smile! | ナノ


 ――奇跡が起きた。
 スミレと対峙したファルコが、面白がるようにひゅうと口笛を鳴らす。嘴でどうやってその音を出しているのかと一瞬だけ不思議に思ったが、今はそんなことに気を割いている余裕はない。

「やるじゃねえか、スミレ。まさかお前が、サドンデスまで粘れるようになったとはな」
「…………」

 スミレは無言で剣を強く握りしめてゆっくりと腰を落とした。一瞬ごとに、ぴりぴりと緊張感が高まっていく。

「やる気十分ってか。――加減はしないぜ」

 サドンデス開始のアナウンスと同時に、ファルコが勢いよく足場を蹴って跳ね上がった。スミレは彼を誘うように、牽制を交えつつ最上部の大きな足場に飛び移る。
 奇しくもステージはガウル平原――空中戦の得意なファルコの独壇場である。ただでさえ常に落下死の危険が付きまとうステージだというのに、下手にジャンプなどしては彼の空中技の餌食になってしまいかねない。ここは大きな足場で、地に足をつけながら戦わなければ。

「ほう、地上戦でも吹っ掛けようっつー算段か?」

 早速見破られてしまったことに、スミレはひそかに眉を寄せる。だが、今から新たな戦法を考えるような暇はない。彼女は予定通り最上段にたどり着くと、後を追ってきた着地寸前のファルコに突っ込んでいく。

「っと、危ねえ」

 その場で身をよじって鋭い斬りつけ攻撃を躱したファルコは、振り返りざまにリフレクターを蹴り出す。スミレは即座に射程外に退避すると、地面を蹴ってダッシュ突きを相手に叩き込もうとした。

「当たるかよ!」

 小さくジャンプしたファルコがすれすれのところで剣先を躱し、スミレの背後を取る。しまった、と冷や汗を感じた彼女をよそに、ファルコは舌打ちをして大きく距離を取った。まさかと反対側に緊急回避すると、破裂音と共に爆風が彼女の髪を揺らす。
 ――始まった。サドンデス名物、ボム兵乱舞だ。

「ちっ、いいところで!」

 ファルコは再びこちらに詰め寄ってこようとするが、次々と降り注ぐボム兵のせいでなかなか思うようにいかないようだ。スミレは自分も緊急回避を繰り返しながら、息を詰めて彼を睨み付ける。
 ――千載一遇の好機を、ボム兵なんかに潰させてなるものか。
 スミレは全力でファルコに駆け寄ると考える前に手を伸ばし、シールドを張っていた彼の胸ぐらを掴んだ。そして躊躇いなく腕を引き寄せると、間髪入れずファルコの腹に思いきり蹴りを入れる。すると、彼は面白いように勢いよくステージの外まで吹っ飛んでいった。

「……あ」

 彼女が自分の勝利に気づいたのは、乱闘の勝者が決定したことによって視界がホワイトアウトする直前だった。




 リザルト空間から戻ったスミレを迎え入れたのは、サドンデスに突入するまで共に戦っていたピーチとピカチュウの拍手だった。

「やったじゃない、スミレ! 念願の一位よ!」
「ピッピカチュウ!」
「は――はい」

 まるで我が事のような喜びように、スミレは面食らって目を瞬かせる。
 確かに、彼女にとっては初めて経験する実力での単独勝利である。日々の特訓、シンプルやオールスターへの挑戦、そして他ファイターの攻撃の型や癖の研究――地道にこつこつと積み重ねてきた努力が、初めて報われた瞬間なのだ。
 ……しかし、それを人に心からの笑みで祝われるというのは、なんだか不思議な心地だ。
 心臓がふわふわと浮きながら脈動しているような、肺がきゅうきゅうと締め付けられるような。ともすると、勝手に体が動き出してしまいそうなほど気が高ぶっている。
 こんな気分になったのは初めてだ。戸惑いがちに視線をさまよわせると、腕を組ながら部屋の壁に体を預けているファルコと不意に目が合った。彼はふんと鼻を鳴らすと、クールに手のひらを上に向ける。

「ま、お前にしちゃあ上出来じゃないか?」
「あら、こういう時くらい素直に褒めてあげてもいいんじゃないかしら?」
「るせえ!」

 口元にたおやかな指を持っていってにやにやと笑うピーチに、ファルコは照れたようにぷいとそっぽを向く。それでも否定の言葉が彼の口から出てこなかったのが嬉しくて、スミレは控えめに笑った。

