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 この日もリトル・マックはロードワークに出ていた。館からスタートして山道を下り、タウンの東門を抜けて川原を目指すルートである。その途中で腕に自信のありそうな男に喧嘩を吹っ掛けられたものの、大した相手でもなかったため軽く伸してやった。無論、素人相手に傷をつけるなどというヘマはしない。そんなことをしては、ファイターとしてだけではなく、ボクサーとしても失格だ。
 タウンに戻ってきたマックは徐々にスピードを落とし、広場中央の噴水手前で足を止めた。少し休憩したらタウンを三周し、そのまま一気に館までラストスパートをかける予定だ。スマブラ館とタウンを結ぶ山道は緩やかではあるが、そこそこに長い。トレーニングにはもってこいである。
 適当な自販機でスポーツドリンクを買い、タオルで額の汗を拭いながらストレッチをしていたマックの目に、ふと一軒の店舗が飛び込んできた。マスターハンドがプロデュースした、チョコやらアメやらセンベイやら、様々な世界の菓子を安く売っている店である。いつだったか、トレーナーのドック・ルイスがよくそこでチョコバーを買っているとの噂を耳にしたことがある。
 実は今もそこにいるんじゃないかとじっとそちらに目を向けていると、その店先から思いもかけず見知った顔が出てきてマックを驚かせた。
 ――確かあれは、三種の戦闘スタイルを使い分けて戦うスミレという女性だ。
 マックは乱闘以外で彼女とあまり顔を合わせたことがない。せいぜい、廊下ですれ違う時に軽く挨拶をする程度だ。普段何をしているのかも知らないし、元の世界でどんな職業に就いていたのかも分からない。ただその穏やかな物腰からなんとなくどこかのお嬢様のように思っていたものだから、ああいう庶民的な菓子屋から出てくるのは少し意外だった。
 広場を横切ろうとしたスミレは、ふと顔を上げた拍子に噴水の近くにいるマックに気がついた。彼女は微笑んで会釈をすると、ゆったりとした歩調で歩み寄ってくる。

「こんにちは。トレーニングですか?」
「ああ。乱闘じゃ、筋肉は鍛えられないからな」

 ――乱闘で体を鍛えることはできない。大乱闘に参加することが決まった時、そう聞かされたマックのショックは計り知れなかった。あれだけ激しく動き回っているというのに、そんな馬鹿な話があるものか、と。
 だが、実際に乱闘を経験してみればそれも納得せざるを得なかった。どれだけ走り回っても筋肉が痛むことはなく、疲労も感じず、息すら乱れない。心臓の鼓動さえ、緊張や高揚以外で高鳴ることがないのだ。筋肉や心肺を痛め付けられないのなら、それらが成長することもないことをマックは知っていた。
 だからこうして、毎日のようにトレーニングに励んでいるのだ。

「元の世界に戻った時のため、ですか?」
「そうだ。これまで戦ってきたやつらに笑われるのはごめんだしな」

 マックの脳裏に、これまで打ち倒してきた猛者達の顔がよぎっていく。見下すような挑発的な表情ばかり思い浮かぶものだから若干腹立たしくなり、それらをぶっ飛ばすように何もない空間にジャブとストレートを繰り出した。
 パンチの勢いに驚いたのか、スミレは目を見張って小さく後ろに飛び跳ねる。そのままマックの動きを楽しそうに眺めていた彼女は、強靭な筋肉に覆われた彼の腕に目を移して感嘆とも取れる吐息をついた。

「なんだか、ちょっともったいないですね。せっかくこっちでこんなに鍛えてるのに、乱闘空間で反映されないなんて」
「何言ってんだ。そうじゃないと、あんたみたいなのが真っ先にやられちまうだろ」

 乱闘を行うステージは、世界観も種族もバラバラなファイター達が同じ舞台に立てるよう、様々な調整がなされている。先程の『スタミナの無視』もその一つだ。他にも『コンディションの一定化』『能力の数値化と制御』など、公平に戦える下地がきちんと整えてあるらしい。いちいち小難しいので細かいところはほとんど覚えていないマックだが、それらがなければスミレのようないかにも戦い慣れていなさそうな人間が圧倒的に不利になることぐらいは分かる。

「ふふ。確かに、それは困っちゃいますね」

 言外に弱いと罵っているようなものなのに、スミレは怒りもせず穏やかに笑う。こういう余裕のあるところが大人の女性らしい。
 ――そういえば、年上の女の人だったんだよな。改めてそれを実感し、なんとなく気恥ずかしくなって顔をそむける。ずっと男臭い世界で生きてきたため、彼は女性と親密に話すのがあまり得意ではなかった。
 視線をそらした先で、ふと彼女が手に持っている買い物袋が目に入った。クッキーと組み合わさったタイプのチョコ菓子やコンソメ味のポテトチップス――他にも幾つかのスナックが薄い袋から透けて見えている。

