短編 | ナノ


 この日の報告会はゼルダの強い希望によって、やわらかな陽光の降り注ぐ中庭で行うことになった。
 のどかな気候に眠たげに瞬きをしながら、アヤメはここ一週間のガノンドロフの行動をひとつひとつ思い出していく。大した用もなくアヤメを遠ざけた回数、その前後の挙動、彼を訪ねてきた客人の名前とその用事――。インパとゼルダは詳細に過ぎるそれらの情報に苦笑しながらも、興味津々に聞き入っていた。

「あと……今週ガノンさんに届いたゲルド族からの手紙は四通です。そのどれも、中身は見せてくれませんでした」

 最後にそう口にすると、インパは難しい顔で顎をさする。

「ふむ。……怪しいな。先週より数が多い」
「その中で、一通だけ覗く機会がありまして」

 アヤメは持ち込んだ手帳を開き、日本語で記載されている文章を目で追う。

「三日後、ゲルド族の一人と会う予定があるそうです。時刻は夜の十時半、場所は城下町の裏通りにある空き屋のどれかですね」

 それを聞いたゼルダが思わしげに視線を俯ける。

「何か良からぬ企みがあるのかもしれませんね。――インパ、頼みましたよ」
「はっ、すぐさま探りにかかります。でかしたぞ、アヤメどの」
「いえ……」

 インパの労いの言葉に、アヤメは困ったように笑って首を横に振った。本来はガノンドロフ側の人間であるだけに、こうして彼の行動を逐一報告するのは少々複雑な気分になる。だが背に腹は代えられない。友人達と敵対することなく、恋慕う相手を殺させず、なおかつ時間を稼ぐ。――それには、これが一番いいやり方なのだ。

「でも、今回は用心してください。情報を入手するのがあんまりにも簡単すぎましたので――」
「おとりや罠かもしれない、ということだな。重々承知している」

 インパは重々しく頷く。どうやら彼女はこれまでにも何度か偽情報を掴まされた過去があるらしく、アヤメがもたらす情報に関してもかなり慎重に吟味している様子が伺える。そうでもしなければ、狡猾なガノンドロフとは渡り合えないのだろう。

「それにしても、ゲルド族との密会ですか。……怪しいですね」
「怪しいって……そりゃまあ、怪しいよね」
「そういう意味ではありません」

 何事か含みのあるゼルダの言葉に首をかしげると、彼女は顔を上げて真っ直ぐな眼差しでアヤメを見つめる。その表情は真剣そのもので、ガノンドロフへの強い警戒が伺える。それもそうだ、何せ彼はハイラル全土を支配下に治める魔王となりうる存在なのだから。

「ゲルド族ということは、相手は女性ですよ。そのような夜更けに女性と密会するなんて、策謀以外にも何かあるに決まっています」

 ――怪しいって、そっちか。きっぱりと断言する幼い王女に、アヤメは思わず脱力してしまった。姫君の可憐な唇に似合わぬ俗な勘繰りがなんともミスマッチである。返答に詰まってインパの方に目をやれば、ちょうどばっちりと目があった。……そのどこか悟ったような諦めの表情に、アヤメは彼女の苦労を垣間見た気がした。
 アヤメが苦い笑みを向けると、インパは軽くため息をつく。

「……ゼルダ様、今度は何をあの侍女に吹き込まれたのですか」
「ちまたで話題の、道ならぬ恋を主題としたお芝居について少々」

 それならアヤメも知っている。城下町のマダムの間で人気沸騰中の演劇である。アヤメ自身は観に行ったことはないが、配られていたパンフレットによるとかなりどろどろの愛憎劇らしい。間違っても年端もいかない子供が観るものではない。あのおしゃべりな侍女は何を考えているのだろうか。

「それはそうとして、アヤメ。ガノンドロフの行動をどう思いますか?」

 そう前のめりに問いかけられて、彼女は苦笑する。ゼルダの眼差しにどこか期待の色が見えるのは、きっと気のせいだろう。そうに違いない。

「ありえないよ。あの人、そういうの全然興味ないらしいし」

 肩を竦めてアヤメはゼルダの言葉を否定した。七年後の世界ではあるが、彼女はガノンドロフ本人の口からはっきりとそう聞いている。城に閉じ込められていた時も、アヤメはもちろん絶世の美女に育ったゼルダにすら手を出すことはなかった。そこから考えれば、彼が色めいたことに興味がないのは火を見るよりも明らかである。
 だが、そこでゼルダが意味ありげに微笑んだ。

