短編 | ナノ

 長大で見るに重たげなランスが、鋭い音を立てて空を斬り裂く。アヤメはランスの重量に振り回されることなく二撃、三撃と仮想敵に叩き込むと、最後にゆっくりと槍を下ろした。動きを止めた途端にかっと体温が上昇し、滝のような汗が額を流れ落ちる。
 ――今日はこの辺りにしておくか。息を弾ませながら自分の体力の消耗具合を確認したアヤメはそう判断し、ランスを地に突き立てると頭部を覆う兜を脱いだ。顔に触れる新鮮な空気が心地よい。彼女は大きく息を吸って、肺にこもった熱を追い出した。

「Hey、アヤメ! 今日もトレーニングか?」

 上空から聞こえてきた陽気な声にアヤメが顔を上げると、青い球体が高速回転しながら降ってくるのが目に映った。一瞬体が強張ったが、それが何者であるかにすぐさま思い至ったアヤメはランスに伸びかけた己の手を辛うじて止める。
 地面に着地したその球体は、回転をぴたりと止めて本来の青い針ネズミの姿を露にした。――世界最速の針ネズミと謳われる、ソニックという少年だ。
 一体どこから落ちてきたのだろうと上を見上げてみると、アヤメ達ファイターの住居である巨大な館が目に入った。どうやらいつものように走りを楽しんでいる最中に館の屋根に登ったところ、たまたま庭でアヤメがランスの素振りに勤しんでいる姿を見つけて飛び降りてきたようだ。
 アヤメは兜を小脇に抱えてソニックに顔を向ける。

「今ちょうど終わったところだ、ソニック。それでどうした。私に何か用か?」
「いや、用ってほどでもないんだけどな」

 ソニックの言葉に彼女は目を瞬かせた。用もないのに屋根から飛び降りてまで声をかけてくるとは、妙な少年だ。よほど暇を持て余していたのだろうか。内心首を捻るも、考えても栓なきことだ。彼の意図はともかく、何も用事がないのならばこれ以上話をする必要もないだろう。

「そうか。ならば、私は槍の手入れをせねばならないので、これにて失礼する」

 軽く会釈をしたアヤメは地面に突き立ったままのランスを引き抜くと、全身を覆う鎧をがちゃがちゃと鳴らしながら踵を返した。そのまま立ち去ろうとする彼女だったが、そこをソニックが慌てた様子で回り込んできた。

「Wait, wait, wait! ちょっと待てよアヤメ、せっかくだから何か話でもしようぜ?」

 ――これはどうしたものか。進路を塞がれて立ち止まったアヤメは、口を薄く開いてわずかに息を吸うと、そのままソニックの瞳を見つめて数秒間逡巡する。
 乱闘中は溌剌と輝いてこちらを煽ってくる明るい色の瞳が、今は好奇心と期待に満ちて楽しげにこちらを見上げている。……こうした興味を向けられるのはあまり得意ではない。そのまっすぐな眼差しから逃げるように、ふいと彼女は目をそらす。

「すまないが、私はお前を楽しませるような話題は持ち合わせていない。世間話なら他を当たることだ」
「ふーん……?」

 半目になって胡乱げにこちらを伺ってくるソニックの脇を通って、アヤメは武具の手入れ道具がしまってある倉庫へと歩みを進める。……これでいい。ふっと彼女が肩の力を抜いたその瞬間、狙い済ましたかのように「じゃあさ」と真横からソニックの声が聞こえてきた。動揺を示すように、歩行音に混じってプレートアーマーが不規則な音を鳴らす。
 息が止まるような思いで隣を見やると、ソニックが頭の後ろで指を組みながらこちらを見上げていた。

「あんたは俺が話すのを聞いてりゃいい。それこそ、槍の手入れでもしながらさ」

 そう言って、彼は陽気に片目をつむってみせた。ソニックの意外な食い下がり具合に閉口しながらも、アヤメはそれを表情に出すことはなかった。――こちらからの話題提供を求めないという条件であれば、恐らく問題なくやり過ごせるはずだ。そう判断した彼女は、普段と変わらぬ真面目くさった表情のまま頷く。