「ありがとうございます、みなさん」

 すると、ピーチがくるりとスミレの方を向いて不満げに唇を尖らせる。

「あら。ちょっとリアクションが薄いわよ、スミレ」
「いえその、なんというか……よ、喜んでもいいんですよね、私」

 スミレは胸に手を当てて相手の顔色を伺うように首を傾けた。
 勝てて嬉しくないというわけでは決してない。むしろその逆――彼女の胸の中には、今にも爆発しそうなほどの喜びが溢れていたのだ。
 これまで生きてきた中で経験したこともない強い高揚感に、スミレはどうしていいか分からず戸惑っていた。ほんの僅かに気を緩めでもしたら、きっと制御が利かなくなって何かとんでもないことを仕出かしてしまう。それでもし彼らに引かれてしまったらと考えると、感情の溢れるままに振る舞うことなどとてもできなかった。
 だが、ピーチはそんな彼女の心配を溶かすように優しい笑みを浮かべる。

「いいのよ。せっかく勝ったんだから、思いっきり喜んじゃいなさいな。変に大人ぶってないで、ね」
「思いっきり……。そう、――そうですよね」
「ピカピカ!」

 スミレの足元で、ピカチュウが両腕を大きく振って彼女の呟きに同意する。ああ、本当に優しい人たちだ。そう思ってほっと心の枷を緩めた瞬間。
 ――ぱちんと、タガの外れる音が聞こえた気がした。

「きゃっ、スミレ!?」

 スミレはやにわに目の前のピーチに抱きついた。背中に腕を回し、細くやわらかな体を全身で抱き締める。強く強く、自分の喜びの大きさを表すように。ほのかな甘い香りに胸を締め付けられ、スミレは相手の肩口に顔を埋める。

「――嬉しい。すごく」

 ほんの小さな囁きであったが、ピーチはその震えた声に込められた想いを聞き取ったらしい。小さく笑うと、彼女はスミレをそっと抱き締め返した。

「ピーカ、ピカピ!」

 不意に聞こえた声に下を向くと、ピカチュウがスミレの服の裾を軽く引いているのが目に映る。

「スミレ、ピカチュウが『ボクも』って言ってるわよ」
「ん」

 スミレはピーチの体に巻き付けていた腕をほどくと、流れるような仕草でピカチュウを抱き上げた。うっかり抱きつぶさないように注意しながら、やわらかな抱き心地と短い毛並みを思うさま堪能する。ぴくりと動いた長い耳が頬を撫でて、スミレはくすぐったさに腕の力を強める。

「ああもう、ホント……どうしよう。まさかこんなに嬉しいなんて」

 ピカチュウに頬ずりすれば、彼は気持ち良さそうに高い甘えた声で鳴いた。その鳴き声があまりにも可愛らしくて、スミレは一際強く彼を抱き締める。
 やがてピカチュウをそっと床に下ろして顔を上げた彼女は、その笑みを次なる獲物へと向けた。

「ファルコさん、いいですよね?」
「お、俺もか!? 冗談じゃ――」
「逃がさないわよ」

 後ずさりして逃げようとしたファルコをピーチが後ろから羽交い締めにし、その脚にピカチュウが全身ですがりつく。

「なっ! お、お前ら何をしやがる!」
「今よスミレ!」
「ピッカ!」

 二人がかりで拘束されて身動きの取れないファルコに、スミレは思いきり抱きついた。なかなか筋肉がついているようだから遠慮はしない。力一杯、ぎゅうぎゅうと締め付けるように全身で喜びを表現する。何やら真上から「ぐふぅ」と呻き声が聞こえたような気もするが、きっと幻聴だろう。

「えへへ……」

 人肌の温もりや触れ合う心地よさにいい気分になって、相手の胸板に側頭部を擦り付ける。女性相手には絶対にできない所業である。
 満足がいくまで抱き締めてようやく体を離せば、顔を明後日の方に向けていたファルコは体の力を抜いて盛大なため息をついた。

