悩みなんてあるわけないわ。みんなと仲良くしたいのに、ちっとも素直になれない自分の性格なんか全然気にしてないんだから」

 ――なんだ、そんなことか。カムイは肩の力を抜くと、ふっと表情を緩めた。

「別に気にしなくてもいいんじゃないかな」
「だ、だから気にしてないって言ってるじゃない! あんたの耳は節穴なの?」

 アヤメはさっと顔に血の気を上らせると、強く拳を握る。素直になれないと言っているが、一周回ってこれ以上なく素直であることに彼女が気づくのはいつのことになるだろう。カムイはくすくすと笑いながら、手に持ったビンの蓋をひねる。

「そういうところがアヤメの魅力なんだと思うよ。君の気持ちはちゃんと伝わってるから、心配しなくても大丈夫」

 そう言って、カムイは開いたビンの口をアヤメに向けた。彼女は毒気を抜かれたように口を半開きにしたまま、カラフルな飴玉の詰め込まれたビンとカムイの顔を交互に見つめる。カムイが促すようにビンを軽く振ってみせると、彼女はようやく彼の意図を理解したようだった。
 むっと唇を引き結んだアヤメは、真剣な目つきでビンの中を吟味し始めた。カムイが見守る中、しなやかな指は赤い飴玉へと吸い寄せられていく。が、直前で思い止まったように指をさ迷わせると、彼女は青い飴玉をその指先に摘まんだ。……後で、わざと赤い飴玉だけを残してもう一度彼女に話しかけてみることにしよう。反応が楽しみだ。

「その――あ、ありがと」
「どういたしまして」

 意地を張っているつもりなのかむくれた顔をして礼を言うアヤメに、カムイは笑顔で頷く。自分も甘いものが欲しくなって、黄色い飴玉を摘まんで口の中に押し込む。砂糖漬けにしたレモンのような、ふわりとした酸味が口の中に転がった。

「お、お礼を言ったからって勘違いしないでよね!」

 飴玉を味わいながらビンの蓋を閉めていると、唐突にアヤメが刺々しい言葉をぶつけてきた。今度は一体全体どうしたというのだろう。首をかしげた彼に、彼女は人差し指をまっすぐに突きつける。

「別にあなたの優しいとこに惚れちゃったりなんてしてないんだから! いくら顔が可愛いからって、ちょっと笑っただけで私をドキドキさせられるなんて思ったら大間違いよ!」

 彼女は耳まで顔を真っ赤に染めたまま飴玉を口に放り込むと、怒った様子で中庭を出ていってしまった。その様子を呆然と見送ったカムイは、完全に彼女の気配が感じられなくなってから、ゆっくりとぶつけられた言葉を噛み砕き始める。舌の上で反芻し、否定の言葉を肯定に置き換えて――そこでようやく彼女に何を言われたのかを理解した。
 ――いや、でも、まさか、本当に? 考えれば考えるほどドツボにはまっていき、みるみる顔が火照っていく。今の自分の顔は、恐らく去り際のアヤメと同じくらい赤くなっているに違いない。

「い、今のはどう取ればいいんだろう……」

 穏やかな日差しに包まれた中庭のどこかで、小鳥がピィと高く鳴く。ひょっとしたらこちらの呟いた言葉に答えてくれたのかもしれないが、残念ながらカムイは鳥の言葉を理解することはできなかった。





[戻る]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -