smile! | ナノ


 少々早く来すぎたようだ。無人のファイティングエリアの廊下を歩きながら、ファルコは大きくあくびをした。いつもなら公式乱闘の時間になるまで適当な場所で暇を潰してから来るのだが、開催が朝イチとなってはそうもいかない。何せ、昼寝をするにも武器の整備をするにも中途半端な空き時間なのだ。ペナルティさえなければ無断欠場してしまいたい。
 この分ならほぼ間違いなく自分が一番乗りだろう。そう思いながら乱闘ルームTの扉を開いたファルコは、だが壁にもたれかかった一人のファイターにほんの一瞬面食らって足を止めた。朝食が終わってまっすぐこちらに来たらしい。彼女は自分の思っていた以上に時間に律儀な人間であるようだ。
 彼女――スミレはファルコが入室したのにも気づかぬ様子で、壁に寄りかかったままじっと目を閉じている。また居眠りでもしているのかと呆れかけたが、ふとその耳から細い白のコードが垂れているのに気づいく。どうやら音楽を聴いていたようだ。よく見れば、指も微かに動いてリズムを刻んでいる。

「随分とまあ、テンポの速ぇヤツ聴いてんだな」

 ――そんなに夢中になって、何を聴いているのだろう。ふとした興味が向くと同時に、悪戯心がむくむくと顔を出してきた。
 ファルコはあえて足音を殺してそっとスミレに忍び寄り、真正面に立って顔を覗き込んでみた。だがそれほど間近に接近しているにも関わらず、彼女は何も知らぬ様子でただひたすらに音楽に耳を傾けている。イヤホンからしゃかしゃかと漏れる音は微かで、それだけではどのような曲調なのかすら想像もつかない。
 ――と、曲の切れ目に差し掛かったのかスミレが不意に小さく息を吐き出した。その瞼がゆっくりと持ち上がってファルコを捉える。直後。

「――っ!」

 目を大きく見開いた彼女は、声にならない悲鳴を上げて彼から遠ざかろうとした。だが残念ながらそこは壁際。それ以上後ろへ下がることは叶わず、彼女は咄嗟に判断したのかその場にさっとしゃがみ込んだ。……距離を取ったつもりらしい。

「よお、スミレ」

 眉根を下げた情けない顔でこちらを見上げてくるスミレに、ファルコはとぼけた顔で片手を上げて挨拶をする。彼女は気を落ち着けるように深呼吸をし、耳からイヤホンを無造作に抜く。

「お、驚かさないでください、ファルコさん」
「ああ? 気づかないお前が悪いんだろうが」
「……それは、まあそうなんですけど」

 ふんと鼻を鳴らして笑ってやると、彼女は困ったような笑みを浮かべた。ゆっくりと立ち上がって、長いコードをメジャーのようにしゅるしゅるとケースに巻き取る。それをポケットにしまうまでの一連の動作を眺めながら、ファルコは嘴を開いた。

「いつも乱闘前に聴いてるのか?」
「はい。やっぱり、気分が上がりますので」
「ほーぅ? お前にもそういうのがあるんだな」

 ファルコは意外に思って腕を組む。いつも感情を波立たせず穏やかな表情を保っているスミレに、自分から気分の高揚を求める一面があるとは。彼女なら、むしろ瞑想などして落ち着いて乱闘に臨もうとする方が『それらしい』と思っていたのだが。

「で、何聴いてたんだ?」

 話の流れからして至極自然の質問に、だがスミレはゆるりとした笑顔のままさりげなく端末を背中に持っていく。

「……おい、なんで隠す」
「いえ、なんでも。大したものじゃありませんので」

 大したものじゃないなら隠す必要などないだろう。ファルコがじっと胡乱な眼差しを向けると、彼女はその眼光に後ろめたさを覚えたのかふいと視線をそらす。スミレの背中に手を回して端末を奪い取ろうとすれば、彼女は何食わぬ顔で端末を握る手を反対側に移動させる。逆に手を伸ばしても、やはり避けられる。そんなやり取りを数度繰り返して、焦れったくなったファルコは苛々と舌打ちした。

「いいだろ、別に減るもんじゃねぇんだから」
「いえでもその、や、やっぱり恥ずかしくて」
「教えるのが恥ずかしい曲ってなんだよ。余計気になるだろうが」

 ファルコは壁に手を置いてぐいとスミレに詰め寄った。彼女はぴたりと背を壁にくっつけて、必死に視線を合わせないようにしている。そこまで隠されると、何がなんでも知りたくなる。さてどうやって端末を取り上げてやろうかとファルコが目を細めたその時、乱闘のさらなる参加者が来たらしく入り口の扉が開いた。同時に、パチンと指を弾く音が部屋の中に響き渡る。

