smile! | ナノ

※若干のキャラ崩壊が含まれています。
※お酒のイッキ飲みは大変危険です。絶対に行わないでください。




 ふっと目を開けると、部屋の中はまだ夜のとばりに包まれていた。時計の針の動く音だけが、静かな暗闇にいやに大きく響いている。いまだ夢の中にいるような心地を振り払おうと、スミレは大きく息を吸って瞬きをした。
 ――今は何時だろう。カーテンの隙間から漏れる月の光を頼りに時計を確認すると、時刻はちょうど二時を少し過ぎた頃だった。

「喉、渇いたなぁ……」

 スミレはかすれた声で吐息混じりに呟き、次いで眉を寄せた。
 この部屋に飲み水はない。自室は就寝時以外ほとんど使っていないため、全くストックしていないのだ。備え付けの洗面所に行けば水もあるにはあるが、いくら面倒だからといえそこの水を飲むのは気が引ける。
 喉の乾きを潤したければ、一階の食堂まで行くしかない。スミレは深いため息をついて緩慢に体を起こすと、ベッドの下で眠っていたスリッパを引っ張り出した。




 暗い階段を下って一階に着いたスミレは、廊下から人工的な明かりが漏れていることに気づいて足を止めた。何やら賑やかな笑い声も聞こえてくる。何をしているのだろうと足音を忍ばせて近づいていくと、アルコール特有のくらくらする香りが鼻をついた。……どうやら、男性陣が談話室に集まって飲み会をしているようだ。会話内容は聞き取れないものの、かなり盛り上がっているらしいことが室内の雰囲気から伝わってくる。
 ――悪いことになった。スミレは立ち止まって、明かりに染まる廊下をじっと見つめる。
 食堂に向かうには必ず、扉のない談話室の前を横切らなければならない。だがそうなると、中にいる誰かが必ずこちらに気がついて声をかけてくるだろう。
 まさかこんな深夜に人に会うとは思っていなかったため、スミレの格好は完全に起き抜けのままだ。服は寝巻きで顔もすっぴん、髪だって乱れている。こんなだらしのない姿を男性陣に見られるのは少し――いや、かなり抵抗がある。
 とりあえず一番目につきやすい髪だけでもなんとかしなければ、と手櫛でぱっぱと体裁を整えておく。どうせ、声をかけられたとしても入り口の方で軽く会釈するだけだろう。相手は酔っぱらい集団だし、さっさと通りすぎてしまえばこちらの格好など気にも留められないはずだ。
 よし、とスミレは気合いを入れて深呼吸をする。自然に、何気なく、なおかつスピーディーに。頭の中で一通りシミュレーションをしながら、彼女は意を決して光と影の境目に足を踏み入れた。

「あっ、スミレじゃないか! おーい!」

 できるだけ気配を殺し、足音を立てないようにしていたにも関わらず、目敏いフォックスに呼び止められてしまった。思わず肩を跳ねさせてしまったが、ここまでは想定内だ。スミレはシミュレート通り、談話室内の男性陣に微笑を浮かべて会釈をする。

「こんばんは」

 挨拶しながらざっと見渡して面子を確認する。マリオにクッパにルイージに――計十二人の成人男性が一部屋に集って思い思いに寛いでいる。アイクもいるのは少し意外だったが、彼はテーブルに突っ伏して動かない。どうやら酔いつぶれて眠っているようだ。

「スミレもちょっとこっちに来いよ」

 フォックスは缶ビールを持ってにこやかに笑いながら手招きをする。スミレは少々ためらいを覚えたが、ここで断るのもいささか不自然だろう。彼女は覚悟を決めて、酔っぱらいの巣窟と化した談話室に足を踏み入れることにした。大丈夫だ、ここにはスミレの格好を笑う大人げない人物はいない――ちらりと彼女の視界にワリオやむらびとやファルコが映る――いない、はずだ。
 談話室に入った瞬間、むっと立ち込める酒の臭いにむせそうになったのをなんとか堪える。一息ついて、彼女はテーブルや床の上に立ち並んでいる無数のビンや缶を辟易として眺めた。人数がいるとはいえ、よくも一晩でこれだけの酒を消費できたものである。
 ……それにしても、先程からどうして誰も目を合わせてくれないのだろう。こちらににこにこと笑いかけてくるフォックスはともかく、それ以外のファイター達の挙動が不自然に怪しい。わざとらしく他所を向いていたり、下を向いてじっと手元の酒を見つめていたり、あまつさえ視線がかち合いそうになるとあからさまに目をそらすのだ。顔が完璧に明後日の方を向いたファルコに「よ、よお」などと挨拶された時はさすがのスミレも不振に思った。……ひょっとして、今の自分の姿があまりにも見苦しくて引いているのではなかろうか。
 加えて、心なしか面々の顔色が青いのも気にかかる。時間も時間だし、気分が悪くなるほど酒を過ごしたのなら少し心配だ。
 周囲の態度に不安感を覚えつつ歩を進めたスミレは、フォックスの勧めに従って彼の隣――床に置いてあるクッションに腰を下ろした。素直な教え子に、フォックスはふやけた笑みで満足げに大きく頷く。その普段は見られない表情とぐらついた不安定な動作で、スミレは彼が相当酔っていることを察した。これはもう角が立たないようにその場をしのいで、適当なところでオイトマするしかない。
 フォックスは上機嫌に笑いながら彼女に顔を寄せてくる。……一瞬だけどきりとしたが、酒臭い息が全て帳消しにしてしまった。

「さっきな、ちょうどスミレの話をしてたんだ」
「私の話ですか? どんな?」
「ちょ、ちょっと待てフォックス――」

 ファルコが慌てた様子でフォックスを制止しようとする。だがそれもむなしく、彼は満面の笑みで言い放った。

「それがな、スミレは全然エロくないなって!」

 ――なるほど、理解した。彼らの不自然な態度はそのせいか。

「い、いや違うんだスミレ、誤解しないでくれ。これはだな……」

 ファルコンが焦って何事か弁明しようとしていたが、スミレが無言で微笑を送ると即座に凍りついて口を閉ざす。

「ふふ、そうなんですか。面白いお話をされてたんですね、みなさん」

 笑みを浮かべたままぐるりと周囲を見回すと、心当たりのあるらしい人物が次々と面白いように顔を背けた。ワリオはそんな彼らを指差してダミ声で笑っていたが、どうせ彼も同罪だろう。
 一方で落ち着き払っているのは、やれやれと首を横に振るオリマーと、我関せずといった様子で日本酒をちびちびやっているガノンドロフである。オリマーは堅物過ぎるほど真面目な好人物だし、ガノンドロフはそういった話に全く興味がなさそうだ。両者は話に参加していないと見て間違いはないはずだ。

「で、どういう流れでそういうお話になったんですか?」

 フォックスに話を振ると、笑顔を浮かべっぱなしの彼は喜んで話してくれた。
 初めはゼロスーツサムスがけしからんほどエロいという話で大層盛り上がっていたらしい。ワリオとデデデが初めに持ち出したその話題は、徐々に他の女性陣の色気の如何について広がっていったのだそうだ。

「すごかったぞ。途中でマリオとクッパがピーチのエロ可愛さについて熱く語りだして――」
「やめろフォックス、頼むからそれだけはやめてくれ!」
「ぐぐ……何故邪魔をするのだワリオ、デデデ!」
「ガハハ、その方が面白いだろうが!」
「こうなったら全員道連れだゾイ!」

 喋り続けるフォックスを止めようとしたマリオとクッパの前に、ワリオとデデデが立ち塞がった。そんな彼らの攻防のその脇で、ルイージが世界の終わりでも訪れたかのように顔を覆ってぶるぶると震えている。丸い鼻が一際大きく揺れているのがどことなく可愛らしい。

「それで、一番エロくないのは誰だと思うかって話になってな。そうしたらむらびとが『それならスミレがダントツだな』ってさ」
「へえ、むらびとさんが」
「え、えへへ。なんの話だろう。俺さっぱり分からないなぁ」

