smile! | ナノ


 館の玄関のすぐ前で、リンクとむらびとがしゃがみこんで何やら作業を行っている。地面をそっと触って感触を確かめ、土を慎重に均す。周囲から草を引っこ抜き、違和感のないように植え直す。時折アイコンタクトを行う以外、意思の疎通を図ることは一切ない。それだけ、お互いが通じ合っているのだろう。無言でひとつのことに没頭するその顔つきは真剣そのものだ。
 やがて納得のいく仕上がりになったらしく、彼らは立ち上がって満足げに頷いた。

「よーし、出来たぞ! 後は誰かがここを通るのを待つだけだな、むらびと!」
「ああ。まさかここまで完成度の高い代物ができるとは思わなかったぜ。落ちたヤツの顔が見物だな。ククク……」

 二人は顔を見合わせて、にやりと人の悪そうな笑みを浮かべる。少なくとも片方は世界を救った勇者であるはずなのだが、正義の心はどこへ放り投げてしまったのだろう。スミレは呆れ混じりに軽くため息をついた。

「……何やってるんです?」

 声をかければ、驚いた二人はびくりと肩を揺らして勢いよく振り返った。

「ゲッ、マジかよ!」
「いつから見てたんだ、スミレ!」

 目を限界まで見開いて驚く彼らに、スミレは困ったように眉根を下げて笑った。あまりの熱心な様子に声をかけるにかけられず、数分ほどじっと背後から見つめていたのだが、どうやら作業に集中し過ぎていて全く気づいていなかったらしい。……見つけたのが自分だったからよかったものを、もし生真面目なファイターに見つかっていたらどうするつもりだったのだろう。
 彼女は悪戯が見つかって顔を強張らせている二人に歩み寄り、うっかりトラップに引っ掛からないよう細心の注意を払いつつ問題の地面を覗き込む。

「これ、落とし穴……ですよね」

 一見しただけではいつもの地面と変わらないが、よくよく見るとうっすらと円形の縁取りが確認できる。言われなければ分からないほど周囲と調和しているそれに、スミレは苦笑せざるを得なかった。自分が風に飛ばされた栞を取り返しに外出していた短時間に、よくもまあここまで違和感のない落とし穴を完成させたものである。戻ってくるのがあと十分も遅ければ、スミレは何も気づくことなくトラップの餌食になっていたことだろう。
 ――落とし穴のタネを自由自在に駆使するむらびとに、獣としての勘を持ち自然にも精通したリンク。この両者が揃えば、落とし穴界の頂点に立つのも夢ではないかもしれない。……あまり褒められたことではないが。

「またフォックスさんに怒られちゃいますよ」
「だ、大丈夫だって! 今日のは全然危なくないヤツだから!」
「……ホントですか?」

 過去に竹槍を仕込んだ危険なトラップを作ったのは果たして誰だっただろうか。むらびとのサムズアップを胡散臭げに眺めていると、リンクがスミレの肩にポンと手を置いた。不意打ちを食らってびくりと体が跳ねてしまったが、突発的な接触に彼女が驚くのはよくあることである。ありがたいことに、リンクはそれに触れることなく話を続けてくれた。

「まあ、聞けよ。今回の仕掛けなんだがな――」

 リンクは周囲に人気がないか確認したにも関わらず、声を潜めてスミレの耳元に顔を寄せる。そうしてこそばゆい思いをしながらも落とし穴の『中身』について打ち明けられたスミレは、戸惑いがちに首を傾けた。

「う、うーん、それなら確かに怪我はしないかもしれないですけど……」
「だろ? そう思うだろ?」

 考え込む彼女にむらびとが詰め寄り、両手を合わせて拝み込む。

「だから、なっ。誰にも告げ口しないでくれ!」
「俺からも頼む、スミレ! 俺達はただ、世紀の傑作として世に生まれ落ちたこいつが誰かを陥れるのを見届けたいだけなんだ!」

 ……実に最低な理由である。
 だが、危険なものでないのならあえて止める必要もない。何より、落とし穴を作っている最中の二人は心の底から楽しそうにしていたのだ。背後に人が立っていることにすら気づかないほど夢中になって、彼らはまるで子供のように瞳を輝かせていた。そこまで情熱を傾けて完成させた作品を、善悪の秤にかけて彼らから奪ってしまうのは気が引ける。
 落とし穴に引っ掛かる誰かさんには少し気の毒だが、ここは見逃してあげることにしよう。

