短編 | ナノ

(歩様リクエスト)


 無機質で真っ暗な乱闘ルームに、フォックスはいつも通りアヤメと談笑しながら入室する。スイッチを入れると、静かな稼動音とやわらかな間接照明が二人を迎え入れた。
 この乱闘ルームWは、午前中に限ってほぼ二人専用の特訓部屋と化している。そのため、どんなに混雑している状況でもこの部屋だけは空いているといったことも少なくない。フォックスはそんな他ファイターの気遣いを少しだけ申し訳なく感じていたものの、背に腹は代えられない。資金の調達は、何を差し置いても優先すべき急務なのだ。
 ――それに、彼女を鍛えるという大義名分もある。フォックスが隣のアヤメに目をやると、視線に気づいた彼女は穏やかな微笑を浮かべて見返してきた。

「どうしました?」
「いや、今日のメニューはどうしようかと思ってな。アヤメから何かリクエストはないか?」
「それじゃあ、今日は射撃タイプを集中的に鍛えたいんですけど……構いませんか?」

 伺うように首を傾けるアヤメに、フォックスは頷きを返す。

「もちろんだ。付き合わせてるのはこっちも同じだしな」
「よかった、ありがとうございます」

 アヤメはほっと表情をゆるめ、やわらかい笑顔を見せた。ファイターとして戦いの場に立っているとはとても思えないほどおっとりとした笑みは、彼女が平和な世界で育ったことをありありと物語っている。
 ――思い返せば、彼女もなかなかに強くなった。まだ粗削りなところも多いが、それでも相手を攻撃することすらためらっていた頃に比べると見違えるほどの成長ぶりだ。
 そんな彼女が苦手とするのが射撃タイプでの乱闘である。聞けば、目まぐるしく動く相手に狙いを定めようとするとどうにも焦って上手くできないらしい。その感覚はフォックスにも覚えがある。まだアカデミーに士官候補生として在学していた頃の彼もまた、縦横無尽に動き回る的に照準を定めるのに苦労したものだ。

「じゃあ、まずは模擬戦で様子を見てみるか」
「あ、ちょっと待ってください」

 モニターに向かいかけたフォックスをアヤメが呼び止める。振り返ると、彼女は照れ臭そうに笑って両手を後ろ手に組んだ。

「その、今日は少し気分を変えてみようかなと思いまして」
「気分?」
「はい。ちょっと、後ろ向いててくださいますか?」

 何かを隠しているような彼女の眼差しに、フォックスは苦笑しつつもその言葉に従った。アヤメが何をしようとしているのかは分からないが、彼女のことだ。きっと悪いことではないだろう。

「もういいですよ」

 やけに早いなと思いつつアヤメの方に体を向けた彼は、思わぬ驚愕に大きく目を見開いた。

「なっ……!?」
「どうです、フォックスさん。似合いますか?」

 そう言ってアヤメは、いつの間に着替えたのやら、白いジャケットの襟を軽く摘まんでみせる。

「に、似合うもなにも――」

 短いジャケットの中に着込んだ緑色のパイロットスーツ、首元の赤いスカーフ、そして腰についたリフレクター……彼女が身に纏っているのは、まごうことなく雇われ遊撃隊スターフォックスの――というより、フォックスの制服そのものであった。ご丁寧なことに、ふさふさの尻尾まで再現されている。

「ふふ、これで私もスターフォックスです! ……なんて、ただのコスプレですよ。ほら、尻尾も偽物ですし」

 アヤメは楽しそうににこにこと笑いながら、自分の尻から垂れ下がっているそれをもふりと持ち上げる。自分が触られたわけでもないのに、フォックスは尻尾の付け根辺りがむずむずするような気がした。
 上機嫌な彼女の説明によると、どうやら持っている端末を操作することで手軽にコスチュームチェンジができるらしい。中身を見せてくれるというので覗いてみると、なかなか種類も豊富だ。普段シンプルなデフォルトの服しか着ていないから分からなかったが、彼女はかなりの衣装持ちのようだ。

「へえ……なんだか見覚えがあるのが多いな」
「そうなんですよね。ほとんど誰かのコスプレですから、人前で着づらくて」

 結局自分の部屋で一人ファッションショーをするしかないんですよね、とぼやく彼女にフォックスは思わず笑いをこぼした。確かに、本人や知り合いもいる中で人様の格好をして出歩くのは恥ずかしいだろう。そうでない服もあるにはあるが、日常生活で着られそうなものは目に見えて少ない。着ぐるみにフルプレートの鎧に全身タイツ――いったい誰の趣味なのだろう。
 フォックスは改めてアヤメの格好をじっくりと眺める。

「それにしても、なかなかよくできているな。ブラスターなんて本物そっくりじゃないか」
「でしょう? 中身はいつものと変わらないんですけどね。持ってみます?」

 彼女はそう言ってブラスター……の形をした謎のアームキャノンを手渡してきた。確かに似せているのは外見だけらしく、手に取ってみると重さも大分違う。だが、見た目や手触りに限ればまさにブラスターそのものだ。これが溜め攻撃をしたり砲身から爆弾を出したりするのだと思うと、なんだか見たいような見たくないような妙な気分になる。