 つい、とソファで足をぶらぶらさせていたむらびとに視線を向けると、にこりと笑みを返された。無邪気を装って降りかかる火の粉を避けしようとしているのが丸分かりだ。スミレもお返しにと微笑みかければ、彼は引きつった笑顔ごとびしりと固まった。その反応が滑稽に思えて、彼女はくすくすと笑う。

「でもな、俺はそれでもいいと思うんだ」

 舌足らずなフォックスの言葉に、スミレは視線を彼に戻す。

「例えエロくなくてもスミレにはスミレの魅力があるって、俺はちゃんと知ってるからな。いつかそれに気づいてくれる男がいるはずだから、心配しなくてもいいんだぞ」

 ――私の魅力? 背中をぽんぽんと優しく叩かれながらスミレは首をかしげたが、所詮は酔っぱらいの言うことだ。真に受けるのも馬鹿馬鹿しく感じて、明るく笑って流すことにした。

「あはは、ありがとうございます。フォックスさんって、酔うとすごくお喋りになっちゃうんですね」
「そうなんだ。それで失敗することも多くてさ」

 今まさに大失敗している場面だと思うのだが、ふにゃりとした笑顔の彼は全く気づいていないらしい。スミレは彼の頭をわしゃわしゃしたい衝動に駆られつつ、「そうなんですか、大変ですねぇ」と適当に相槌を打つ。

「そそ、それよりスミレ、こんな夜中に降りてきてどうしたんだ?」

 ファルコが青い顔をして――といっても、元から青いのだが――スミレの意識をそらそうと声をかけてきた。そういえば、と彼女は思い出して喉元をさする。

「その、水を飲みに来たんですが――」
「よ、よし、水だな! おいファルコン!」
「任せろ!」

 ファルコの一言でキャプテン・ファルコンがスタートダッシュを切る。酔ったまま走ると危ないですよ、とスミレが声をかけようとした時にはすでに遅く、彼の姿は談話室から跡形もなく消えていた。さすが、ソニックに次いで足の速い男である。

「ま、待たせたな、スミレ」
「あ、ありがとうございます」

 ものの十数秒で戻ってきたファルコンの手から、水の入ったコップを慎重に受け取る。……こぼれた形跡はないが、あのスピードでどうやって運んできたのだろうか。とにかく、もらえるものはありがたくもらっておこう。コップを傾けると、清涼な感覚が喉を冷たく潤した。
 水を飲み干して一息つき、周囲に視線を巡らせる。談話室内の男性陣があからさまに緊張した様子で、固唾を飲んでこちらの顔色を伺っている。未だに注目されるのに慣れないスミレはその沈黙に少々の気まずさを覚えつつ、そっと口を開く。

「あの……」

 その瞬間、びくりと一同の肩が震えた。――何も、そこまで怯えなくも。彼らの様子がたまらなくおかしくて、彼女は思わず噴き出してしまった。
 唐突に笑い出した彼女をぽかんと見つめてくる彼らに、スミレはくすくすと笑いながら謝罪する。

「ごめんなさい。別に私、怒ってなんかいませんよ」
「ほ、本当かい?」
「はい。誰かに告げ口するつもりもないですから、安心してください」

 にこりと笑ったスミレの言葉に、マリオが目に見えて安堵する。
 異性の外見に惹かれるのは人の性である。女性ですら、男性の外見的な魅力を公然と語り合ったりするのだ。男性が同じことをしていたからと言って、どうして責められようか。

「そ、そうか。……その、すまないな、スミレ」

 申し訳なさそうに頬をかいてファルコンが謝る。気にする必要はないのだが、やはり会話の内容が内容だけあって後ろめたいのだろう。スミレは控えめに微笑んで両手を横に振ってみせた。

「いえ。むしろ、こっちの方がごめんなさい。せっかく楽しい飲み会だったのに、水を差しちゃいまして」
「スミレ、君って人は本当に……」
「いい娘を持って、ワシは幸せだゾイ……!」