「しょうがないですねぇ」
「やりぃ!」
「さっすが、話の分かるヤツだな!」

 リンクとむらびとはハイタッチをして満面の笑みを浮かべた。邪気のない笑顔の使いどころが間違っているような気がしなくもないが、二人の嬉しそうな表情を見ているとなんだか微笑ましさすら感じてくる。知らず知らずの内に口角が上がっているのに気づいて、スミレは自分の現金な性格に苦笑した。
 さて、こんな場面を人に見られて共犯者だと思われても困る。読みかけの物語の続きも気になるし、そろそろ本を置きっぱなしにしている談話室に戻らなければ。

「なあ、せっかくだからスミレも落とし穴見張ってようぜ」
「えっ」

 裏口に向かおうと二人に会釈をしかけたスミレは中途半端な姿勢で固まる。そして耳を疑うような言葉を口にしたむらびとの無邪気な――いや、邪気のたっぷり含まれた笑顔を見つめる。
 ……巻き込まれる。危機感を覚えたスミレは愛想笑いを浮かべた。

「い、いやその、私は――」
「いいからいいから。誰かが怪我しないか、心配なんだろ?」

 そう言いながらがっしりとスミレの肩を掴んで植え込みを指し示したリンクに、彼女は反論の言葉が見つからず情けなく眉根を下げた。




 植え込みの影に三人並んで隠れながら、スミレは重いため息をつく。ただ通りかかっただけのはずなのに、何故こんなことになってしまったのだろう。視線を落とすと、木陰にひっそりと咲いた小さな花が自分を慰めるようにかすかに揺れた。

「……なんか、ものすごい罪悪感」

 やっていることは子供じみた可愛らしい悪戯であるにも関わらず、まるで犯罪の片棒でも担いでいる気分である。実際に落とし穴を作って人を落とそうとしているのはスミレが逃げ出さないよう両脇を固めている二人なのだから、彼女自身はなんの関係もないはずなのだが。
 むらびとがにやにやと笑いながらスミレの顔を覗き込む。

「そんなこと言いながら、実は楽しんじゃってるんじゃねえの?」

 挑発的な声音に、にたりと笑った表情。両者を合わせると、どこをどう捉えても煽っているとしか思えない。だが彼女はむらびとのその問いかけに怒ることもなく、小さく悪戯っぽい笑みを口元に浮かべた。

「……実は、ちょっとだけ」

 穏やかで流されやすいように見られるスミレにも、譲れない一線は確かに存在する。もし本心から嫌だと思っていたのなら、彼女は迷うことなく首を横に振っていただろう。そうしなかったのは、彼女に少なからず興味があったためだ。
 ――今回むらびととリンクが丹精を込めて作り上げた罠に引っ掛かった人は、果たしてどんな顔をするのだろうか。落とし穴内部の『仕掛け』についてあらかじめ聞かされたスミレは、相手が怪我をする心配がほとんどないのをいいことにその好奇心を抑えられないでいた。

「くくく、ヌシも悪よのぅ」

 どこでそのような言葉を学んだのか、むらびとが悪辣な笑みでこちらを見上げる。くすりと笑ったスミレがお決まりの台詞を返そうと口を開いた時、リンクがはっと息を飲んだ。

「来たぞ、静かに!」

 リンクの鋭い囁きに、二人は息をひそめて気配を押し殺す。
 ――アイクだ。開け放しの扉の影から出てきた彼は、自分を見つめる三対の瞳にも、ましてや眼前のトラップにも気づく様子がない。……さあ、どうなる。落ちるのか、それとも見事かわしてみせるのか。スミレ達が固唾を飲んで見守る中、二歩目を踏み出したアイクの体は吸い込まれるように地面に消えていった。




 眉間にシワを寄せて仏頂面に拍車のかかったアイクが、威圧感たっぷりに仁王立ちしている。その前で、リンクとむらびとは草地に正座をさせられていた。二人は気まずそうにアイクから目をそらし、隣で自主的に正座をしているスミレをちらりと見やった。俯いてじっと地面を見つめる彼女の肩が小刻みに震えている。
 長い沈黙を破って、アイクが重々しく口を開く。

「二人とも、何か言うべきことはあるか?」
「サーセンっした!」
「いやその、ホント悪かったって」

 むらびととリンクの軽い謝りっぷりを胡散臭く感じたらしく、アイクは呆れたようなため息をつく。

「本当に反省しているのか? この間、フォックスにも同じようなことを言っていただろう」
「あれはほら、人が落ちたら危ないヤツだってことで怒られてただけであって、落とし穴を作るなとは言われなかったからな。なあ、むらびと」
「そうそう! それに、今回のは竹槍に比べちゃ可愛いもんだろ? 俺達だってちゃーんと反省して気ぃ遣ってんだよ。分かってくれよ、アイク」
「む……そうだったのか。疑ってすまなかった」

