smile! | ナノ


 スミレが食堂に駆け込むと、他のファイター達はすでに朝食を食べ始めていた。椅子もほぼ満席状態だ。朝は食べない主義の者もいるので席はいくつか空いているはずなのだが、これがなかなか見つからない。大きさも種族も様々なファイター達が詰めかけているため、視界が乱雑としすぎているのだ。
 きょろきょろと食堂内を見回して空席を探していると、ふとこちらに手を振るピーチが目に映った。

「こっちよ、スミレ!」

 どうやら席を取っておいてくれていたらしい。スミレはほっと表情を緩めると、人の間を縫うようにして彼女の元へと向かう。

「すみません。おはようございます、ピーチさん」
「おはよう。ふふ、前髪が乱れていてよ?」

 ピーチのたおやかな指がスミレの髪を軽く撫でる。大慌てで身支度を済ませたのがまずかったらしい。スミレは顔を赤くして恥じらいながら手櫛でなんとか整える。

「すみません、助かりました」
「いいのよ、困った時はお互い様なんだから。それにしても、スミレがお寝坊なんて珍しいわね」
「その、目覚ましが止まってしまって……」

 椅子に腰を下ろしつつ、困ったように微笑を返す。するとピーチが口元に手を当ててころころと笑った。

「まあ。電池がなくなったのではなくて?」
「それが、おととい替えたばっかりなんですよ」
「あら、そうなの?」

 ピーチはブルーの瞳を真ん丸に見開く。

「壊れちゃったのかしら。それは困るわよね……」

 まるで自分のことのように表情を曇らせる彼女に、スミレはなんだかくすぐったい気持ちになった。
 気にかけてもらっているところに悪いが、時計が壊れてしまったところでそれほどスミレは困るわけではない。少々もったいない気もするが、壊れたのならまた買い直せばいいだけの話なのだ。きっとそこらの雑貨屋を探せば手頃なものが見つかるだろう。
 今日中にタウンに買いに行くことにしよう。そう決めたスミレはピーチに心配は無用だと伝えようとしたのだが、その時不意に背後から声をかけられた。

「それなら、シュルクさんに相談してみてはどうですか?」

 幼い少年の声に振り返ると、空になった食器を運んでいるロックマンと目が合った。トレードマークの青いアーマーを脱いでシンプルなエプロンを着用した彼は、一見するとただの茶髪の少年だ。……初めてその姿を見た時、誰だか分からなくて混乱したのは記憶に新しい。
 機械であるロックマンやロボットは食事を摂る必要がないため、自ら志願して食事時はみなの手伝いをしている。特にロックマンは元々家事手伝い用として開発されたこともあってか、こうした細々とした仕事は性に合うらしい。乱闘している時よりもずっと生き生きとした表情をしている。

「シュルクさんに?」

 スミレがおうむ返しに聞き返すと、ロックマンは溌剌とした笑顔で頷いた。

「はい。シュルクさんは機械いじりが趣味なんです。修理も得意だそうで、ボクやロボットさんもよくメンテナンスしてもらってるんですよ」
「へえ、器用なんだ」
「たまにバラバラに分解されちゃうのは困りものですけど」

 彼は照れ臭そうに頭をかく。スミレはそのメンテナンス現場を想像してみたが、どう考えても猟奇的殺人現場でしかない。うっかりシュルクを見る目が変わってしまいそうで、脳裏に焼き付いてしまいそうな想像を振り払うためにスミレは彼に関する肯定的な情報を思い出すことにした。
 シュルクはどうやら機械オタクの気があるようで、この館に来てからは他ファイター達が住む様々な世界の技術を積極的に学んでいるらしい。彼が大乱闘の参戦要請に応えたのも勉強のためだと耳にしたこともある。若いのに実に熱心である。
 スミレが感心していると、隣で話を聞いていたピーチが顔を輝かせた。

「そうね! シュルクは優しい子だし、きっとスミレの時計も直してくれるはずだわ! ええっと、それでどこにいるのかしら……」
「じゃあ、ボク呼んできますね」
「あら、それじゃあ頼んだわよ」
「え、ええっ?」

 勝手に進む話の流れに、置いてけぼりにされた当の本人は戸惑いながら目を瞬かせる。わざわざ直してもらわずとも、目覚まし時計くらい自分で買いに行けば済む話だ。何も、全く関係のない第三者に迷惑をかけなくても――。
 そうこうしているうちに口を挟む暇もなく、ロックマンは人波の向こうへ行ってしまった。ピーチに視線を移すと、彼女はにこにことこちらを見つめている。その眼差しには悪意など存在しない。だからこそ、スミレはその親切を無下になどできなかった。