 ルイージとデデデが涙ぐみながら腕で目元を覆う。「いつお前の娘になったんだよ」とファルコの呆れたような突っ込みを聞きながら、スミレは彼らの大袈裟な感動のしように苦笑を浮かべた。
 とにかく、彼らのお陰で緊迫していた談話室の空気がずいぶんと和やかになってくれた。これで一件落着、さてそろそろ帰ろうかとスミレが腰を上げかけたその時である。
 むらびとが、ぐっと拳を握りしめて勢いよく立ち上がった。

「いいかスミレ、俺は謝んねーからな! 誰にだって譲れない主義主張ってもんがあるんだ!」
「むらびと、テメエ! 今いい雰囲気だったろうが!」
「あはは……いいですよファルコさん、気にしませんから」

 むらびとに掴みかかりそうな勢いで食って掛かるファルコに、スミレはひらひらと手を振る。思い返してみれば、初めに自分に失礼な暴言を吐いていたのは彼だった。大して怒りも沸かなかったものだからすっかり失念していた。

「い、いいんだな? お前のこと色気皆無な縁側系モブ女だって言ったこと、撤回しなくて本当にいいんだな?」
「はい」

 何度も念押ししてくるむらびとに、彼女は穏やかな笑顔で頷く。
 自分が色気と無縁であることは承知の上だ。その上、この館にいる極上の美女ばかり。彼女達と比べられては、ダントツで魅力に劣るのも無理からぬことである。そんな分かりきったことを今更指摘されたところで、どうということもない。……さすがに少し虚しい気分にはなるが。
 談話室の一同の表情がようやくほっと安堵したものへと変わったところで、成り行きを見守っていたワリオが大きな舌打ちをした。

「けっ、つまんねーな。せっかく面白い修羅場が見れると思ったのによぉ」
「……ワリオ、後で覚えておくのだ」

 クッパがじろりとワリオを睨むが、本人はどこ吹く風で大口を開けて笑っている。どんなに嫌がられても煙たがられても全く気に留めない、見上げた自己中心っぷりである。

「ああ、そうだった。エロいエロくないといやぁ、すっかり言い忘れてたんだけどよ」

 ふとワリオが思い出したように言い出したので、スミレは首をかしげて彼を見返す。彼はじっと品定めするように顎に手を当ててこちらを眺めていたかと思うと、にぃっと口の端を持ち上げてみせた。

「お前、寝る時はブラ着けねー主義なんだな」

 ――スミレは体を強張らせた。ほんの一瞬、談話室中の視線が自分の胸元に集中したのを感じたのだ。すぐさま気まずそうに目を反らされたが、なんだか胸回りに色々とこびりついているような違和感が残っている。
 やり場のない羞恥心と煮えたぎるような感情がふつふつと込み上げてきて、スミレは気を落ち着かせるために軽く俯いて深呼吸をしてみた。……効果はいまひとつのようだ。
 隣でフォックスが「なんだ、道理で今日はやわらかそうだと思った」などとへらりとした笑顔でのたまっているが、それは置いておこう。スミレはともすると固まってしまいそうな表情筋を意識して動かして穏やかな微笑みを作る。

「――よく気がつかれましたね、ワリオさん」
「ああ? んなこと、男なら誰だって気がつくだろ」
「へえ、そういうもんですか」

 笑顔を張り付けたまま周囲を見渡す。フォックス以外、誰も春菜の方を見ようともしない。……つまり、みな彼女が下着を身に着けていないことに気づいていたらしい。そのまま誰も触れずにいればよかったものを、本当にワリオは余計なことを言ったものである。口は災いの元、ということわざを今日ほど実感した日はない。
 スミレはふう、と息をつくとおもむろに立ち上がった。

「うん? スミレ、どうした。飲むか?」

 にこにこと笑うフォックスの誘いを丁重に断った彼女は、転がる空き缶や空き瓶を避けながら、マイペースにちびちびと飲んでいるガノンドロフとオリマーの元へと歩み寄る。ガノンドロフはそんな彼女の顔をちらりと見ただけで、再び杯に視線を戻した。

「ガノンドロフさん、ここにある中で一番強いお酒ってどれですか?」
「……何故我に訊く」
「まともに口を利いてくれそうなのがあなたしかいないので」

 他の面々は思いきり顔を背けるか目を覆って俯いていて、スミレが話しかけただけで大パニックになりそうだ。ガノンドロフは談話室の惨状を一瞥すると、呆れたように顔をしかめてふんと鼻を鳴らす。

