短編 | ナノ

※スマブラ設定です。




 舌の上で、甘い飴玉をゆっくりとねぶるように転がす。歯にぶつかる度にころころと音を立てるそれは、アヤメの体温と唾液で徐々に小さく溶けていく。やがて完全に口の中から飴玉がなくなったのを確認した彼女は、カラフルな瓶の中から新しいものを取り出して口に含んだ。舌に広がる酸味を含んだ甘さに、その頬が自然と綻ぶ。
 ――幸せだ。誰にも邪魔されることなく、こうして甘いものを堪能できるなんて。
 そんな調子で飴玉をじっくりと味わいながら本に目を通していると、不意に扉の開く音が聞こえてきた。この部屋の持ち主であるガノンドロフが乱闘から戻ってきたのだ。アヤメは振り返ると、愛しい男に向かってゆるりと微笑みかける。

「お帰りなさい、ガノンさん」
「ああ。……アヤメ、くつろぐなら自分の部屋に行け」
「だって、ここの方が居心地いいんですもん」

 そう言って彼女は目を細めてくすくすと笑った。
 確かに、マスターハンドに与えられた私室は立地的に見てもなかなかの好物件である。日当たりはほどよく、周辺は女性ばかりでさほど騒がしくもない。天気のいい日に窓を開ければ、子供達の楽しげな笑い声も聞こえてくる。完全なプライベート空間であるだけのことはあって、誰にも邪魔されずに趣味に耽ることができる。
 だが、それでもアヤメは自室よりガノンドロフの部屋にいる時間の方が長かった。一人でいるのも悪くはないが、こうしてガノンドロフと同じ空間にいる方が数段落ち着くのだ。
 ――それに、とアヤメはひっそりと笑う。それに、この部屋には彼の匂いが染み着いている。ガノンドロフがいない間だって、こうして彼の匂いに包まれているだけで自分は幸福な気分になれるのだ。口には決して出さないが、彼女がこの部屋に入り浸っているのはそれが一番大きな理由だった。
 アヤメがソファの端に寄ると、ガノンドロフは空いたスペースにどかりと腰を下ろした。反動で浮き上がりそうになったアヤメは、慌てて肘掛けに掴まってバランスを取る。危ないところだった。

「乱闘、お疲れさまでした。どうでした、結果?」
「……一位だ」
「あら、よかったじゃないですか!」

 渋面のガノンドロフとは対照的に、アヤメはぱっと顔を輝かせて両手を合わせる。ここのところスピード系のファイターに翻弄されてばかりいたものだから、彼がトップを取るのは久々だ。これは気合いを入れて盛大に祝わなくてはなるまい。

「ふふ、おめでとうございます。それじゃあ、今夜はいいワインでも開けましょうか。お注ぎしますよ」
「……勝手にしろ」

 ガノンドロフは鬱陶しそうにそう吐き捨てた。勝ったというのに不満げな彼の表情に、アヤメは微笑みながらも困ったように眉を下げる。大方、マスターハンドによって力が抑え込まれてさえいなければとでも思っているのだろう。
 この世界におけるファイター達は全員、力量に差がつきすぎないようにとマスターハンドによって能力の調整を受けている。無論ガノンドロフも例外ではなく、この世界に来た時に大幅に弱体化させられてしまったのだ。
 ……恐らく、ガノンドロフに潜む黒い野心を警戒して、という理由もあるのだろう。戦闘スタイルを変えざるを得ないまでに施された入念な制限は、アヤメにそう思わせるには十分だった。
 だが、いかに不満に思えどこの世界ではマスターハンドがルールだ。ガノンドロフもアヤメも、現状は与えられた手札でどうこうするしかないことは重々承知している。だからこそ、彼女は慰めも気休めも口にしなかった。安い同情は彼の神経を逆撫ですると知っているからだ。
 ころ、とアヤメは口の中で飴玉を転がす。するとその音が気になったらしく、ガノンドロフは胡乱げな眼差しを向けてきた。

「アヤメ、貴様先程から何を食っておる」
「ただの飴ですよ。ほら、これ」

 アヤメはローテーブルの隅に置いていたカラフルなビンを持ち上げる。

「さっき、廊下で会ったクッパさんにいただいたんです。余っちゃったからって」

 クッパはどうやら午前中にタウンに出掛けていたそうで、そのついでにと飴玉の詰め合わせを息子と七人衆に買ってきたらしい。そして帰りがけにたまたま店先で開催していた福引きに挑戦したところ、なんと偶然にも同じものが複数当たってしまったのだそうだ。
 いくら菓子だといっても、飴玉ばかりだと子供達に配るにも限界がある。そんなこんなで処理に困っていたところを、ちょうどアヤメが通りがかったというわけだ。
 話を聞いたガノンドロフは、上機嫌なアヤメを眺めて鼻白む。

「貴様は呆れるほど菓子が好きだな」
「他の女性陣に比べたらそこまででもないですよ。そうだ、ガノンさんもおひとつどうです? 疲れた時には甘いものが一番だって聞きますし」

 言うや否や、アヤメはビンの蓋を取って中身をあける。包装に包まれた色とりどりの飴が、ざらっとローテーブルの上に散らばった。

「色んな味がありますよ。これがグレープで、こっちがミカン。それからこれはですね――」
「今貴様が口にしているのはなんの味だ」

 おや、とアヤメは顔を上げる。強引に話を進めておいてなんだが、まさか興味を持ってくれるとは思わなかった。

「私のはイチゴ味です。それにしましょうか」

 そう言って笑いかけると、ガノンドロフはただ黙って腕を組んだ。頷きこそしなかったが、否定しないということは了承と取っても構わないだろう。
 これ幸いと、アヤメは山の中から赤い粒を探し始めた。彼の気が変わらない内に、少しばかり消費を手伝ってもらわなければ。いくら甘いものが好きとはいえ、ビン一杯の飴はさすがに飽きてしまう。
 ――が、そこで彼女は首をかしげる。