「どうかしたの?」

 ……本当に来てしまった。ロックマンに手を引かれてこちらに歩いてきたシュルクは、戸惑った様子でスミレとピーチを交互に見やる。どうしようと困惑して口を利けないでいるスミレに代わってピーチが口を開いた。

「シュルク、スミレが目覚まし時計を直してほしいのですって」
「それは穏やかじゃないですね」

 当たり前のように彼の口から飛び出したお決まりの台詞に、不意を突かれたスミレは思わず噴き出しそうになってしまった。危ない。咄嗟に下唇の内側を噛まなければ失礼なことを仕出かすところだった。

「時計かぁ。実際に見てみないと分からないけど、たぶん遅くても夕飯までには直せると思うよ。それでいいかな、スミレ?」
「は、はい。私は構いませんけど……でも、ご迷惑じゃないですか?」
「気にしなくてもいいよ。趣味みたいなものだからね」

 そう言ってシュルクは爽やかな好青年じみた笑みを浮かべる。そんな曇りのない瞳の輝きを向けられると、「新しいの買いに行くのでやっぱりいいです」とはとても言えない。遠慮とは、なんともさじ加減の難しいものである。

「それじゃあ……すみませんが、お願いします。持ってくるの、これ食べた後でも構いませんか?」
「分かった。だったら、悪いけど機材置き場まで持ってきてくれないかな。その、先に済ませなきゃいけない頼まれ事があって……。場所は分かる?」

 スミレは頷く。足を向ける機会は全くないものの、館の構図は一通り頭の中に入っている。

「よかった。それじゃ、待ってるね」

 シュルクはぱっと笑顔を咲かせると、手を振りながら元の席に戻っていった。……こんな面倒事を頼んでしまって本当によかったのだろうか。今更ながらにじわじわと申し訳なさが込み上げてくる。

「よかったですね」
「ええ、本当ね」

 ロックマンとピーチは邪気のない笑みでこちらを見ている。――本当に、この館にはいい人が多い。他人のことを心の底から考えられるような親切な人ばかりで、当たり障りのない優しさを振りまくことしかできないスミレには少し肩身が狭い。
 輝かんばかりの彼らの心根の清らかさが眩しくて、スミレは目を細めながら二人に頭を下げた。




 その夜、スミレは食事の載ったトレーを両手に掲げ持って機材置き場に向かっていた。夕食時になっても食堂にシュルクが現れなかったのである。

「シュルクさん、大丈夫かな。確かお昼にもいなかったような気がするし……」

 時計の修理を依頼した手前、彼のことが心配でいても立ってもいられない。自分のせいでシュルクが体調を崩してしまうなんてことになったら、きっとスミレは申し訳なさで彼に顔向けできないだろう。
 途中で食べ物の匂いをかぎつけたカービィの襲撃を受けるというトラブルもあったものの、なんとか躱してスミレはようやく目的地にたどり着いた。

「あの、シュルクさん? いますか?」

 そっと声をかけて中を覗く。薄暗い部屋のあちらこちらに、様々な機械の部品や作りかけの武器などが置いてある。雑然とした印象がないのは、それらがきちんと種類別に場所を分けて整頓されているからだろう。
 そんな部屋の奥に、ライトスタンドに照らされた机に向かって作業をしているシュルクの背中が見えた。こちらの呼び掛けに反応すらしていないところを見ると、だいぶ手元に集中しているようだ。
 スミレはトレーを落とさぬよう足元に気を付けながら、ゆっくりと彼に近寄っていく。

「シュルクさん」
「うわっ!?」

 もう一度背後から声をかけると、シュルクは椅子に座ったまま器用に飛び上がった。その勢いにスミレも驚いて飛びずさる。衝撃で危うく汁物がこぼれるところだった。
 シュルクは振り返ってスミレの顔を確認すると、ほっと表情をゆるめる。