「それだ」

 ガノンドロフが指差したのは、いかにも高級そうな日本酒の一升瓶だった。無造作に持ち上げて匂いを嗅いでみると、それだけで酔ってしまいそうなほどのアルコール臭が鼻を刺激する。これならちょうどいいだろう、とスミレは微笑んで頷いた。

「これ、お借り――いえ、いただきますね。後で別のをお返しします」
「構わん。せいぜい奴に最上級の美酒を味わわせてやれ」
「ふふ、ありがとうございます」

 スミレはくすくすと笑って重たい瓶を抱える。

「……その、なんというか、ほどほどにね」

 明後日の方向に目をやりながら呟かれたオリマーの言葉に、彼女は優しい微笑みを返すだけに留めた。そのまま瓶を抱えてワリオの元に向かったスミレは、彼の傍らにそっと腰を下ろす。

「ワリオさん。お酒、お注ぎしましょうか」

 そう微笑みかければ、ワリオは機嫌よくダミ声で笑いながら持っていたジョッキを差し出した。

「おお、気が利くじゃね――がぼぉっ!?」
「さあ、どうぞ」

 スミレはワリオの前髪を掴んでその顔を持ち上げ、大きく開いたその口の奥に瓶を突っ込んだ。穏やかな笑みを浮かべたまま、スミレは容赦なく酒を彼の喉に流し込んでいく。ワリオはがぼがぼと何事かを訴えかけているが、彼女は素知らぬ顔でにこにこと笑っている。

「ふふ、そんなに美味しいですか? まだまだ残ってますから、遠慮なく召し上がってくださいね」

 ――やがて瓶の中身が空っぽになるまで酒を飲まされ続けたワリオは、全てが終わると白目を向いて仰向けに倒れてしまった。誰もが死んだかと肝を冷やしたが、その直後にワリオはガーガーとうるさいイビキをかき始めた。スミレはそれを確認すると、空になった瓶をそっと床に立たせる。

「…………」

 談話室は重苦しい静寂に包まれている。スミレは男性陣の恐怖に震える視線を感じながら、微笑みの奥で冷や汗を垂らしていた。
 ――とんでもないことを仕出かしてしまった。いくら羞恥心に苛まれていたからといって、まさか人を急性アルコール中毒で死に至らしめようとしてしまうとは。自分でやっておいてなんだが、正気を失っていたとしか思えない。談話室内のファイター達もきっとドン引きだろう。
 ……今からでは、どう繕ったとしても遅すぎる。ここは平然とした顔をして、何事もなかったようにやり過ごすしかない。

「じゃあ、おやすみなさい。もう遅いですし、みなさんもほどほどにしておいた方がいいですよ」
「ああ、そうするよ。おやすみ、スミレ」

 フォックスがへらりと笑って手を振る。彼の周りだけ、ファンシーな花が飛んでいるように見える。スミレはそんな癒しの象徴ににこりと笑みを返すと、凍りついた談話室から足早に立ち去った。……できれば酔いの見せた幻覚だと思っていてほしいが、さすがにそれは不可能だろう。
 ――明日はとにかく何を言われても白を切り通そう。そう彼女は密かにそう決意するのだった。




 リザルト空間から戻ってきたフォックスが、眉間にシワを寄せて側頭部をグリグリと指の関節で押している。それを見たスミレは首を傾けて彼の表情を覗き込んだ。

「頭痛ですか?」

 フォックスは顔を上げて苦笑を漏らす。

「よく分かったな。そんなに酷いものじゃないんだが」
「いえ。……夜更かしでも?」

 顔色を伺いながら問いかければ、彼は照れたように頬の下をかきながら頷いた。

「その、だな。実は、昨日の夜みんなで集まって飲み会をしてたんだ。……途中から記憶がないんだけど、いつ自分の部屋に戻ったかなぁ」

 フォックスは首をひねって考え込む。どうやら彼は、昨夜その飲み会にスミレがいたことすら覚えていないらしい。頭痛に悩まされている彼には悪いが、スミレは心の中でほっと安堵の息をつく。できることなら、どうかそのまま一生思い出さないでいてほしいものだ。