「あれ、ないなぁ。もしかして私の食べてるのが最後かも……」

 机にばらまいた飴玉を色ごとに分別みても、ビンをひっくり返して振ってみても、赤い飴玉は一粒も見当たらない。残念ながら、どうやらすでに食べ尽くしてしまっていたようだ。アヤメは諦めてため息をつくと、困ったような微笑を浮かべる。

「すみません、ガノンさん。そういうわけなので、イチゴ味以外で何か――」
「いや、ないならばそれで構わん」
「え? ――ひゃっ」

 上げた頭を唐突に鷲掴みにされ、アヤメは小さく悲鳴を上げる。それに頓着する様子もなく、ガノンドロフは無理矢理に彼女の首の向きを変えて視線を合わせた。視界いっぱいに映り込む悪辣な笑みに、アヤメは思わず硬直する。

「貴様の口から直接奪えば済む話だ」

 言うが早いか、彼は獲物を食らう凶悪な獣のようにその幅広の口を開く。

「が、ガノ――っ」

 名を呼ぼうとした彼女の唇は、噛みつくような口づけによって塞がれた。抗議する間もなく、歯列を強引にこじ開けた舌がぬるりと侵入してくる。強張ったこちらの舌を絡め取られて脚が震え、上口蓋の弱い部分を乱暴に舐め上げられて腰が跳ねる。反射的に飴玉を喉の奥へと持っていけば、弾力のある舌がそれを求めてより深く追ってきた。
 ――息ができない。アヤメはすがるように相手の冷たい胸甲に手を置く。ガノンドロフはなおも荒々しく彼女の口腔内を暴れまわり、その呼吸ごと食らい尽くそうとしてくる。そんな彼のひとつひとつの動きに、アヤメは意識を飛ばしそうになりながらも懸命に耐える。
 ……本格的に視界が霞んできた。息苦しさに耐えかねて口を大きく開くと、ガノンドロフはしてやったりと目を細め、舌を最奥までねじ込むと小さく溶けた飴玉を掬い取っていった。

「――っか、は」

 ようやく解放されたアヤメは、だらしなく唾液を垂らしたままくたりとガノンドロフの胸に倒れ込む。酸素を求めて大きく息を吸えば微かに肺が軋んで、彼女は軽く咳き込んだ。
 もう長いことこの関係を続けているにも関わらず、ガノンドロフは時折こうしてこちらの命を奪いかねない獰猛な口づけをしてくる。その度にこうして死ぬような思いをするのだが、彼はそんなことには全くお構いなしだ。目元に浮かぶ愉悦の色から見るに、余裕をなくして喘ぐアヤメを眺めるのが大層楽しいらしい。つくづく趣味の悪い男である。
 ――より深く長い苦しみが訪れると知っておきながら、わざと飴玉を奪われないように抵抗したアヤメ自身も大概ではあるが。
 苦しげに呼吸を繰り返す彼女の頭上で、がりっと飴玉を噛み砕く音がした。頭を持ち上げると、顔をしかめたガノンドロフが目に映る。

「甘いな」

 甘いと言いながら、まるで苦虫を噛み潰したような表情である。なんとか呼吸を整えたアヤメは苦笑を漏らし、浮かんだ涙と口の下の唾液をそっと拭う。

「……イチゴ味なんですから、甘いに決まってるじゃないですか」

 未だ震える声で文句を言えば、じろりと睨み付けられた。

「そうだとしても甘すぎるだろう。貴様はこの味をイチゴだと言い張るつもりか」
「お菓子界ではそれがイチゴで正解なんですよ」

 確かに甘酸っぱさの具合は本物と大分違いはあるが、世間一般でイチゴ味と言ったらこれだ。恐らく、あまり菓子類を好んで食べない彼の預かり知らぬことだったのだろう。その歳でまだ知らないことがあったとは、彼の世界も存外狭いものだ。
 ガノンドロフは顔をしかめて不服そうに唸ると、口の中に残る甘ったるさをどうにか薄めようとしてか湿った唇を軽く舐めた。ちろりと垣間見えた赤い舌に、アヤメは先程の感覚を思い出して小さく吐息をこぼす。

「ねぇ、ガノンさん」

 そっと体をすり寄らせた彼女は、指先に灯った熱を伝えるようにガノンドロフの腕に触れる。

「甘いの食べると、喉渇いたりしません?」

 そう囁いた彼女の上気した頬と瞳に揺れる蠱惑的な光に、ガノンドロフは揶揄するように眉を上げた。

「堪え性のない女よ。あの程度で盛ったか」
「そういう体にしたのはガノンさんじゃないですか」

 アヤメは不服そうに唇を尖らせる。そうとも、自分は何ひとつとして悪くない。彼女の体に一人の男の存在を徹底的に刻み込んだのも、こうなると分かっていて彼女を煽ったのも同じ人物なのだから。
 濡れた眼差しの先で悪どい笑みを浮かべるその男に、アヤメはゆっくりとしなだれかかる。

「だから――責任、取ってくださいね」

 上目遣いに微笑めば、ガノンドロフは彼女の顎に指を添えてぐいと持ち上げた。

「よかろう。貴様が望むのならば、存分にその渇きを癒してやる」

 ――果たして、初めにそう望んだのはどちらだったのか。煮えたぎる欲望を秘めた金の瞳に見入りながら、アヤメはとろけるように目を細めて笑った。





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