短編 | ナノ


 アヤメには不満があった。それは別種族の魔物がしばしば小さな諍いを起こして自分の手を煩わせることでも、敬愛する主であるガノンドロフがなかなか自分を側に寄せ付けないことでもなかった。前者は確かに面倒ではあるが魔物達をからかう絶好の機会でもあるし、後者は遠くからその輝かしい姿を視認するだけで満足できるからだ。
 そもそも、アヤメにとってガノンドロフ軍での生活は天国と同義である。偉大なる魔王の手足として存分に力を振るい、言葉は通じずともよくこちらの命に従う魔物達を指揮し、そして長年追い求めてようやく出会うことのできた同志達と夜が明けるまで語らい合う――夢にまで見たような充足した生活だ。そこに不満など抱きようもない。……そのはずだった。
 その中にたったひとつ、完璧なドレスにこびりついた一点の染みのように、どうしても彼女が許せない欠点がこのガノンドロフ軍に存在していた。

「この軍、まだまだガノンさんに対する忠誠心が低いと思うんですよ」
「なんだい、藪から棒に」

 おもむろに口を開いてそう告げれば、ギラヒムの訝るような眼差しが無遠慮に注がれる。アヤメは唇を尖らせて、地図の上に並んだ駒をぱちんと指で弾いた。敵軍に見立てられたその駒は呆気なく倒れると、転がりながらラネール渓谷を飛び出して、ハイラル城の辺りでその動きを止める。呆れ混じりの溜め息をついたザントが、細い指先でそれをつまみ上げて魔女の谷へと戻した。
 三人は白の魔女から力のトライフォースを奪還すべく、ラネール渓谷を攻め落とすための作戦会議を行っていた。……と言っても、議論はもうほぼほぼ煮詰まっているのだが。
 どこから誰が攻め込むか、三方の砦を覆う聖なる力にどう対処するか、自分達の攻撃に対して敵はどう動くか、魔物の初期配置は――。後は参謀であるザントが、三人の出した意見をひとつの策に纏めるのを待つだけだ。
 だが、ただ待っているだけの時間というのはやはり退屈なものだ。長々と続く会議に飽きてしまったのもある。それでアヤメは、前々から抱いていた不満を二人にぶつけることにしたのだった。

「だって、思いませんか?」

 彼女は不満げな眼差しを二人に交互に向けた。彼らが元々率いていた部下達については問題ない。砂漠で示されたガノンドロフの絶大な力に感銘を受けたり、恩に報いようとしている魔物達もまだいい。だが、問題はそこからだ。大樹に寄り添うようにして集ってきた雑多な魔物が、アヤメにとっての苛立ちの種だった。
 まず、偉大なる魔王に仕えているという自覚が感じられない。行軍する様子を見てもやる気がないのは一目瞭然、軍規を破っていざこざを起こすのも大概はこの手の魔物達だ。おまけに自分達の利益や不利益に目を向けてばかりで、大局を見据えることを一切しないときた。このままでは統率に乱れが生じ、いざというときの作戦に支障をきたしかねない。ガノンドロフに心酔し、絶対の忠誠を尽くすアヤメには、それがどうしても耐えられないのだ。
 アヤメがつらつらと愚痴をこぼせば、ギラヒムとザントは二人揃って腕を組むと低く唸る。その仕草にそこはかとなく主君の影響を垣間見て、彼女はほんの少し唇を持ち上げた。

「まあ、その辺りはワタシも思うところがあるけどね」
「でしょう?」

 彼女は顔を上げ、ぐっとギラヒムの方へと身を乗り出す。ザントも同意見であるらしく、唇を引き結んで重々しく首肯する。

「やはり所詮は寄せ集め。かの方の御威光が下等な魔物まで届かぬのも、ある程度は致し方あるまい」
「フン、全く気に食わないね。誰のお陰でこの時代まで魔物が存続していると思っているんだか」

 やはり、二人ともこの現状をあまり快く思ってはいなかったようだ。魔王軍の幹部である三人の見解が一致しているとなると、これはもうゆゆしき事態だと言うほかない。何を置いても早急に解決すべき案件であることは明らかだ。

「ということでですね、こんなもの作ってみました」

 アヤメとて、現状を憂いてばかりで何もしていなかったわけではない。彼女は懐からさっと一枚の紙を取り出した。こんなこともあろうかと、ひとりこっそりと準備していたものだ。地図の上にそれを広げると、ギラヒムとザントは身を屈めてそれを見つめる。

「フゥン、なになに……『魔王様大好き度チェックシート』?」
「まずは実態調査からと思いまして」

 興味の欠片もない、といった冷めた目つきで紙を眺めていたギラヒムが、ひょいとそれを地図の上から取り上げた。わずかに遅れて、ザントが伸ばしかけた手を何事もなかったかのように引っ込める。……読みたかったのだろうか。
 ギラヒムは椅子の背もたれに体重を預けると、顎に軽く指を添えて文字を追った。