「あんた、そういうの食べるんだな」

 何気なく思ったことを口にすると、彼女は小さく首をかしげて微笑んだ。

「ええ。……言っときますけど、一人で全部食べたりしませんからね」
「そうなのか?」
「いくつかは、子供達やカービィ君に見つかったときの生け贄です」

 なるほど、とマックは納得する。自分がドック・ルイスに貰ったチョコバーを食べている時もくれくれと騒ぎ立てる彼らだ。お菓子の詰まった買い物袋を提げたスミレを見逃さないはずがない。
 視点を微妙にそらして相手の顔を見ないようにしつつ、彼は言葉を続ける。

「うまいこと見つからなかった時はどうするんだ。やっぱり全部食べるのか?」
「いえ、自分からあげにいきます」
「なんだそれ。それじゃ、ただのお土産と変わらないだろ」
「そうなんですよねぇ。困ったもんです」

 スミレは苦笑しながら肯定するが、言葉とは裏腹に別段困っている声色ではない。恐らく、子供達との交流の一環として楽しんでいるのだろう。

「お菓子といえば、マックさんって甘いものお好きなんですか?」
「なんでそう思うんだ?」
「いえ、トレーナーさんが事あるごとにチョコバーを食べてるので」
「……ああ」

 マックのトレーナーであるドック・ルイスは無類のチョコバー好きだ。試合前の景気付けに一本、マックの勝利のお祝いに一本、敗北後のやけ酒代わりに一本、そして何もなくとも一本。あまりにも頻繁に食べるので、現在見かねたマスターハンドに健康診断へ行かされているくらいだ。彼の肌の黒さの半分はチョコバーのせいじゃないかとマックはこっそり思っている。

「別に嫌いじゃない。あれば食べるくらいだな」
「ふうん、そうなんですか。――あっ」

 唐突なスミレの声に、マックは思わず顔を上げて彼女の顔をまじまじと見つめてしまった。そういえばまともに顔を見たことがなかったなと思うと同時に、目が合ってしまったことへの照れ臭さが込み上げてくる。おまけにスミレの方も恥ずかしそうに目をそらすものだから、余計である。

「な、何かあったのか?」
「いえその、そうじゃないんです、ごめんなさい。トレーニングの最中だったんですよね? もしかしてお邪魔だったかしらって」
「いや。休憩中だから大丈夫だ、全然」
「……そうですか? なら、よかったです。でも、そろそろホントにお暇しないと」

 彼女は買い物袋を持ち直し、こちらに会釈をした。

「じゃあ、私はこれで。頑張ってください」
「ああ。じゃあな」

 マックが軽く手を上げると、スミレはマックに背を向けて広場を後にした。その背中を見送るのもそこそこに、マックは残っていたスポーツドリンクを一気に飲み干す。日差しにさらされて少しぬるくなってはいたが、体の火照りを冷ますのには十分だった。




 リズミカルに呼吸をしながらマックは緩やかな坂道を駆け上がっていく。疲労のたまったふくらはぎが痛い。心臓も肺も破れそうだ。あまりのキツさにスピードを落としたくなってきたが、彼は自分にそれを許すことはなかった。
 館の門が見えたところで気合いを入れ直し、体に鞭打つように足を速める。全力疾走で門を抜けた彼は、荒い息を繰り返しながらようやく速度を緩め、足が崩れそうになるのを堪えて膝に手をついた。この程度で参るとは、自分もまだまだだ。それとも、ペース配分がうまくいっていなかったのだろうか。次はドック・ルイスと一緒に同じコースを走って、どこがどうまずかったのか確認しよう。

「……ん?」

 クールダウンをしっかり終えて門の脇に置いておいたドリンクを飲もうとした彼は、ふと伸ばした手を止める。
 ドリンクの側に、個包装のビスケットが二枚添えてある。それも汚れないようにか、下にメモ用紙らしき白い紙まで敷いて。手に取って見てみると、メモには丸みを帯びた文字で『よろしければどうぞ』とだけ書いてあった。宛名も差出人の名前もない、実にシンプルな手紙である。
 くれると言うのなら、ありがたくもらっておこう。マックはドリンクで喉と体を潤してから早速ビスケットの包装を破る。口に放り込むと、ほのかな甘味が舌に広がった。

「うん。……うまい」

 素朴なその甘さに、ほんの少しだけ足の疲れが和らいだような気がした。ドック・ルイスにも耳にタコができるほど言われていることだが、疲れた時にはやはり甘いものが一番だ。
 ――あとでお礼を言いに行かなきゃいけないな。彼はメモ用紙をしばらく眺め、残ったもう一枚と一緒にジャージのポケットに突っ込む。
 空のボトルを片手に館へと戻っていくその口元は、ゆるやかに弧を描いていた。




 

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