smile! | ナノ

 リザルト空間から乱闘ルームに戻ったスミレは、大きなため息をついて肩を落とした。

「うう、まだまだキッツいなあ……」

 画面に映っているのは、先程Lv.5のCPと戦った結果である。ストック3のタイマンで挑んだのだが、結局相手を一機も撃墜できないまま負けてしまった。実に惨々たる有りさまである。スミレはもう一度ため息をつく。
 彼女は乱闘に慣れるため、こうしてひとり乱闘ルームにこもってはCP相手に日々特訓している。しかし、これがまたなかなか上達しない。四人以上の乱闘だとLv.2、一対一だとLv.3がなんとか五分五分に戦える限界である。Lv.1にタイマンで負けていた頃より随分ましになったものの、この調子では他のメンバーと互角の勝負を繰り広げるのは夢のまた夢だ。

「ゲームじゃそれなりに戦えてたのになあ」

 やはり、キャラクターを操作するのと自分自身で戦うのとでは感覚に大きな隔たりがある。相手の姿を常に視界内に収められないのは案外辛い。

「うわっ、やば。もう十時だ」

 ルーム内にある時計をちらりと見たスミレは慌てて身なりを整えて扉を開けた。そうしてトレーニングルームに向かおうとしたそのとき、廊下に見えた二つの人影に彼女は思わず足を止めた。

「なあ、頼むよリンク。もう一戦だけ」
「もういいだろ。しつこいぞ、フォックス」

 喧嘩という訳ではなさそうだ。だが煩わしそうにフォックスをあしらうリンクの声音に、スミレは足がすくんだまま動けなくなってしまった。スルーして隣を通り抜けるには彼女のメンタルがあまりにも貧弱すぎる上、人として罪悪感も感じる。結果として、スミレは彼らに声をかけずにはいられなかった。

「あの……どうかされましたか?」
「スミレか、ちょうどいいところに!」

 振り返ったフォックスに喜色満面(恐らく)で思いきり肩を掴まれ、スミレは硬直する。

「お願いだ、俺と乱闘してくれ!」
「え、え?」

 まるで結婚を申し込むような勢いである。何が起こっているのか処理しきれないまま、スミレは助けを求めるようにその場にいたリンクに視線を向ける。

「ダメダメ、やめといた方がいいぞ。そいつ、いったん始めると長いからな。しかもなかなか離してくれないんだ。俺ももう一時間も付き合わされてクタクタだよ」
「す、すまない、リンク。だがもう、誰も付き合ってくれなくなってしまって……」

 どうやらフォックスは誰彼構わず長期戦の乱闘を挑んでいるらしい。しかもしつこく。意外な一面である。

「フォックスさんって、そんなに乱闘がお好きなんですか?」
「あ、いや、その。別に戦うことがそこまで好きというわけではなくて――」

 いつもハキハキと喋るフォックスには珍しく言葉を濁す。首をかしげると、リンクが呆れたような顔で人差し指と親指で輪を作ってみせた。輪の切れ目が上を向いていることから、このハンドサインはオーケーの意味ではなく――。

「お金、ですか?」
「……その、そういうことだ」

 フォックスがスミレの肩を掴んだままがっくりと頭を落とす。

「元の世界の借金、ちょっとでも減らしたいんだってさ」

 リンクの補足に、ああ、とスミレは納得する。そういえば、フォックスには父親から受け継いだ借金があったはずだ。八十年ローンという、あまりにも膨大な額の借金が。
 この世界のファイターには、毎日行われる公式戦の結果に準じて給料としてコインが支払われるようになっている。だがコインを稼ぐ手段はそれひとつ限りではない。公式戦に出場する以外でも、フリーで対人戦を行ったりシンプルに挑戦したりすれば、その度にコインをもらうことができるのだ。
 この貨幣は元の世界に送金することもできるので、彼としてはできる限り多く乱闘をして少しでも稼いでおきたいのだろう。

「大変なんですね、フォックスさん。……でもその、お力になりたいのは山々なんですが、実は十時からトレーニングルームを予約してまして」
「あれ? スミレ、今さっきひとりで乱闘ルームから出てきたところだよな。真面目だなあ、また特訓するのか?」

 リンクの問いかけに、スミレは苦笑しながら頷く。

「はい。お恥ずかしながら喧嘩もろくにしたことなくて、戦い方がまだいまいち――」
「それなら、俺が代わりをやる!」

 再び肩をぎゅっと掴まれて、フォックスが顔を寄せてきた。近い。非常に近い。口から覗く歯が異様に鋭いのもあって、どことなく大型犬に迫られているような恐怖を感じる。

「コンボの練習にも、ステージの下見にも付き合う。アイテムの使い方のコツやちょっとした小技だって教えられるぞ。動きについての細かなアドバイスだってできるから、ひとりでやるよりは絶対に効率がいいはずだ。トレーニングルームの予約なら取り消せばいい。これならどうだ?」

 近距離で矢継ぎ早に捲し立てられるという初めての経験に、スミレは目を白黒させながらなんとか言葉を紡ぐ。

「その前に、顔、近いです……」
「え? ――うわっ、すまない!」

 どうやら無自覚だったらしい。フォックスは慌てふためいてスミレの肩を離し、大袈裟に距離を取った。その様子を壁に寄りかかりながら見ていたリンクがにやにやと笑っている。

「お前ら面白いなー」

 完全に高みの見物である。先に迫られて困っていたのは彼であるはずなのに、調子のいいものだ。

「そ、それでどうなんだ、スミレ? どうしても嫌なら、無理強いはしないが」

 先程までの覇気はどうしたのやら、フォックスは気まずそうにスミレに伺いを立てる。
 ここで交換条件を立てたらどうなるだろう、と彼女はふと考えた。例えば、その力なく垂れ下がるふさふさの尻尾だとか首元のもさっとした毛を触らせてくれたら引き受けるとか。だがしかし、獣の姿をしているとはいえ彼も成人男性である。きっと恥ずかしがるに違いない。ああでも、恥ずかしがるフォックスもそれはそれは可愛らしいだろう。そんな彼を撫で回したい。もふり倒したい。
 ――ふざけていないで、きちんと返答しよう。彼の不安を取り除くように、スミレは穏やかに笑みを浮かべる。

「喜んでお引き受けします」

 すると、フォックスの表情が途端に生き生きしだした。

「本当か!」
「はい。むしろ、こちらからお願いしたいくらいです」

 ちょうど、スミレも特訓に行き詰まっていたのだ。労せず良い指導役を見つけられたのは、むしろ幸運とも言える。幸い乱闘中は身体的な疲労が溜まることがないので、精神力にさえ気を付けていれば長時間行うことにも問題はない。

「よかった、ありがとうスミレ! じゃあ早速空いているルームに……っと、まずその前にトレーニングルームで予約の取り消しをしに行かないとだよな。――あ、さっきはすまなかったな、リンク! それじゃあ!」
「ではリンクさん、また」
「ああ。……まあ、頑張れよ」

 売りに出される子牛を見るようなリンクにお辞儀をして、スミレは歩き出したフォックスの後に着いていった。
 ――それから毎日、最低でも二時間はフォックスの乱闘に付き合わされる羽目になるとは、このときのスミレには思いもよらないことだった。




 

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