「『その一、魔王様を敬愛している』。……なんだい、この馬鹿丸出しの質問は。こんなもの基本中の基本だろう」
「当然です。こんなの小手調べにもなりません」

 ほら、とアヤメは続きを促した。彼女をじろりと睨んだギラヒムは、それに素直に従って紙に目を戻す。

「『その二、魔王様の御姿を拝見するだけでその日一日幸せだ』。ハッ、これに『いいえ』と答えるような馬鹿なんているのかい?」
「この軍にいたら無限奈落決定ですよね」

 アヤメは朗らかに笑いながら二度大きく頷く。最も、この軍にそのような不忠者などいるはずもないのだから、考えても詮なきことなのだが。

「フンフン……誉められたい、貶されたい、なじられたい、踏まれたい、そのおみ足に蹴り開けられる宝箱になりたい――と」

 ギラヒムの読み上げる声は徐々に小さくなっていく。完全に無言になってしまうまでそれに耳を傾けていたザントが「ふむ」と感心したように顎を撫でる。

「成る程。質問の趣旨を徐々にずらしていき、どこまで魔物どもが脱落せずについて来られるかを測る、という狙いか」
「あら、趣旨変わってるように見えます?」

 ザントの言葉に首をかしげれば、彼はなんとも言えない眼差しでこちらを見返してきた。
 こちらの人間と顔立ちが大きく異なるせいもあるのだろう。影の住人の――とりわけ、ザントの表情はいまいち分かりづらい。ヒステリーを起こしたときの喜怒哀楽なら容易に読み取れるのだが、こうして真面目な顔をされると途端に何を考えているのか分からなくなる。
 かつての影の世界の王は、その瞳からザントの野心を見抜いたという。自分にも同じことができるだろうか。不思議な燐光を内に宿した瞳をじっと見つめていると、ザントはため息混じりの笑みをひとつこぼした。

「見上げたものだと思ったのだ。忠誠心があればどのような仕打ちでも、という考え方は私にはとてもできぬ」

 どうやら、逆にこちらの思惑を読み取られてしまったらしい。二度瞬いたアヤメは、幾分か居心地の悪さを覚えながら軽く眉を寄せる。

「なんですか、急に褒めたりなんかして」
「……褒めているように聞こえたのか」

 ザントの低い呟きは聞かなかったことにして、彼女は肩を竦める。

「私だって、あなたの信仰心には一目置いてるんですよ」
「ほう?」
「ガノン様を神として崇め奉っているのなら、その怒りを恐れるのはむしろ当然です。その畏れこそが、あなたにとっての忠誠の表れなんでしょう?」

 アヤメはガノンドロフが人間だった頃から知っている。だから彼を王として敬うことはできても、ザントのように神として信奉することは不可能だ。また魔王が振るうためだけに造られたギラヒムのように、彼の行く道に自分という存在を添わせることも望んではいない。彼女はただ敬愛する彼の全てを知り、その行く末を見届けたいと願っているだけだ。そのためなら、自分の全てを捧げることもいとわない。
 つまるところ、同じ人物に忠誠を誓っていても、そのありようは三者三様なのだ。きっかけが異なれば、できあがった形が違うのも自然なことである。

「いやはや。まさかアヤメの口からそのような言葉が聞けるとは……」
「最初は『この惰弱者!』って思ってましたけどね」
「思っておったのか」

 素直に首を頷かせると、ザントは口を閉ざしてじっとこちらを見据えてきた。心なしか責められているような気がして、アヤメはふいと目を背けた。今はもう違うのだから勘弁してほしい。
 ――かつてのアヤメはただひたすら己が信じる道を突き進むだけで、その路傍に存在している他者の心など理解しようとすらしなかった。そもそも、理解する必要性すら感じられなかったのだ。そんな彼女がこういった考えを持てるようになったのも、彼らとこうして交流を持つようになったお陰である。
 自分とは異なる立場や価値観に興味を持って触れることで、見える世界が広がっていく。……ガノンドロフに出逢う前にそれを知っていれば、今とは違う道が目の前に開けていたのだろうか。それとも、人間のまま平凡にその生を終えていたのだろうか。
 ――バン。感傷に浸りかけていたところで机に何かを叩きつける音がして、アヤメは反射的に飛び上がりそうになった。見ると、立ち上がったギラヒムの拳が机上で小刻みに震えている。伏せられたその表情は、長く垂らした前髪に隠れて伺い知ることができない。もう片方の手に握られていた調査用紙が、ぐしゃりと派手な音と共に握りつぶされた。

「実に嘆かわしい。アヤメ、君はどこまで低能なんだい? いっそ、低能を通り越して無能の域なんじゃないかと疑わざるを得ないね」

 激しい怒りを瀬戸際でなんとかせき止めているらしく、あえてゆっくりと絞り出されるその声がわずかに揺れている。どうやら相当ご立腹のようだ。この様子では、ほんのちょっとつつくだけでいとも容易く噴火してしまうだろう。敵だけでなく配下の魔物達にまで恐れられるギラヒムの癇癪だが、この短期間ですっかりそれに慣れきってしまったアヤメは、のんきに笑って首をかしげてみせた。