「Damnit! なんだよ、オレが一番乗りじゃなかっ――」

 ――沈黙。部屋を覗いたソニックが、ブレーキをかけたままの体勢で大きく目を見張りながら固まっている。何をそんなに驚いてんだ、と口を開きかけたファルコは、ふと自分達の体勢を客観的に見たらどう映るかに思い至った。
 男が女を壁際に追い詰めている。しかも、壁に手をついて。――傍目には格好いいが、俗に壁ドンなどという妙にこっ恥ずかしい名称で呼ばれている、それである。

「OK, 邪魔したな」
「おい待てソニック。待て、違う、誤解だ」

 ファルコは背に嫌な汗を感じて、くるりと踵を返したソニックの肩を慌てて掴んで引き留めた。やたらと口の軽いソニックのことだ。勘違いさせたまま野放しにしては取り返しのつかない事態を招きかねない。そんな鬼気迫る思いが無意識に出てしまったのか、ソニックを掴むファルコの手にぎりぎりと力が入っていく。

「いっててて! 冗談だってファルコ、マジになるなよ」

 ソニックは悲鳴を上げてファルコの手を振りほどいた。ふぅ、とわざとらしく安堵の吐息をつきながら二人に向き直った彼は、からかうように口の端をにやりと持ち上げる。

「それで、何やってたんだ?」

 ……この顔は、絶対に何か『そういうこと』があったと思ってやがる。ファルコはため息をついて、背後にいるスミレを親指で差した。

「こいつが乱闘前にいつも何聴いてるのか気になったんだが、ちっとも教えてくれねぇんだ」
「What? なんだよそれ、オレそんなとこ見たことないぜ」

 ソニックは目の上の筋肉をぐっと持ち上げて不満げな顔を作った。顔の作りのせいか、それとも生まれ育った世界の文化の問題なのか、彼の表情は人間以上に感情が分かりやすい。スミレも同じことを思ったのかくすくすと静かに笑うと、背中に隠していた端末をちらりと見せた。無論、ファルコに奪い取られないように細心の注意を払いながら。

「人前じゃ失礼かなって思って。ソニックさん、いつも一番乗りか大遅刻のどっちかでしょ?」
「そりゃ、ヒーローは遅れてやって来るもんだからな」
「自慢にならねぇよ」

 呆れ混じりの視線を送るも、ソニックは一向に意に介した様子はない。むしろ誇らしげに胸を張っている。スミレもそれには思うところがあったようで、誤魔化すような苦笑をその口元に浮かべた。
 そんなスミレに――正確にはスミレの手にした端末に――ソニックはちらりと目を向ける。

「ふぅん……でも、そいつは確かに気になるよな。――よし、行くぞファルコ」

 顎をかりかりとかいて何事か考えていた彼は、ふとこちらに片目をつむってみせた。その一瞬で彼の意図を察したファルコは、にやりと下瞼を持ち上げてゆっくりとスミレに目をやる。隣でソニックが姿勢を低くし、クラウチングスタートの体勢を取った。
 二人のただならぬ気配に嫌な予感を覚えたのか、スミレは表情を引きつらせて端末を握り込んだ。じり、と腰を落とし、いつでも動けるようにと警戒の構えを取る。

「お、お二人とも。今すごく悪い顔してますよ」

 硬く縮こまったようなスミレの声を合図に、二人は同時に彼女へと飛びかかった。ファルコはまっすぐ突っ込み、ソニックがそれをサポートするために大きく回り込む。

「ちょ、ちょっと待っ――」
「ククク、乱闘モードじゃねぇお前の戦闘力なんてたかが知れてるぜ!」
「オレ達のコンビネーションから逃げられると思うなよ!」

 完全に悪役の台詞である。二人は飛んだり跳ねたり走ったりして彼女を翻弄しつつ、彼女の手にある端末に狙いを定めた。
 地上でのスピードで無類を誇るソニックと、空中での機動がファイター随一であるファルコ。この両者を相手取るのだ。未だに乱闘の展開速度に混乱する傾向のあるスミレには、さぞ戦いにくいに違いない。それでもなんとか端末を守って必死に抵抗を続けていた彼女だったが、健闘むなしくファルコのフェイントに引っ掛かり、いともたやすくソニックの手に奪われてしまった。

「あっ――」
「遅すぎだぜ!」
「よぉし、でかしたなソニック!」

 奪い返そうと伸ばされるスミレの手をひらりとかわして、ソニックとファルコは素早くスミレと距離を取った。互いに視線を交わしてにやりと笑うと、どちらからともなく片手を上げてパンと打ち合わせる。
 ソニックはなおも諦め悪く追いすがろうとしてくるスミレにちらりと目を向けたかと思うと、ふわりと自分の端末を放り投げる。スミレは慌てたように二歩下がり、投げられたそれを両手でキャッチした。

「I'll lend you!」

 スミレはソニックの言葉の意味を図り損ねたのか、戸惑ったように目を瞬かせながら手元の端末と彼を交互に見やる。

「ユーロビートだ。代わりにはなるだろ?」
「だ、ダメです、前試したんですけどユーロビートじゃ足りな――じゃなくて!」
「足りない?」

 さっと顔色を変えたスミレの言葉に、ファルコは首を傾けた。ちょっと言っている意味が分からない。……が、何故だかよろしくない予感がする。ひょっとしたら聴かないでそっとしておいた方がいいんじゃないか。そんなファルコの逡巡など気に留めることもなく、ソニックは上機嫌で再生ボタンを押した。