「それで本題なんですけど、今日はこれ着て特訓したいなぁ、なんて」

 彼女は小さく首を傾けて微笑む。やわらかな声色の裏に引く気がないことを読み取って、フォックスは苦笑して頬をかいた。
 いつも穏やかで人当たりのよいアヤメには、意外にも押しの強い一面がある。
 彼女は滅多に人に何かを頼むことはない。その上、たまの『お願い』はいずれもこちらが簡単に頷けるようなささやかなものばかり。だから気づきにくいのだが、こうして何かを要求し始めた彼女がなかなか折れないことを、フォックスは経験上知っていた。

「……一応、どうしてか訊いていいか?」
「だって、なんか後輩っぽいじゃないですか」

 照れ臭そうに告げられたなんとも素朴な理由に、フォックスは眉を開いて笑った。『後輩』のこんな可愛らしいお願いを聞いてやれないようでは、遊撃隊のリーダーの名が廃る。

「いいぞ。特訓もたまには楽しんでやらないとな」
「本当ですか? ふふ、ありがとうございます、フォックス『先輩』」

 茶目っ気の見え隠れする楽しげな眼差しに、フォックスもなんだか嬉しくなって目付きを和ませた。




 アヤメの繰り出したスマッシュ攻撃の爆炎を間一髪で回避したフォックスは、距離を取らずにその場でリフレクターを発動させる。砲身でフォックスを殴ろうと間を詰めた彼女が慌てて飛びずさると、彼はその軌道を読んでイリュージョンの高速攻撃を繰り出す。中距離が得意な射撃タイプで接近戦に持ち込もうとするとは、やはり他タイプで戦う時の癖が出てしまっているようだ。
 冷静に分析をしていると、遠くに着地した彼女がチャージをし始めたのが見えた。最大まで溜まったあれを食らうのは結構痛い。フォックスはその溜め攻撃を中断させるために彼女に向かって駆け出す。
 そんな攻防を繰り広げている最中に、二人の頭上の足場にキノコが出現する。アヤメが出現したアイテムの行方を追って視線を動かした隙を突いて、フォックスは彼女を蹴り飛ばした。

「甘いぞ、撃墜の瞬間まで相手の動きから目を離すな!」
「は――はい!」

 空中で体勢を建て直したアヤメは眼差しになけなしの力を込め、迫り来るフォックスにブラスターを向ける。が、彼が攻撃体制に入ったのを見ると慌てて緊急回避をした。攻撃が空振りしたフォックスは、着地した後にシールドを展開させてアヤメの射出したステルスボムの爆風を防ぐ。

「そうだ、射つのはまず相手の攻撃を避けてからだ! 相手の動きを見極めて、一発も食らわない気概でいろ!」

 言いながら素早く駆け寄って胸ぐらを掴もうと手を伸ばす。が、それをなんなくすり抜けた彼女に逆に捕まれて真上に放り投げられた。追撃で飛んできたビームを受けたフォックスに、アヤメがさらに追い討ちをかけようと大きな尻尾を揺らして飛び上がる。
 彼女が下から放ったエネルギー弾は全弾、フォックスの脇を掠めるように通過していった。やはりまだまだ狙いが甘い。せっかくのリーチの長さを殺してしまっている。真下の彼女を巻き込むように回転キックを繰り出すと、攻撃直後の隙を狙われたアヤメはなす術もなく場外へと吹き飛ばされていった。

「射つ時は相手の動きの先を読め! アヤメなら大丈夫、落ち着いて自分の感覚を信じるんだ!」
「は、はい!」

 戻ってきたアヤメは短く返事をすると、射撃タイプの得意とする距離を保つために、近寄るフォックスに向かって牽制の弾を放った。




 ――ほとんど休憩を挟まずにアヤメと乱闘し続けたフォックスは、ふとルーム内の時計を見上げて目を見張った。いつの間に時が経っていたのか、昼食の時間までもう十五分もない。少し特訓に熱中しすぎてしまったようだ。
 本音を言うと締めにあと一戦だけしたい気分だったが、あまり欲張ると本当に食いっぱぐれてしまう。

「今日はこの辺にするか」
「は……はい。ありがとうございました……」

 覇気のない声に振り返ると、そこにはいつになく憔悴した様子のアヤメがいた。力なく壁に背を預け、ぐったりとこうべを垂れている。心なしか尻尾にも元気がない――いや、あれは作り物だから当然だった。いつも静かな笑みを浮かべている彼女が初めて見せる弱った姿に、フォックスは慌てて駆け寄る。

「だ、大丈夫か、アヤメ?」
「大丈夫です。その、ちょっと疲れちゃいまして――」

 顔を上げたアヤメは、気が抜けたように笑いながら頬にかかった後れ毛を軽く払う。疲労の影が見え隠れするその表情に、彼は心配になって眉を寄せる。乱闘空間は疲れを感じないようにマスターハンドが調整しているはずなのだが、ひょっとして元々体調が良くなかったのだろうか。
 そんな彼の危惧を吹き飛ばそうとしてか、彼女はもう大丈夫だと言わんばかりに満面の笑みを見せた。