「ダメでした?」

 ぎり、と歯軋りをする音が静かな天幕内に大きく響いた。――来る。それが爆発の合図だと経験から学んでいたアヤメは、ぐっと肩を緊張させて怒鳴り声に備える。
 その直後、ギラヒムはその端麗な顔を怒りに歪めてアヤメを睨みつけた。闇を固めたような黒々とした大きな瞳に、ぎらりと激しい光が閃く。

「ったりめーだ! この程度の質問なんざ、誰だって全部『はい』にマル付けるに決まってるだろうが! せめて魔王様のためにてめぇの体から心から魂まで丸ごと捧げられるかどうかくらい書きやがれこの無能が!」

 一息に言い切ったギラヒムはぜいぜいと息を荒げていたが、一通りがなり立てていくらか落ち着いたようだ。一度深く息を吐いて再び顔を上げた彼の表情には、先程までの煮えたぎるような憤怒はなりを潜めていた。とはいえ、やはり常の余裕に満ちた振る舞いからはほど遠いのだが。彼は腕を組むと、不愉快を隠そうともせず尊大にこちらを見下ろす。
 ――それにしても、成る程。ギラヒムの荒れ狂う暴風にも似た主張にじっと耳を傾けていたアヤメは、込み上げてくる笑いを堪えきれずに口元に手を当てた。

「ふふふ、そうですよね。新入りの子達にはちょっと厳しいかなって思ったんですけど、やっぱりそれくらい入れとくべきでしたか」

 やはり彼と言葉を交わすのは面白い。ガノンドロフに対しての無私の忠節と他者にそれを強いる姿勢は、自分の考えがいかに甘いかを思い知らされる。アヤメの言葉を褒め言葉として受け取ったらしいギラヒムは、幾分か機嫌を持ち直して軽く鼻を鳴らした。

「フン。魔王様の元で働くからには、最・低・限! このくらいは躊躇なく答えてくれないとね」
「さすがガノン様の愛剣! ギラヒムさんは話が分かりますね」
「全く、そんな本当のことを言うんじゃないよ。自分を賢く見せたいのなら、少しはお世辞を言うことを覚えたらどうだい?」
「いえ、今でも十分言ってますけど」

 冗談が上手いのだけは褒めてあげるよ、とギラヒムは得意気にさらりと髪を靡かせて笑う。――そうとも、次の戦までそう間もない。事は一刻を争うのだ。なんとしてでも、この軍の結束を強めなければ。アヤメは彼と視線を交わらせて強く頷くと、調査項目の改訂に努めることを決意した。ギラヒムもザントも、きっと全面的に協力してくれることだろう。

「……水を差すようで悪いのだが」

 だが、そこで不意にザントが口を開いた。重たげなその声音に、アヤメの胸に波立っていた高揚感がふっと静まり返る。ザントに目をやると、彼はわずかに目を細め、気難しげな様子で薄い唇を噛んでいた。アヤメと同じく気分を害されたらしいギラヒムが、不満げに口角を下げて眉間にしわを刻む。

「なんだい、ザント。人がせっかくいい気分でいる時に」
「ま、まあまあ、ギラヒムさん。もしかしたら、ザントさんも何かご提案があるのかもしれませんよ。ねぇ?」

 突っかかろうとするギラヒムをやんわりと制してザントの発言を促す。しばらく彼は言いづらそうにその眼差しを伏せていたが、やがて顔を上げるとまっすぐに二人を見据えた。

「よいか、この計画にはひとつ重大な欠陥がある」

 その言葉には、さしものアヤメも顔色を変えずにはいられなかった。彼女の心を代弁するように、ギラヒムが目をすがめて口を開く。

「欠陥、だって?」
「ああ。私もつい今しがた思い至ったばかりなのだが……その様子では、お前達はまだ気づいておらぬのだな」

 ザントはゆるゆると首を横に振る。そのもったいぶった言動にふつふつと怒りが込み上げてきたアヤメは、ぐっと拳を握るとまなじりをつり上げて立ち上がった。燃える眼差しでザントを見据える彼女だったが、内心に生まれた動揺は隠しきれず、その瞳はわずかに揺らいでいた。

「そこまで言うなら、確かな証拠を聞かせてほしいものですね」

 何を考えているのか分からない瞳でじっとアヤメを見つめていたザントは、ふと小さなため息をひとつこぼす。その吐息には、わずかに憐れみの色が含まれていた。

「では聞くが、お前達はそもそも読み書きのできる魔物など我が軍にいると思うのか?」
「…………」

 はたとギラヒムとアヤメは口をつぐみ、互いに顔を見合わせる。……そうだった。何故こんな簡単な問題に今の今まで誰も気づかなかったのだろう。これでは、はしゃいでいた自分が馬鹿みたいだ。
 あまり情けなさに、アヤメは俯いて拳をわなわなと震わせた。ギラヒムも同様に自分の間抜けさに腹が立ったらしく、歯が削れるのではないかと思うほど激しい音を立てて歯軋りをする。やがて二人は示し合わせたかのように、勢いをつけて同時にザントを振り返った。
 二人分の八つ当たりが飛んでくると悟ったのだろう。ザントは無表情を保ったまま、その白い面貌を素早く仮面で覆い隠した。





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