「あら、分かりませんよ。もしかしたら巧妙に隠しているだけかもしれません」
「そんなこと……」
「いや、ありうるぞ。アヤメどのには悪いが、やはり奴も男だ。真夜中にひと気のない廃屋で女と会って、何かないとは限らん」
「まあ、アヤメという人がありながら!」

 ゼルダが口元を上品に手で押さえながら驚きの声を上げる。完璧な王女らしい仕草であるが、会話の内容は完全に井戸端会議に興じる主婦そのものである。こちらのゼルダはどこまで俗世に染まっていってしまうのだろう。諌めるべき立場であるはずのインパまでもが悪乗りしてしまっては、もう誰にも止められそうにない。
 ……それ以前に、そもそもアヤメとガノンドロフはまだそういう関係ではない。突っ込むべきかどうか迷っている間に、彼女達の女子トークは段々とヒートアップしていく。

「思えば、あの男は女性ばかりの種族の出身でしたね。……以前このような噂を耳に挟みましたが、なんでもあの男はかつて集落でやりたい放題していたとか」
「なんたるケダモノだ、けしからん! 火のないところに煙は立たず、やはりいかがわしいのは顔だけではなかったということか……」
「二人とも」

 さすがに聞いていられなくなって、アヤメは口を開いた。いつもの穏やかな笑みのまま、彼女はゆるりと首を傾ける。

「私、そういう冗談は好きじゃないんだけどな」

 目を細めて、彼女は囁くように口にする。その声のトーンがいつもよりわずかに低いのが分かったのだろう。ゼルダ達は顔を見合わせて困ったような微笑を浮かべた。

「ごめんなさい。いくらガノンドロフがアレとはいえ、あなたの前で少し言いすぎてしまいましたね」
「おやめください、ゼルダ様が謝るほどのことでは――」
「インパ」

 眉を寄せた乳母に、ゼルダがそっと声をかける。アヤメやリンクといる時はハイラルの王女でなく、ただのゼルダでいたい。そんな彼女の強い願いを思い出したのだろう。インパは難しい顔をしながらも、諦めたようにため息をついた。

「……その、なんだ。すまなかったな」

 心底複雑そうな顔である。ガノンドロフに関する発言を撤回するのがよほど嫌らしい。その様子に、アヤメはついくすくすと笑ってしまった。

「いえ、いいんです。大して怒ってませんし、そういう噂も前々から聞いてましたから」

 書類の運搬などで城内を歩き回っていると、彼に関する話はこれでもかと舞い込んでくる。その多くは異民族の、しかも盗賊団の頭がハイラル王の寵愛を受けていることに対する嫌味である。余計な波風を立てたくないアヤメが大人しそうに微笑んでいるのをいいことに、ガノンドロフの地位を妬む男達が彼女に対してその上司の悪口を吹き込むのだ。
 そして口さがない女達の間では、女系種族に生まれたことに関してえげつない噂話が囁かれている。その内容の酷さといったら、仲のいい下働きの中年女性がやたらとアヤメの貞操を心配してくるほどだ。
 ガノンドロフ本人は基本的に全く気に留めていないらしく、噂に関しては完全に放置している。それに倣ってアヤメもやんわりと否定するだけに留めておいているのだが、やはり好きな相手の悪口を聞くのはあまり気分のいいものではない。
 ……今回は気を許せる友人達の前だったためか、抑え込んでいた鬱憤が少しばかり表に出てしまったようだ。反省しなければ、とアヤメは苦笑混じりに目を伏せる。

「アヤメ、ひとつ聞いてもいいですか?」

 顔を上げると、気遣わしげなゼルダの瞳と目が合った。

「怒らないでくださいね。その……もし、その噂に欠片でも真実が含まれていたとしたら……」

 言いづらそうに口を閉ざすゼルダに、アヤメはふっと微笑みを向ける。どうやらこちらの心情を本気で心配してくれているらしい。ガノンドロフの陰口を言ったのも、彼に想いを向けるアヤメへの警告という意味合いがあったのだろう。つくづく、いい友人を持ったものだ。