「ったく、心臓に悪いヤツだ」
「すみません」

 ぼやくファルコにスミレはくすくすと笑う。こうやってグチグチと文句を言いつつも、彼が本気で悪く思っていないことはちゃんと分かっている。フォックスと小遣い稼ぎがてらに毎日乱闘していると、自然と彼に近しいファルコの感情の機微についても理解できるようになるものだ。
 そこでスミレは思い出したように顔を上げる。

「あ、そうだ。フォックスさんとこにも報告しに行かないと」
「お、おい、ちょっと待て。まさかフォックスにもやるつもりじゃ――むごっ」
「もちろんですよ! もう嬉しくて嬉しくてたまらないんです!」

 スミレが今日この時を迎えられたのは、喧嘩の仕方すら分からなかった自分を徹底的に鍛え上げてくれたフォックスのお陰だ。彼がいてくれたからこそ、初勝利を掴み取ることができたのだと言っても過言ではない。だから一刻でも早く、フォックスに感謝と喜びを伝えに行きたいのだが――。
 視線をさ迷わせたスミレの心情を察してか、ピーチがくすりと笑った。

「さっきのリプレイなら、後でわたくしが送ってあげるわ。だから、早くフォックスに会いに行ってらっしゃい」
「よ――よろしいんですか?」
「ええ。遠慮しないでいいのよ」

 スミレが向けた視線の先で、ピーチは優しく微笑む。その笑みのあまりの優美さに目を奪われてしまったスミレの視界には、ピーチに嘴を掴まれて苦しげにもがくファルコの姿は残念ながら映らなかった。

「ありがとうございます、ピーチさん。それじゃあ、私はこれで!」
「ふふ、フォックスによろしくね」
「ピッカ!」
「むごご……」

 スミレはピカチュウの激励とピーチの意味深な笑みに見送られながら、挨拶もそこそこに乱闘ルームを飛び出した。
 この時間なら、フォックスはちょうどシンプルかオールスターに挑戦しているはずだ。常に資金繰りに頭を悩ませている彼は、金策のため毎日欠かさず両方に挑んでいる。
 ――果たしてフォックスは、手塩にかけて育ててきた後輩の初勝利を喜んでくれるだろうか。スミレは溢れんばかりの喜びと期待に頬を紅潮させて廊下を小走りに駆ける。
 シンプルルームを目指して走っていると、向こうからクッパが歩いてくるのが目に入った。彼はスミレが珍しく廊下を走っているのを目にしてに驚いたらしく、軽く目を見張る。

「誰かと思えばスミレではないか! そう急いでどうしたのだ?」

 そう訊ねてきたクッパに満面の笑みを返すと、スミレは両腕を広げて感情の溢れるままにその胸に飛び込んだ。その巨体を欠片も揺らがせることなく、クッパはスミレを真正面から受け止める。

「ぐおっ――、と。本当に今日はどうしたのだ、スミレよ。さては、よほど嬉しいことがあったのだな?」
「乱闘に勝ったんです、褒めてください!」

 体を離してクッパの顔を見上げると、彼は感心したように眉を開いた。大きく歯を剥いた表情からは分かりづらいが、その瞳には喜色が前面に表れている。

「おお、ついに勝ったのか! よーしよし、よくやったではないか。ワガハイが褒めてやろう」
「えへへ……ありがとうございます」

 クッパの大きな力強い手で豪快に頭を撫でられ、スミレはふにゃりと笑みを浮かべる。なんだか偉大な父親に認められたようで、心がふわふわとする。もう、例えようもないほど嬉しい。喜びが溢れて体が破裂してしまいそうだ。
 スミレは感謝の表現をするために、もう一度クッパにぎゅっと抱きつく。彼は嬉しそうに笑いながら、ぽんぽんと軽く彼女の背を叩いてくれた。
 満足したスミレは、するりと体を離して彼に頭を下げる。

「それじゃあ、私はフォックスさんのところに行かなきゃいけないので――」
「フォックスか。なら、今しがた本館に向かったのを見かけたぞ」
「本当ですか? ありがとうございます!」

 スミレはクッパにお礼を言うと、居住区域のある本館の方に足を向けた。
 ――その後もスミレの容赦ない無差別抱きつき攻撃の犠牲者は着々と増え続け、しばらくして理性を取り戻した彼女は顔を真っ赤にしながら方々に謝罪して回ることになったのだった。




 

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