「じゃあ、二日酔いですか」
「はは、なんだか気恥ずかしいな。この歳になって」
「そんなことないですよ。フォックスさんだって、たまには羽目を外さないと」

 そうかな、と彼は困ったように笑う。その表情に、ふとスミレは昨夜の彼が見せたふにゃりとした幸せそうな笑顔を思い出す。
 雇われ遊撃隊のリーダーという立場にいるせいか、普段のフォックスは責任感が強く生真面目だ。あまりに生真面目すぎるので、はたから見ていてストレスが溜まっていないか心配になるほどだ。だから、酒の席ではあれくらい砕けていてくれた方がこちらも安心する。

「そうそう。二日酔いといえば、あのワリオが珍しくダウンしているって聞いたぞ。きっと、よっぽど大量に飲んだんだろうな」
「あら……それはちょっと心配ですね」

 内心ぎくりとしたスミレは、それを気取られぬよう視線を落とした。幸い、フォックスはそんな彼女の様子をワリオを気遣っていると取ってくれたらしい。

「スミレは本当に優しい子だな。俺もワリオも、体調を崩したのは自業自得だっていうのに」
「あはは……」

 まさかワリオが体調を崩した原因が自分であるとはとても言えない。
 だが、あれだけ飲ませたのにも関わらず二日酔い程度ですんで本当によかった。あれから急遽マスターハンドに連絡してワリオの生命維持を頼んだことも大きいだろうが――電話越しのマスターの声は終始堪えきれない笑いのために震えていた――今回ばかりは彼の常人離れした頑丈さに感謝しなければならない。
 ……ただ、こちらも今回の行動はしっかりと反省すべきだ。いくら無神経なワリオの方に非があるとはいえ、あれはさすがにやりすぎだった。後日、お詫びとして彼の好物であるニンニクでも買ってきて差し入れすることにしよう。
 そんなことより、とスミレはフォックスの方に目を戻す。ワリオのことも心配だが、今は彼の頭痛も気がかりである。本人は大したことはないと言っているが、真面目な彼のことだ。ただ虚勢を張っているだけとも考えられる。
 いくら乱闘空間内ではコンディションがリセットされるといっても、体調が悪い中で戦ってもいいことはない。長時間の集中や精神的な消耗は、体にも相応の負担をかけてしまうのだ。平気だ平気だと言いながら特訓を続けて、頭痛が悪化などしてしまったら目も当てられない。

「フォックスさん、今日はそろそろやめときましょうか」
「い、いや、俺は全然平気だぞ! だからあともう三試合、いや五試合だけ……」
「ダメです。今日はもう休んでください」
「う……言うようになったな、スミレ」

 取りつく島もないスミレの姿勢に、フォックスは肩を落とす。意気消沈したように耳がぺたりと寝ているのがなんとも可愛らしくて、彼女はくすりと小さく笑う。

「その代わり、明日は午後も付き合いますから」
「……仕方ないな、そうするか。気を遣わせてすまないな」
「いえ。ゆっくり休んで体調を整えてくださいね」

 彼は軽く頷くと、モニターに映っている設定の初期化を始めた。その後ろ姿とふさふさの尻尾を穏やかな眼差しで眺めながら、スミレはふと昨夜の会話を思い出す。
 ――スミレにはスミレの魅力がある。あの言葉は結局どういう意味だったのだろう。彼にそう言わせるだけの魅力が自分にあるとはとても思えない。……もしあれが酔った勢いでの出任せでなかったとしたら、彼は何を思ってそんな発言をしたのだろうか。
 口をついて出そうになった問いかけを喉の奥に飲み込んで、スミレは苦笑する。変に混ぜっ返して余計なことを思い出されても困る。このことはひっそりと、自分の胸の中だけにしまっておこう。振り返ってもう一度申し訳なさそうに謝ってきたフォックスに、彼女はいつも通りのやわらかな笑顔を浮かべた。




 

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