「どうもしないよ」
「なんと……!」

 穏やかに答えると、インパが瞳を真ん丸に見開く。信じられないといった顔つきに、アヤメは思わず噴き出してしまいそうになった。彼女の気持ちもよく分かる。今の発言はどこからどう聞いても『浮気性のダメ男を許してしまう女』でしかない。
 どう言えばこの気持ちが伝わるだろうかと、アヤメは少しの間口を閉ざして考える。

「そうねぇ……。私、ゼルダちゃんが姫様じゃなくたって好きだよ」
「そ、そんな、突然どうしたんですか」

 ゼルダは頬を染めて視線を泳がせる。可愛らしい反応に目を細めて微笑みながら、アヤメは言葉を続ける。

「リンク君のことも、コキリ族だろうがハイリア人だろうが大切な友達だと思ってる。それとおんなじ」

 彼がどのような種族に生まれたか、どのような環境で育ったか。――そして、彼の歩む未来に何が待ち受けているのか。

「そういうのを何もかも引っくるめて、ガノンさんを愛してるの」

 彼の経験も可能性も、それらは全て彼を構成する一部だ。例え目を背けたくなるほど酷いものであろうと、それらを含めたガノンドロフの全てを愛している――アヤメはそう断言できた。
 穏やかだが強い決意を秘めたその瞳に、ゼルダが頬に手を添えてほうと息をつく。

「まあ、なんて素敵な愛なのでしょう。……ええ、相手がガノンドロフでなければ素直に感動できたのですが」
「ゼルダ様、もう諦められた方がよろしいかと。この娘はそういう人間なのです」

 酷い言いようである。ゼルダ達の複雑そうな眼差しに、アヤメは思わずくすくすと笑ってしまった。




 かりかりとペンが紙を引っかく音が静かな執務室に響く。 ガノンドロフが嘆願書にサインしているその音をBGM代わりにしながら、アヤメは応接用のローテーブルに広げた書類の不備やスペルミスのチェックを行っていた。
 必須事項の記入漏れ、ほんのわずかな計算ミス、まさかの機密書類の宛先間違い――それらのある書類をひとまとめにして、彼女は小さく吐息をつく。ミスを見つけるまではいいが、こうして弾いた書類をそれぞれの部署に返却するのは非常に骨が折れる。職場がやたらと広いのも考えものだ。
 ふとガノンドロフの方を見やると、ちょうど彼も一つの山を処理し終えたところのようだった。時間的にはまだ少し早いが、キリはいい。この辺りで一区切り入れよう。

「そろそろ休憩に致しましょうか。お茶を淹れて参ります」
「――アヤメ」

 立ち上がって一礼しかけたアヤメを、ガノンドロフがその名を呼んで引き留める。どうしたのかと首をかしげると、くいと曲げられた人差し指で近寄るように指示された。
 こうやって無言で指示を飛ばす時のガノンドロフは不機嫌なことが多い。アヤメは警戒しながらそっと移動し、机を挟んで正面に立つ。すると、ガノンドロフはもう一度人差し指を動かした。さらに近づけということらしい。……自分はいったい何をやらかしたというのだろう。
 アヤメは机を回り込み、彼の椅子の隣に立った。ガノンドロフが椅子に座った状態だと、立ったアヤメと目線の高さがほぼ同じになる。……つまり、必然的に顔が近くなるのだ。
 彼女は間近で見る彼の顔に緊張しながら、そっと腹の前で指を組む。

「いかがなさいました?」
「ひとつ、貴様に言っておかねばならぬことがある」
「は、はい」

 何を言われるのかと、アヤメは組んだ指をぎゅっと強く腹に押し当てる。ガノンドロフは椅子をこちらに向けて机に片肘をつくと、低く唸るようなため息をついた。

「オレは女を手当たり次第に食う見境なしでは断じてないぞ」
「えっ? はい、何を今さら――」

 きょとんと瞬きをしたアヤメは、次の瞬間思いきり顔を引きつらせた。

「……聞いてましたね?」

 このタイミングでその話題を持ち出すとは、そうとしか考えられない。ガノンドロフが小さく唇の端を持ち上げたのを見て、アヤメは嫌な汗を背に感じた。中庭にはガノンドロフの隠れられるような物陰などなかったはずだ。四方も壁で囲まれている。何より隠密に優れたインパがその場にいて、どうして盗み聞きなどできたのだろうか。いや、それ以前に――。