 二人の詭弁に、アイクは申し訳なさそうに目を伏せると素直に頭を下げた。完全に煙に巻かれている。傍らで聞いていたスミレはフォローしてあげたくなったが、今口を開くことはできそうにない。スミレは黙って下を向き、ただひたすらに耐えていた。そんな彼女に、無情にもアイクが声をかける。

「それにしても、まさかスミレまで一緒だとは思わなかったぞ。まあ、大方この二人に無理矢理付き合わされただけなんだろうが」
「……そ、その、ごめんなさい。でも、私だって悪いんです。ふ、二人を止めきれ……なくて――」

 震える声は徐々にか細くなっていく。ついに彼女は堪えきれなくなって、口元を手で覆いながら顔を背けてしまった。アイクはそんな彼女を見つめながら、ふと表情を曇らせる。

「スミレ」
「……はい」

 なんとか絞り出したのは、蚊の鳴くほど小さな頼りない声だった。アイクは再度ため息をつくと、低い位置にある彼女の脳天を真っ直ぐに見下ろす。

「声が笑っているぞ」
「だ、だって――」

 ちらりと顔を上げて、スミレはアイクの顔を見る。――と同時に、彼女の頭の中に先程の光景がフラッシュバックした。

「――あっははははは! ダメ、もうダメ! ホンットごめんなさい!」
「あーあ、またスイッチ入っちゃった」

 甲高い声で笑い出したスミレに呆れた眼差しを送り、むらびとが肩を竦める。三人の哀れみを含んだ視線を痛いほど感じつつも、彼女は体をくの字に折り曲げて苦しげに笑い続けている。笑いすぎて息を吸うのが苦しい。うっすらと涙までにじんできて、彼女は目元を指の背で拭った。

「だ、だってその、すっごくおかしくって……!」

 ――落とし穴の中に仕掛けられていたのは、乱闘でもよく用いられるスプリングだった。ただ弾みをつけて上に乗るだけでもかなりの反発力で使用者を宙に飛ばしてくれるそれが、二メートルほどもある落とし穴の底に設置されていたのだ。その威力たるや、想像するにかたくない。
 ……無表情で地面に吸い込まれたアイクが、直後に全く同じ無表情のまま勢いよく上空に打ち出される。突然の出来事でも体勢を崩すことなくしっかりと地面に着地した彼は、何が起こったのか理解できないまま数秒間硬直し、そのままゆっくりと振り返って自分の落ちた穴を見つめる。
 想像以上のシュールな光景に、スミレの感情をせき止めていた堤防はたやすく決壊してしまった。そうして植え込みに隠れていた彼女達は、落とし穴の被害者に見つかってしまったというわけだ。
 ――なんというか、非常に申し訳が立たない。自分のせいでリンクとむらびとが捕まって説教を受ける羽目になったこともそうだし、そもそも止めようとすらしなかったことが悔やまれる。何より、人の失態を見て笑うなど最低な人間のすることだ。
 スミレは込み上げてくる発作的な笑いを堪えながら、なんとか言葉を紡ぎだす。

「悪いとは思ってるんです、ホント――ふふっ、ご、ごめんな、さい……」
「い……いや、いい。気にしてない」

 気にしていないと言いながら、その表情はどこか落ち込んでいるように見える。その顔が悲しげな顔をした大型犬と重なって、スミレはさらなる笑いの波と激しい慚愧の念に襲われて肩を震わせた。もう箸が転がっただけでも横隔膜が痙攣してしまいそうだ。
 いつの間にやら立ち上がっていたリンクは、にやにやと笑いながらアイクの肩にぽんと手を置く。

「ドンマイ、アイク。こういう日もあるさ」
「……お前達のせいでこうなったんだろう」
「まあまあ、スミレが楽しそうだからいいじゃねえか。な?」

 三人のそんな会話に申し訳なさを倍増させながら、スミレは懸命に笑いを抑え込もうとする。普段の穏やかな自分を思い出して意識して心を静め、おもむろに数回深呼吸をする。――なんとか収めることはできたようだ。ほんの少し気が緩めただけでまた呼吸が震え出してしまいそうな状態だが、ひとまずこの場を乗りきれる程度には落ち着いている……気がする。
 ともかく、これでようやくまともに謝ることができる。スミレは眉根を下げ、アイクに向かって頭を下げようとした。

「も、もう大丈夫です。本当に失礼を――」
「スプリング」
「あはははは!」

 ぼそりとむらびとが呟いた単語に、辛うじて保たれていた均衡は呆気なく崩壊してしまう。「むらびと!」と怒鳴りつけるアイクと三人分の笑い声が、穏やかな午後の館に響き渡った。




 

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