「すみません。本当に大したことないんです。ただ、特訓に力が入りすぎちゃっただけですから」
「そう……だったか?」
「ふふ、すごかったですよ。まるで本当にスターフォックスの新入りになった気分でした」

 そう言われて、はっとフォックスは目を瞬かせた。思えば、今回はだいぶ特訓に熱が入ってしまっていた気がする。恐らくアヤメの格好のお陰で、本当に『スターフォックスの後輩』を指導しているような気分になっていたのだろう。
 ――休憩も取らず立て続けに乱闘を行い、強い口調で指示を飛ばす。教え方も普段に比べてかなりスパルタだった。しかも途中から「そんなことじゃ戦場で生き残れないぞ」などと言っていた覚えもある。……軍人でも傭兵でもない彼女に、だ。
 思い返せば返すほど頭が痛くなってくる。乱闘の仕組みで体力はどうにかなっても、精神力はまた別の話。普通の女性であるアヤメが参ってしまうのも当然である。

「すまない、もしかしてキツかったかな」
「いえ、そんなことは」

 にこやかな笑顔を浮かべたアヤメが両手を振って否定する。

「これはこれで楽しかったですよ。フォックスさんも、いつも以上にキリッとしてて格好よかったですし」
「そ、そうか」

 笑顔でさらりと言われた言葉に、フォックスは口ごもった。こういった率直なところが彼女の美点でもあるのだが、不意打ちで褒められるのはどうも照れ臭くて慣れない。アヤメは何を思ったか、そんなフォックスの表情を覗き込んで満面の笑みを向ける。

「たまにはいいですね、こういうのも」

 そう言ってにこにこと笑う彼女には、すでに疲労など欠片も見受けられない。確かに精神的な疲れなら気の持ち方次第でどうにでもなる面はあるが、それにしたって前向きである。
 彼女は楽しそうにくすくすと笑うと、思い出したように自分の格好を見下ろした。

「それにしても、すごく動きやすいですね、これ。パイロット服って、もっと丈夫で重たいイメージだったんですけど」
「軽い割に結構丈夫だぞ。何せ、特注で作ってあるからな」
「すごいですね、メンバー全員に特注の隊服だなんて。しかも、デザインも一人一人違うんでしょう? すごいなぁ……」

 アヤメが感心したように微笑を浮かべると、着ているジャケットの裾やベルトの装飾を興味深げにぺたぺたと触りだした。

「機能的だし、おまけにデザインも格好いいし――普段着でも全然いけちゃいそうです」
「アヤメさえ良かったら、そうしてくれても構わないぞ」

 彼女の所有している奇抜なコスチュームの数々を思い出して、フォックスはつい苦笑をにじませる。軍服だから女性らしさには多少欠けるかもしれないが、着ぐるみやらコスプレやらよりは幾分かマシだろう。少なくとも、人前に出て恥ずかしい格好でないのは確かだ。
 だが、フォックスの言葉を聞いたアヤメは軽く目を見張ったかと思うと、何やらうっすらと頬を染めた。

「……本当にいいんですか、フォックスさん?」
「何がだ?」
「だ、だって――」

 まさかそんな反応をされると思わなかったフォックスはきょとんと首をかしげる。アヤメは言いづらそうに口を閉ざしてそんな彼をちらりと見やり、かと思うとすぐさま視線をそらして軽く目を伏せる。恥じらうようなその仕草に、なんだかこちらまでどぎまぎしてしまう。

「だって、その……尻尾までおそろいなんですよ?」

 アヤメが右手で持ち上げてみせたふさふさの尻尾を目にして、フォックスはぐっと息を詰まらせる。――そうだった。すっかり忘れていたが、これも立派なコスプレだった。しかも自分の。
 気づいた途端に猛烈な恥ずかしさが込み上げてくる。片手で覆った顔から湯気を出しそうになりながら、フォックスはなんとか声を絞り出す。

「……その、なんだ。やっぱりやめておこうか」
「ですね。こういうのは二人きりの時だけにしましょう」

 それはそれでやっぱり恥ずかしいのだが、フォックスは何も言わずただ苦笑を返した。
 嫌だ、などと言えるはずもない。こちらがはっきりと拒絶すれば、きっとアヤメは困ったように笑みを浮かべながらそれを受け入れてくれるだろう。たまに頑固な一面を覗かせることもあるが、彼女はそれ以上に他人を思いやれる優しい人間なのだ。そんな彼女を悲しませるようなことはできない。
 ――それに、実を言うとそれほど嫌でもなかった。フォックス自身も彼女と同じように、揃いの隊服に身を包んでの特訓を楽しんでいたのは確かなのだから。

「またやろうか」

 そう言うと、アヤメはその返しを予想していなかったのか驚いたように目を瞬かせ、次いで嬉しそうに顔を綻ばせた。





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