短編 | ナノ

(2015七夕)

 アヤメは草原に立ち竦み、輝く星々をぼんやりと見上げていた。
 夜空に宝石箱をひっくり返したような、という比喩をどこかで聞いたことがある。この満天に広がる無数の星は、確かにそのくらい大袈裟な表現でないと効かないだろう。地上の明かりが強すぎる日本では、田舎や山中でもなければなかなか見られない絶景である。きっと地面に寝転べばもっと壮大な眺めが味わえるのだろうが、洗いざらしの服を砂ぼこりで汚してしまうのはためらわれた。
 ――どれほどの間、そうして夜空を眺めていただろうか。

「酷い顔だ」

 不意に聞こえた低い唸り声に、アヤメはむっと眉を寄せて振り返る。

「失礼ですね。見てもいない癖に」

 一体いつからそこにいたのか、ガノンドロフが草を踏みしめてこちらに歩いてきた。彼はアヤメの横に並ぶと腕を組み、わずかに顎を上げて夜を睨む。

「故郷でも思い出していたのか?」
「ええ、まあ」

 ガノンドロフの問いに遠回しな嫉妬心を感じて、アヤメはくすぐったげに目を細める。
 彼は、アヤメに故郷に帰りたいかと訊いたことはない。その問いに彼女がどう答えるか、とうに分かりきっているのだ。その癖にこちらが元の世界に思いを馳せれば気にしてしまうとは、可愛らしいところもあるものだ。
 アヤメは不機嫌そうに顔をしかめるガノンドロフから視線をはずし、再び夜空を見上げた。その眼差しがふと懐かしげにゆるむ。

「星に纏わるおとぎ話があるんですけどね」

 そう言って、アヤメは元の世界で聞きかじった七夕伝説を思い出しながら、たどたどしく語り始めた。
 天帝の娘であり機織りを生業とする織姫と、牛飼いの青年彦星。二人は愛し合うあまりに己の仕事を疎かにし、それに怒った天帝により天の川の両岸に引き離されてしまう。だが二人は悲しみのあまり仕事が手に着かなくなってしまい、困った天帝はひとつの解決策を出す。
 二人が仕事に一生懸命励めば、一年に一度は会わせてやってもよい、と。

「で、二人は一年に一度だけ天の川を渡って逢瀬ができるようになったわけです。それがちょうど、春と夏の間のこの時期なんです」

 アヤメが語り終えると、それまで黙って星を見ていたガノンドロフがつまらなそうに鼻を鳴らす。

「女々しい男だ。女にかまけてすべきことを放棄するのも問題外だが、それほど愛しい女ならば力づくで奪い取ればよかろう。天帝とやらに謀反を起こす気概すらなく、ただ嘆き暮らすだけとは話にならん」
「あはは。さすが、盗賊王サマは言うことが違いますね」

 盗賊王。かつてそう渾名されていた通り、ガノンドロフは欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れる男である。ハイラルだろうがトライフォースだろうが、彼はそうやって奪い取ってきた。……それが必ずしもよい結果に繋がったとは限らないが。

「そう考えると、織姫さんももうちょっと頑張るべきですよね」
「ほう?」
「せっかく一年に一度会えるんですし、いっそ計画立てて駆け落ちでもなんでもしちゃえばいいんですよ」

 もちろん、仕事に支障をきたすのはよくないので、後任を育成して一人立ちさせてからというのが前提となるが。
 そう言うと、ガノンドロフは呆れたような目付きでアヤメを見下ろした。

「相変わらず、腹黒いのか律儀なのか分からぬ女だ」
「ふふ、誉め言葉です」

 二人はほんの一瞬視線を絡ませると、どちらともなく星々に彩られた夜の闇に目を向ける。
 もし、自分達が織姫と彦星のように遠く引き裂かれてしまったとしたら。そう考えて、アヤメは愛おしげに目元をゆるませた。
 そうなれば、ガノンドロフは強行手段を取ってでも彼女を拐おうとするだろう。アヤメもアヤメで計略を練りつつ、跡を濁すことなくガノンドロフの元へ駆けつけるに違いない。二人とも言葉にはしないものの、互いにそうするだろうと確信していた。
 例え自分が思いもかけず元の世界に戻ってしまったとしても、ガノンドロフは必ず迎えに来てくれる。そうと分かっているからこそ、こうして安心して故郷に思いを馳せていられるのだ。
 ――なんて幸せなことなんだろう。アヤメが笑みを漏らすと、ガノンドロフは怪訝な眼差しでこちらを見下ろした。

「あ、そうそう。このお話、続きがありましてね」

 アヤメは思い出したように人差し指を立ててくるりと回す。

「織姫さんと彦星さん、その日は出逢えた幸せを地上の人達にお裾分けしてくれるそうなんです。ですから、私の国では願い事を書いた短冊を笹に吊るして星に願いをかけるんです」
「ふん。それで星を眺めておったのか」
「はい。でもまあ、ここでお願い事したとしても叶うことはなさそうですけどね」

 アヤメはそう言って夜空に手をかざした。元々星について詳しく知っているわけではないが、それでもこの星空が自分の住んでいた世界のものと全く違ったものであることは分かる。彼女が願ったとして、それに耳を傾けてくれる幸せな恋人達はどこにもいないのだ。

「貴様に、これ以上叶えたい願いがあるとでも?」
「うーん……そうですねぇ。こんな平穏がもっと長く続きますように、とか」

 するとガノンドロフは馬鹿にするように鼻で笑った。

「冗談にもほどがある。オレはまだハイラルをこの手に収めるという野望を諦めてはおらんぞ」
「ですよね。もう、ガノンさんってばすぐ物騒なことしたがるんですから」
「そうと知って惚れたのは貴様だ」
「ふふ、分かってますよ」

 ――でも、それはお互いさまでしょう? アヤメは笑みを含んだ眼差しで上目遣いに彼を見上げた。ガノンドロフはそんな彼女の瞳を面白がるように眺めていたが、不意にハッと短く笑うと、マントをばさりと翻して元来た道を戻り出した。
 威風に満ちた大きな背中に見惚れていると、数歩進んだガノンドロフが立ち止まって視線だけをこちらに向ける。

「来い、アヤメ。貴様がおらねば、ハイラルを支配した後の暇潰しに困る」
「あら、嬉しいこと言ってくれますね」

 お前がいないと退屈で仕方ない、だなんて。アヤメはくすくすと笑いながら、再び歩き出したガノンドロフに置いていかれないように小走りで彼の後を追う。
 足の長さや歩幅が違えば、視点の高さも視野の広さも違う。追い付くだけでもやっとなのに、彼の隣に並んで同じものを見ようとするといつも大変な苦労を強いられる。これから歩んでいく未来でも、きっとそれが変わることはないだろう。
 ――それでも。

「お伴しますよ、どこまでも」

 小さく呟いたその言葉が届いたのかどうかは分からないが、目の前を歩くガノンドロフがわずかに歩調をゆるめた気がした。





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