「ち、ちょっと待ってくださいガノンさん、因みにどの辺りから……」
「貴様がオレに届いた手紙に関して報告していたところからだ」

 直後、アヤメはくるりと回れ右をした。

「失礼します」
「甘い」

 ガノンドロフはアヤメの首根っこを掴むと、ぐいと自分の方に引き寄せた。バランスを崩したアヤメはそのまま軽々と持ち上げられ、ガノンドロフの腿に横座りになる形で下ろされた。唐突な密着状態に、アヤメはかっと顔に血を上らせる。

「が、ガノンさん……!」
「動くな。今は休憩中だ」

 アヤメが暴れ出さぬように腕の動きを封じ込めながら、ガノンドロフはじろりと彼女を見下ろす。
 アヤメ達の間には幾つかの取り決めがある。その内のひとつは、アヤメがゼルダ達に報告するのは勤務中に得た情報だけというものだ。つまりガノンドロフは、休憩時間に何を聞いたとしても報告してはならないのだと言いたいらしい。アヤメはその言い分が気に入らなくてむっと眉を寄せる。

「小休憩は勤務時間に含まれますよ。職務規定にもちゃんと書いてあります」
「ほう、オレに口答えをする気か。生意気な女よ」

 ガノンドロフはにやりと悪どい笑みを浮かべ、その手をゆっくりとアヤメの太股に這わせた。背筋を駆け抜けるぞくぞくとした感覚に、彼女はびくりと体を跳ねさせる。

「っひ、ちょっと、待っ……わ、分かりました、分かりましたから!」

 大慌てで自分の発言を撤回すると、ガノンドロフは「他愛ない」と喉を鳴らして笑った。完全に主導権を握られている。

「……次はありませんからね」

 負け惜しみにそう言い捨てたアヤメは、ぷいと拗ねたようにそっぽを向く。
 ガノンドロフは彼女が有言実行を貫く人間だと知っている。こうして釘を刺しておけば、少なくとも同じ轍を踏むことはないはずだ。もし次に同じことをやらかせば、彼がどんなに妨害してきてもその裏をかいて報告しに行ってやろう。アヤメはそう決意を固める。……今回苦労するであろうインパには、今度謝罪の意味を込めて菓子折りでも差し入れしておこう。
 ――それはさておき。アヤメは自分を戒めている太い腕を軽く睨み付ける。そろそろ、この固い膝の上から降ろしてはくれないだろうか。何を仕出かすか分からない想い人とこれ以上密着していては、いい加減こちらの心臓が持たない。それに横座りの体勢だと、膝の裏に肘掛けが当たって地味に痛いのだ。
 そう思って先程から彼の腕をとんとんと叩いて訴えているのだが、ガノンドロフはさっぱり動く気配がない。ならばと力を入れて押し退けようとしても、その腕は彼女の努力を嘲笑うかのようにびくともしない。最終的に自力で逃げるのを諦めて、アヤメはガノンドロフを上目遣いで見上げた。

「あの、離していただけませんか? そろそろ紅茶淹れてこないと――」
「『動くな』と、そう言ったのが聞こえなかったか」

 ガノンドロフは低い声でそう告げると、アヤメの纏めていた髪を器用にほどいた。そして散らばった髪をその武骨な指に絡め、ゆっくりと丁寧に梳き始める。わざとらしいほど優しいその手つきに、アヤメは堪えきれずに小さく身震いし、微かに吐息をこぼした。そんな彼女の反応に、ガノンドロフは満足げに目元を歪める。

「嫌ではなかろう? 『何もかもを引っくるめて愛している』男に抱かれているのだからな」

 ――それを否定できる言葉を、残念ながらアヤメは持ち合わせてはいなかった。せめてもの抵抗として顔を見られないように俯けば、頭上から愉悦を含んだ笑い声が降ってくる。……なんて性格の悪い男だ。そう心の中で罵倒するも、そんな一面をすら愛しいと思ってしまうのだからもうどうしようもない。
 結局彼女はその休憩中、やたらと上機嫌なガノンドロフの膝の上でひたすら好き勝手に弄ばれる羽目になったのだった。





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