「…………」
「Oh……」

 端末の低品質なスピーカーがまず吐き出したのは、鼓膜を破らんばかりに激しく打ち鳴らされるドラム。腹を全力で殴りにかかってくるベースと絶叫するギターが、その弾丸じみた音を彩っている。
 それら全てを圧して君臨しているのは、嘔吐にも似た低音の歌声だ。魂の底から怒りと憎悪を絞り出したような割れた声の中、きるゆーだのふぁっきゅーだの物騒な単語が紡がれるのが時折聞こえてくる。
 ――ソニックは黙って停止ボタンを押した。訪れた静寂と共に、重苦しい沈黙が立ち込める。

「……こういうの聴かないと、本気で殺す気になれないんです」

 スミレは顔を背けたままぽつりと言い訳を呟いた。空気に溶ける儚げな声音とは裏腹に、スマートボムを投げつけられたかのような威力がその言葉にはあった。
 ファルコもソニックも聞き返す気になれず、押し黙ったまま彼女をじっと見つめる。その沈黙に耐えかねたのか、心なしか虚ろな瞳を伏せて、彼女はさらに言葉を重ねた。

「だって、殺す気でいかないと、勝てないじゃないですか」

 ――それではなんだ。この女は今まで、本気で殺す気で乱闘していたとでも言うのか。あの首を狙った斬撃も、頭部を蹴り飛ばそうとした脚も、体のど真ん中をぶち抜くように放たれたエネルギー弾も、全て。
 ファルコはもう言葉を返す気力すら失ってソニックに視線を移す。すると彼も同じことを思っていたのか、ゆっくりと首を巡らしてこちらを見上げてきた。口に出さずとも表情が「マジかよ」と言っている。つくづく分かりやすい。

「む、今日はみな早いな。――どうした? 雰囲気がやけに重苦しいが、何かあったのか」

 誰も何も言えないでいるところに、不意にキャプテン・ファルコンが入室してきて怪訝そうにルーム内を見渡した。
 突如として吹き込んできた軽やかな風が、ルームの息苦しさを半減させてくれたような気がした。ファルコは体が軽くなったように思ってほっと肩の力を抜く。ソニックも胸に手を宛がい、あからさまに安堵の息をこぼした。その二人の様子を奇妙に感じたのか、ファルコンが首をわずかに捻る。

「なんでもありません。実は、私がちょっと緊張しちゃってまして」

 なんでもない、と首を振ろうとしたファルコに先んじて、スミレが穏やかな声音で発言した。振り返ると、先程の虚ろな表情が嘘であるかのように控えめな微笑を浮かべている。
 なんという切り替えの早さだろう。ファルコは舌を巻く思いでそれを眺めた。自分の知っているどこかの猫とは表に出ている性格が大分異なるが、こういうところは彼女も立派に『女』という生き物であるらしい。スミレはゆるりと自然な足取りで何も知らないファルコンに歩み寄っていく。

「今日の出場者はこれで全員でしたっけ。……なんだか青い方ばっかりですね。私も青い服着た方がいいでしょうか、なんて――」
「ほう、それはいい。たまにはそうやって趣向を凝らして楽しむのもアリだと私は思うぞ。……そうだな、試しに一度それで戦ってみるのはどうだ?」
「そうですね、まだ時間もあることですし」

 ――つまり、殺す気でやるつもりか。ほのぼのとした談笑の裏に物騒な含みを読み取ってしまって、ファルコは気まずい思いをしながら目をそらした。何も知らなければただの平々凡々な日常会話として聞き流すことができたはずだろうに。好奇心は時に己を殺すものなのだと、こんなところで実感する羽目になるとは思わなかった。

「ファルコさん、ソニックさん」

 振り返ったスミレが、ソニックの端末を差し出しながらにこりと笑う。普段となんら変わらない穏やかな表情と声音が逆に空恐ろしい。

「端末、返していただいても?」
「あ、ああ! Sorry、スミレ」
「あー、その、なんだ。――悪かったな、借りちまって」
「いえいえ」

 心なしか声を上ずらせながらソニックが自分のそれを受け取り、手に持っていたスミレの端末を返却する。スミレは何とも思っていないような表情でそれを受け取っては、表情を強張らせた二人にゆるりと会釈をしてキャプテン・ファルコンの元へと戻っていった。彼に端末の画面を見せてにこやかに衣装を選ぶ彼女を眺めながら、ソニックがぽつりと低い声で呟く。

「なあファルコ。オレ、あいつだけは絶対に怒らせないようにする」

 ――お前にしちゃあ遅い決断だな。そうからかおうとした言葉は、だがとてつもない自虐でもあったために、嘴に上ることなく喉の奥に飲み込まれた。




 

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