「な、なんだ、スミレだったんだ。どうしたの?」
「どうしたもこうしたも……。シュルクさんが夕食に見えなかったので、持ってきたんです」

 ほら、と手に持ったトレーを軽く持ち上げて見せる。すると彼はしまったと額に手を当てた。

「あちゃー……もうそんな時間か。ごめんスミレ、気を遣わせちゃって。それと――その、時計なんだけど、実はまだ直ってないんだ」
「そうなんですか」

 シュルクは申し訳なさそうに頭をかく。

「なんというか、どこが壊れてるのかさっぱり分からないんだ。部品はどこもおかしくないし、もちろん電池切れってわけでもないし」

 口を動かしながら彼は手早く時計を組み立て直し、最後にきゅっとネジを締める。そうしてから文字盤を見せてくれたが、秒針は確かにぴくりとも動いていない。

「こうやって何度も分解したり組み立てたりもしたんだけど、どうもうまくいかなくて。……ほんと、力になれなくてごめん」

 力なくうなだれるシュルク。スミレは空いたスペースにトレーを置いて首を横に振った。

「いいですよ、もう十分頑張ってくださいましたし。こちらこそ、こんなに時間を取らせちゃって申し訳ないです。これ食べて、今日はもう休んでください」

 今晩は鯖の塩焼きに鶏と野菜の煮物、白米に大根の味噌汁という純和風のメニューだ。がっつり食べたい肉体派や子供達には不評だったが、健康的で素晴らしいとのフィットレのお墨付きである。シュルクは少し冷めてしまったそれらにちらりと目を向け、次いで申し訳なさそうにこちらを見上げる。

「ありがとう。……でもスミレ、目覚ましがないと困るだろ?」
「明日、新しいの買いに行くので大丈夫です。今日はとりあえず、端末のアラームでもセットしとけば――」
「そっか、その手があったか!」

 盲点だったと言わんばかりの驚きように、スミレはつい苦笑する。彼にとっては壊れたものは修理して使うのが当たり前で、新しく買い直すことなど念頭になかったらしい。この辺りが、物に恵まれた現代日本人との価値観の違いなのだろう。

「でも、もったいないなぁ。どこもおかしくなんかないのに」
「そうですね……」

 もったいない、というのはスミレも同感だ。この時計は与えられた部屋に元からあった支給品なのだが、可愛らしいマキシマムトマトの形をしていてなかなか気に入っていたものだ。
 愛着のあるものを捨てるのはほんのりと心が痛む。明日買い物に出るまでになんとか直ってくれないものだろうか。そう思いながら、スミレは沈黙したままの時計を手に取ってぽんぽんと軽く叩いてみる。

「ほんと、変な話ですよね。どうして動かないん、で――あれ?」

 スミレは不意に目を見張った。それまで止まっていた時計の秒針が突然動き出したのだ。彼女の手に抱かれた時計は、かち、かち、と小さな音で正確に時を刻んでいる。

「う、動いた」
「ほ、本当!? ちょっと見せて!」

 がたっと音を立てて立ち上がったシュルクにスミレはそっとそれを差し出す。彼は震える手でその時計を受け取ると、呆然とした様子で文字盤を見つめた。

「た、叩いて直ったとか、僕の頑張りって一体……」

 気の抜けたような息をついて、彼はがくりと肩を落とす。あくまで趣味の範疇とはいえ、機械修理の腕には相当自信があったのだろう。それが通用しなかったばかりか、『叩いて直す』などという原始的な方法に負けてしまったのだ。落ち込むのも頷ける。
 なんだか悪いことをしてしまった。スミレはなんとかして慰めようとシュルクの肩に軽く触れる。

「し、シュルクさん? これはその、アレですよ。今回のはたまたまです」
「スミレ……」
「この時計がたまたま叩くことでしか直らない時計だったんですよ!」
「うん、スミレが僕を慰めたいんだってことは十分伝わったよ」

 力強く握り拳を作る彼女に、シュルクは顔を上げて苦笑を向けた。……ひょっとして、何か言葉選びを間違えてしまっただろうか。
 とにもかくにも、とりあえず気は取り直してくれたようだ。彼はふう、と小さく息をつくと照れ臭そうに首の後ろに手をやる。

「ありがとう、スミレ。――それにしても、こんなやり方で直されるとなんか悔しいなぁ」

 恨めしげに時計を睨むシュルクがなんだか可愛らしく見えて、スミレはくすくすと笑う。

「それじゃあ、次に何か壊れたら、今度こそお願いしますね」

 今回は残念ながらこんな情けない結果に終わってしまったが、シュルクにはぜひとも名誉挽回してほしい。
 彼は屈託のない笑みを浮かべて頷く。

「うん、任せて。次こそは絶対に直してみせるよ! ……今度から修理する前に、まずは一回叩いてみようかな」

 悪戯っぽく付け足された一言にスミレは二度瞬きをし、次いで彼と目を見合わせて朗らかに笑い合った。




 

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