「分かった、聞こう」

 アヤメの答えを聞いたソニックは、にかりと明るい太陽のような笑みを浮かべた。




 結論から言うと、ランスの手入れは断念せざるを得なかった。
 これまでに体験してきた奇想天外な冒険の数々、日常の他愛ない事件、旅の最中に出会った奇妙な人々――ソニックはそれらを、身振り手振りを交えつつ面白おかしく話してくれた。時折不意打ちでジョークが飛んでくるので、長話に飽きることもない。そんな彼の巧みで魅力的な話し方に引き込まれ、ふと気づくと作業する手が止まってしまっているのだ。
 何事も中途半端に済ますよりは、いっそ片方を諦めてしまった方がいい。そう判断したアヤメによって、ランスは手入れされぬまま脇に立て掛けられることになったのだった。

「でさ! エミーの奴、俺の言ってることをちっとも聞きやしないんだ」

 ソニックは拗ねた様子で唇を尖らせる。

「そりゃあ、誕生日パーティをすっぽかした俺も悪いぜ。でもエッグマンの野望を潰さなきゃ、その誕生日がエッグマン帝国の建国記念日になってたかもしれないんだ。仕方ないと思うだろ?」
「そうだな」
「さっすがアヤメ! 話が分かるな」

 アヤメが相槌を打つと、ソニックは嬉しそうに腕を組んで頷いてみせる。その楽しげな表情にふと後ろめたさを感じて、アヤメは再び口を開いて喋りだそうとした彼を見下ろす。

「ところでソニック」
「その後がまた散々でさ――ん、なんだ?」

 話を遮られたソニックは、だが機嫌を悪くした様子もなくこちらを見上げてきた。アヤメはまっすぐに見つめてくるその瞳に少しばかりたじろぎながらも、目をそらすことなく問いを投げかける。

「私は相槌しか打っていないのだが、それでお前は本当に楽しいのか?」

 先程から喋っているのはソニックばかりだ。アヤメは頷いたり同意を求められた時に雑な返答をするぐらいで、ただひたすらに彼の話を聞くことしかしていない。条件を出したのは確かにソニックの方ではあるが、本当にそれでよかったのだろうか。
 そんなアヤメの疑念を吹き飛ばすように、ソニックはからからと明るく笑った。

「なーに言ってんだ、当然だろ。俺の話に口を挟まないで聞いてくれる奴なんて、アヤメくらいだからな」

 ……そう言ってくれるのはありがたいが、なんだか釈然としない。アヤメは眉を軽く寄せてソニックを見返す。ソニックはそんなアヤメの表情に、困ったように後頭部の針の中に片手を突っ込んでぽりぽりとかく。

「うーん……そこまで気になるんだったら、今度はアヤメのことを聞かせてくれよ」
「私の?」

 驚き目を瞬かせたアヤメを見上げて、彼は唇の端を持ち上げる。

「そうさ。あんたのこと、もっとよく知りたいんだ」

 その言葉に、アヤメは人知れずぎゅっと手に力を込めた。
 無愛想で口数の少ないアヤメにあえて近づこうとする者は滅多にない。仮にいたとしても、邪険とも取れるその応対の淡白さに愛想を尽かし、離れていってしまうことが少なくはなかった。
 ……ソニックは、まだアヤメと接することを諦めずにいてくれているのだ。アヤメは突き動かされるように唇を小さく開く。だが口にするべき言葉を見つけ出すことができず、彼女はゆるゆると首を横に振った。――駄目だ。やはり、できない。

「ソニック、気持ちは嬉しいのだが――」
「Ahh, sorry……やっぱり触れちゃいけない話だったか。悪かったな、忘れてくれ」
「いや、そうではない。そうではなくて、だな」

 ソニックがひらひらと手を振って話を打ち切ろうとするのを目にして、アヤメは焦って否定をする。
 そうではない。訝しげな表情を向けてくるソニックに、彼女は困り果てて眉根を下げた。どう言えば、自分の話をすることが嫌なのではないと彼に伝わるのだろうか。黙り込んであれこれと言葉を吟味する彼女を覗き込んで、ソニックが首をかしげる。なんだか急かされているようで内心慌てながらも、彼女はようやく一言だけ口にした。

「……何をどう話せばいいのか、分からないんだ」

 アヤメは厳格な家庭に生を受けた。生まれながらに王女を守護する騎士であることを義務付けられ、彼女自身もそれになんの疑いも持たずに育ってきた。
 常に自分を律し、真面目に職務を果たし、王家に絶対の忠誠を誓う。――彼女にはそれしかない。だから、いざ人と会話をしようと試みても、話題にできるものが何も見つからないのだ。
 なんて惨めで退屈で空っぽな人間なのだろう。ため息をついて、彼女はソニックから視線を外す。明るく社交的で、誰に対しても遠慮呵責なくものを言える彼は、アヤメにとって眩しすぎた。
 ソニックはしおらしく落ち込む彼女をまじまじと見つめていたかと思うと、突然弾けるように笑い出した。

「なーんだ、そんなことか!」
「そ、『そんなこと』とはなんだ! 失礼な奴だな、お前は」
「Sorry, sorry」

 むっとなって言い返すと、彼は笑い混じりに謝ってきた。腹を抱えて体を二つに折り曲げながら言われても、全く謝られている気がしない。
 ひとしきり笑ってようやく顔を上げた彼の目を、アヤメはむくれたように睨み付ける。自分はこんなに悩んでいるというのに、そこまで笑われるとは心外だ。まるで、これが大した悩みではないようではないか。
 アヤメの不貞腐れた様子に再び笑いが込み上げてきたのかくくっと喉を鳴らしたソニックは、楽しげな光の躍る緑の瞳をロウナに向けた。

「いやあ、悪かったな。てっきりアヤメは人に何か話すのが嫌いなんだと思っててさ。心配して損したぜ」
「む……」

 ソニックに文句を言ってやろうとしていたアヤメは、彼の言葉に口をつぐむしかなかった。自分が人との接触をとことん避けていたせいでいらぬ心配をかけていたのだと思うと、強く言い返せない。「ピーチ達にも教えてやらないとな」というソニックの呟きを聞くに、どうやら他のファイターにも随分と気を揉ませてしまっていたらしい。不甲斐なさと申し訳なさに、アヤメは軽く目を伏せる。

「その、なんだ……迷惑をかけたな」
「誰が迷惑だって? 少なくとも俺は、そんなことこれっぽっちも思っちゃいないぜ」

 下から顔をひょいと覗き込まれて、がちゃんとプレートメイルが派手に音を立てる。彼女は大きく目を見張って息を止めながら、間近にあるソニックの顔をまじまじと見つめた。

「人との会話ってのは、そんなに気張ってするもんじゃないぞ。何を話せばいいかなんて難しく考えるな。自分が話したいって思えるものを、ゆっくり探せばいいんだ」
「しかし、それでは――」

 ――話したいものを探している間に、置いていかれてしまうではないか。
 ぎゅっと眉を寄せるアヤメを元気づけるように、ソニックは明るい笑顔を見せた。……いつだって強気で自信に満ち溢れ、どんなに絶望的な状況でも活路を見出だしてみせる。そんな彼の明るさに、アヤメは実を言うとひそかに憧れを抱いていた。

「Don't worry, baby。心配しなくても、俺がちゃんと待っててやるさ」

 にかっと大きく笑う彼はどこまでも前向きで、アヤメは自分の心に巣食う不安が温かくほどけていくのを感じた。こうやって誰の心をも太陽のように照らせるからこそ、この少年は誰にとってもヒーローであるのだろう。――この温かな感情と感謝をどう伝えればいいのか、少しだけ分かった気がする。
 アヤメは小さく唇に弧を描いて、ソニックの笑みに応えた。





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